第38話 浄化

 それは異例な速度の裁判と刑の執行であった。

 つまりは厭戦派は勿論のこと主戦派の長老たちでさえ、ミシエルの言動に激怒し、自分らの権威への挑戦と、その影響の危険を恐れたのであろう。


 季節は初夏。

 雲ひとつない空に太陽は既に高く上り、強く肌を刺す日光の強さだった。

 処刑場に定められた湖のほとりには10万を遥かに超す、それこそ数えきれない程の群衆が詰め寄せ、その熱気にむせ返るばかりであった。


 彼ら彼女らは昨日の問答の様子を実際に観て、あるいは人づてに噂を聞き、好奇心と畏怖の心に駆られて、やって来ずにはいられなかったのだ。

 ミシエルとは話に聞く通りの真の聖女か、それとも妖言を操るだけの偽物か。

 主の大いなる裁きは本当に下るのか、だとすれば、それはどのようなものか。


 そこは教会史に残る、遥か昔にホセア師がその破邪の杖で清められたという湖であった。

 湖畔に立てられた柱の周りに僅かに距離を置いて立派な椅子が据えられ、既に数百人の長老たちが席を占めていた。

 その後ろには官吏や大勢の警備の兵士たち。

 湖を背にする形で教会直属の音楽隊。

 群衆はその周囲を半円形の雲霞うんかのように取り巻き、後方には木々に登って処刑の準備を凝視する者さえあり、皆がその瞬間を今か今かと待っていた。


 まず型通りにおごそかな音楽が奏でられ、群衆を二つに割って昨日と同じ審問官が豪華な礼服をまとって現れた。

 彼は処刑人を従えて民を睥睨へいげいし、皆に聞こえよとばかりにたかぶった声で宣言した。


 只今より処刑を開始する。

 罪人は自らをミシエルと称する者である。

 その罪は主の声を聞いたなどという妄言を唱えて無知な民衆を扇動し、争乱を企てた大逆、および何よりも許し難きは、枢機卿を始めとする教会の長老たちの信仰に疑義を唱え、彼らを侮辱した異端の所業である。

 処刑方法は見ての通り、異端者に対する極刑と定められる生きながらの火あぶりである。

 本日はミシエルの処刑のみを行うが、その追随者たちも自らの罪を悔い改めぬ者については、後日に同様の刑を執行する。


 そして両手を縛られたミシエルが引っ立てられ、群衆の興奮は嫌が応にも頂点に達した。


 みすぼらしい罪人服を着せられ、長かった髪を短く切り揃えられたその姿は、しかしなお背をすっくと伸ばし、顔を上げて真っ直ぐに正面を見つめ、微塵も恐れる様子もなく、罪人におとしめられたことを怒るでも恥じる様子でもなかったという。


 群衆の中には彼女の姿を見て祈る者も、「主の裁きを見せてみろ」といった怒号を放つ者も、ただ嘲笑あざわらう者もいた。


 この頃から太陽は日食によってかげり、晴天だった空ににわかに雲が湧いて、辺りは暗くなり始めた。

 しかし、これは別に怪しむべき変化ではない。日食は単なる天体現象に過ぎないし、この季節でも天候の急変は稀とはいえ起こり得るものだ。


 審問官もこの変化を取り立てて気にするでもなく、ミシエルに慈悲を装って問うた。


なんじ、愚かな娘よ、最後に何か言い残す事はあるか? 悔い改めの言葉があれば聞こう。反逆者の首魁たる汝はもはや刑を逃れることは叶わぬが、焼かれる前に懺悔ざんげすれば、せめて魂が救われるやもしれぬ」


 彼女は静かに答える。


「何もありません。主はその眼で全てを見ておられる。人智の及ばぬ御心で、正しいと判断される御業みわざを示されるでしょうから」


 審問官はもはや真面目に応じず、ただ不快そうに処刑人に刑の執行を命じた。

 後世ならば世俗の代表者たる高官に罪人を下げ渡し、ここで教会の関係者は全て退席する。

 そうすることによって、教会は処刑には直接関係していないと暗示するのだが、当時は今だそうした式次第の形式は確立されていなかったのである。


 ミシエルは柱に縛り付けられ、その周りに薪がうず高く積まれて彼女の半身を覆い隠した。

 処刑人たちの動きは刑の執行という儀式の厳粛さを誇示するように重々しく、一挙一動が集まった民の視線を意識するものであった。

 そして油がかれた。

 この時には既に辺りは相当に暗く、離れた場所からは処刑準備の進行がうかがえぬ程であった。

 ついに薪に火がつけられ、炎は暗闇の中で一気に燃え上がった。


 その瞬間、耳をつんざく雷鳴がとどろき、幾筋もの稲妻が柱の周囲に落ち、つい数瞬前まで勝ち誇った表情であった審問官を、安堵の微笑を浮かべかかった教会の長老たち、そして処刑人、官吏や兵士を撃った。

 後に伝えるところによれば、その者たちの遺体は火あぶりに処された以上の黒焦くろこげに砕け散り、教義の定める土葬にそうとしても叶わない有様だったという。


 頭上には忽然と、多数の御使いたちの光輝を放つ姿が現れた。

 そして驚き畏れる群衆は見た。

 ひときわ強く光り輝く巨大な手が天から下され、ミシエルを救うのを。


 御使いたちが光の矢を放ち、更に多くの長老たちの頭を胸をつらぬいた。

 幾十かの御使いが集まって融合し、一人の巨人となった。

 そのさまは我々が知る御使いの優し気な姿ではなく、目は吊り上がり、顔や身体には黒や青の恐ろし気な隈取くまどりや刺青のような文様が浮かび、全身からは炎が立ち上る、明らかな憤怒の相だったという。


 大いなる巨躯の御使いは地に降り立ち、やいばを振り下ろした

 轟音ごうおんと共に地面に大穴が空き、残る数十人かの長老たちの姿が蒸発するように消えた。

 巨人は言った。

 いや、天地に響くようなその声は、その場に居合わせた者全ての精神に直接届いてくるもののようであった。


 魔族の殲滅は主の崇高な御意志である。

 それをヒト族の勝手な思惑で歪めることは許されない。

 全ての者がこの聖戦に参加せねばならぬ。

 よって佞言ねいげんもてあそぶ不届き者たちは全て断罪した。

 これは主の力の顕現による「浄化」である。

 心せよ。主はその教えに従う者には限りなきいつくしみを垂れ給い、逆らう者には容赦されないのだ。

 なおも御意志にあらがう者があれば、その者の身体もこのように滅ぼされ、魂は地獄へと投げ込まれて永遠の業火に焼かれるであろう。


 そして巨人と他の御使いたちの姿は霧散するように消えた。


 この間に空は晴れ日食は終わり、全てを見届けた群衆の前には、火傷ひとつ負わないままの少女の姿があった。


 我々ヒト族の偉大な指導者、ミシエル1世師がここに誕生したのだ。

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