久しぶりのデートっ

沈黙静寂

第1話

 高尾山口で待ち合わせしていた。

 連絡通り遅れて掛かってきた電話がピリピリ鳴り、充電の消耗したスマホを操作していると、おぅと声にしたのかはっきりしない音を立て私の隣に上下黒服の女が入り込んだ。山登りする割に生地の薄い格好は私より顕著で、風邪を引きそうだなと参考にするまでは思いを寄せなかった。

「ごめん、通話のマイクオフにしてあって出られなかった」

 あぁうん、吾妻あづま翔子しょうこは納得を折り畳んだ返事で立ったまま私に同じ体勢を求める。

「久しぶり」私が順番を差し替えた挨拶を曲がりなりにも言ってみると、翔子は「うん」の後に「どうする?」簡潔にデートの予定を確認してきた。

「ケーブルカーは一時十五分に出発するらしいけど」

「じゃあ登る?それか昼にする?どっちでもいいよ」

 特別空腹ではないけれど翔子の胃の収縮状況を慮り「……うーんと、いやたぁんとまずは食べに行こう」「オーケー」プランナーの指示に従順に、駅前のベンチから食事処が立ち並んでいた商店街に向かう。

「あれ、翔子痩せた?」

「いやぁ痩せてないよ。お腹出ちゃってる」前回覗いた時より控えめに見えて一応褒め言葉を兼ねて伝えるが、頭上から英字のロゴを隠す仕草で反論されるので、一瞬躊躇した私もその場所に力添えした。私のお腹は変わっていないかな。

「何処にする?」

「ここは薯蕷蕎麦が名物らしいからそれにしよう」

「へぇ」二段階の事前調査を基に、二人の目からここは高いなという看板を飛ばした末端に、あまり大差のない価格設定の店を見つけて入った。

「薯蕷蕎麦二つで」高校時代を思い出すには居心地の良過ぎる窓際の席で向かい合うと、練習していた笑みが自然に出る。

「ここ来たことある?」

「いや初めて。翔子は?」

「高校生の時旅行で来たことある。けど別の登り口を通ったからこんな商店街知らなかったわ」

「来たことあったんだ」

「別の山登る為の予行練習として只管登らされて辛かったわ」

「私も富士山でそれ経験したや。蛭に噛まれた隣の席の子がグロかった」

「逆に富士山行ったことないな。蛭なんて出没するのか」

 人生経験の差異に舌鼓を打っていると、付け合わせとして注文した蕎麦が現れた。構わず翔子から授業の履修が上手くいかなかった話、最近九州旅行に行ってきた話などが提供されるので、私はお返しにと待っている間冷やかした近隣のミュージアムが思ったより楽しい造りだったことを話した。あとは六号路を先に辿ってみたりベンチで目を瞑ったりしていたけど。

 ぎこちない箸使いで麺を啜る。味は普通。半年間を真白に着彩して出会うので、食べながら新しい話を切り出す時機が掴めない。この口に葱を運ぶべきか否か。

「最近学生寮入ってさ」

「あ、そうだったんだ。私はまだ親に寄生してるわ」

「寄生出来るなら良いじゃん。こっちは寮友達が出来なくて困ってる」

「へぇ意外。大学の寮生なんて夜通し踊り回ってる印象あるけど」

「全然そういう雰囲気じゃないから」

 一呼吸置いて蕎麦湯をつゆに流し込む。

「それで、今朝は洗濯してたから遅れちゃったんだよね」

「……へー」

 一人暮らしって大変だろうな。炊事に洗濯、掃除、家計管理、騒音悪臭問題エトセトラ。そりゃまぁ大変なんでしょう。店内の話はそこで終わり土産屋を横目に清滝駅の前でケーブルカーを待つ。

「こんな所にもキティのポップコーンあるんだな」

「大分汚れてるから中身不味そう」

 頽廃的な可愛さに惹かれてか赤白帽を被った小学生達が続々と広場に集まる。遠足か。昔の自分を重ねてあの頃は良かったなぁと郷愁に耽る。

「班長、って懐かしいな」

「確かに。私も班長だったわ」

 それ以上広がれなかった会話と近付く時間に対応して子供達の視界を遮る。

「リフトもあるけどどうする?」

「どっちでもいいよ」

 ということで私の判断で行きは左側の乗車口を選んだ。ワンボックスに尻毛が生えた程度の車体の毛側、斜面を見下ろす側に二人は自らの尻を置く。

「こっちの方が景色が良いんだよ」

「だよね。他の客は上にいるけど」

 高みの見物へ誘うレールは放物線状に造られており、「これが事故で落ちれば私達が最初の被害者だね」独りで最悪の事態を先読みした。

「怖い?」

「外に身を乗り出していないから大丈夫」

 絶叫系が苦手と知る翔子は一応身を案じてくれた。思ったより早く無事に着くと、早速小高い展望台と土産屋、甘味処が並んでいた。

「あそこが新宿か」手元の解説図から翔子が山の奥側を指差す。

「新宿行ったことないんだよね」

「乗り換えで降りるから。あー天気がもっと良ければなぁ」

「確かに曇ってる」

 快晴とはならなかった巡り合わせに不満気な翔子は先に踵を返すので、甘味処のプレーンの団子に目を引かれつつ、この先にもあるだろうという見込みで「あっちが頂上の方向だって」案内人として責任を確かめた。

 左は斜面、右は草木、上は林冠、下は意外にも地面に囲まれて前へ進む。登りやすいと謳われるだけあって今の所転落死も首吊り死も起こらず前向きな心持ちである。

「翔子は結局サークル何か入ったの?」

「あぁ、アスレチック会とかいうのに入ったけどまだ参加していないな。そっちは?」

「前言ったけど美術サークルに入ってる。だけど私も一、二回しか顔出してないよ……クラスの人とは繋がりある?」

「いや、無いな。去年以来遊ばなくなったな」

 その期待通りの答えに安堵していると、左手に猿園・野草園と書かれた小規模な入場口と芝居の声が降り注いできた。平日の為か道沿いには私達しかいない。

「閑散としてる」

「猿だもんね。パンダとかならまだしも」

 二週間前には見物の候補に入れていた場所は実際の空気を吸ってみれば立ち寄る程の魅力は無かった。少し先を行くと、たこ杉という人間なんかより余程強靭な体躯の巨大樹が聳え、その根を撫でて御利益を願った。

 更に先には予想通り団子屋が出店しているのを見つけ、「あれ買っていい?」歩行停止の許可を得て醤油ダレ付きの黒胡麻団子を購入した。

「どう?」

「……うーん、塩っぱくて甘くて胡麻風味で……想像と違う感じ」

 甘い気分に浸りたいと思っていたのに裏切られ、もういいと啖呵を切って再び歩き出した。暫くすると道が二手に分かれ、これが例の男坂と女坂かと照合が取れたが、翔子はそういった知識を持ち合わせていないらしい。

「どっち行けばいい?」

「何れにせよ合流するから、緩傾斜の女坂の方にしよう」

 とは言ったものの歩くと体温は上昇し、二人してはぁはぁ息を切らしながら高度を上げていく。石の階段が入った視界の上には神門が堂々君臨し、見栄えの変化に胸を弾ませる。これが薬王院。境内はこれまでより人気や人工物の数が多い。

「これ何?」

 翔子が見つめるのは一人分で腕に限界の来そうな福引器に似た石の造形物。六根清浄石車と言うようだ。

「懺悔懺悔!六根清浄と唱えながら回せば何とやら」

「六根清浄六根清浄六根清浄六根清浄」

 前振りなく福引を開始した翔子のシュールな姿に、後ろからぷふっと空気を漏らしてしまう。回転に満足すると私も続いて恥を忍びつつ同じ儀式を通過する。見た目以上に重かった。

 大天狗・小天狗と銘打たれた割にサイズ感の等しい石像の正面には、願叶輪潜ねがいかなうわくぐりと示された石の輪があった。これまた願叶輪潜と唱えて潜り奥の錫杖を鳴らすと何とやららしい。

「ネガイカナウワクグリ」

 先陣を切る翔子に同調して金属音を響かせる。そう言えば願いなんて用意していなかったけれど、良縁成就辺りにしておこうか。

 神社を抜け山頂を目指す。ここまで来れば残り僅かと思っていた道のりは中々しぶとく、化粧崩れを予感させる汗が垂れて漸く最後の階段が覗けた。上った先は、施設を焼き払えばサッカーの試合が可能なくらいには広く、ボールが幾つあっても足りないだろうと心配した。お弁当を囲む夫婦や適当に運動しに来ただろう大学生の姿が平和的で、無難に良い雰囲気だと感じた。

「天気微妙だな」

「あー、仕方ないね」

 翔子の琴線には触れなかったようで、折角の展望台は雑に見渡すに留めた。食事処の側に情報館があったので入ってみる。

「虫の展示かぁ。さっき言ったミュージアムも似た感じだったよ」

 だが話が盛り上がる要素はなく一周して外に出た。博物館とか美術館のデートって難易度高いんだね。今度見かけたら尊敬の眼差しで嫉妬しよう。

「五百九十九メートル。六百にも達していないのか」

 階段手前の木板は確かにその値を記していた。

「身長足し合わせれば丁度超えるじゃん」

「成る程、今胸元辺りが六百か」

 翔子の反応にそうそう、と気分が標高に追いつく。水準点デートとかの方がお望みだったかしら。

「帰りは別の道にする?」

 必要ないと仕舞い込んでいたガイドマップを広げて提案する。

「どっちでもいい」

「じゃあ四号路で行ってみようか」

「いいよ」

 私の思いのまま道に従い、トイレ小屋の前で分岐路が見て取れた。

「こっちだね」

 早々に往路とは違う野性味を醸してくる態度に少しだけ後悔する。富士山の時もこんな道を歩いた気がする。急斜面は申し訳程度に階段化され、木の根の干渉が行手を阻害する。二人並ぶのが精一杯の道を縦並びで行く。目隠しされれば五秒で落下を果たせそう。

「うおっ」案の定翔子の後ろでズルっと滑った。

「おいおい」

「危なかった……気を付けないと」

 湿った土と摩耗した靴底が足を取り合って私を救いに導こうとした。

「ここから落ちたら中々まずそうだ」

「動もすればあの世に出世コースだね。神社近いから贔屓してくれそう」

「流石に死にはしないでしょ」

「意外と死者が出るって話じゃなかったっけ」

「えぇ、本当?」

 山だから色んな死因があるだろうけど。事故死だけは避けたいなぁと慎重に進むと、開けた道に先刻のたこ杉に引けを取らない巨大樹が倒れていた。近寄れば両手を広げた程の直径だと分かる。断面が綺麗なので安全の為切断されたのかもしれない。

「これ凄くない?」

「写真だと大きさ分かり辛いな」翔子はスマホ相手に感想をぼやく。

「だよね。どうする?樹体が転がり出して大地を揺るがしたら」

 山道がまた樹冠に覆われると、ムササビ注意と書かれた看板と邂逅した。そう言えばヒトはこの経路上で私達以外に見掛けていないなと気付いた。

「今の所動物には出会えていないね」

「啄木鳥の音……?」私の認識に反して翔子は立ち止まる。

「…………本当だ。カンカンカンって聴こえるね」

 翔子に合わせて静止するとそれらしき環境音が耳に届く。言われてみればという感触だけど。

「翔子は暇な時何して遊んでるの?」

「ぼーっとスマホ見たりしてるだけだよ」

 その先が知りたいのだけど毎度ここで閉じる。

「スマホ何時の?」

「三年前の機種かな。この前買い換えた」

「へー。私まだ八年前のシリーズ使ってるけど全然壊れないよ」

「凄いな」

 ラリーが続かないならば単発の話題を在庫処理していこう。

「そう言えば前学期に中川と工藤見かけたよ。声掛けなかったけど 」

「中川とはこの前夕飯食べたわ。その時履修相談したんだよ」

「あ、そうだったんだ」

 翔子も未だに他人と交流あったのか。二個前の話題と矛盾するような気がするけど。あと中川に相談したのか。学部違ったはずだけど。

 そうこうすると四号路の眼球となる吊り橋が登場した。清流と緑に囲まれてロマンチックだが規模は期待より小振りだ。床は頑強と伸びていて穴開きのスリルは味わえない。吊り橋効果も無いだろう。

「揺らす?」

 翔子が案を投げるので漸くお目に掛かった前の客が渡り終えた後、二人で跳ねて破壊を試みた。

「あんまり揺れないね。歩道橋レベル」

 その後は特に事件なく、生態系を解説する看板に短いコメントを残しながら街中よりは険しい道を消化した。行きより心做しか長距離に思えた末、見覚えのある石畳の終尾に合流した。

 展望台地点に戻ると、一時間半前には興味を示さなかった店のソフトクリームに翔子が引っ張られた。

「あれ買おうかな」

「良いじゃん。買っちゃえば」

「……ジャンケンであたしが勝ったら買う」

 遠慮せず金を落とせばいいのにコンビニであれば二品頂けるだろう値段に押されてか尻込みする。ジャンケンポン、結果は私のパーで食欲もパー。

「勝ったから私が買おうかな」

 はは、翔子は少し笑ってくれたが店の売上には冷徹になることにした。

「帰りはリフト乗ろう」

 ケーブルカーが冷菓より味気無かったので二人の足は反対サイドへ向かう。誘導員に従い動く歩道に二人して慌てながら無防備に乗り込んだ。リフトと地面の距離は見る見る内に開き、背中の手摺をぎりぃと握った。

「怖い?」

「うわ………………少し怖い」

 安全の為ネットが張られてはいるが、万が一吊り具が外れたら、あの隙間を潜り抜けたらと恐れ身体が硬直する。

「揺らす?」

「ここでは絶対ヤメテ」

 流石の翔子も私の気迫を酌んで安静にしてくれた。

「スマホ持つな、ってあるけど別に落とさないだろ」

 翔子は徐にそれを取り出し容量に収め始める。私には到底出来ない芸当だ。

「あの人どうやって来たんだろう」

 翔子の目下には記念撮影の担当らしき人がテント下で呼び掛ける。

「リフトから飛び降りて三点着地決めたんだよ」

「帰りは逆に座面にしがみ付きながら戻ると」

 我ながら下らない言葉しか投げていないなと反省すると、対向車線から二人して団子を食べる制服姿の女子高生とすれ違う。

「放課後に高尾山って強いな」

「駅前感覚なんだろうね」

 しかしその気兼ねないフットワークは羨ましい。今もほら足をバタつかせて純粋無垢に楽しそう。ああいう風に接すれば良いのかな。これはこれで程好い関係だと思っているけど。

 十数分でホラー体験は終わり、降りた先の写真は当然購入せず山麓駅を出て、高尾山口へ歩みを進めた。

「誰が受け取るんだ」

「二、三枚でも売れれば万々歳なんじゃない」

 スマホ禁止はその為でもあるだろうなと察した。結局二人の写真は撮らなかった。

 時刻は薄暮れ時。結果として入浴には風情ある状況になった。

「駅直結で温泉があるから寄ろう?」

「オーケー」

「あと夕飯の予定ある?」

「無いけど」

「じゃあ何処かの駅で降りて食べよう?」

「オーケー」

 土産屋の奥に続く極楽湯とやらは小綺麗な建築となっており、入館料とタオルを千三百円と交換して入ると、一階はフードコート、二階に全裸を許す寛大な場所があった。翔子の選ぶロッカーと三列離れた立方体を基地として、「先入ってるよ」翔子より早着替えした私は前を隠してそそくさと入った。

 お湯の屈折で肌の露出を出来るだけ誤魔化そうとシャワーは手早く終え白濁風呂に飛び入り参加した。ここなら確実に首下を隠蔽出来るし美肌効果まであるのだと。白いが故に毛の浮遊が目につくのは見なかったことにして、五分茹でられた後露天コーナーへ突入した。

 最奥の岩風呂に入湯し、ぬるぬる加減にこれは天然由来だよなと疑心暗鬼になってきた頃、髪の濡れた翔子が現れた。当然裸。久し振りに見る翔子の裸に何故か体育座りしてしまう。手を挙げて合図するが翔子の反応は薄く無言のまま隣に来た。

「昔一緒に入った温泉思い出すね」

「あー、懐かしの」

 温泉番組のような饒舌性は欠けているが、学生同士ならこんなものかな。それより私の裸の具合が気になり、お腹を引っ込めたり余所見したりして気を紛らわす。微温湯に落ち着かなくなると、高台の方の岩風呂へ移った。

「おーい、こっち熱いよ」

 上から目線で翔子を呼ぶと無表情で重たい腰を上げて来た。

「熱いでしょ?」

 問うが答えは返らない。入浴は静かに楽しみたい派閥に所属しているのかしら。

 今度は熱さに耐え切れず出ようとすると、サウナ入ってくる、と翔子が告げたので「先出てるね」出入共に一足早く行動することにした。

 気楽に身体を拭き取り鏡でチェックし、一階脇の腰掛けで待った。珍しくスマホを眺めてジュースを買って、カウンターのメニューを見てトイレに篭って。

 三十分経っても翔子が出てこない。壁をよじ登って直帰はしないだろうからまさかサウナで熟睡しているのか。

 女湯の前で勘案し、仕方ないからまた無益に服を脱いでサウナを様子見することにした。だが見当たらない。露天で寝ているのかと伺うと、本当に半身浴の一角にて翔子が横たわっていた。

「ねぇ、眠ってたでしょ」

 肩をつんつん叩くと翔子は「いや寝てない」半笑いで目を開いた。

「いや絶対寝てたでしょ」

「寝てない寝てない」

 だらしない体勢は微動だに立ち上がる素振りがない。

「あと十五分以内には出てよ。外で待ってるから」

「あー」

 私が去るのを翔子は閉じた瞼で見送った。せめて眠っていてくれよと思いつつ、外の土産屋で品定めしておけばいいかと踏ん切りを付け極楽湯を出る。

 土産屋は閉まっていた。貼紙を見ると営業は五時まで。時刻は丁度五時五分。家族に買ってくる約束をしたのに果たせなかった。別の場所はどうかと機転を巡らせたが、この辺は基本的に何もない寂れた土地であることを思い出した。待っていなければ買えていた。

 翔子が来るまでの間、スマホは充電不足の為駅周辺を歩くことにする。翔子の姿を見逃さないよう常に注意しながら。何もないと言えど下らない美術館や無駄に高いカフェは見えたので数秒だけ入ってみた。それでも戻らなかったのでベンチで耽たり、極楽湯に引き返して中の様子を覗いたりした。私だって暇じゃないのに。

「めんご」

 翔子はあれから一時間経って面を晒した。行動を決意しようとしたその時だった。

「おい、また寝たでしょ」

「いや寝てないって」

 半笑いでまた空返事する。

「あと五分遅かったら先に帰ったよ」

「あー、ごめん」

 頼むよ、口内の陰翳で言葉を乗せた舌が畝るけどそれだけにして駅へ向かった。お土産は?と訊いてきたので店仕舞いして買えなかったと伝えた。

「あれま、残念だったね」

 …………は?今の台詞はどういう状況に適うものなのだろう。改札を超え、京王高尾線に一応二人で乗車する。

「夕飯どうする?」

 さっき合意が取れたはずの話題が改まって審議に掛けられる。

「……お腹空いてないからいいや」

「オーケー、じゃあ」

 隣の女はそう言うと次の高尾で降車していった。あ、もういいや。




 私の名前は風俐ふうり

 お気付きの通り、アイツは私の名前を呼んだことが無いのです。私は何回も呼んでやりました。話しかけた回数だって私からの方が遥かに多いです。だけど翔子から関心を注ぐこと、話を広げることは殆どありません。今回誘ったのも私です。今回だけでなくいつだって私からしか誘いません。つまり誘われません。つまりそういうこと。そういうことなのです。

 今日は十一時に集合するはずでした。今だって遅れたことを本心は何も気にしていないでしょう。は?何がオーケーだよ。予定を変えた不自然さに気付いていないのでしょうか。こっちのことは何も考えていないようです。アイツは友達でさえありませんでした。時間の無駄でした。

 薄っぺらい態度は私が気が置けない相手だから、ではなくその気がそもそもないからです。適度な距離感で良い関係だと思っていたのは私だけでした。結局何処にも私の味方はいないのだと、久し振りに再認識しました。

 クラスの他の奴らだってそうです。私と関わりのある人間全員、同類。だってそうでなかったら今頃通知が届いているはずでしょう?そうです、この世界はそんな奴らしかいなかったのです。他人なんて信用ならないです。私は違うけど。そういう奴らに毒されて同質化する柔な女ではないですけど。私はきちんとお人好しです。愛が重い?軽い愛なんて何処か飛んでいっちゃいますよ。狂っているのは人生観を拗らせた他人達です。これは客観的な事実。絶対に、正当に、私の妄想などではないのです。

 今日だけ省みればただの遅刻魔と縁を切ったに過ぎないですが、私はこれをずっと繰り返してきました。ちょっとそこのあなた、これっておかしくありません?違うと言うなら、あなたもおかしい人間なのですね!このおかしさをまだ何回も繰り返すのでしょうか。もう嫌だな。そろそろ捨てましょうか。

 分倍河原で降りた。今なら線路に飛び込める気がする。電車の乗客、こいつら全員私の敵だ。母親には「今から帰るよ。ご飯は食べた」瀕死の充電で辛うじて連絡します。帰ったら楽しかったよ、と虚偽の破顔を作りましょう。夜のプラットホームを真っ直ぐ見つめる。駄目だ、思考が止まらない。

 夕飯代は携帯バッテリーに使いました。

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久しぶりのデートっ 沈黙静寂 @cookingmama

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