第19話 流星の燃え滓

 ミーティア国は今、存亡の危機に差し掛かっていると言っても過言ではないだろう。


 潜入して僅かひと月経たない自分達から見ても、特にここ2週間での王都の荒れ具合は酷かった。


 裕福層は王都の結界が弱ってきた事実を知るや否や、我先にと表裏問わずありったけの医療用魔法薬液ポーションを買い漁り、街から逃げ出した。

 とは言え、護りの要であった大聖女が身罷った以上、今のこの国に安全な地などないだろう。果たして何処に逃げ込むつもりなのやら。


 片や、更に気の毒なのがこれまで体調の管理を教会の無償治癒に頼っていた、いわゆる貧民層の者達だ。彼等はそもそも普段の栄養状態や衛生管理も悪く、そんな中で畑仕事や食材の運送等の重労働を生業にしている事から非常に身体を壊しやすい。

 そんな悪辣な環境でどうにか首の皮一枚食いつないで来られたのは、聖女見習い達による無償治癒の巡回があってこそだった。

 しかしセレーネが居なくなった後、聖女見習い達が軒並み力を失ったことでその巡回も中止。当然治療を受けられなくなった彼等は次々に働けなくなってしまった。

 結果、生活の一番土台にあたる部分が半数近く破綻。今の王都には、果実の一つすら店頭に並んでいない。


「うわぁぁぁんっ!お母さんが死んじゃうよぉーっ!!」


「ーっ!」


 最早日課のようにスピカ大聖堂へ抗議に向かう民衆とかち合わないように隠れた路地の奥の奥。貧民街の入口から耳を掠めた幼子の声に、アイボリーの髪を揺らした青年が駆け寄った。


「大丈夫ですか!?すごい熱だ、肺炎かな……」


 砂利が目立つ地面に力なく横たわり、少女に縋りつかれていた女性の身体を助け起こす相方に、薄紅色の髪をした若者がため息を零す。


「クリオス、気持ちはわかるが今の我々が街人とあまり接触するのは……」


「俺だってわかってるよ、ヴィルゴ。でも、こんな小さな子が母を思って泣いてるんだよ。捨て置けるわけがないだろ?」


「……そうだね。すまなかったねお嬢さん、もう大丈夫だ」


 薄紅の青年、ヴィルゴは少女の隣にしゃがみこんでその小さな頭を撫で、反対の手で懐から取り出した銀色の小瓶を開けクリオスに手渡した。

 クリオスが抱えていた少女の母親に小瓶の中身を飲ませると、銀色の光が溢れスっとその身体から熱が霧散する。


「よし、呼吸も正常に戻ったね。お家はどの辺りかな?お母さんはまだ眠っているし、送っていくね」


「うん!お兄ちゃん達、ありがとう」  


 少女な案内された先は、家と呼ぶには躊躇われるような屋根が数か所抜け落ちた小屋であった。

 せめて気休めにと掃除クリーンの魔法で清潔にした寝台に母親を寝かし、丁度帰ってきたらしい父親に先程のと同じ魔法薬液ポーションの小瓶を二つ、手渡す。


「申し訳ありません。どなたかは存じませんが娘と妻がご迷惑を……!」


「迷惑だなんてとんでもない、手遅れになる前で良かったです。これ、奥さまに飲ませたのと同じ薬です。一本飲めばひと月は大概の病から身体を守ってくれるんで、予備としてどうぞ」


「そんな物いただけませんよ!今回の治療費だってお支払出来ないのに……!」


 恐縮して後ずさろうとした父親の手をクリオスが掴み、痩せて骨が浮かぶその手に無理やり小瓶を握らせた。


「お金なんか良いから!これはうちの聖…っじゃなかった。俺たちの上官の奥さんが、苦しんでる人が居たら渡してほしいって定期的に作っては送ってきてくれてるものなんで!だからほら、受け取ってください!」


 父親はなお抵抗したが、最終的に『貴方達がいなくなったら娘さんはどうなるんですか!』と言うクリオスの手痛い一言でようやく受け取ってくれた。


 別れ際、ふと思いついたようにかがんだヴィルゴが、少女の頭に愛らしい布製の花飾りをくくりつける。


「魔除けの効力がある桃の花を模した髪留めだ。良ければ使っておくれ」


「わぁっ、可愛い……!あ、でも……」


 気まずそうに父の顔を見上げた少女を見て、クリオスが笑いながらヴィルゴと肩を組んだ。


「良ければ貰ってあげて〜。このお兄さんこーんな澄ました顔して裁縫と可愛い物が好きだからさ。君がつけてくれたら喜ぶよ!」


 朗らかにそう言われ父を見ると、父親も微笑んで頷く。少女は少しだけ頬を赤らめて、もらった髪留めの飾り紐を指先に巻き付け笑った。













ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 その日の晩、二人はスピカ大聖堂の裏の森にある、抗議隊のアジトの近くに身を潜めていた。


 気配を遮断し存在ごと隠してくれる”透明化“の魔術をテント状に張り、二人で抗議隊や大聖堂の様子を伺う。


「双方、特に動きは無いみたいですね……」


「今朝方、門に向かい撃ち込んでいた爆竹で抗議隊が持つ火薬は打ち止めだっただろうからね……。無理もないだろう」


 なけなしの強度ながら、十数人がかりで貼られた大聖堂の結界は一般市民の武力で打ち破れるようなものではなく。せめて顔を出して事態を説明せよとの抗議隊の訴え虚しく、スピカ大聖堂は未だ沈黙を貫いていた。


 役立たずだと判断された聖女見習いの娘たちが夜中にひっそり大聖堂を去った際には、溜まりに溜まった鬱憤の捌け口として男達に襲われ乱暴されたという。


「聖女様が同僚達の安否も気にしてたんで身売りに出されちゃう前に助けはしましたけど、あの子達全然反省してなかったですよね。行かなきゃよかったって思っちゃいましたもん」


「あぁ……あれは醜悪だったな」


 街外れの漁港で何やら捕物が起きていると聞きつけた二人が辿り着いた倉庫では、所々破かれた衣服の聖女見習い達が魔法を用いて男達に反撃をしているところだった。


『ざまを見なさい!あなた達みたいな下賤な者が高貴で清らかな私達を穢そうだなんて身の程知らずだから天罰がくだったのよ!!』


 漂う血の臭いと、叫びながら既に事切れた男の身体に雷鎚を打ち込む女の狂気じみた表情にクリオスはその場で吐いてしまい、ヴィルゴは言葉もなく催眠魔術でその場の全員を眠らせた。


 最期に意識を手放す前、『大体、私達が不幸になったのは身代わりの贄だったあの女!セレーネが逃げ出したせいよ……!』と、そう恨みがましい言葉を遺した聖女見習いは、虐殺の容疑で今は王都の警備隊に捕縛されて尋問されているらしい。


「ルナリアから潜入に来てる立場上、大っぴらに彼女達を裁けないのはわかってます。でも悔しいんです俺。なんで、追い出されたあとも街の人達を案じてせめて魔法薬液ポーションだけでもって作って送ってくれてる聖女様があんな人達に虐げられてなきゃならなかったんですか……!」


 この二人は、空の花嫁にされたセレーネとあの晩に出逢った四人のうちのふたりであった。セレーネが捨てられて尚まだ国を案じていることを知り、ならば自分達が様子を見てこようと潜入隊に名乗りを上げたのだ。

 セレーネの本来の資質や彼女の手の紋章の真価についても、当然シエルから話を聞いている。



 日中、二人が配っていた魔法薬液ポーションは、自分が居なくなった後の大聖堂の裏方仕事や、聖女見習い達が忌避していた貧民層の人々の治療を案じて開発した物で、従来の物より身体への負担は少なく、穏やかに病を浄化してくれる特別な薬だった。

 無理を承知でと、もし苦しんでいるミーティアの民が居たら渡してほしいと初めてセレーネにカゴいっぱいに入った小瓶を渡された日のことは忘れない。


「……人間、当然のように手を差し伸べる者がずっと身近にいると、それを己が相手より優位だからだと勘違いしてしまうのかも知れないね。愚かなことだ」


 ヴィルゴのため息交じりの感想に、クリオスも頷くしか無かった。

 この薬はセレーネにしか作れない。一度、全く同じ調合と手順で大規模な生産を試みたが、効果が半減した物しか作れなかった。それでも滋養強壮と、咳や発熱、身体の痛み等多数の病を軽減する効果はあったので、そっちはそっちで普通にシエルが商品化していたが。


「ーー……行こう。司祭様が、一度戻ってくるようにと仰っている。聖女様の妹君も、早く見つけて差し上げなければならないしね」


「……でも、でもですよ?聖女様の魔力を奪うあの紋章は、妹が入れさせたんですよね。もし妹がいいコのふりして姉からずっと搾取してたんだとしたらどうするんですか!俺、そんな事になったら聖女様に絶対言えないですよ……!」


 正直、その懸念はある。だからシエルも、まだセレーネには例の紋章の本当の意味合いについては話せずに居るのだから。



「もしそうだった時は、妹君は救えなかったと、聖女様には会わせないまま表社会からご退場頂く。まぁ何にせよ私達はその妹君と会ったことすらないのだから、杞憂で二の足を踏むのは賢い選択とは言えないね」


 『行くよ』とヴィルゴに促され、森の反対へと歩き出す。

 見上げた空はどんよりと曇って、星の一つも見当たらない。


(今のこの国に、まだ希望となり得るものが一つでもあるのだろうか……)


 かつて、初代聖女誕生の地として栄えていたミーティア。

 クリオスには今のこの国が、燃え尽き地に落ちた流星の燃えかすのように見えた。















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クリオスが牡羊座、ヴィルゴが乙女座を軸にキャラクターを考えています。


シエルの直属の部下は全部で12名、12星座から一人づつ着想を得ていますが……多分、お話の中にはメイン三名以外はあんまり出てきません(笑)


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