第11話 明暗、反転す

 まだ幼かった頃、最愛の祖母を亡くしたある姉妹の元に、国内随一の聖域であるスピカ大聖堂から一通の封書が届いた。

 それが二人の明暗を分け、才覚と美貌に恵まれた妹は日の当たる場所で幸せとなり。片や天に見放され人に見下された可哀想な姉は全てを搾取され、贄となる。その、筈だったのに。


「あ、あの、こちらの荷物は一体…………?」


「何の仕事につくにせよまずは身体が資本でしょう?つまり、まず貴女がすべきは生活の基盤を整える事。と、言うことで細やかながら自分が必要であろうものを用意させていただきました。どうぞお納めください」 


 朝、日が昇るとほぼ同時刻に現れたシエルは恭しくそう宣いながら、部屋が埋まりそうな量の貢ぎ物を持って現れた。そして狼狽えたセレーネが遠慮するより早く、手際よく持ち込んだそれらを開封して部屋に設置していく。


「この部屋、位置は良い場所なんですが如何せん家具があまり無い上に備え付けの調度品は男性向けの飾り気無い物ばかりだったでしょう。やはり美しい女性には華やかな部屋のほうが心躍るでしょうからね。僭越ながら巷で流行の商会の物で一通り揃えさせて頂きましたよ!あ、机はどちらが良いですか?」


「え、あ、その……特には……」

 

「こだわりが無いようでしたらとりあえず日当たりと魔力の流れに合わせて自分が割り振らせていだきますね!変えたくなったら移動出来るように場所変換の術もかけておきますから」  


 『ありがとうございます』と頭を下げながらも、セレーネの頭の中は真っ白で。とりあえず、星を散りばめたように真珠と銀箔のあしらわれたキャビネットを横目に、これらの調度品がどれ程の高価な物なのかに頭を悩ます。


「あ、あの、司祭、さま……」


「はい何でしょう?もしや朝食のお誘いですか?」


「いっいえ、違っ……!あの、まだ何一つお仕事もしておりませんし、こんなにたくさん頂く理由が……」


「またまたご冗談を!貴女はご自分が私の命の恩人であることをお忘れで?」


 ずいっと近寄られ間近で微笑みながらそう言われてしまえば、もうセレーネから言えることは何もなかった。ただでさえ長年女社会でぞんざいに扱われ続けたせいで人付き合いが不得手な上に、歳の近い男性への耐性もないのだ。

 加えてシエルは、すれ違う女性は十人中十人が一度は振り返るであろう美貌の持ち主である。(笑顔は大変胡散臭いが。)これはあまりに分が悪い。


「これで良し、と。とりあえずこれで数日お過ごし頂いて、また不足が出たら次は一緒に買いに行きましょう。それから、こちらを」


「ーー……?これは……?」


 開けてみて下さい、と促されるまま、手渡された青いビロードの小箱を開く。現れたのは、セレーネの髪によく似た色味の白銀のブレスレットだった。中央には、星を模った碧色の宝石がついている。


「ーっ!頂けません、こんな高価な……っ」


「まぁ落ち着いてください。これは装飾品ではなく魔道具の一種です。貴女は御自分の魔術に不安がお有りでしょう?それを補助してくれるものになります」


 説明されて躊躇っている間に、シエルはセレーネの右手を取りその華奢な手首にブレスを通してしまった。


「なので、男性からの贈り物と言うよりは職場の支給品だと思って受け取ってください」


「ですが……」


「貴女用にしつらえた物なので、拒まれてしまうと漏れなくうちで一番魔法が苦手なリオンにつけさせる事になってしまいますが」


 そう言われ、一見は細身ながら『筋肉は友達』と言わんばかりに逞しかったリオンの腕を思い出す。確かにあのゴツい男の腕に、繊細な銀細工は似合わないなと思ってしまった。


「ご理解いただけたようで何よりです。さてと、では本日の業務について、朝食をいただきながらお話しましょうか」


 本来、教会勤めの人間用には大食堂がありリオンを始めとして大半がそちらで食事を取るそうなのだが、セレーネは当面シエルと二人で別室での食事にする手筈だそうだ。長年の栄養失調でセレーネの身体がまだ受け付けない食材がある事に加え、彼女を改めて”聖女“としてお披露目するまであまり人前に出さない為らしい。


「何より、毎朝こうして麗しい女性と二人きりで食事を頂けるなど男として僥倖ですからな!ぜひ当面はこの栄誉を堪能させていただきたいものです」


 向かいに座るシエルは上機嫌だが、自分はこの様に特別待遇を受けられるような優れた人材ではない。なんとか固辞しようとそれとなくリオンに話してみたが、『あの司祭様が自主的に朝食を摂るなんて奇跡に近いんでぜひ付き合ってやってください』とむしろ後押しされてしまったのだった。












「さてと、腹も膨れた事ですし改めて、本日の貴女の業務内容を伝えます」


「ーっ!は、はい……!」


 背筋を伸ばしたシエルに釣られ、身構えたセレーネの前に詰まれる、淡い色彩の数冊の絵本。


「こちらは初代の大聖女のみに扱えたとされる星座の精霊の力に関する伝記を万人向けに絵本にしたものになります。なので、この本をですね」


「はい」


「うちで保護している子ども達に読み聞かせてあげてください」


「……はい?」


 こうしてあまりに平和すぎる、初のお仕事が始まった。















ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 一方、同時刻。ミーティア国のスピカ大聖堂には国民達が詰めかけ大騒ぎとなっていた。


「どうしてこの3日間は聖女候補様の診療が無いんです!?瘴気による肉体汚染はお医者様では治せないんです!どうか門を開けて下さい、お願いします!!」


「王都に魔物が入らないように貼られた星域結界が弱まって侵入してきた魔物のせいで、外壁の無い民家に住む我々は毎夜いつ食い殺されるかわからない恐怖に怯え眠ることもままなりません!大聖女様は結界の張り直しもせずに何をなさっているのですか!」


「救われる為のお布施だなんだって毎月毎月俺たち平民から金ばかり巻き上げて、都合が悪くなったらだんまりか!山頂の教会跡の爆発についても出てきて説明しやがれ!!出来ねえんだった金返せこの卑怯者どもが!!!」


 一人の男性が怒りに任せて閉め切られた門に石を投げたのを皮切りに、他の民達も手にしていたほうきや路端に転がる石を使いどうにか大聖堂に入ろうと暴れだす。数日前から突然街中に瘴気が流れ出し魔物が現れ、すでに死者が出始めて居るにも関わらず、自分達を守ってくれる筈の大聖堂からは声明が無いどころか、定期的にあった聖女見習いによる無償診療すらなくなったのだ。

 加えて皆が不安に苛まれている中、教祖と聖女見習い達は安全なスピカ大聖堂に閉じこもっているとなれば、国民達の怒りは最もだろう。


 しまいにはどこからか持ち出した丸太を男達が抱え、閉ざされた門をこじ開けんと突進を始める。響いてくるその振動に狼狽える、年老いた神父達。


「このままでは中に入られるのも時間の問題じゃ。せめて聖女見習いの治療だけでも受けさせ民の気持ちを落ち着かせねば……!」


「それが出来るならやっておるわ。どうなっとるんじゃ、あれ程優秀だった聖女見習い達が突然擦り傷ひとつ完治させられぬ程に力が弱まってしまうとは……まだ原因はわからぬのですか、教祖様!」


「それだけではない。聖女見習い達は何が気に入らぬのか突然身の回りの事もしなくなりおった。今や食堂は使用済の食器や残飯が散乱し、汚れた衣服も山積み。他にも書類の整備を始め数え切れぬ量の雑務が溜まっていると言うのに、普段の担当者に理由をたずねても口を揃えて『自分にはわからない』と言うではないか。一体どうなっているんだか……!」


 日常の乱れによる余波は既に教祖達にも及び、彼らは皆この数日間まともな食事も睡眠も取れていない。


「き、教祖様……!ここは背に腹は代えられませぬ。大聖女様にお願いしてせめて結界の修復だけでもーーっ!」


 もはや誰も繕ってくれない裾のほつれたキャソックを着た教祖が、苛立ち任せに机を殴った。


「それは出来ない。……大聖女様は、本日の未明に既に身罷られた」


 教祖の言葉に、顔色を失う神父達。

 本来なら国民にもすぐ公表され、然るべき手順で葬儀を進めるべき事態であるが、とてもじゃないが今は無理だ。


「ステラはどうした……!」


 唯一の希望が、大聖女の後継に相応しいと名高い彼女である。が、教祖のその問いにみな口を閉ざした。


「セレーネの安否が確認出来るまでは力も使う気は無いらしく、未だ自室に結界を施したまま出てきません……」


 神父達に、聖女見習いでも最優秀であるステラの魔術を破る術はない。数日前まで想像しえなかった四面楚歌の事態に頭を抱える彼等の報いは、まだ始まったばかり。



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