第12話 ヒッポちゃん

 決してバカって言うつもりで間違えたわけじゃない。

 正真正銘のカバ、河馬カバ、hippopotamus!


 いや、別にカバ自体が悪いって言うんじゃないけどさ。

 実は最強の動物だって説もあるぐらいだし。

 口は大きく開いて噛む力も凄いから長い犬歯が強力な武器になるし、足も速くて時速40キロで走るとか、胴体は厚い脂肪で守られて猛獣の牙も爪も通らないとか、おまけに水にももぐれて水中では更に敏捷に動けるとか、聞けば聞くほどオールマイティーな強さだ。

 縄張りに侵入したライオンやワニも突き飛ばし、重量のあるその巨体で踏み潰すらしい。


 でもねえ、カバだよ。

 迫力ないじゃん。

 いかにも「獣王」っていう威厳と凄みに欠けるじゃん。


 やっぱ虎とかライオンとか象とかさあ、せめてヒグマとか、百歩譲っても大柄な狼とかさあ、そんな姿を期待するじゃん。

 あ、キリンも悪くないかな。あの長い脚で回し蹴りを入れるとライオンでも一撃で失神するらしいから。

 それに、背の高い、すっとしたキリン獣王なんてのも意外とカッコいいかも。

 メガネなんかかけて、自分のことを偉そうに「我」とか「ちん」とか「」とか「吾輩」とか、それとも、上品ぶって「わたくし」とか、女性だったらやっぱ偉そうに「わらわ」とか呼んじゃったりして。あーっはっはっは、考えただけであー可笑おかしい。


(「偉そうに」とか、「我」の事もそんな風に考えておったのか……)


 で、そのカバは城壁の上にいる私たちに向かって言った。


「余が獣王パズーズーである。貴様等が選んだという新たな魔王と1対1の勝負を所望しょもうする!」


 え、

 しかも、「パズーズーである」だって。

 えっらそうに。それに変な名前。

 あーっはっはっ! やめて、腹筋よじれそう。


「ふん、大軍の突然の襲来に一同揃って驚愕しておるようだが、こんなものは余の力の一端を見せてやったに過ぎん。勘違いするなよ。余の目的はあくまでも、真に魔王に相応しいのは誰か思い知らせてやること…… と、おい、そこで必死で笑いを堪えている娘は何者だ? 獣王たる余に対して無礼な!」


 あ、私のこと? でもダメだ。まだ笑いが止まらない。ひーっ、苦しい。


「ふん、カバ風情ふぜい大仰おおぎょうに何を言うか。控えよ! この娘こそ勇者であり、妾が見込んだ新たな魔王アスラじゃ。貴様如きに対してアスラが何をしようと無礼などという事があるものか!」

「何だとお! その娘が新たな魔王だと、ふざけるな!」

「ふざけてなどおるものか。大真面目じゃ! それに、だいたい、『パズーズー』などという名前、いつ名乗り始めたのじゃ? 貴様には別の名前があったであろうが」

「この度、貴様等が選んだ偽の魔王を倒し、真の魔王として即位するからな。その前祝としてそう名乗ることを決めたのだ。遥か古代の偉大なる魔神の名だぞ。どうだ、威厳に満ちているだろうが」

「何が『パズーズー』だ。貴様などは以前の名である『ジャイ〇ン』で充分じゃ。いや、それでもまだ勿体ない。世にも珍奇なカバの獣人だから、さしずめ『ヒッポちゃん』じゃな。愛嬌のある名前であろうが。命名者である妾に感謝せい!」


 え、ジャイ〇ン? あの国民的「あにめ」の悪ガキと同じ名?

 ダサーっ! でもピッタリ。

 似合い過ぎてまたまた笑える。きゃーっはっはっ!

 で、新しい名前が

 ひーっ、愛嬌あり過ぎ。またまた可笑しーっ!


(すっかりツボに入ってしまったか……)


「おーい、皆、聞くがいい。このヒッポちゃんはなあ、自分のブサイクさや性格の悪さもかえりみず、妾に結婚を申し込んできて断られたのだぞ。信じられるかぁ? あー可笑しい!」


 

 やめてーっ、もうこれ以上笑わせないでーっ、あーっはっはっ!


(ダメだこりゃ)


 え、ダメだこりゃ?

 もしかしてあの有名な古いギャグ? つまんな過ぎて笑えるー。

 なんで心の声さんまで一緒になって私を笑かすのよ。

 あーっはっはっ、ダメだこりゃだって、あー可笑しい、ダメだこりゃ、ひーっ!


「ガイア様、わたくしもそれは初耳です。一体いつ頃の事ですか?」

「3年程前よ。わざわざ言う価値もないと思って、ゼブルにも黙っておったのじゃ」

「ひょっとして今回のこの攻撃も、婚姻を断られた事の意趣返しでは?」

「ああ、きっとそうだろう。そんなやり口ばかりだからこそ、妾はこ奴が好かぬのだ。性根がひねくれて、! それに、妾にはもう既に心に決めた相手がおるのだ。このようなやからの求婚を承諾する訳がなかろうが」

「もしかして、その御相手とは」

「おうよ、勿論それはルシフェ……」


(ぶっ!!!)


 えっ、えっ!!!

 で、でも良かったあ! びっくりし過ぎて、やっと笑いが止まったぞ。

 はあ、でもまだ息が苦しい。


「な、な、何を言わせるか! こ、これ以上聞けば、たとえゼブルとて許さぬぞ。とにかく妾は今、激しく立腹しておるのだ。この手を見よ!」


 ガイアさんは周りのみんなに見せるように、左手を高くかかげた。

 ん? 爪によって水色だったり、元の肌色のままだったり。

 それに、人差し指は半分しか色が塗ってないぞ。


「その手が何か?」

「爪じゃ! 『ねいる・さろん』で爪のお手入れの途中だったのじゃ。そこにこ奴が騒ぎを起こすから店の者もそれどころではなくなって、見よ、折角せっかくの『ねいるあーと』が中途半端で終わってしまっておるだろうが!

 爪の形を念入りに整えて表面を磨き、『べーすこーと』を塗り、やっと『まにきゅあ』の最中だったのだ。右手も左手も爪3本だけが水色で、他は元のままの色であろうが。

 おまけに左手の人差し指はこのザマじゃ! お洒落な紋様を施すのを楽しみにしておったのに、それもできず仕舞いじゃ。残念やら恥ずかしいやら」


 ああ、さっきから慌てて手を引っ込めてたのは、そういうことだったのね。


「しかし、恥ずかしいとか仰りながら、今、わたくしたちに爪を見せておられるではないですか」

「それほど妾は怒っておるという事の表現じゃ! とにかく、妾はこのカバを絶対に許さぬぞ」


 怒りの表現?

 意味わかんないんですけど。

 みんなに自分がなぜ怒っているか知らせるため?

 それとも、恥ずかしいのも忘れるほど怒ってるってこと?

 ガイアさんも激怒のせいか、ちょっと混乱気味だなあ。

 それに、なんだか、結婚を断られたことの復讐とか、爪のお洒落が中断させられたから許せないとか、かなり次元の低い戦いになってきた気がするぞ。

 はぁ……


「ふん、勝手にほざいておれ。どうせお前は魔王を辞めたからには、余に手を出す事は出来ぬ。そう決めたのはお前ではないか」

「あっ、しまった! ぐぬぬ、そうであった……」

「え、どういうこと?」

「1対1で魔王に挑む者には、魔王自身が相手をしなければならないのです。他の者が加勢をすることは許されない。50年以上前の諸王会議でガイア様が提案され、満場一致でそう決まったのです」


 獣王が勝ち誇ったように言う。


「どうだ、余の申す通りだろう。ゼブルよ、お前もその会議に出席しておったからな。証人という訳だ。ガイアよ、忘れておったのか? 若作りはしていても、もう300歳と聞くからな。少々ボケが来たのではないか?」

「うぬぬ、つまらぬ口を叩きおって。そんな挑発に乗る妾ではないぞ。鹿!」


 はあ? なんだか流れがよくわかんないんですけど。

 私がそんな顔をしてると、ゼブルさんが察して説明してくれた。


「ガイア様が獣王に攻撃を仕掛けると、その瞬間にアスラ様は、ガイア様が選んだ新魔王としての資格を失ってしまうのです。あくまでアスラ様と獣王のでなくてはならない」

「タイマン? 今どき大時代的なぁ。古臭いヤンキーの喧嘩じゃあるまいし」

「ふん、娘よ、自信が無いのか?」


 カチン!


(お、スイッチが入ったか?)


 何だとお。このカバが、舐めてんのかあ。

 そこまで言うなら泣かせてやろうじゃないか。

 今行くから、そこを動くなよお。


 ところが


「ふん。改めて見れば、まだ年端としはもいかぬ小娘ではないか。魔王などとは片腹痛いわ。この様な奴に余が直々に相手をするなど獣王の名にかかわるわい。おい、近衛将軍、出よ」


 呼ばれて出て来たのは、獣王の巨馬ほどの体躯たいくの、なんと

 つまりぃ、胴体は人間で翼は緑のドラゴン風、これはまあいい。

 尻尾はやっぱり緑の大蛇で気色悪いけど、これもまだ我慢できる。

 でもぉ、顔と足が、私の苦手な雄鶏なんだよぉ、ありえねー!

 脳天に突っ立つトサカも顎の下の肉垂にくすいも真っ赤で、足も鶏そのままで蹴爪けづめまで付いてるんだよぉ!

 しかもこれが超大型だから、私の背中を走る寒気も雄鶏を見た時の数十倍なんだよぉ!!


「余の次に強いこ奴を倒せば、今日のところは引き上げてやろうではないか。どうした娘、顔が青いぞ。ふはは、怖気おじけ付いたか!」

「どうした、アスラ、あんな雑魚は一蹴であろうが?」

「そうですな、アスラ様。コカトリスなど、吐き散らす毒にさえ気を付ければ、容易に倒せる敵でございましょう? ああ、それにアスラ様には状態異常の耐性がおありになるから、毒を気にする必要もありませんな」


「いや、その、私、……」

「「あ、そう言えば!」」


(うーむ、痛い所を突いてきたな。どうしたものか)


 この時、何かが右足の膝に触れるのを感じた。

 見ると、バベル君がいつの間にか私の足元に行儀よくお座りして、左手、いや左前脚を軽く丸めて、私の膝をつんつんと突いている。

 爪も立ててないし、これはもしや、親しい相手に何かを知らせる猫のコミュニケーション? なんか可愛いーっ!


 そして、めずらしくそれまでずっと黙っていたバベル君が、初めて口を開いた。

 「にゃーん」ではない。


「アスラ様、吾輩に任せるのである」


 それから、前脚と背中をうーんと伸ばす、猫科特有の気持ち良さそうな呑気なストレッチをして、次に身体をぶるぶると小刻みに震わせたかと思うと、えっ、身体が一気に大きくなって、立派な黒豹に変身した。

 猫だった時より更に鮮やかな金色に光る鋭い眼、長い牙、逞しい四肢、しなやかな巨体はいっそう光沢のある漆黒の毛並に覆われて、非のつけ所のない見事な変貌ぶりだ。


「バベル君、かっくいー!」

「やっと吾輩の名前を憶えてくれたのであるな」


 おお、声まですっかり変わって、凄みのある低音だ。


「あのお喋り仔猫ちゃんが立派に成長してくれて、お母さんはこんなに嬉しいことはないよ。泣いちゃいそう、ぐすん」

「誰が『お母さん』なのであるか。アホな事を言ってないで、急いで吾輩の背中に乗るのである」


 えっ? 今日はドラゴンの背中に乗ったり黒豹の背中に乗ったり、もしかして初乗りに縁のある日なのか?

 では、とりあえず遠慮なく乗せていただくことに……


「さあ出陣である。落ちないように、しっかりしがみ付いているのである」


 その一言と共にバベル君は深く体を沈め、次の瞬間、一気に大きく跳躍した。

 きゃっほーい、あ、この浮遊感は今日これで二度目。

 楽しぃ―――っ!

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