【Session50】2016年06月05日(Sun)芒種
季節は六月の水無月で、梅雨入りも間近の日曜日の朝。この日は今日子とのカウンセリングが朝から入っていたので、学は自分のカウンセリングルームがある新宿へと向かった。
暦の上では芒種にあたり、この時期が稲などの穀物の種まきにちょうど良い時期とされている。
学は自分のカウンセリングルームで、今日子が来るのを待っていた。今日子は約束の時間ちょうどに、学のカウンセリングルームに訪れたのだ。
倉田学:「おはよう御座います今日子さん。今日は天気があまり優れないみたいですが、お変りはないでしょうか?」
今日子:「おはよう御座います倉田さん。そうみたいですね。そろそろ梅雨入りするようなこと天気予報で言ってましたから」
倉田学:「今日子さんって、天気予報の予想ってどのくらい信じます?」
今日子:「天気予報ですか、最近は80パーセント以上の確率で当たるんじゃないかしら」
倉田学:「そうですか。今日子さんって、結構データとか信じるタイプなんですねぇ」
今日子:「それとカウンセリングが何か関係あるのでしょうか?」
倉田学:「いやぁー、僕のカウンセリングを受けて良くなるかもしれないって、どのくらいの確率で信じてるのかなぁーって思って」
今日子:「そうね、半信半疑ってところでしょうか」
倉田学:「と言うことは、50パーセントって受け取っていいのかな?」
今日子:「ええぇ、まあぁ」
すると学は少し考えた表情を今日子に見せ、こう述べた。
倉田学:「良く言われることなんだけど、コップに半分水が入っているのを『たった半分の水』と捉えるか、『まだ半分もある水』と捉えるかは今日子さん自身の捉え方の問題なんだよねぇ」
今日子:「それとわたしのカウンセリングに何か関係でも」
倉田学:「もちろん大アリです。カウンセリングはこころを扱います。一番大切なのはクライエントさんのカウンセリングに対する姿勢だと僕は思うんです」
倉田学:「それは今日子さんが、僕のカウンセリングを受けて神戸市に行けるようになりたいと強く思い続けることだと思うんです。カウンセリングを受けることで、きっと良くなるだろうと言うことを自分自身で自分を信じられるかだと僕は思います」
今日子:「心理カウンセラーが、クライエントのわたしをカウンセリングして問題を解決するのだから、問題を解決するのは心理カウンセラーでしょ!」
倉田学:「今日子さん。問題解決するのは今日子さん自身です。僕はただ、そのお手伝いとしてサポートするに過ぎません」
学は思ったのだった。良くクライエントは、心理カウンセラーが問題解決をしてくれると誤解しているが、心理カウンセラーと言うのはクライエントの問題をまず整理してあげて、どのようにクライエントが抱えている問題を解決したらよいかの羅針盤に過ぎないのだと言うことを…。
だからクライエントが、コップに半分水が入っているのを、「たったの半分の水」と捉えているのなら、カウンセラーはクライエントの捉え方を「まだ半分もある水」という方向に転換し、問題解決に向けてクライエントの伴走者として問題を一緒に解決して行くのだと学は思っていたからだ。そんなことを思いながら学は今日子に次の質問をぶつけてみた。
倉田学:「では今日子さん。コップに半分水が入っているのを思い浮かべてください」
今日子:「ええぇ」
倉田学:「そのコップの水を観て、今日子さんは『たった半分の水』と感じますか? それとも『まだ半分もある水』と感じますか?」
今日子:「そうねぇ、『まだ半分もある水』かしら」
倉田学:「では質問を変えます。今日子さんは今、砂漠にいます。周りには水の飲める場所はありません。今飲める水は、その手に持っているコップ半分の水だけです。その水を観て、今日子さんは『たった半分の水』と感じますか? それとも『まだ半分もある水』と感じますか?」
今日子:「『たった半分の水』です」
倉田学:「今日子さん。同じコップ半分の水ですよ。答えが全く違いますが、どうしてでしょう」
今日子:「だって砂漠で、このコップの『たった半分の水』しか飲めないんでしょ!」
倉田学:「そうですが、同じコップ半分の水ですよ」
今日子:「砂漠で周りには水の飲める場所が無いって! これって誘導尋問じゃない」
倉田学:「僕はなにも誘導尋問なんかしてませんよ。今日子さんが同じコップ半分の水をどう捉えたかの違いだと思いますが…」
今日子:「それは、まあぁ」
倉田学:「カウンセリングってこう言うことなんです。心理カウンセラーがクライエントさんを変えたり問題解決するんじゃない。結局はクライエントさんの捉え方や意識の仕方を変えていくしか出来ないんです。全ては変わるのはクライエントさん自身です」
今日子:「はあぁ、そうですか」
こうして学と今日子のカウンセリングは始まったのだ。学が何時も思っていたのは、心理カウンセラーが問題を何でも解決してくれると思って、他人事のようにカウンセリングを受けに来るクライエントがいるが、そう言ったクライエントにいくら頑張っても、クライエントの時間とお金を頂くだけで、問題解決するのはとても難しいと思っていたからだ。
そして、そのようなクライエントに主体性を持たせるのも心理カウンセラーの務めであり、どちらかと言うと教育に近い部分でもあったのだ。しかし学と言えど、自分から変わろうとしないクライエントについては、そのクライエントの問題解決をするのは無理だとわかると、素直にリファー(別のカウンセリングルームへ紹介)したり、カウンセリングを受けても自分では問題解決出来ないとはっきり言い、そのクライエントのカウンセリングを断っていたのだった。
カウンセリングにおける学にとっての軸とは「枠(時間・お金)」で、クライエントに無駄な時間や無駄なお金を出費させてカウンセリングを長引かせるのは、プロの心理カウンセラーとして良心の呵責に苛まれる思いだった。この軸となる「枠(時間・お金)」は、カウンセリングにおいての学の哲学の部分であったのだ。
学は今日子が神戸市に住んでいた頃に遭遇した阪神・淡路大震災のその当時にタイムスリップして貰い、彼女の中にある震災による火事で失った妹や両親への罪の意識と懺悔の思いがありありと浮かんで来たのである。そして彼女が閉ざしていたこころに、彼女本来の繊細な優しさに光を当てていったのだ。学は今日子とのカウンセリングが終わり、彼女の中の本来の優しさを観ることが出来たのであった。
阪神・淡路大震災で家族を失い、彼女本来のこころ優しい几帳面な性格を学は少し観ることが出来たからだ。こうして今日子のカウンセリングは終わり、彼女を何時ものように学はカウンセリングルームの玄関で見送った。学は彼女の後ろ姿を観て、彼女ならきっと大丈夫と確信したのだ。
午後になり、学は彩と15時にカウンセリングの予約をしていた。彩は約束の時間の少し前に学のカウンセリングルームを訪れた。
木下彩:「こんにちは倉田さん。宜しくお願いします」
倉田学:「こんにちは木下さん。こちらこそ宜しくお願いします」
木下彩:「最近わたし勤め先の建設会社で、前より化粧のノリがいいねって上司から言われて、これってセクハラですよね倉田さん」
倉田学:「僕は会社に勤めたことが無いからわからないけど、言い方にもよるんじゃないかなぁー」
木下彩:「その上司、女の子達にすごく『えこひいき』するんです。自分の気に入る子にはすごく甘くて、そうじゃない子には厳しいんです」
倉田学:「それはちょっと良くないよねぇ」
木下彩:「ちょっとじゃないんです。自分の気に入る子には一緒に飯行かないかとか、飲みに行かないかとか誘うんです」
倉田学:「それで木下さんは誘われたの?」
木下彩:「それが、昔は全くわたしなんか相手にしてなかったのに、最近綺麗になったねとか言って、食事に誘ってくるんです」
倉田学:「その上司って独身なの?」
木下彩:「それが違うんです。奥さんと子供がいるんですよ。倉田さん、どう思います?」
倉田学:「どう思いますと言われても…。僕は普通に食事するぐらいなら問題無いような。でも、誘われたひとや家族に迷惑を掛けるようならよした方がと…」
木下彩:「駄目ですよ倉田さん。倉田さん、こう言う倫理とか哲学とか得意でしょ!」
倉田学:「僕、自分で倫理とか哲学が得意なんて、一度も言ったこと無いですよ」
木下彩:「じゃあ、倉田さんの倫理とか哲学って何ですか?」
この時、学は自分の倫理観とか哲学を彩に伝えるのに、そもそも倫理とは何か、哲学とは何かを説明しなければならなくなるので少し困った。しかしちゃんと説明しないと、彩とのカウンセリングが進まない様だったので、仕方なく説明することにしたのだ。
倉田学:「わかりました。そもそも倫理って言うのはどう言うものか、まず説明しましょう」
そう言って学は彩に、学が学のおじいちゃんから教わった倫理と言うものを説明したのであった。
倉田学:「ざっくり言うと倫理とは、過去から現在までの習慣や文化、そして伝統などを通して培ってきた可もなく不可もなくちょうど良いあんばい。つまり中道を良しとする道です」
木下彩:「なんか、わかったようでわからないような」
倉田学:「ひとそれぞれ倫理観って違うと思うんです。法律は世間一般で言う倫理観によって基本的に作られています。しかし時代により、世の中の倫理観が変われば法律も変わっていかなければならないと思うんです。それに、その法律を作るひとって有識者とか言われる学者でしょ。そのひと達が世の中の世間一般の倫理観と必ずしも一致しているとも限らないし」
木下彩:「そしたら誰が法律を作るんですか?」
倉田学:「僕は国民が本来、法律を作るものだと思うんです。でも現実問題それは無理で、有識者と呼ばれるひと達が法律を作っています」
木下彩:「なーんだ。結局同じじゃないですか」
倉田学:「ひとつ言っておくと、有識者が人格者だとは必ずしも言えないと言うことです」
木下彩:「人格者なんて本当にいるんですか?」
倉田学:「僕は人格者なんて誰ひとりいないと思いますよ。自分を人格者だと思っているひとがいたら、それこそ古代哲学者ソクラテスの言葉『汝自身を知れ』と言いたいですね」
木下彩:「その『汝自身を知れ』ってどういう意味ですか?」
倉田学:「日本人にわかりやすく説明すると、ことわざの『井の中の蛙大海を知らず』と言ったところでしょうか」
木下彩:「ふーん、そうなんだ。じゃあ哲学とは?」
倉田学:「哲学はあることに対して、それが真(正しい)と悟ったら、それ以降は命を懸けても譲れない真実(真理)だと言うものです」
木下彩:「全てのひとを敵に回してもですか?」
倉田学:「はい。哲学とは命を懸けるに値するものです。そしてその真実(真理)は今は認められなくても必ず将来において真実(真理)であると証明されるに値するものです」
木下彩:「倉田さんの哲学は『枠』でしたよね」
倉田学:「はい。でも、それはカウンセリングにおいての哲学で、僕自身の哲学ではありません」
木下彩:「じゃあ、倉田さん自身の哲学は何ですか?」
倉田学:「それは『パス』します」
木下彩:「ずるいですよ倉田さん。そうだ、その倉田さんの哲学、口にしないと叶わないですよ」
倉田学:「僕の哲学は願いごとではありませんから」
木下彩:「なーんだ。引っ掛かると思ったのに」
倉田学:「引っ掛かりませんよ。これでも一応、心理カウンセラーですから」
そう言って学は彩の方を向いて、一言だけこう呟いたのだった。
倉田学:「ではヒントだけ一言。僕の哲学は皆んなを幸せにする為の哲学です」
こう学が彩に伝えると、彩は学にこう言ったのだ。
木下彩:「倉田さんなら、きっと叶いますよ!」
学はこころの中で、哲学は願いごとじゃないんだけどなぁーと思ったのだが、特にこの点について触れることはしなかった。こうしてカウンセリングが何時ものように始まったのだ。彩は学の「催眠療法」で海の奥深くに潜り、もうひとりの人格である綾瀬ひとみに海の底でバトンを渡し、そしてバトンを受け取ったひとみが地上にあがってきて、学の目の前に綾瀬ひとみとして姿を現した。そして学はこう尋ねたのだ。
倉田学:「あなたの名前を教えてください」
綾瀬ひとみ:「あら、お久しぶりね。先生」
倉田学:「ひとみさんですね。お久しぶりです。それと、僕は先生じゃないから」
綾瀬ひとみ:「そーだ、せんせ。こないだじゅん子ママのお店であった『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』に来てたわよねぇ」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
綾瀬ひとみ:「わたしの優勝どうだった?」
倉田学:「さすがですねひとみさん。『シンデレラ杯』初代チャンピオンおめでとう御座います」
綾瀬ひとみ:「まぁ、当然でしょ! それとチャンピオンじゃなくて、女王様とお呼び。ホォーホォホォホォホォ」
流石に、これには学も付き合いきれないと思い相手にしなかった。するとひとみはちょっと気に食わず、何時ものあれを持ち出してきたのだ。
綾瀬ひとみ:「あーらせんせ、わたしのこと今シカトしたでしょ」
倉田学:「僕はそんなことしてませんが、何かの勘違いでは」
綾瀬ひとみ:「いーわよ。わたしもうひとりの人格の木下彩と統合するのやーめた」
倉田学:「ひとみさん、そんなこと言っていいんですか?」
綾瀬ひとみ:「いーわよ。だって困るのわたしじゃないし」
倉田学:「本当は、あなたも木下さんと統合したいと思ってるんでは?」
綾瀬ひとみ:「せんせ、そんな手に引っかかりませんよ。『シンデレラ杯』で優勝したわたしを何て呼ぶんでしたっけ?」
学は呼びたく無かった。しかし彩との統合の話を持ち出されたので、仕方なく小声でひとみをこう呼んだ。
倉田学:「じょおうさま」
綾瀬ひとみ:「何か呼びましたかぁ。声が小さくて 聴こえなかったんですけど」
仕方なく学は、もう一度声を大きくしてひとみにこう言ったのだった。
倉田学:「じょおうさま」
綾瀬ひとみ:「せんせ、やれば出来るじゃない。最初からそう言えば、二回言わなくて済んだのにね。せんせ」
学にとっては屈辱的だった。それは女王様と言うフレーズを言葉にすることより、完全にひとみの手のひらの上で転がされたからだ。学にはひとみがとてもシンデレラには感じられなかった。そしてこころの中で学はひとみのことを魔性の女、つまり小悪魔のように思えた。
ひとみは学の言った女王様と言う言葉を最初聴こえないと言い、学に二回言わせた。その為、学は女王様と二回言った。しかしその後にひとみから「二回言わなくて済んだのにね」と言う言葉を聴かされたのだ。つまり、一回目に学が言った女王様と言う言葉も、しっかりひとみには聴こえていたのであった。
こうして学とひとみの二人のカウンセリングは、クライエントであるひとみの主導でカウンセリングが行われた。ひとみは学を手玉に取ったことで終始ご機嫌であった。そして次のようなことを学に明かしたのだ。
綾瀬ひとみ:「せんせ。この間の『シンデレラ杯』で、わたし最後に先生のテーブルでおもてなしをしたの覚えてるでしょ!」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。それがどうしたのでしょうか?」
綾瀬ひとみ:「あなたの向かいに座ってた叔父さま。確かループタイしてたわよねぇ」
倉田学:「ええぇ、そうでしたが」
綾瀬ひとみ:「あの叔父さまに近づくのに、わたしループタイに目をつけたの」
倉田学:「それが何か『シンデレラ杯』と関係あるんですか?」
綾瀬ひとみ:「あなた達のテーブル。あなたとあの叔父さまだけだったわよねぇ」
倉田学:「ええぇ、そうですが」
綾瀬ひとみ:「それで、あなたは『ピンポン玉』を入れる権利を持っていなかったはずだったわよねぇ」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。そうですが」
綾瀬ひとみ:「わたし思ったの。あなたの向かいに座っていた叔父さまさえ落とせば、わたしに『ピンポン玉』が三つ入るんじゃないかと」
倉田学:「ひとみさん以外にも、7人のメインホステスを要する7グループが出場していたのだから、他のチームに投票するかも知れないじゃないですか?」
綾瀬ひとみ:「そうね。これは確率の問題だけど…。わたし自信あったの」
倉田学:「それはどういう意味ですか?」
綾瀬ひとみ:「あなたの向かいに座っていた叔父さまに、わたしわざと近づいたの。その為に、あの叔父さまの胸元に顔をやり、あの叔父さまのループタイに顔を近づけたのよ」
倉田学:「それじゃあ、山村さんが付けていたループタイに興味があって観たんじゃ!」
綾瀬ひとみ:「あぁー、あれね。あれは叔父さまの傍に行く、ただの口実よ。別にループタイじゃなくてネクタイでも良かったんだけど」
それを聴いた学は、ひとみと言う人物がどういった人物なのかよーくわかった。彼女にとって、山村が大切にしているループタイなどどうでもいいことだと言うことがわかったからだ。
恐らくひとみは山村に近づき、ある意味、山村が大切にしているこころをもて遊び、そして「色仕掛け」や「駆け引き」を利用したのではないかと思ったからである。学は彼女の取った行動が許せなかった。それは山村が大切にしている想い出をひとみは利用したからだ。
学は木下彩の人格が綾瀬ひとみの人格と統合し、今までの彩の性格や表情などが彩では無くひとみに近づいて行くことに対し、カウンセラーとしてでは無く、学自身の個人的な感情が湧き起こった。それは彩本来の「明朗でおしとやか」な性格が、ひとみの「計算高くかつ大胆」なものに移り変わって行くのを、学自身の手で変容させて行くことになるからだ。そう考えながら学は今、目の前にしているひとみをじっと見つめていたのだった。すると彼女は新しい話をし始めた。
綾瀬ひとみ:「せんせ、ちょっと聴いてよ。あの『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』の後から、わたしに迫ってくるしつこい男がいるの」
倉田学:「それは誰なのでしょうか?」
綾瀬ひとみ:「透が紹介してきた男なんだけど」
倉田学:「透と言うと、ひょっとして『新宿歌舞伎町ホストクラブ』の男ですか?」
綾瀬ひとみ:「そう、せんせ。話が早い」
倉田学:「それで、その透が紹介してきたと言う男は誰ですか?」
綾瀬ひとみ:「それが透と同じホストなんだけど。単純な男なの」
倉田学:「単純と言いますと?」
綾瀬ひとみ:「そうね。はっきり言って単細胞」
倉田学:「その単細胞とは、どう言う意味なんですか?」
綾瀬ひとみ:「下ごころバレバレで。わたし、そう言う頭の悪い男、嫌いなの」
倉田学:「では、誰だったらいいんですか?」
綾瀬ひとみ:「そうね。今のところ誰もいないかしら。わたし以上に頭のいい男じゃないと」
倉田学:「そうですか」
この時、学は思った。ひとみ以上に頭のキレる男などそういないだろうと、そして試しにこんな質問をしてみたのだ。
倉田学:「それじゃあ。僕はどうですか?」
綾瀬ひとみ:「そうね。まあまあ、かしら」
倉田学:「それは良い方と捉えていいのですか?」
綾瀬ひとみ:「そうよ。わたし結構、採点辛いから」
倉田学:「ありがとう御座います。それで、その単純な男とはどんなひとなのでしょうか?」
綾瀬ひとみ:「透の先輩で、『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長をしている吉岡響って男よ」
倉田学:「その吉岡響って男は、どのようにしつこいのでしょうか?」
綾瀬ひとみ:「そうね。何度かわたしが勤めている『銀座クラブ マッド』に訪ねて来たり、LINE交換しないかって迫ってくるの」
倉田学:「それでひとみさんはどうしたんですか?」
綾瀬ひとみ:「LINE交換する訳ないでしょ! だってわたしのタイプじゃないし、下ごころバレバレだし」
学は思った。おそらく吉岡響と言う男はひとみの素性を知らないのだろうと。そして響がひとみの素性を知ると更に話がややこしくなると思ったのだ。だから学は、ひとみが響のことを毛嫌いしてくれてホッとしていたのである。
おそらくひとみの素性を知っている透やじゅん子ママも、響にはひとみが木下彩と綾瀬ひとみのふたつの人格で成り立っていることを話していないだろうと想像出来たからだ。そして学はひとみにこう告げた。
倉田学:「おそらく、その吉岡と言う男はひとみさんを今後もつけ回すと思いますよ」
綾瀬ひとみ:「せんせ、それってストーカーされるってこと?」
倉田学:「それは僕にもわからないけど、用心した方がいいかもね」
綾瀬ひとみ:「わかりました、せんせ」
こう言ってひとみとのカウンセリングを終えた。学は、ひとみをまた「催眠療法」で木下彩の人格に戻したのだった。そして学はこう尋ねた。
倉田学:「あなたの名前を教えてください」
木下彩:「わたしは木下彩です」
学はひとみとのカウンセリングで知った響と言う男について、気をつけるように彩にこう告げたのだ。
倉田学:「ひとみさんとカウンセリングをしていたのですが、厄介な男にひとみさんはつきまとわれているみたいです」
木下彩:「それは、どんな男のひとでしょうか?」
倉田学:「あなたの幼なじみの透さんの知り合いで、ホストをしている吉岡響と言う男です 」
木下彩:「わたしはどうしたらいいのでしょうか?」
倉田学:「そうですね。ひとみさんはその吉岡響と言う男を毛嫌いしているようですので、多分大丈夫だと思います。しかし木下さんのところにもこの男が訪ねて来るかもしれません。この男には注意しておいてください」
木下彩:「わかりました。気をつけておきます」
こうしてこの日の学と彩のカウンセリングは終わったのであった。学は響と言う男がすごく気になった。それは、下手をすると彩にストーカー行為に及ぶ可能性もあると感じたからだ。
学は何時ものように彩をカウンセリングルームの玄関先で見送り、彩は学のカウンセリングルームを後にしたのだ。その時の彩は、少し驚きを隠せない表情を浮かべていたのだが、彼女の中のもうひとりの自分が、彩の「明朗でおしとやか」と言う殻を破り、少しずつ「計算高くかつ大胆」と言うものに変容していることなど気づくはずもなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます