第10話 呪われた月の聖女

「言わなくて良かったんすか、司祭様」


 セレーネを部屋に送り返しそこに明かりが灯ったのを確かめた後、おもむろに切り出した部下にシエルは喰えない笑みを返した。


「おや?なんです、藪から棒に」


「すっとぼけんな胡散臭ぇ。あれ、聖女様ぜってぇ一晩寝て起きたつもりだったでしょう」


「そうでしょうねぇ。己が丸3日も生死の境に居たと理解していたらあんなに冷静では居られなかったでしょうから」


 そう、実は彼等がセレーネをルナリアへと招き入れた翌日から、彼女は重ねに重なった疲労と栄養失調による衰弱により高熱を出し、更に身体が弱り切って治療薬もろくに受け付けないというかなり危険な容態に陥っていた。

 その事態にシエルはすぐに魔術面からの治療を試みてくれたのだが、症状の重さからルナリアの治癒師では焼け石に水程度の効果しか見られず。結果、セレーネ自身の魔力を補填し、彼女自身の回復力を高めるより他無いという結論に至った。そして、セレーネへの魔力の補填役に手を上げたシエルが三日三晩彼女に寄り添い己の魔力を与え続け、容態が安定した今朝ようやく彼女が目を覚ましたという訳だ。


「まぁその件はもう少し彼女の気持ちが落ち着いてから改めてするとして、自分としてはミーティアへの根回しが些か不足している辺りが不安ですねぇ」 


「いやぁ……聖女様が居た廃教会を結界術式の部屋だけ遺すように細工した上で、あたかも魔物にやられた体で建物ぶっ壊して死亡事故に見せかけた挙げ句、術式であの周辺の魔物が軒並み浄化された件が察知されないように人間に攻撃的じゃなくなるように霊獣化した魔物までカモフラージュで現地に配置してくりゃあ十分じゃないすかねぇ」


 ミーティアの教祖達は、セレーネを排除するために彼女を空の花嫁にしたのだ。祈りの期間である3日が終了すれば、結果を確かめるべくあの廃教会にまた彼等が現れる事は自明の理。なので、シエルは先手を打ち、セレーネがまず助からないと勘違いさせることが出来、かつ遺体の確認がしかねる状況を細工した。それが今しがたリオンの口にした通りと言うわけだ。


「彼女の身柄を引き渡せと言われることは勿論、あんな浅慮な方々に古代の叡智と言えよう大聖女様の術式を触られるのも真っ平ごめんですからね。あの程度は必要最低限の対策に過ぎませんよ」


 大した手間でもない。そう言わんばかりに済ました態度の上司に、恐ろしい男だと舌を巻く。 


「何ですその目は。言いたいことがあるなら口にしては如何です?」

 

「べっつにぃ〜?にしても正直意外でしたよ。あんたがああいう女性が好みだったなんて。なんつーかもっとこう……」


「『もっとこう』何です?歯切れの悪い」


「いや、俺らの中じゃ司祭様は満場一致でむっつり助平で決まってたんでもっと色気溢れるお姉様が好きかと「次回のミーティアへの視察は貴方が一人で行きたいようですね、任命書を今すぐ用意します」あぁぁぁぁすみませんすみません勘弁してください!!」 


 目に見えて狼狽えたリオンに、シエルが冗談ですと笑う。


「人間には適材適所があります。貴方はただでさえ人目を引く容姿ですし気配を隠すのも不得手ですからね、潜入なんてとてもさせられませんので安心なさい」  


「何か釈然としねぇ……」

 

「はいはい。人に下世話をやく前にそう言う貴方はどうなんです?」


「は?あぁ、女性の好みって話すか。俺はぁ、瞳が真ん丸くてキラキラして髪なんかもフワッフワのちょっと幼い感じの娘が理想っすね。守ってあげたくなるじゃないすか」


「典型的な女性に夢見る男所帯暮らしの野郎の儚い幻想ですね」


「やかましいわ!!!」

 

 ガタイの良い身体で乙女のように頬に手を当て語った部下を軽くあしらいつつ、引き出しから取り出した診断書を手に眼鏡を外して瞳を閉じた。

 その様子にリオンの態度も変わる。


「一応聖女様の健康状態は安定してきてるんすよね。他になにか気掛かりな………あ、あの手の紋章の事っすか?」


 質問の呈を取ろうとして途中でそう思い至ったのは、これまで自ら女性に触れることなど数えるほども無かったシエルが先程、セレーネの手を取ってまで例の月の紋様を気にしていたからだ。傍から見ている分にはただの平凡な魔力補助の紋章に見えたが、シエルの態度を見るに違うらしい。


「妹と対だとか言ってましたね。ちなみにあの紋章って……」


「あれは自身の魔力を他者にする為の紋章ですよ」

 

「はぁ!?」


 てっきりはぐらかされるかと思いきや、しれっと返された回答に絶句するリオンにシエルはこともなげに話を続ける。


「それも、いっそ呪詛の部類に割り振ってよいほど厄介な……ね」


 古より魔力により文化を栄えさせてきた大陸だ。魔法の威力を補助、補填する為に身体に直に書き込む”魔力紋章マジカルタトゥー“もそんなに珍しい物ではない。事実、ルナリアでもそれを入れている魔導師はざらにいるのだが。

 魔力紋章の効力は本来、刻まれた当人がそこに魔力を注いで初めて効果を発揮する。しかし、セレーネの手の甲のあれは意味合いが違った。


「以前、生家に居た頃に父が集めていた書物を読んだ際にあの紋章を目にした事があります。禁術とまではいきませんが、あれは非常に扱いが難しい。何せ、月の紋様を刻んだ者は当人の意志に関わらず常に己の魔力を周囲に居る魔術適正のある者に与え続けてしまうのですからね」


 『並の魔力しか持たない人間があれを刻まれたら、ひと月と持たず魔力欠乏症で生死を彷徨うことになるでしょう』


 そのシエルの言葉に、リオンが目を見開いた。


「……っ!待ってください、でも聖女様はあの紋章を入れたのはミーティアの教会に引き取られてすぐで、つまり何年も前だって」  


「えぇ。更に言えば、彼女が身を置いていたスピカ大聖堂には彼女以外の聖女候補が50名は居た筈。更に、月の紋様から魔力を吸収してしまう太陽の紋章の主が一つ屋根の下に居て尚……彼女自身の魔力は枯渇しなかった事実からして、それを補えてしまえるだけの潜在能力があるのはまず間違いないでしょうな」


 言いながら、シエルは一度は失い、セレーネによって再生された自身の右手を揺らして見せた。確かに、あれだけの治癒力を持ちながら自身を“落ちこぼれ”と称した彼女にあのとき違和感を覚えたものだが、まさかそんな裏事情が隠されていたなんて。


「ちなみに今の話、聖女様には……」  


「まだ内密になさい。当人も恐らく紋章の効力については理解していない。ましてや急激に身を置く環境が変わった今そのような話を伝えたら、余計に混乱を招くでしょう」


「そうっすよね……。気をつけます。解呪は出来ないんすか?」


「対である太陽の紋章の持ち主が側に居ないことには無理ですね。まぁ、国を跨ぐほど物理的に距離を置いた今は流石に問題ないでしょう。魔力放出については制御ブレスを用意してつけて頂こうと思ってます」


「それは用意周到なこって」


「褒め言葉として受け取りましょう。問題は、彼女の妹君が真実を知った上で彼女に紋章の使用を提案したのか否かですが……、まぁそちらの結論は潜入部隊からの報告を待つしかないですね」


 セレーネを迎え入れるにあたり情報収集と根回しをと、すでに影の者がミーティアに身を潜めている。セレーネの妹が彼女にとって敵が否かは往々にしてわかるだろう。まあ、何にせよ。


「日常の些事は勿論のこと、魔力方面についてもミーティアの皆様は彼女に頼り切っている自覚もなくお過ごしだった様ですし?今頃、あちらさんはとんでもない事態になっているかも知れませんねぇ」


 心底愉快そうなシエルのその予測が大当たりであろう事を、セレーネはまだ知らない。





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