第16話 姉と妹

『お姉さま見てください!流れ星ですわ!!』


 一緒にお願い事をしましょうと、はしゃぐ妹にせがまれて。街外れの小さな丘の上で二人、ひっそりと祈りを捧げた日。自分は、何を願ったのだったか。


 そして、可愛いあの子は何を祈ったか、私は、知らない。












(夢…………)


 ふと目を覚ますと、まだ太陽が目覚める数刻前のようで空には星々が瞬いていた。その灯りに誘われるようにテラスへ降りると、ロッキングチェアに掛けグラスを傾けている人影が目に留まる。


 晩酌中ならば邪魔をしては悪い。そう窓際で踵を返したセレーネの背を、シエルが穏やかに呼び止めた。


「おや、行ってしまわれるのですか?つれないですね」


 気づかれていたのに答えない訳にもいかず、改めてテラスに降りたセレーネにシエルが向かい側の席にかけるよう促す。

 風の心地良い、良い月夜だ。お言葉に甘えて、しばしお邪魔することにした。


「宜しければどうです?貴女も一杯」


「あ、すみません。私、お酒は不慣れでして……」


 狼狽えたその姿に面食らった様子を見せ、シエルが笑い出した。


「ははははっ、すみません。グラスのせいで紛らわしかったですかね。ご安心を、ただの葡萄ジュースです」


 『これでも聖職者ですからね、酒は滅多に口にしないんですよ』と、笑いながら差し出されたグラスを受け取り口につけると、優しい甘みが広がった。


「美味しい……です」


「それは良かった」


 ふっと笑った彼が眼鏡を外していることに気づき、何となく目を逸らしてしまった。


「あ、あの、眼鏡は……」


「ん?あぁ、部屋ですよ。あれは書類仕事等の際に処理能力を補助してくれる魔導具であって、視力が弱い訳ではありませんから」


「そっ……んん、そうだったんですね」


 慣れない姿に一瞬裏返った声音を耳聡く捉え、シエルがさも愉快そうに立ち上がる。

 嫌な予感に身を引くセレーネの頬をサラリと撫でて、『貴女はこちらの方がお好みですか?』と囁いた。


「〜〜〜っ!」


 動揺してバッと己の手で耳を守る仕草を見せる彼女に、シエルは更に面白そうに笑って自分の席に戻る。


「…………からかわないでください」


「これは失敬。貴女が可愛らしくてつい……ね」


 常に笑顔で余裕な男。彼に誘われ月の国ルナリアに来てそれなりに経つが、どうにも掴みどころがない。しかし、不思議と彼の側は心地が良かった。


「それで?どちらが好きですか?」


(……前言を撤回したほうがよさそうです)


 まだ聞くのか。

 満面の笑みで尋ねてこられると逃げられないではないか。


「わ、私は……いつも通りの司祭様の方が、その、安心致します」


「“安心”、ですか……。それはそれは、自分ごときにそのような信頼を寄せて頂けるとは恐悦至極ですね!」


 『ですが』と、含みのある言い淀み方をされ首を傾ぐと、彼の口から予想外の不満を告げられる。


「セレーネさんは、リオンを始めとした他の者達は呼ぶのに自分の名は呼んで下さいませんねぇ」


 まっすぐに向けられる眼差しが痛い。困り眉になるセレーネの顔を見て数分後、シエルはあっけらかんと笑った。


「まぁ、今宵は先程の言葉に免じて名前の件は見逃しましょう。どのみち長期戦は覚悟の上です。ーー……貴女は何かと手強そうですから」


「えっ……?」


 最後の部分が、夜風のせいで聞き取れなかった。しかし言い直さないということは、今聞き返すような内容でもないのだろう。













 会話が途切れてしまい、沈黙が落ちる。

 しばしこちらを見つめていたシエルが、『思いの外落ち着いていますね』と呟いた。


「…………正直、困惑はしています。祖国であれほど役立たずと謗られ切り捨てられた私に、本当に初代の大聖女様に近しい力があるだなんて、すぐには……」


 受け入れられそうにない。

 本当にそのような力があったなら、もっと早く、己の力で、何かを変えられたのではないかと。余計に惨めになってしまうから。


 ルナリアに来てからも鍛錬や勉学には励んでいるが、必死さで言えば祖国の頃の方がずっと上であった自覚がある。せめて妹が正式に聖女になった際に、右腕となれる位にはなりたかったから。

 寂しがりのあの子の手を、本当は……離したくなんか、なかった。


「あの子は……ステラは、女の子らしく見えて意外とお転婆で。祖母と暮らしていたころは、良くカーテンやシーツを縄代わりに結び合わせた物を伝ってお部屋から抜け出したりしていたんですよ」


 これがまた常習犯で、いくら祖母に叱られようが数日後にはまたやらかして、皆を困らせていた。



「もう、一度こうすると決めたら意地でも聞かなくて。私もあの子も、夜空を見るのが好きでしたから……今思えば、両親の死から立ち直り切れない頼りない姉を、元気づけようとしてくれていたのかも知れません」


 『一緒に見に行きましょう!』と、元気に抱きついてきたあの日の姿を、声を。今も鮮明に覚えている。


 シエルに頼み込み、妹の安否だけは定期的に教えてもらえるようにしたが、本当なら今すぐにでも、迎えに行きたかった。それをしないのは、自分が関わることで優秀な妹の立場に影が差す可能性が高すぎたからだ。


 途切れ途切れながら、ポツリポツリと零れ落ちるセレーネの本心を、シエルは口を挟まずに静かに、聞いてくれた。


「えぇ、貴女の混乱は最もな話です。まだ我が国に慣れ始めたばかりでこの話を告げるのは酷であろうと、我々も思っていました」


 『心労をかけてしまい申し訳ありません』と頭を下げられ、慌てて彼に駆け寄り顔を上げてくれるよう促す。


「ちっ、違うんです……!司祭様や皆様には本当に良くして戴くばかりで、感謝してもしきれません。私でお力になれる事があるならば、全力を尽くす覚悟もあります。謝罪をいただく理由なんてひとつもありません」


 ルナリアに来てすぐの頃、セレーネは他者に対して異様な程に怯え、会話もままならない程ちいさく、ゆっくりとしか言葉を紡げなかった。それ程までに、彼女の心は、周囲からの無自覚の毒に蝕まれ、死んでいたのだ。

 シエルが彼女の好みに合わせた物を色々用意したいと尋ねた際に、『何が好きだったのかも思い出せない』と涙を流した痛々しい姿も記憶に新しい。


 それがこうしてきちんと己の意思を話せるまでに回復してきたのは、シエル達の真摯な思い遣りの成果だった。


「そう言っていただけるなら、光栄ですね」


 儚く笑ったシエルの眼差しが、徐に真剣な色へと変わる。


「貴女が祖国にて能力を発揮出来なかった原因につきましても自分達の方で予測が出来ております。……ですが、こちらに関しては確証を得た後に、きちんと席を設けてお伝えしたいと思っています」


「わかりました、お待ちしております」


「本来ならば、貴女の心を慮るのであれば今回の件もそうしたかった。ですが……、貴女の身の安全を考えると、どうしても貴女自身に特別な力があることを理解しておいて頂きたかったんです」


 いつになく真面目で、僅かな不安をにじませたその面持ちに、嫌な予感がした。


「“身の安全”と、言うと……」


「貴女に告げると気に病んでしまいそうで黙っていましたが……、落ち着いて聞いてください」


 『ミーティアの大聖女様が先日、身罷みまかられたそうです』


 ハッキリと告げられたその事実に、彼が何を言わんとしているのかがわかってしまった。


「それに伴い、スピカ大聖堂の体制が破綻。原因は後でお話しますが、聖女見習いの大半は癒やしの力を失い、国民への定期治療も行えていない状態だそうで。近々他の国に支援求めてくる可能性が極めて高い」


「ーっ!そんな……国民には何の罪もありませんのに」


 自分は雑用係の厄介者だから、居なくなっても正直困るのは仕事を押し付けてきていた聖女見習い達だけだと思っていた。それがまさか、ここまで大変な事態に陥っていたなんて。


「ーっ!あの、妹……っステラは!?」


「身柄は無事です。彼らはその妹君を次の大聖女にしたいようですが、ステラさんは貴女が受けた仕打ちを知ったことでスピカ大聖堂に反発。現在は自室に結界を張り、立て籠もっている状態だそうです」


「……………っ!」


 ショックのあまりよろけたセレーネの身体を咄嗟にシエルが抱き止める。

 これ以上の会話は難しいと判断し、そのまま横抱きに抱え上げた。


「すみませんシエル様、私……」


「いいえ、自分も配慮が足らず一度に話し過ぎました。続きは明日にしましょう。今夜はこのまま寝室までお運びします」


「ありがとう、ございます……」


「…………妹君の救出については我々も策を考えています。ただ、彼女の唯一の肉親に当たる貴女の生存を知れば、切羽詰まった奴等が何をしてくるかわかりません。努々、油断なさりませんように」


 最後の言葉を聞き終えて意識を手放したセレーネの頬を、一筋の雫が伝う。それを指先で拭うしか出来ない事が、歯痒くて仕方がなかった。






 




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