私はあなたと100円でハグをする

僧侶A

第1話

「じゃあ今日もお願いできるかな」


 いつも通り変わらない男の声。


「構わないわ」


 それに甘えてばかりの私。


「じゃあ」


 そんな私にいつも優しくハグをしてくれる。これが私にとって幸せな時間。


「ありがとう。じゃあ今日の分」


「分かったわ」


「それじゃあまた」


 彼が去っていく中、残るのは幸せだった記憶と、少しの罪悪感。


 そして手のひらに残る100円の硬貨。



「なあなあ士郎、白崎とは上手くいってんのか?」


「うーん。いつも通り普通って感じかなあ」


 士郎と呼ばれたその男子は、クラスの男子のからかいともとれる言葉に、慣れたように返す。


「クラスに本人が居るってのに大声で話さないでよね。ったく男子ったら」


 そんな男子達の会話を聞いて少し怒っているのは水仙美世。私のとても大切な友人。


「まあまあ。私は気にしてないから」


 そんな美世を宥めるのが私。黒羽士郎の彼女と噂されている白崎薊。


 殆どの人が付き合っていると勘違いしているけれど、本当は付き合ってはいないの。


「ったく。薊と黒羽はまだ付き合ってもいないのにね」


 確かに付き合っていないのだけれど、士郎が否定しないから結果的に付き合っていることになってしまっている。


 でも、私はそれを否定するだけの権利を持ち合わせていない。


 その理由は過去にある。


『薊、付き合ってほしい』


 1年程前、突然士郎にそう言われた。


 でも、私は断った。だって私と付き合うと士郎は幸せになれないから。


 確かに私は士郎の事が好き。でも、私は付き合ってはいけない。


 本来ならばそれで良かったのだけれど。


『なら、ハグだけさせて欲しい』


 そう言われたの。


 当然断った。だってそれで流されてしまいそうだったもの。


 そんな私の心の内を察したのか、家庭環境を知っていたのか分からないけれど、


『ハグしてくれたらお金をあげるから』


 それに続けて言われたのはこの最低な言葉だった。


 でも、私はそれに仕方ないと理由をつけて許可した。


 だって好きだから。でも、この形なら発展はしない。


 そして今に至る。


 そんなお金を受け取っている私が、実は士郎とは付き合っていません!100円貰ってハグしてあげています!だなんて言えるわけがないわ。


「そんなことよりも、昨日のドラマは見た?」


「見た見た!雄馬くんかっこよかったよね!」


 だから矛先が彼に向かないようにしないと。


 そして放課後、


「薊、今日どっかに行かない?」


 士郎はいつも通りどこかに遊びに行かないかと誘ってくる。


「ごめんなさい。忙しいの」


「そっか、ごめんね。おーい実雪!カラオケ行こうぜ」


「オッケー。俺の美声聞かせてやんよ」


 そして断り、他の人を誘いに行くまでが流れ。


 私は荷物を片付け、真っすぐに家に帰る。


 しかし、今日はそれを遮ろうとする人が居た。


「おい白崎。お前士郎の彼女なんだろ?だったら毎回約束を断らないでたまには遊びに付き合ってやれよ」


 先程士郎にカラオケに行こうと誘われていた落久保実雪くんだ。彼はバスケ部で本来は部活なのだが、今日は休みだった。


「え、はい」


「ちっ。彼女なんだったらもっとしっかりしろよな」


 落久保くんの勢いに押されていると、そのまま怒って去っていった。


 悪い男では無いのに、ついつい委縮してしまう。


 じゃなくて、早く帰らないと。


 帰宅した私は、持っていた学生用のカバンを片付けて買い物袋を装備する。


 そしていつも通りあの場所へ行った。


「いつもありがとうございます」


「いいのよ、こっちも仕事なんだから。にしても高校生なのにこうやって二人の世話をして偉いわねえ。遊びたいでしょ?」


「そんなことはないですよ。やっぱり家族は大事ですし」


 着いたのは保育園。母は仕事で忙しいので、こうやって毎日弟と妹の迎えに来ているのだ。


「薊ちゃん。これ!」


 私の弟である光が元気に見せてきたのはカマキリだった。


「はいはい。元に戻してらっしゃい」


「はーい」


 最初は怖かったけれど、案外慣れるもので、今では手に乗せられたところで動じることは無いだろう。


「ったく光ったら……」


 その様子を私の服の裾を握りながら見ていたのは妹の夏芽。母親っぽいことを言っているけど夏芽も夏芽でどこかから摘んできた花を大事に握っている。


「夏芽も戻してらっしゃい」


「これもダメなの!?」


 流石にこれはいけるだろうと高をくくっていた夏芽は驚愕の表情をする。


「花も虫と同じ生き物なんだからね。それに、土まみれだから家が汚れちゃうのでダメ」


「むー」


 残念そうに花を戻しに行く夏芽。


 こういう光景を見ていると、弟と妹の世話をしていてもあまり苦には感じない。


「じゃあ行こっか」


「「はーい!!!先生じゃーねー!!」」


 私たちは保育園を出た。


「じゃあ今から買い物に行きます」


「やったー!お菓子買っても良い?」


「一つだけなら良いよ」


「私もいい?」


「勿論」


 今日あったことなどを二人から聞いていたら、スーパーに着いた。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


 子供二人をスーパー内に放流したのち、今日の献立を考え始める。


 昨日はカレーだったから鍋じゃないものがいいかしら。なら魚料理とかにしましょうか。


 なんてことを考えて魚コーナーに向かうと、居るはずの無い人たちが居た。


 それは士郎たち。カラオケに行ったはずじゃないの?


「一応お茶も買っとこうぜ。ポテチとか沢山あるから喉余計に乾くだろ」


「それもそうだね。余ったら次に回せばいいしね」


 どうやら持ち込み用の飲み物を買っているらしい。


 私が早々に帰ってしまったから偶然一緒になってしまったようね。


 とりあえずバレたら面倒だから見つからないようにしないとね。


 今日は飲み物を買う必要は無かったので、飲み物とお菓子のコーナーを避けて二人を待つことにした。


 そして少し待っていると、二人はこちらへとやってきた。


 落久保くんを引き連れて。


「あの人か?」


「うん。ありがとう」


 やめて、来ないで。


「突然すみません。この子達がお菓子に手が届かなくて困っていたので。迷惑でしたかね」


 良かった、まだ気づいていないようね。


「いえ、ありがとうございます」


 これならどうにかやり過ごせそう。


「薊ちゃん、仮面戦隊の新しいお菓子だよこれ」


 光、今は……!


「薊?もしかして白崎か?」


 最悪だ。こんなところでバレてしまうなんて。


「そうよ。それがどうかしたの?」


「いや、その、何でもない。士郎たちが待っているから行くわ」


「そう。行ってらっしゃい」


 だから嫌だったのに。気を使われるくらいなら嫌われていた方がまだよかった。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


 私の事を心配した夏芽が声をかけてくれる。多分怖い顔をしていたのだろう。


「ううん。大丈夫だよ」


 落久保くん達が退散するまでの間、買い物する振りをして時間を潰してから帰宅した。


「ただいま」


「「ただいまー!」」


 私は帰宅したら、家事をする。


 母が仕事なのだから当然のこと。他に家を守る人が居ないのだから。


 数年前にお父さんが死んでから、お母さんは仕事の量を増やした。


 別に生活自体は困らない位はあったのだけれど、私たち全員を大学まで送り出すには足りなかった。


 お母さんが言うには、家庭の事情で夢を諦めさせる母は最低だとのこと。


 別に無理しなくても、私の分くらいは大丈夫なのに。


 高校卒業してから私も働けば二人の学費なんて余裕で賄えるというのに。


 それでも言い訳をしないのがお母さんの良いところであり、悪い所。


 家事と仕事を両立する中で、次第にやつれていく母を見かねた結果今に至る。


 今日も母が帰ってくるのは11時過ぎだろう。


 それまでに全てを終わらせていないと……


 私は二人にご飯を食べさせ、風呂に入らせて眠ってもらう。


 そして私は勉強をしながらお母さんを待つ。それがいつものことであり、私の仕事。


「薊、こんなところで寝ていたら体痛めるわよ」


「私、いつの間にか寝ちゃってたわ」


「いつもありがとうね。薊にも無理をさせちゃって」


「いいの。私が望んでやっていることだから」


「本当に…… 責任感のあるところ、お父さんに似たのかしらね」


「どうだろうね」


 お母さんはそう言っているけど、どう考えても母親似よ。


「ご飯は冷蔵庫に入れてあるから温めて食べてね。私は寝るね。おやすみ」


「ありがとう。おやすみなさい」

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