第3話 Thy Holy Kingdom Come (主の聖なる王国よ来たれ)

 ここにおいてついに、悔い改めるべき猶予の時は去った。教会暦617年の秋、主は三たびホセアに下って告げられた。


「1万2000の正しき人を選び、この国から逃れる準備をせよ。それ以外の人々は全てけがれているので、情けをかけてはいけない。わたしは半年の後、わたしのしもべである魔族の領主たちに命じ、この国を討たせるであろう。多くの民は死に、あるいは魔族のとらわれ人となり、都は廃墟となるであろう」


 ホセアは驚愕した

 魔族が主のしもべとはいかなることか。

 彼らこそ主の御心に叶わず、忌み嫌われ、人によって滅ぼされるべき存在ではなかったのか。

 しかし彼は主の前にかしこみ、その疑念を明らかに見せることはなかった。

 すると主は言われた。


「驚くことはない。魔族とは、現在の汝らより以前に創造された人類であり、恩寵を受けながらもわたしに背き、自らを魔と化した者たちではないか。善悪をわきまえず、世界の生命を脅かし、いずれ亡き者となるべき呪わしき失敗作だが、滅びのその日が来るまではわたしの手の内にあり、やはりしもべである。わたしは正邪を超越する主であるからだ。

 ただし、汝は教えに従って正しく考え、正しく行う人であるので、わたしが汝を罰することは決してない。それどころか、わたしは汝を地の全てを統べる王国の祖、そしてその民を、あらゆる生きとし生けるものを導く人たちとしよう。

 く、しかるべき民人たみびとを選び旅の支度をせよ。魔族が攻めて来ると同時に西へ向かい、山脈を越えるのだ。わたしが用意した土地がある。そこにおいてまた民を増やし、力を蓄え周辺を支配し、いずれは魔族も、あらゆる亜人も滅ぼし、主たるわたしを崇める栄えある偉大な王国を築くのだ。これこそが汝に与える命題である」


 そしてホセアはもはや惑わず、主の御言葉の通りにした。

 あらゆる伝手を頼り、国中からこれぞと思われる1万と2000の人々を捜し出したが、その中には彼の父も含まなかったし、神官たちも全て除外した。

 地位に相応ふさわしからぬ今までの行いからかんがみて、主の王国に入る資格のある者共とは、とても思えなかったからである。


 馬車を揃え、旅の間の水や食料、その他の必要なものを整え終わったまさにその翌日、ついに魔族の大軍が押し寄せた。

 それは主がホセアたちの準備が整うのを待っておられたかのようであった。

 軍勢の数は40万を超え、50万に迫ろうとするものであった。常には互いにいさかいを繰り返すばかりの魔族の有力な領主たちが、この時だけは手を組み、人の住む街を滅ぼしに来襲したのである。

 神官も為政者もこの意外な事態に狼狽したが、ホセアだけは知っていた。全ては人智を超えた主の御計らいによるものだと。


 魔族の軍は旧文明の遺跡から発掘、整備した恐るべき兵器までもを無数に揃え、兵士ひとりひとりの眼は人を害する敵意に醜く燃えて、地獄からよみがえった亡者の大軍のようであった。

 その蛮声が合わさった響きは天地を揺るがし、行進の靴音は主の審判の雷鳴の轟きのようであった。

 安逸の日々に弛んだ人の軍は戦う術も忘れており、ひと支えもできず撃破された。

 兵たちは隊列を乱して追い回され、剣や斧、銃弾のにえとなった。勢いに乗じた魔族たちはこの時とばかりに殲滅にかかり、戦場はますます悲鳴と血煙に満ちた。


 そして、太陽が中天にかかる頃、主の予定された通り、戦場に立つ人の兵は一人もなかった。そこにある無数の立ち姿はおごり猛る魔族のものばかりであった。

 すぐさま彼らは街を取り囲む長大な城壁の攻略にかかった。数知れぬ魔導の砲を並べ、衝撃弾を次々と撃ち込んだ。

 城壁ばかりではなく街全体の地面や床が激しく振動し、守りが破られるまでには時がないことを思い知らせた。


 この時、ホセアたちは既に城壁の外にいた。

 かねて主の命じられた通り、西の門の番人たちを倒し、一心に馬車群を西方へと走らせていた。番人は伐たれるべき者であった。彼らもまた穢れ人であった故に。


 西だけは敵の大軍の包囲の薄い所であった。全ては主の計画に則って進んだ。

 ホセアたちは馬車の勢いを殺さぬままそこを突っ切り、若干の者たちが魔族と戦い犠牲にはなったが、ほぼ全員が大軍の囲みを抜けることを果たした。

 魔族はあえて執念深く彼らを追って来ようとはしなかった。城壁内の神殿や邸宅に溢れる金銀や財物を想像し、そちらの方が遥かに魅力的に感じられたのだ。


 実際、魔族の兵士はほどなく城壁を破り、大挙して城内になだれ込んだ。


 彼らは富裕そうな家々に押し込み、略奪の限りを尽くした。目ぼしい家財は無論のこと、隠し持った金銀もことごとく持ち去られた。

 魔族はまた、暴虐を行うにも容赦がなかった。

 老人たちは見境なしに殺害された。奴隷として役に立ちそうになかったから。

 男たちも剣を取って立ち向かう者は殺され、助命を請い願う者は嘲笑あざわらわれたあげくたわむれに斬られ、または槍で串刺しにされた。

 女たちは犯された後、哀れな姿のまま殺された。

 逃げまどい、あるいは恐怖に震え隠れていた無抵抗の子供たちも、その多くが犠牲となった。

 そうしてなお、魔族は無数の奴隷を得た。


 神殿もまた魔族の略奪と暴虐の対象として、幸運な例外ではあり得なかった。むしろ、その最大の目標であった。

 しかし神はもはやここには居られなかった。我ら人類の創造者にして唯一の守護者であられる主は、その偽りの住処をお捨てになり、ホセアたちと共に旅立たれていたのである。


 魔族は大挙して神殿を襲い、蹂躙にかかった。


 衛兵たちは容易に蹴散らされた。

 うろたえる神官たちは虐殺され、権威を誇示するきらびやかな首輪や腕輪は剥ぎ盗られた。

 アカドもまた殺された。残っていた僅かな側近たちと逃れんとするところを捕らえられ、浅ましくも命乞いをしたあげく、五体を切り刻まれ果てたのだ。側近たちも同様の見苦しくも無残な死に様を晒した。


 回廊に並ぶ御使いたちの姿を模した像も全て破壊され、その両目はえぐられた。そこには大振りの宝玉が埋め込まれていたから。

 宝物殿は破られ、うず高く積まれた財宝はもとより聖遺物でさえ、世俗の価値の有りそうなものは全て略奪の対象となった。

 代々の族長の墳墓も暴かれた。我らの父祖たちのむくろは棺から引きずり出され、足蹴にされ、唾を吐きかけられ、はなはだしく辱しめられた。彼らの功績を象徴する豪華な副葬品が奪い去られたことは言うまでもない。


 しかし、魔族にとっては最も忌まわしき破邪の神器、ヨエルとブラウから伝わる聖なる杖だけはどこにも見つからなかった。それは既にホセアの手にあった。


 そして大方の目的が達成された時、油が撒かれ火が放たれ、神殿は一瞬にして炎に覆われて真っ黒な煙が舞い上がった。

 折からの西風に煽られて火勢は増し、家々に燃え移り、やがて街全体が火の海となった。

 主の栄光を讃える都であった筈が、長年に渡る堕落によって愚か者の街と化し、ついには魔族によって灰燼に帰す、ヘルムの運命はここに極まった。


 炎は暗くなりかかった空を赤く煌々こうこうと照らし、ホセアたちの馬車群が走る場所からも、振り返ればそれを望むことができた。ホセアは皆に向かい声を限りに言った。


「西風が吹いているうちに、ますます馬に鞭を打ち、出来うる限り更に遠く逃れるのだ。敵は強い向かい風を嫌い、敢えて我らを追って来ようとはしないであろう」


 生まれ育った街への思いも、命を失った肉親縁者や隣人知人への憐憫も、既に彼らの心からは遠いものとなっていた。主があえてそれらを薄め消し去られたのである。

 こうして彼らは大いなる危機から逃れることを得た。


 旅は難渋を極めた。

 広大な岩砂漠を越えるには長きを要し、その間には毒蛇に噛まれ、あるいはさそりに刺され、命を失う者も少なからず出た。

 車を牽く馬も多くが倒れ、一行の過半は徒歩で旅を続けなければならなかった。

 それでも選ばれた人々は良く試練に耐え、不満を言う者はいなかった。いずれ訪れる筈の主の恩寵を信じていたからである。

 旅立つ前に用意した食糧と水、途上にて倒れ解体された馬の肉もやがて尽きた。


 飢えと渇きが続く中、しかし主は彼らの信仰に応えられた。

 果てしない荒野に忽然と、清らかな水の湧き出るオアシスを生じせしめられたのである。

 これは都を逃れて20日目のことであった。

 そこには疲れ果てた身体を休めることのできる涼しい木陰があった。

 たわわに実る果実が得られ、鹿や各種の鳥などの生き物たちを獲ることもできた。

 彼らはそこで数日を過ごして英気を養い、水と食料を得、再び西へと向かった。


 それからは日射しの強い昼間は天幕を張って眠り、気温の下がる夕刻になってから車を進めるようにし、少しは旅も楽になった。


 2週間後、ついに大河に至り、いかだを組んでその緩やかな流れを渡った。

 いよいよ主の言われた通り、眼前に迫る山脈を越えなければならない。

 彼らがそこで見上げた山の連なりは、今日の我々がアトラース、つまり「天を支える者」と呼ぶところの山脈であった。

 南北に伸び、大陸の西方およそ四半を他の土地から隔てる壮大な障壁であり、その名に相応しく、数々の頂きは雲の高さに達し、それらを下界から遠望できる日は一年を通じて数えるほどしかない。

 この山脈を踏破するのだ、そう考えるだけで皆は総身が震え、引き締まるのを感じた。

 馬車で険しい獣道を登ることはできない。彼らは残余の馬をことごとくほふって食料とし、女も子供も各々が重い荷物を背に担った。


 山越えは遅々として進まなかった。

 季節はまだ春に差しかかったばかりだったので、登るにつれて山の空気は冷たく肌を刺し、ついにはあちこちに残雪が見られた。

 しかし更に高い標高に挑み、難所を幾つも制覇しなければならない。

 寒気はますます厳しくなり、互いを励ます言葉も減って、手足はひどく凍え、一歩一歩がままならぬものとなった。


 落伍者が次第に増えていったが、それは寒さのせいばかりではなかった。


 辿るべき道は細く脆く、崖ぎわを渡る際に足元が崩れ、谷底に落ちてしまう者が後を絶たなかった。

 安全のため命綱で身体を繋ぐことにしたが、衰えた体力では同朋を支えきれず、かえって数人がまとめて犠牲となることが度々であった。


 夜は火を焚き、身体を寄せ合って一層の寒さをしのいだ。見張りを立て、寝込みを襲う豹や狼を松明たいまつと剣で追い払わなくてはならなかった。

 暗闇から不意を突かれたり、群れに一斉に攻撃を受けたりし、不幸にも飢えた獣の餌食となってしまう者が相次いだ。


 それでもなお、疲れと不眠に苦しみながら、彼らはその強い意志と生命力で良く苦難に耐えたと言える。


 8日をかけてようやく、モーセスとエミリアの頂きの間にある標高10000フィートあまりの尾根に達した。

 このいと高き峠は今は存在しない。その時から遠き未来、主の偉大な御力の顕現によって、民が魔族を滅すために打って出るべく大いなる雷と地震によって打ち砕かれたからである。その子細については後に述べる。


 そして尾根を越えた時、奇跡そのままに忽然と濃霧が晴れ、彼らの目に映ったのは陽光を浴びて輝く遥かに開けた平野と広大な湖であった。

 彼らはそこが主の約束された土地であることを知った。


 一行は勇躍して山を下った。

 急ぎ過ぎたために足を滑らせたり、石につまずいて斜面を転げ落ちる事故が続出したが、幸い大きな怪我をすることはなかった。周りは失敗を明るく笑い、倒れた者もすぐさま立ち上がって笑い、また先を急いだ。

 山脈に挑んで11日目の午後、ついに山のふもとに至り、平野を更に2日のあいだ進んで、湖のほとりに天幕を張った。


 残った民を数えてみると、ちょうど7000人であった。これは良き数であり、主の計画通りであったことをホセアは後になって知る。5000人が落伍するであろうことを当初から見越しておられたのである。


 彼らは群れを成して野を走る野牛の一頭を捕らえ、それを燔祭として捧げた。

 しかしながら、実は彼らにはここにきて大きな不安があった。目の前の広大な湖は塩湖であったため飲料に適せず、周囲にも大勢に新鮮な水を供するに足る川や泉が見当たらなかったからである。


 そしてホセアに天啓が下った。


「汝の携える杖を高く掲げた後、湖を指し、三度振ってみよ」


 ホセアは水際まで進んで、塩が波形を成して幾重にも真っ白に固まっている所に立ち、主の言われた通り杖を振った。

 すると白く濁った湖の水はみるみるその様を変え、一目見て人が飲むに適した澄んだ真水となった。そればかりか、彼らのかてとなる魚の群れの泳ぐ姿までが水中に現れた。


 民が揃って驚愕するなか、主はまた言われた。


「辺りのよろしき場所にある岩を指し、今したのと同じように杖を振るのだ。そうすれば岩が砕け、そこから泉が湧き出すであろう」


 ホセアが御言葉に従うと、果たして岩は砕け、新鮮な水が吹き出し、清らかな小川となって湖に流れ込んだ。

 彼は場所を選んでこれを数度繰り返し、民は皆、充分に喉を潤すことができた。


 主に感謝の祈りを捧げ、野牛の肉や魚を焼いて飢えを癒した後、ホセアは民の中から主の御眼に叶った最も正しき7人を選び、それぞれ1000人の長とした。数ヶ月後に神殿を築いた時、彼らは世俗の指導者だけではなく神官を兼ねることになる。

 神殿が教会となり、神官が司祭と名を変えるのは、まだずっと先のことであった。

 ただし、後世の歴史家の中には、ホセアを初代の教皇聖下せいかと称える者もいる。

 彼にはこの時も、その後も妻はおらず、したがって子供もいなかったので、その死後、民の盟主には7人の長が合議してふさわしき者を選ぶことになり、それが代々続く。


 次に1000人ごとの中から10人を選んでそれぞれ100人の長とし、女子供は均等な数をその100人毎に振り分けた。狩りや炊事、子育てなどの仕事はその100人が長に導かれて計画し力を合わせ、各人の能力や適性に合わせた作業を行うのである。

 また、子供たちは12歳になると父母の住処を離れ、共同して生活し、平等な教育を受けるように決めた。成長し伴侶を見つけ、自分たちの家庭を営むようになるまではこの生活が続くのである。


 皆はこれらの定めに全て納得して従った。

 ホセアの為した奇跡を目の当たりにして、主が彼と共に居られることを改めて信じたからである。


 そして夕暮れの頃、ホセアは沈みゆく太陽と、湖を背に、民全員に向かい力強く宣言した。


「此処こそが我らの土地である。東は我らが苦難の末に越えて来たまさにその高き山脈によって守られ、魔族の大軍が攻め寄せて来ることはない。西には広大かつ清潔な湖があって見るに美しく、また、我らの糧となる魚を与えてくれる。北の緑地は牛や野生の馬などの獣や様々な鳥や果実に満ち、南には耕せば豊かな実りを与えてくれるに違いない肥沃な平野が開けている。今この時に、これ以上何を望み得ようか。主はやはり我らを深く愛し給い、決して約束を御違おたがえになることはなかったのだ。

 あなたたちに言っておく。御言葉には一言一句として成就せざるものはない。主はこの良き土地を与え給うた如く、我々を父祖に遥かに優る大いなる民とし、生きとし生けるもの全てを導く存在とされる。我らはここで子孫を増やし力を蓄え、いつの日か討って出て、魔族をことごとく滅さなくてはならない。

 確信せよ。主を崇め、清貧を志し、美食や利便に堕すことなく勤めれば、主の恵みは永遠に我々と共にある。道を違えてはならない。教えに背くことあらば、再び大いなる苦難が我々を襲うであろう。

 心せよ。我々は断じて気まぐれな進化の偶然によって生まれてきたのではない。そこには主の尊き御意志がある。大地を水を大気を汚し、自然の聖なる力をむさぼる魔族を、この世から駆逐する使命を持って我々は創造されたのだ。そのことを愚かな魔族共に思い知らせん。

 主の至高の王国の始まりが、ここに訪れた。御国みくにに栄光あれ! 全ての魔族とあらゆる亜人たちに相応しき死を!」


 群衆はホセアの言葉に強く心を打たれ、その最後にならい声を合わせて絶叫した。


 至高の王国の始まりが、魔族たちの終末の始まりがついに訪れた!

 主に栄光あれ!

 あらゆる魔族と亜人たちを滅すべし!

 滅すべし!


 それは教会暦618年、3月23日のことであった。




………… ☆☆☆ …………




 第3章はアスラの物語に戻ります。

 第1章末尾の新魔王に指名されたところの続きから……

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