【Session48】2016年05月29日(Sun)

 五月も下旬になり、学は新宿にある自分のカウンセリングルームで昨日までの出来事を思い起こしていた。学には昨日までの広島での出来事が、遠い昔の出来事だったように感じられてならない。それは今いるこの東京の忙しさと違い、広島で過ごした時間がとてもゆっくりで、また学にとってとても大切な時間だったからだ。

 そんなことを学は自分のカウンセリングルームで考えながら、夕方、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』がある銀座8丁目へと向かった。それは今日が熊本地震の義援金として、銀座クラブ街を挙げて『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』と言う大会を、この皐月(五月)に行い、今日がその大会の決勝戦の日だったからだ。


 学もみずきから、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』を代表して選ばれたのぞみの決勝大会のフォローを頼まれていた。そしてこの大会にはのぞみがメインのホステスとして出場しているのだが、お店から二人がアシスタントホステスとして付き、合計三名でお店を代表して出場するのだ。そのアシスタント役のホステスとして、みさきとゆきが、のぞみのフォロー役として出場することに決まっていた。


 学はみずきのお店『銀座ホステス SWEET』に夜の17時過ぎに到着した。その時、のぞみ、そしてみさき、ゆきの三人とも緊張した面持ちで出掛ける準備をしていたのだ。学がお店に入ると珍しく、みずきと最初に挨拶を交わしたのであった。


倉田学:「こんばんはみずきさん。今日は決勝戦ですよね?」

美山みずき:「そうなの。皆んな緊張して」


倉田学:「そうだ僕、昨日まで広島に行ってたんです。『もみじ饅頭』、皆んなで食べませんか?」


 学がそう言うと、学の周りに皆んなが集まって来た。そしてみずきがこう言った。


美山みずき:「倉田さん。広島に何か用事でもあったんですか?」

倉田学:「実は…。僕のおじいちゃんが広島に住んでて、それで広島に行ったんです」


のぞみ:「倉田さんの実家って、広島県なんですか?」

倉田学:「僕はおじいちゃんの実家に行ったのが、今回初めてだったんです」


みさき:「おじいちゃん、元気でしたか?」

倉田学:「ええぇ。おじいちゃんから、いろいろと大切な物を教わって」


ゆき :「その大切な物って何ですか?」

倉田学:「『形のないプレゼント』かなぁ」


美山みずき:「倉田さんも『形のないプレゼント』をあげるの上手じゃないですか」

倉田学:「おじいちゃんには敵わないよ」


 そう学が言うと、学は目線を上の方に上げ寂しそうな瞳をして見つめたのである。しかし、その表情を悟られまいと元の目線に戻しこう言った。


倉田学:「良かったら、決勝戦の会場のじゅん子さんのお店『銀座クラブ マッド』に行く前に、この『もみじ饅頭』を腹ごしらえにどうぞ」


 学が皆んなに広島空港で買ってきた「もみじ饅頭」の箱を開けると、和やかな雰囲気が学を取り囲むように広がった。そして皆んな口々にこう言ったのだ。


ゆき :「わたし、このクリーム味頂こっと。うーん、美味しい」

みさき:「わたしは、このチーズ味食べてみよっと。うーん、美味しい」


のぞみ:「そしたら、わたしはフルーツ味を。美味しい」

美山みずき:「では、わたしはこの抹茶味でも。美味しい」


 それを観た学もこう言った。


倉田学:「僕も、じゃあ一個貰おうかなぁ。つぶあんを。うーん、懐かしいなぁ」


 そう学は、高校時代の修学旅行で食べた「もみじ饅頭」のことを思い出していた。それと同時に、もうこの世には存在しないおじいちゃん、おばあちゃんのことも思い出し、少し切ない気持ちになったのだ。しかし昨日まで学が広島に行っていた理由が、おじいちゃんが肺がんで亡くなった為であることを言うと、みずきやのぞみ、他のスタッフ達に心配を与えると思い、学は自分の胸の中でグッと堪えていたのだ。そして、みずきのお店のスタッフ皆んなが、学に感謝の言葉を述べたのである。


スタッフ:「倉田さん、ありがとう。倉田さんに出逢えて、わたし達は『形のないプレゼント』をいっぱい貰いました。今度はわたし達が『形のないプレゼント』を伝えて行きます」


 この言葉を聴いた学はとても嬉しかった。それはおじいちゃんが大切にしてきた物が、自分を通してこのお店のスタッフにも伝わったことが確信出来たからだ。学自身も、おじいちゃんから教わった『形のないプレゼント』を大切にして行こうと改めて誓ったのである。こうして時間は過ぎ、じゅん子ママのお店で行われる『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』決勝戦が始まる19時に時間が近づいて来た。学は最後に、のぞみ、そしてみさき、ゆきにこう声を掛けたのだった。


倉田学:「のぞみさん。今日もそのピンクのドレス似合ってますよ。そのピンクのドレスを着ていれば、のぞみさんはどこのお店のどのフロアに立っても大丈夫」

のぞみ:「ありがとう御座います倉田さん。決勝戦もこのピンクのドレスが味方してくれると信じてます」


倉田学:「みさきさん。みさきさんはオレンジのドレスが『勝負ドレス』なんですね。きっとそのオレンジが、みさきさんを助けてくれますよ。のぞみさんのフォローを宜しくお願いします」

みさき:「倉田さん、ありがとう御座います。わたしオレンジが好きだから、オレンジで勝負します。倉田さんが言うんだから、間違いない」


倉田学:「ゆきさん。その黄色いドレスはみずきさんから誕生日に貰ったドレスですね。今日もとっても似合ってますよ。その黄色いドレスが勝利の女神を引き寄せてくれると思いますよ。のぞみさんのフォローを宜しくお願いします」

ゆき :「ありがとう御座います、倉田さん。誕生日の日に、倉田さんが描いてくれたわたしの絵大切にしてます。勝利の女神が微笑むよう頑張ります」


 学は三人とこう会話を交わし、みずきの方を向いた。みずきは三人を誇らしく、前よりひと回りたくましくなったように感じてならなかった。時間は19時にだいぶ近づき、大会会場であるじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へと出掛けたのだ。みずきを先頭に、のぞみ、そしてみさき、ゆきと続いてじゅん子ママのお店に向かったのである。

 学もみずきから、のぞみのもしもの場合に備えてついて来てほしいとの要望があり、一緒にじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へと向かった。こうして五人は、『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』決勝戦が行われるじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へと入って行った。


美山みずき:「こんばんはじゅん子さん。今日は宜しくお願いします」

じゅん子ママ:「こんばんはみずきさん。こちらこそ宜しくお願いします」


美山みずき:「それにしても随分賑わってますね」

じゅん子ママ:「あなたのおかげで、久しぶりに銀座の『おとなの夜の街』が活気づいて、こっちは嬉しい悲鳴よ」


美山みずき:「いろいろと、他のお店にも声を掛けて頂きありがとう御座います」

じゅん子ママ:「そんな堅い挨拶いいわよ。お客様がたくさん来て、喜んでくださっているんだから」


美山みずき:「そうですか」

じゅん子ママ:「それと『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』の優勝者には、優勝として『シンデレラ杯』を渡すことになってますから」


 それは、このコンテストが行われる時間と関係があった。と言うのも、この決勝戦は予選を勝ち抜いた8名の出場者と、決勝に残ったその8名と同じお店からアシスタントホステスとして2名がフォロー役に入り、1チーム3名の8グループで競われるのである。最初に開会式と決勝戦のお店の紹介、メンバーの紹介が19時から19時半まで行われ、19時半から23時半までの間の4時間の間に、30分刻みで8テーブルのお客様に対しおもてなしを行い競い合うのだ。

 また1テーブルのお客にピンポン玉が3つ与えられ、おもてなしが良かったと思うホステスに3個のピンポン玉のうち好きな数を入れ、その数が一番多いチームが優勝として『シンデレラ杯』が送られると言うシステムだった。そして何より、その結果発表の時刻が24時ちょうどに発表されるので、じゅん子ママはこの『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』の決勝戦を、別名『シンデレラ杯』と呼び、この『シンデレラ杯』を目指し多くの銀座クラブのお店のホステス達が、じゅん子ママが主催するこの大会に参加したという訳だ。学はこの話を傍で聴いてこう思ったのである。


倉田学:「さすがじゅん子さんだ。ホステスやお客さんを引き付けるアイデアは、さすが銀座クラブ街の重鎮と呼ばれるだけあって、僕なんかより、よっぽど良いアイデアだ」


 そう思いながら学は二人の話を聴いていたのだった。当然、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』から出場したホステスも決勝戦に残っているとのことで、学は誰が決勝戦に出場するのか出場メンバーが並んでいる広いフロアに眼をやった。

 すると綾瀬ひとみが中央でひときわ存在感を醸し出していたのである。その姿は水色のドレスを身に纏い、清楚でいながら妖艶な美しさを醸し出していたからだ。そして彼女のフォローホステスとして先輩のれいなが黄緑色のドレスを着て、もうひとりの先輩のはるかと言う女性が紫色のドレスを着て、ひとみの後ろにフォロー役として立っているのが学は観ることが出来たのだ。


 いよいよ開会式が行われ、最初に大会長挨拶としてじゅん子ママが集まったお客さんや他のお店から集まったホステス、お店のスタッフなどの紹介を行い、最後に会場となるこのお店にいるひと達に向けこう挨拶した。


じゅん子ママ:「ここに集まったお客様。そしてホステスをはじめスタッフは、最高のおもてなしが出来るメンバーです。今日は何時もの最上の銀座クラブのおもてなしを存分に楽しんで行ってください。それでは『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』、名づけて『シンデレラ杯』を開催します」


 じゅん子ママがこう言うと、会場から拍手喝采が鳴り響いた。それと同時に、8テーブルに3名ひと組8グループのホステス達が散らばって行った。そしておもてなしを開始したのだ。その時学は、そのテーブルの一角から聴き覚えのある初老らしき男性に名前を呼ばれたような気がした。学はその男性に近づいて行ったのだ。


初老の男性:「久しぶりじゃな若いの。確か君は『哲学のひと』だったな」

倉田学:「お久しぶりです。僕のこと覚えてたんですか?」


初老の男性:「若いの、わしのことを馬鹿にしているのか」

倉田学:「そう言う訳じゃ。それと僕は『哲学のひと』じゃなくて、倉田と言います」


初老の男性:「そうかそうか、わしひとりで飲むのもなんじゃ。君もここに座って飲みなさい」

倉田学:「はあ」


 こうして学も、この『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』、名づけて『シンデレラ杯』のお客のひとりとしてテーブルに座ったのだった。その時、じゅん子ママが学の元に近づきこう呟いたのだ。


じゅん子ママ:「倉田さん。倉田さんは審査員は駄目ですからね」

倉田学:「わかりました」


 じゅん子ママは、学がみずきのお店のホステス達のグループに「ピンポン玉」を入れるかも知れないと思い注意した。しかし学はそんな「ひいき」をしようなど、これっぽっちも思っていなかった。また心理カウンセラーとして自分を常に中立な立場でいようとこころがけていたからだ。

 学にとってカウンセラーとは「こころの裁判官」のような神聖な立場であり、また常に中立な立場でクライエントや相談者さんの話を聴くことをこころがけてきた。そう言う意味で、「こころの裁判官」である必要があると日頃から自分に言い聞かせていたからである。


 学がテーブルに着くと、早速3名のホステスが学と初老の男性の座る席にやって来た。そしておしぼりを渡し注文を聞いて来たのだ。すると初老の男性が学に何を飲むか訊いたのである。


初老の男性:「『哲学』の君、何を飲むんじゃ?」

倉田学:「僕ですか、僕は何時も『イチローズモルト』を…」


初老の男性:「わかったわかった、若いの。では『イチローズモルト 秩父 ザ・フロアーモルテッド』をボトルで貰おうかのう」

倉田学:「えぇ、ボトルですか!?」


初老の男性:「なんじゃ君、お酒は弱いのか?」

倉田学:「お酒もそんなに強くないですが、そんなにお金持ってませんけど…」


初老の男性:「なんじゃ、そんなことを心配しているのか。大丈夫じゃ、君からお金を貰おうなんて思っちょらんよ」

倉田学:「良かった。ありがとう御座います」


初老の男性:「その代わりな、君が酒の肴じゃ。そうじゃ、前に話した『日ソ共同宣言』について君の意見を話してみたまえ」

倉田学:「ええぇー、今ですか」


初老の男性:「そうじゃ、君でも答えられんのか」

倉田学:「僕は日本とロシアが仲良くなればと思います。その為にもまず、『北方領土問題』を解決する必要があると思います」


初老の男性:「その為にはどうしたら良いと思うんじゃ?」

倉田学:「現実問題から言うと、既に北方四島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)をロシアに実効支配されていて、そこにロシアのひと達が住んでコミュニティーを作って何十年も住んでます。そのひと達を追い出し、北方四島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)を取り戻すことなど無理な話です」


初老の男性:「では、ロシアに実効支配されるまで住んでいた日本人はどうしたらいいんじゃ」

倉田学:「それは日本政府が決める国際外交だから、僕にもわかりません。ただ、交渉するのに下手(したて)に出ると日本政府はロシア政府にあしらわれる可能性が大きいように僕は思うんです」


初老の男性:「だったら君は、どのような国際外交を考えているんじゃ」

倉田学:「僕だったら…」


 この時、初老の男性が頼んだ「イチローズモルト 秩父 ザ・フロアーモルテッド」が学たちのテーブルに着いたホステスによって運ばれ、学と初老の男性が向き合って座るテーブルの前に置かれたのだ。そしてもうひとりのホステスがグラスとアイス(氷)が入ったアイスペール、そしてお水の入ったデキャンタ水差しを持って来たのだった。するとメインの若いホステスが、すかさず初老の男性の傍に行きこう言った。


メインのホステス:「あら叔父さま。隣に座っても宜しいでしょうか?」

初老の男性:「何じゃ何じゃ、ワシの隣に座りたいのか。よかろう、座りなさい。それで、君の名前は何と言うんじゃ?」


メインのホステス:「申し遅れましたあやかと申します。宜しくお願いします」

初老の男性:「そうかそうか、あやかか。わしも『あやかり』たいもんじゃ。カッカッカッカッカッ」


 これを聴いた学は、初老の男性からの注意が逸れたことにホッとし、カウンセリングでクライエントに合わせるかのように初老の男性に合わせ、愛想笑いを作ったのだ。

 この時、学は「日ソ共同宣言」や「北方領土問題」の話から逃れることが出来安心していた。そしてもうこの話題には触れないようにしておこうと心に決めたのだ。この後、学の目の前に置かれたウイスキーやアイスペール、お水の入ったデキャンタ水差しに眼を向けたのだった。

  初老の男性が頼んだ「イチローズモルト 秩父 ザ・フロアーモルテッド」は、黄支子色をしたクチナシの木の実で染めあげた濃い黄色を彷彿させ、それがお店の照明に照らされると、とても色鮮やかな輝きを放ったのだ。そしてアイスペールやお水が入れてあるデキャンタ水差しは、彫刻で細部まで丁寧に加工されたガラス細工のような美しさと輝きを反射させていた。その時、その初老の男性は、学の横に座る若い二人のホステスを観て、こう学に言った。


初老の男性:「若いのどっちの女の子が好みじゃ?」

倉田学:「僕ですか、僕はふたりとも素敵な女性だと」


初老の男性:「君は優柔不断な男だな。それともふたり共、自分のものにしたいのか?」

倉田学:「いやぁ、そういう訳じゃ」


初老の男性:「わかったわかった。君は欲張りじゃのぉー」


 そう初老の男性が言うと、学の隣に着いたサブのホステス二人に向かって、初老の男性はこう言ったのである。


初老の男性:「ほれ君たち。若いのが君たちふたりを独り占めしたいそうじゃ! ふたり共、その若いのの相手をしてあげなさい」

サブのホステス達:「はーい」


初老の男性:「若いの、これで満足か?」

倉田学:「僕は別に」


初老の男性:「何じゃ、まだ足りないのか?」

倉田学:「いや、そう言う意味じゃなくて。僕、こういうの得意じゃないから」


初老の男性:「何事も経験じゃ!」


 そう言うと、学の両隣のホステス達は学にこう挨拶したのだ。


ようこ:「ようこです。宜しくお願いします」

さやか:「さやかです。お名前、聴いてもいいですか?」

倉田学:「倉田と言います」


さやか:「倉田さんですね。倉田さんは何飲まれます?」

倉田学:「僕ですか、ロックでお願いします」


 学がそう言うと、すかさず隣のようこが学の飲み物を用意し、そして学の目の前のテーブルに置きこう言った。


ようそ:「どうぞ倉田さん」

倉田学:「ありがとう」


 それを観ていたメインのホステスのあやかが、学たちのテーブルにいる皆んなにこう言ったのだ。


あやか:「では改めて皆んなで乾杯しましょう。それでは良きご縁にカンパーイ!」

皆んな:「カンパーイ!」


 こうしてあっという間に30分が経ち、今いたホステス達のグループは次のテーブルへと移動して行くのだった。その時、初老の男性は学にこう訊いてきた。


初老の男性:「君、隣に座っていたふたりのホステスのどっちが好みじゃ本当は?」

倉田学:「えぇ、僕ですか」


初老の男性:「君しかおらんじゃろ。で、どっちじゃ?」

倉田学:「僕は…。選べません」


初老の男性:「それとも嫁一筋か?」

倉田学:「僕は結婚してませんけど」


初老の男性:「なんじゃ、君は奥手なのか?」

倉田学:「僕は女性のひとと今まで一度もお付き合いしたことないし、それに30分でひとを選ぶことなんて出来ません」


初老の男性:「そうかそうか。最近の若いひとには『珍しいタイプ』だな。やっぱり君は」

倉田学:「やっぱり変わり者ですかね。僕は」


 学はこんな話をしながら、この『シンデレラ杯』でホステス達からのおもてなしを受けたのだった。

最後の30分である23時から23時半の時に、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』を代表してエントリーしていたメインホステスのひとみと、サブホステスのれいな、はるかが学たちのテーブルに着いた。ひとみは学のことなど気にも止めず、初老の男性の元へ行き真っ先に挨拶した。


綾瀬ひとみ:「こんばんはひとみと言います。最後の30分を楽しみましょう」

初老の男性:「おお、そうかそうか。もうそんな時間か、よかろう」


 すると、すかさずひとみは初老の男性にこう言ったのである。


綾瀬ひとみ:「叔父さまの名前、教えて貰ってもいいでしょうか?」

初老の男性:「わしか、わしは山村と言うんじゃ。山ちゃんでもいいがな。カッカッカッカッカッ」


綾瀬 ひとみ:「では、山ちゃんって呼ばせて貰いますね。山ちゃん、素敵なループタイしてますね。観せて貰ってもいいですか?」

山村:「これか。いいじゃろ、隣に座りなさい」


 そう言うとひとみは山村の隣に座り、おしぼりを手渡しループタイのことについて色々と山村に質問したのだ。その間、サブホステスのれいなとはるかは、学と山村の飲み物を用意していたのである。山村の隣にひとみとはるかが座り、学の隣にはれいなが座って皆んなで乾杯をした。


綾瀬ひとみ:「それでは、わたし達の出逢いと幸せを永遠に。カンパーイ!」

皆んな:「カンパーイ!」


 皆んなでの乾杯が一段落すると、ひとみは今さっきまで話していた山村のループタイを観せて貰うため山村の胸元に顔を埋めて、山村が付けているループタイを観てこう言ったのである。


綾瀬ひとみ:「山ちゃん、このループタイ。誰からのプレゼントかしら?」

山村:「良く気がついたな。これはな嫁から貰ったものじゃ」


綾瀬ひとみ:「奥様はどんなひとか訊いてもいいですか?」

山村:「よかろう。それは30年ほど前じゃ。わしがまだ日本の証券会社に勤めていた頃の話じゃ。その頃、ちょうどブラックマンデーで、わしはかなりの不良債権を抱えてしまった。だから家族を守る為に家庭を捨てたのじゃ」


綾瀬ひとみ:「家族を捨てたって、どう言うことですか?」

山村:「そうじゃな。不良債権処理でわしの財産も怪しくなってな。わしはその当時、嫁と子供たちを守るため離婚して。その当時わしが持っていた財産を法的に全て嫁に渡すよう裁判させたのじゃ」


綾瀬ひとみ:「それで、その後どうなったんですか?」

山村:「わしの持っていた財産は全て嫁の物になった。そして結果的にわしの抱えていた不良債権により、わしの財産は取られずに済んだのじゃ」


綾瀬ひとみ:「それでは良かったと言うことですか?」

山村:「わしも離婚届の紙切れ一枚の問題だと思っていた。しかし、不良債権の処理が終わった三年後に迎えに行こうとしたら、嫁は既に他の男と結婚しておったんじゃ」


綾瀬ひとみ:「それで、どうされたんですか?」

山村:「わしは嫁に手紙を書いた。そしたら嫁から手紙とこのループタイが送られて来たのじゃ。わしは家族を守ろうとして、結果的に家族を守ることが出来なかったのじゃ」


綾瀬ひとみ:「奥様のこと、好きだったんですね」

山村:「…………」


綾瀬ひとみ:「奥様は綺麗な方だったんですか?」

山村:「ああぁ」


 こう言うと山村はウイスキーを一口のみ、手に持ったグラスのウイスキーをジィーと眺めていた。その間ひとみは、山村のループタイに瞳を近づけ、じっくり眺めていたのだ。まるで恋人の男性の胸元に頭を埋めるような姿勢で、のぞみはその山村のループタイに願いを込めるかのように見つめているよう学には見えたのである。そしてひとみはこう言った。


綾瀬ひとみ:「叔父さまの奥様には、わたし叶わないわ」

山村:「…………」


 こう言うと時間はしばらく二人だけの空間となり、山村は昔を思い起こしているかのようだった。とても嬉しそうにとても暖かい、そんな空気に包まれていたのだ。ひとみの取ったこの一連の動作や仕草、また表情、言葉使いは、学から観ても完璧な素振りで、それは彼女の天性の素質であるように学には感じられた。今の彼女のこの仕事が、彼女にとって天職であると改めて学は再認識したのだ。

 こうして時間はそろそろ23時半が近づいて来た。その時、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』の入口の方から、背の高く洒落たスーツを着こなした二人の男性が店内へと入って来るのを確認することが出来た。よく観ると、その内のひとりは『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』経営者の樋尻透であることが学にはわかった。そして透と同じぐらい貫禄があり、洒落たベストにスーツを纏っている男性は透と親しげに会話を交わしていたのであった。


 その頃、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』から出場したのぞみ、そしてみさき、ゆきも、学の近くのテーブルでお客様におもてなしをしていたのだ。彼女達は学が以前、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』で学が彼女達におしぼりで作って見せたウサギやトトロなどを真似して、お客様におしぼりを手渡した後、テーブルの上におしぼりで作ったウサギなどを飾ったのだ。そして学が教えていないネコなんかも彼女達は自分達で調べ、お客さんの前のテーブルの上に置いたのだった。そんな彼女達なりのおもてなしをこの『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』に向け準備して来ていたのだ。


 彼女達の想いは、純粋に熊本地震の義援金を何とか被災者に届けたいと言う思いだった。だから自分達が出来る精一杯のおもてなしをどうお客様に伝えるかで、決勝戦まで残れたことはとても嬉しかったし貴重な体験ではあるが、『シンデレラ杯』で優勝することが一番の目的では無かった。彼女達は自分達なりのおもてなしを、精一杯やっていたのである。

時間もそろそろ終わりに近づいた頃、のぞみがテーブルの椅子から立ち上がり席を入れ替えようとした時、彼女を呼び止める声がした。


樋尻透:「あれ、ひょっとしてのぞみ?」

のぞみ:「あれ、もしかして…。その声はとおるくん」


樋尻透:「すっげー、びっくりした。のぞみが何でここにいるんだよ?」

のぞみ:「とおるくん」


 のぞみは動揺し横を向いて歩いていた。その為、お店のお客さんの足を踏んでしまったのだ。


お客さん:「イタッ、何するんだよ」

のぞみ:「申し訳ございません」


お客さん:「何やってるんだ。それで良く、ファイナリストになれたな!」

のぞみ:「本当に、申し訳ございません」


 これを観た、みさきやゆきも慌ててのぞみのフォローに入った。


みさき:「お客様すいません」

ゆき :「お客様すいません」


 しかし、この足を踏まれた中年男性はまだ怒りが収まらず、のぞみに対しひどい言葉を投げ掛けたのだ。


中年男性:「使えない女だな。良くホステスが勤まるな」


 この言葉を聴いたのぞみはすごくショックを受け、発達障害によるパニック発作を起こしかねない状況へと陥ったのであった。みさきとゆきは、のぞみを何とか落ち着かせようと声を掛けていた。その様子に気づいた学は彼女の元へ近づこうとしたが、学の横にホステスが座っていてすぐには行けなかった。こうしている間にも時間が23時半になり、『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』のお客様へのおもてなしの時間は終わったのだ。

 それと同時に、ゆきはみずきを呼びに行った。学はのぞみの元に近づきのぞみに声を掛けた。


倉田学:「のぞみさん倉田です。まず、ゆっくり呼吸をしてみましょう。いいですか」


倉田学:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」

のぞみ:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」


倉田学:「少しは楽になったでしょうか?」

のぞみ:「…………」


倉田学:「それでは幼い頃を思い出してください。ワガママ言って買って貰ったピンクのワンピースを着ている自分を。何か感じませんか?」

のぞみ:「懐かしく、嬉しく、夢中で」


倉田学:「その懐かしく、嬉しく、夢中な頃の自分をよーく思い出し、感じてください」

のぞみ:「はい」


倉田学:「では、さっきと比べてどうでしょうか?」

のぞみ:「さっきより少しは良く」


倉田学:「あなたは昔好きだったピンクのワンピースの代わりに、今ピンクのドレスを着ています。あなたは昔好きだったピンク色に今包まれています。そうです。このピンク色に包まれていれば、あなたはもう大丈夫です」

のぞみ:「そうですか」


倉田学:「そうです。あなたはこのピンク色に包まれていれば、もう怖いものなど何にもありません。普段のあなたの自然な状態に、いつでも戻ることができます」

のぞみ:「はい」


倉田学:「では、もう一度深呼吸してみましましょう」


倉田学:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」

のぞみ:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」


 こうして学は、のぞみの心身ともに落ち着かせて行ったのだ。学がのぞみを落ち着かせた頃に、ゆきがみずきを連れて戻って来た。みずきはこう言った。


美山みずき:「のぞみ、しっかりして。大丈夫!」

のぞみ:「みずきママ、失敗しちゃった。ごめんなさい」


美山みずき:「そんなこと無い。皆んなあなたのことを心配しているの。わたしは、あなた達がファイナリストに選ばれただけで満足よ」


 この言葉を聴いたのぞみは、少し涙をこらえていた。みさきやゆきも、涙をうっすらと浮かべていたのだ。これを観た学は、三人がファイナリストに選ばれ、ひと回りもふた回りも成長するこが出来たのではないかと感じたのである。こうして『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』も残すところ、後は結果を待つばかりとなった。


 各テーブルに3個のピンポン玉が配られ、そのテーブルに座っていたお客がピンポン玉を何個、どのグループのホステス達に投票するか競い、一番多くピンポン玉を獲得したグループのホステス達が優勝して『シンデレラ杯』を手にすることとなる。ピンポン玉を手にしたお客は、ファイナリストのお店のママ達が控えている別室にひとりずつ入っていき、各銀座クラブのママ達が持つ四角い箱の中にピンポン玉を入れて行くのだ。

 一番おもてなしが良かったと思われるグループのホステス達のお店のママの所に行き、そのママの持つ四角い箱に3個のうち好きな数だけピンポン玉を入れていったのだった。全てのお客の投入が終わると、ファイナリスト8名の銀座クラブのママ達は、広いフロアに現れた。その間、ボイスパフォーマンスの余興で会場に集まったお客やスタッフ、そしてホステス達のボルテージが一気に上がり、拍手と歓声が沸き起こっていたのだ。そのフロアに箱を持った8名のママは横一列に並び、その手に持っている箱の中から皆んなで数を数えながら、ひとつずつ玉入れの数え方のようにピンポン玉を外に投げていったのである。


じゅん子ママ:「ひとつ、ふたつ、みっつ」

会場の皆んな:「ひとつ、ふたつ、みっつ」


 大会に出場したホステス達は固唾を呑んで見守っていた。ひとみ、そしてれいな、はるかにとっては自分達のお店での大会だったので、ホームグラウンドでアドバンテージが大きいのではと学は感じていた。勿論、彼女達のおもてなしは素晴らしかったし、またじゅん子ママのメンツもあるので、この大会に掛ける思いはひとしお大きいことが学には想像出来たからだ。

 それに対し、みずきママのお店から出場したのぞみ、そしてみさき、ゆきは、彼女達なりの最高のおもてなしとはどう言うものか、彼女達なりに模索しながら決勝戦まで戦ってきた。学には、その努力がおしぼりで作ったネコなどから伺うことが出来たからだ。こうしてピンポン玉がどんどんと箱から出されて行き、残り3名のママに絞られた。そのお店は学と山村が最初に席に着いたホステス達のママ、そしてみずきママ、最後に主催したこのお店のママであるじゅん子ママだ。段々とピンポン玉が箱から外へと投げ出されて行く。


会場の皆んな:「むっつ」


 ここで、学と山村の席に最初に着いたホステスのママのピンポン玉が無くなった。『シンデレラ杯』を手にするのは、みずきママのホステス達か、じゅん子ママのお店のホステス達のどちらかに絞られたのだ。


会場の皆んな:「ななつ」


 みずきママもじゅん子ママも、まだピンポン玉は残っていた。会場からは大きな響めきが沸き起こった。次のピンポン玉の数が数えあげられた。


会場の皆んな:「やっつ」


 ここで、みずきの手からピンポン玉が投げられることはなかった。じゅん子ママは満面の笑みを浮かべて、手にしたピンポン玉を天高く、会場に集まったひと達の方へと大きく投げたのだ。この瞬間、じゅん子ママのお店のホステス達が優勝し、『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』の優勝トロフィーである『シンデレラ杯』を受け取ることが決定した。


 ひとみ、そしてれいな、はるかの三人はフロアの中央に出て、じゅん子ママよりガラスで出来たシンデレラの靴をかたどったトロフィーと目録が送られた。三人ともいい表情を浮かべていた。中でもひとみは水色のドレスに身を纏い、まるでシンデレラがそのまま現れたかのような表情や美しさを醸し出していたのだ。彼女の両腕には、シンデレラの靴をかたどったトロフィーが抱えられていた。その時、ちょうど時計の針が24時を告げたのである。

 しかし彼女の姿はなお一層、美しさを醸し出しており、その美しさは妖艶な程だった。学は彼女の美しさを一言で表すと妖美ではないかと思った。会場にいる男性の誰もが、彼女のこの時の輝きに瞳を奪われていたのだ。そんな中、透と一緒にお店に入って来た男性もまた、彼女にこころ奪われたひとりであった。その男は透の先輩ホストであり、じゅん子ママが経営する『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長である吉岡響と言う男だった。


 透がまだ『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』に勤めていた頃、この響と言う男はじゅん子ママから『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長を任され、今に至っている。歳は透より二歳年上で、透の兄貴分のような存在でもあったのだ。

 昔は良く二人でつるみ、女を口説いたりしていた間柄だ。その透の先輩の響が、ひとみを観てすごく気に入り、後輩の透に彼女を紹介しろと言って来たのである。素性を知っている透としては、先輩の響に対して彼女には関わらない方がいいと忠告しだが、響のこころは既にひとみに奪われ、『シンデレラ杯』が終わったら紹介するよう強く言われたのだ。

 こうして『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』は盛況のうちに終を告げた。お互いがお互いを称え、また来年も皐月(五月)のゴールデンウィーク明けからその月の終わりにかけて、この『シンデレラ杯』をかけて『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』が開催されることが決まった。

 そして、銀座クラブ街から参加したお店の一ヶ月間の売上の一部を、熊本地震で被災したひと達への義援金では無く、支援金とすることがじゅん子ママたちによって決められたのだった。その支援金の支援先は、今回は熊本地震で被災した熊本市内のクラブや飲食店などであった。


 それは震災に合い、被災した同じ業界のひと達のお店を復興することで、同じ商いをする者として街を活性化して行きたいと言う思いが強かったからだ。また、じゅん子ママや他の銀座クラブのママ達も、地域を越えた横の繋がりを大切にして行きたいと言う思いがあったからである。

 今後も地方活性化の意味も含めて、この『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』の輪を広げて行きたいと言う熱い思いがあったのだ。第一回目となった今回は、5000万円をじゅん子ママが責任を持って、熊本市内にあるじゅん子ママの信頼のおける知り合いの経営者に送ることが決まった。学はこの話を聴き、民間も同じ境遇のひと同士で都心と地方の横の繋がりを大切にしようと頑張っているのに、なぜ行政や役所と言った議員や公務員などの公人と言われる役人は、自分達のことしか観ようとしなかったり、観て見ない振りをしているひと達が多いのかとても残念に感じたのだ。


 学がそんなことを考えていると、透と響は『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』で優勝したひとみの元に近づいて来た。響に促された透は、ひとみに響を紹介したのだ。


樋尻透:「ひとみちゃん。優勝おめでとう。『シンデレラ杯』の初代チャンピオン、すごいね」

綾瀬ひとみ:「まぁー、わたしが本気出せば当然でしょ! で、わたしに何か用でも?」


樋尻透:「ひとみちゃんに紹介したいひとがいるんだけど…」

綾瀬ひとみ:「もしかして、隣にいるひと?」


樋尻透:「さすがひとみちゃん。そうそう紹介します。響先輩でーす」

吉岡響:「初めましてひとみちゃん。響です。その『シンデレラ杯』のトロフィー、君が持つと一段と輝いて見えるよ」


綾瀬ひとみ:「あなた透の先輩なの? どーせ、あなたのことだからホストとかそっち系でしょ!」

吉岡響:「さすが君は、美しいだけじゃなく頭もキレる女性なんだねぇ」


綾瀬ひとみ:「何あなた、響かいびきか知らないけど。勝手に会話に割り込んでこないでよ! それに、わたしの頭は切れてませーん。賢いって言って貰えませんか?」

吉岡響:「すいません。ちなみに僕はいびきでは無く響です」


 このやり取りでひとみは、響の単純でナルシストであろう性格を悟ったのだ。そしてこの男とはお客としてはウェルカムだが、プライベートでは付き合うと疲れるだけなので、嫌そうにこう言ったのである。


綾瀬ひとみ:「あなたみたいなタイプ。わたしのタイプじゃ無いから…」


 それを聴いた響は熱くなってこう言って来た。


吉岡響:「こう見えても僕、『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長しているんだよねぇ」

綾瀬ひとみ:「あぁー、あなたが。確か、じゅん子ママから聴いたことある。どーせ雇われ店長でしょ!」


 この時ばかりは響も熱くなって言い返そうとしていたので、透はすかさず間に割って入ってこう言ったのだ。


樋尻透:「まぁーまぁー、響先輩もひとみちゃんも。今日はひとみちゃんが『シンデレラ杯』で優勝した日なんだから三人で乾杯でも」


 透の提案で、三人は乾杯することとなった。響はまだひとみにあれだけ言われても、ひとみをモノにしてやると言う強い思いがあった。ひとみの方はと言うと、カッコ付けのルックスだけで女を落とせると思っている単純な男で、良くそれで新宿歌舞伎町のホストクラブの店長が勤まると思っていたのだ。

 透は響先輩の性格をよく知っていた。響はホストとしてそれなりに一流ではあったのだが、擬似恋愛はプロでも本当の恋愛はとてもスマートとは言えないことを知っていたのだ。本命の女に対しては、響は隙だらけだった。透は昔、響先輩が本命として付き合っていた女に捨てられたことがあるのを知っていたからである。そして響の辞書には必ずと言っていい程、恋は盲目と言う言葉がついて回ることを透は知っていた。だからひとみを響先輩に紹介したくは無かったのである。

 透の目から観ても、木下彩から綾瀬ひとみになったひとみは、とても勘が鋭くしたたかな頭の賢い女性だと思っていた。三人はシャンパンを片手に持って乾杯したのだった。そして響はひとみにこう言った。


吉岡響:「僕たちの出逢いに、カンパーイ!」

樋尻透:  「カンパーイ!」

綾瀬ひとみ:「…………」


 ひとみは終始無言だった。もう響のことなど眼中に無いと言わんばかりに、ひとりグラスに入ったシャンパンを飲み干すと、その場から去って行ったのだ。透は響先輩に、ひとみにはこれ以上関わらない方が良いとアドバイスした。しかし響は今回たまたま調子が悪かっただけで、今度会ったら絶対にモノにしてやろうとこころの中で呟いていたのだ。

 こうして二人はシャンパンを飲み干すと、じゅん子ママに挨拶しに行った。じゅん子ママは嬉しそうな表情を浮かべていた。それはじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』から出場したひとみ達が『シンデレラ杯』初代チャンピオンになり、それは銀座クラブ街のお店のナンバーワンを意味することでもあったからだ。二人はじゅん子ママにこう話し掛けたのであった。


吉岡響:「お久しぶりです、じゅん子ママ。優勝おめでとう御座います」

樋尻透:「じゅん子ママ。やっぱり、ひとみちゃんを出場させたんだ」


じゅん子ママ:「こんばんは。響、透、ありがとう。ひとみはここ一番の勝負に強いから」

吉岡響:「ひとみちゃんってすごいんですねぇ。僕、ひとみちゃんに恋しちゃうかも」


樋尻透:「ひびき先輩、ひとみちゃんはやめた方がいいですよ」

吉岡響:「何でだよぉ!」


じゅん子ママ:「そうよ、透ちゃんの言うとおり。やめときなさい」

吉岡響:「いや。僕は彼女のハートを射止める。ふたりが反対すると、逆に僕は燃えるタイプなんだよねぇ」


 これを聴いた透とじゅん子ママは、返って逆効果なことを言ってしまったと後悔したのだ。透が響先輩に止めたほうがいいと言ったのは、ひとみの方が響より一枚も二枚も上手で、軽くあしらわれるだろうと思っていたのもあるのだが、ひとみの素性が一番の原因だった。ひとみと言う人物は二つの顔を持っており、夜の世界ではひとみとして『銀座クラブ マッド』のホステスとして働いているが、実は昼間はもうひとつの顔である彩として、新宿にある建設関連の派遣社員をしていたからだ。

 そう彼女は昼間の世界では木下彩で、銀座クラブのホステスとして夜の世界では綾瀬ひとみと言うふたつの人格を持つ解離性同一性障害(二重人格)だったからだ。このことを知っていた透とじゅん子ママは、響にこの事実を知られたく無かった。何故なら、彩からひとみに入れ替わるトリックを他のひとには知らせていなかったし、知られたく無かったからである。


 響がじゅん子ママと話していると、透の所にひとりの女性が現れた。それは先程まで『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』に出場していたのぞみだった。のぞみは恐る恐る透の元に近づきこう尋ねたのだ。


のぞみ:「もしかしてとおるくんだよね。コンテストの最後の方でわたしに声掛けたのとおるくんでしょ?」

樋尻透:「懐かしいなぁー、そうだよ。なんでのぞみがここにいるんだよ」


のぞみ:「いろいろあって。わたし今、銀座でホステスしてるの」

樋尻透:「そうなんだ。俺もいろいろのぞみと別れてからあってさぁ。今は新宿歌舞伎町でホストクラブを経営しているんだ」


のぞみ:「そうなんだとおるくん。なんか同じ業界の仕事してるんだね。そうだ、これわたしのお店の名刺」


 こうのぞみは言って、透にお店の名刺を差し出した。すると透もスーツの胸のポケットから名刺入れを取り出し、のぞみに名刺を渡したのだ。そしてのぞみはこう言った。


のぞみ:「なんか不思議な感じ。初めましてって感じじゃ無いから」

樋尻透:「俺もだよ。でも俺たち今、お互い名刺交換して会社員みたいだな。しかもホストとホステスがガチで名刺交換するか普通」


のぞみ:「そうね。でも、わたしのこと覚えててくれたんだ」

樋尻透:「こう見えても、顔と名前を覚えるの得意だから」


のぞみ:「そっかー。わたし苦手なんだよね。とおるくんは苦手なこととかあるの?」

樋尻透:「俺…。俺は女が苦手かな」


のぞみ:「えぇー、なんで。何で、それでホストしてるの?」

樋尻透:「ホストとして女性と接するのは仕事だから。俺はこの仕事をして来て、女を信用できないんだよね」


のぞみ:「とおるくん。今まで恋愛とかしたこと無いの?」

樋尻透:「あるよ。擬似恋愛なら」


のぞみ:「じゃあプライベートでは?」

樋尻透:「俺の恋愛は小学校卒業式の日から一度も。のぞみはどーなのよ結構モテるでしょ!」


のぞみ:「まーね」


 この時、のぞみは正直に答えなかった。自分の恋愛が透と同じで、透と付き合おうと誓った小学五年生の終わり以降、誰ともお付き合いしたことが無いと言う事実を透に伝えなかったのだ。こうしてのぞみは透の元から去り、みずきたちがいる場所へ戻っていった。

 みずきたちがいる場所に戻ったのぞみは、皆んなから発達障害による体調の心配をされたのだ。そしてお互い良くここまで頑張ったと讃えると共に、もう少しで『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』で優勝出来たことを悔しがったのだった。結果的に準優勝ではあったものの、のぞみは自分の体調のせいで優勝を逃したと思い、皆んなに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そしてこう言った。


のぞみ:「皆んなごめんね。わたし皆んなの足引っ張っちゃった」


 これを聴いたみさきとゆき、そしてみずきは口々にこう言ったのだ。


みさき:「のぞみさんが今まで引っ張って来てくれたから、わたし達はここまで来れたんです。ここまで来れたのは、のぞみ先輩のおかげです」

ゆき :「のぞみさん、のぞみさんと一緒にここまで来れて良かったです。わたしも、のぞみ先輩からいろいろと学ばせて貰いました」


 最後にみずきママがのぞみにこう言った。


美山みずき:「このコンテストは、優勝して『シンデレラ杯』を取ることだけが目的ではありません。わたしがあなた達に望んだのは、おもてなしとはどう言うものか、一人ひとりがこのことに真剣に向き合って欲しかったからです。わたしは結果も大切かも知れませんが、それまでの過程を大切にして欲しいです」


 この言葉を聴いていた三人は、自分達が予選から今日の決勝戦(ファイナル)までやって来たことを、今度は自分達のお店でも活かそうと決意したのだ。傍にいた学は、流石にみずきママは、いいこと言うなぁと感心していた。こうして皐月(五月)の最後の長い日曜日の夜は、日付をまたぎ月曜日となり終焉を迎えることとなったのである。

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