第4話 聖女の術式

(すごい瘴気……。噂に違わぬ場所の様ですね……)


「何をしている、さっさと行け!」


「きゃっ!」


 セレーネを廃教会の礼拝堂まで連れてきた兵士タチは、彼女を一人中に閉じ込め踵を返していった。扉には鍵こそかかっていないが、もう引き返せやしない。


 ここは、現在冷戦関係にある隣国・ルナリアどの国境にあり、地形を活かした鍾乳洞を利用して造られた初代大聖堂跡地。

 かつて清らかな力に溢れていたこの地は、神の力を悪用せんと争った人間達の邪気に染まり、今や瘴気漂う魔物の巣窟となっている。

 ちなみに“瘴気”とは、生命に害をなすレベルに汚染された魔法粒子の総称であり、人間の目には黒や紫の霧の様に映る。長期に渡り吸い込めば衰弱して死に至るか、突然変異で魔物になってしまう。

 気体なので風の魔術で吹き飛ばす事は出来るが、大聖女ですら浄化することは不可能。瘴気を打ち消すことが出来たのは、長い歴史において初代聖女ただ一人であったとされている。


(そして、風があまり吹かないこの地には必然的に濃い瘴気が溜まり、自然と強い魔物が産まれてしまう。その魔物達が街に被害をもたらさぬようここに閉じ込める結界を張り直す事。これが空の花嫁の本当の役割だったのですね……)


 一歩立ち入った時から、ここに結界が張られていることには気づいていた。古代様式の非情に強固なそれは、魔物を閉じ込める代わりに聖域だったはずの旧大聖堂内部にひたすら瘴気を蓄積させてしまっていることも。


(特にこの礼拝堂は一番瘴気が濃さそうです。本来ならば空の花嫁には三日間生き延びる為の瘴気遮断のマスクが渡されるそうですが、私にはそれもありませんし……)


 通常の濃さの瘴気下でも、生身の人間が一日過ごせば回復不能の重体に陥る。ましてやここは少なくとも基準値の5倍近い濃さがあるだろうから、下手をしたら半日と持たず動けなくなるかもしれない。

 いや、もしくはそうなるより早く、道中見かけたミノタウルスやサラマンダー等の高位魔獣に喰い殺されるかもしれない。現に礼拝堂は扉こそ閉められているが、あんなもの魔物からすれば紙切れ同然の強度しかないだろうから。

 更に、と、己の両足につけられた足枷を見やる。万が一にも脱出出来ないようにと、教祖が命じてセレーネに付けた物だ。


 セレーネは気を入れ直す様に、自分の頬を両手でパンと叩いた。


(だとしたら、時間を無駄には出来ませんね。動けなくなってしまう前に結界の修繕を行わなくては)


 ここが崩れれば、目と鼻の先にある王都まで強力な魔物が押し寄せるだろう。風向きによっては魔物だけでなく瘴気まで街に行ってしまうかも知れない。そんな事になったら罪なき市民にどれだけの犠牲が出るか、考えるだけで悪寒がした。


 どんなに落ちぶれようとも、一度聖女を目指した身。口封じ同然に押し付けられた生贄のような役割だろうが、ここが最後の砦ならば守り継ぐのが自分の役目だ。そう己を鼓舞して立ち上がり、重たい足を引きずりながら礼拝堂をくまなく調べていく。

 これほど強固で広範囲の結界だ、人力だけで保てる訳がない。必ずどこかに要となる術式が有る筈だと。


 扉付近から順に調べ尽くし、最後に残った半分崩れた女神像に触れる。小さく風が吹く音がして、一気に溢れ出た白銀の文字が礼拝堂内を埋め尽くした。

 使われているのは古代文字。結界に付与したい効果と術式自体を魔力で自己再生する機能を組み合わせたモノの様だが、如何せん何百年前に描かれたもの。よく見れば所々文字は掠れ消えている。

 

(きっと歴代の空の花嫁の魔力では足りなかったのですね……)


 自己再生魔法陣には定期的なエネルギー補給が必要だ。そう判断したセレーネは同時に気づいた。空の花嫁が何故三日三晩休まずここで祈りを捧げなければならないとされてきたのかを。

 あくまで推察に過ぎないが、恐らく術式と同じ光属性の魔力を持つ巫女候補を三日間ここに留めさせることが真の目的だったのだろう。部屋全体に滞在者の魔力を吸収して術の燃料とする呪文も記されていたので、あながち間違いでは無いと思う。


 となれば、本来ならばあと三日間ここに自分が居れば、術式は完全ではなくとも自己再生をし、効果を伸ばすことが出来るだろう。しかし瘴気から命を守る術を持たないセレーネには、その選択肢は無かった。魔力を吸われるより先に息絶えてしまう可能性の方が高いからだ。


(術式による自己再生は待てない。それにどのみちこの魔術は、今のままではあと十年と保たないでしょう)


 ならば、と、セレーネは自身の指先を切り血の滲むそれを術式へと伸ばした。


(消えかけている文字を全て書き直せば術式の機能が回復してくれる筈……。私が力尽きるより先に、完璧に修復して見せます!)











 インクが無いからと自ら切り裂いた血の滲む指先を術式の上に滑らせる度、セレーネの印した古代文字は淡く輝き他の術式に同化する。気の遠くなるような程その作業を繰り返してどれくらい経ったのかはわからないが、とうとう最後の一箇所の修繕に辿り着いた。

 しかし………。


(文字が薄いどころか、単語ひとつ分が丸々消えてしまっている。術式の文面から、何と記されていたかは予想はつきますが……)


 この術式に使われているのは古代天体文字と言われ、ほんの少しの書き損じでも意味合いや効力が変わってしまうとされる非常に扱いの難しい言語だった。ミーティア国内、いや、大陸全土を見ても使いこなせる者はそう居ない。


 もし、自分が書き込んだ単語が誤っていたらこの術式自体が消滅してしまうかも知れない。そしてそうなった時、代わりの術式を新しく組める者は居ないだろう。

 その重荷が、セレーネの手を躊躇わせる。


 しかし、その時。けたたましい轟音と咆哮と共に、背後の扉が爆散した。驚いたセレーネが振り返れば、立ち昇る黒煙の向こうに光る無数の目が見える。何があったかわからないが、暴走した魔物達が礼拝堂に雪崩込んで来たのだ。

 暗がりから飛んできた赤黒い火球が足枷の鎖にかすり、一瞬で焼き切る。


 重たい足音を響かせるサラマンダーの口が、術式の要である女神像に向かい大きく開いた。


(いけない……っ!)


 あれが破壊されたら問答無用で総てが終わりだ。

 チラチラと火の粉が集まるその口から業火が放たれる一歩手前でセレーネが術式の最後の空白に指を滑らす。

 最後の一文字が術式と同じ色となった瞬間、彗星が如き激しい光が辺り一帯を照らし出した。






 

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