第2話 太陽と月

 理不尽な朝礼に疲れ果てたセレーネだったが、今日の聖女修行は座学でもただの訓練でもなく、城下の貧しい者達を癒やす実地訓練であった為に休むことが出来なかった。


 幾人かずつ決められたテントに配置され、出来た列の市民達に一人ずつ癒やしの魔法をかけていく。並んでいる者のほとんどが金銭的に貧しく医師にかかる余裕の無い者である故に、あまり身綺麗ではない。

 故に、裕福な出の多い年若い聖女見習い達の多数は患者に直接触れる事を嫌がり、必然的にそう言った処置の必要な患者はセレーネの担当となっていた。


「うぇぇ、目が痛いよう……」


「まぁ、こんなに膿んでしまって可哀想に……」


「そうなんです。医師に見せる金もなく、一応消毒だけはして今日が来るのを待っていたのですがこんなに悪化してしまって……っ。必要とあらば私の目を差し出しますから、どうか息子をお助け下さい。聖女見習い様……!」


 右目が腐り落ちそうになっている我が子を抱えた母親が、セレーネの目の前で泣き崩れる。セレーネはそんな母親の泥やら何やらですっかり茶色くなっている手を迷いなく握りしめた。


「大丈夫ですわ、お母様。この子はきちんと治りますから、どうか落ち着いてくださいませ」


 穏やかなセレーネの笑みと手の温もりに多少落ち着いたのか、母親の涙が少し収まる。彼女の腕から子供を預かり、セレーネは右手で患部を覆った。


「遍く星々よ、浄化の光をお与え下さい」


 セレーネの右手から雪の様にふわふわと白銀の光が舞い、じっくりと時間を掛けてではあるが幼子の目は完治した。両目をパッチリ開いて起き上がった我が子に感極まった母親が抱きつく。

 疲労感と安堵で重たい身体でそんな二人を見守りつつ、セレーネは他の少女達の様子を眺めた。


 セレーネが一人癒やしている間に他の少女達は二人、三人と次々患者を見ており、中には同時に複数人の治療を行っている者も居る。

 

(また、私だけが極少人数しか救えない……。何故こんなにも私の力は弱いのでしょうか……)


 雑務で酷使し荒れてしまった自分の両手を見、嘆息するセレーネ。力不足ならば実力ある者に反抗する事も叶わないと、今日も大聖堂に戻るなり他の少女達に仕事を押し付けられるのだった。








 今夜セレーネが押し付けられたのは、司祭達が使う聖典等が集められた書庫の掃除であった。希少な本が多いため繊細に掃除せねばならず中々疲れる業務なので、ほぼ毎回セレーネが一人でやらされている。

 気落ちしているせいか味気ない夕食を最低限だけ頂いて、一人でひっそり席を立つ。書庫に向かう廊下の途中、月一で計測している魔力測定の結果が張り出された箇所の前で足が止まった。

 これは特殊な石版に魔力を流し込み数値を測った物で、セレーネの順位は入所以来ずっと最下位である。


 ひとつため息を溢し掃除用品を抱え直したセレーネに、背後から小さな影が飛びついた。


「お姉さま!お会いしたかったですわ!!」


「ーっ、ステラ!あらあら、お転婆ね。他所の方にいきなり飛びついたりしてはいけませんよ?」


 苦笑しつつ嗜めてきた姉に、ステラと呼ばれた少女は愛らしく笑いながら素直に謝る。

 セレーネがこれだけ不憫な境遇にも関わらず耐え忍び努力を続けて居られるのは、ひとえにこの実妹の存在が大きかった。

 幼き頃に両親を無くし、育手であった祖母も二人が大人になるより前に儚なくなった。それから程なくして聖女選定が国から発令され、姉妹はこのスピカ大聖堂にやって来たのだ。


 素直に自分を慕い、無邪気に笑う可愛い妹。どこへ行こうとも自分がこの子を守るのだと、そう、誓った筈なのに。


 セレーネはステラの話を聞きながら、ちらりと順位表を見る。その一番上、一位の欄にあるのはこの妹の名であった。


「ステラはとても頑張っているのね。姉としてとても嬉しく誇らしいけれど、同時に自分が情けないわ」


「お姉さま……?」


「ーっ!嫌だわ、私ったら。ごめんなさいね、忘れて頂戴?」


 そう力なく笑った姉に、ステラは心配そうな顔をする。


 実は入所してすぐの頃からステラはその実力が認められ一般の聖女見習いとは違う扱いを受けている為に、現在のセレーネの境遇を何も知らないのだった。だが、姉が今辛そうなのはわかる。ステラは、ここに来る前より大分痛ましくなった姉の手をぎゅっと握りしめた。


「心配ございませんわ、お姉さま!お姉さまを不安にさせるような不逞の輩などわたくしが蹴散らして差し上げます!それに……」


 ステラが自身の白魚のような小さな手と、姉の手に刻まれた対の紋章を交互に指差す。


「この誓の紋章がある限り、どんなことがあってもステラとお姉さまはずっとずっと家族ですわ!」


 この紋章は、王都に来てすぐの頃にステラが本で見つけ、『ぜひやりましょうお姉さま!』とせがまれ行ったまじないの証だった。ステラの紋章が太陽、セレーネの紋章は月がモチーフになっている。


 それを見る度、セレーネは思う。まるで自分たちの立場を揶揄しているようだ、と。


 明るい金髪に暖かな淡紅色の瞳、いつも明るく皆に愛される、才気溢れた太陽のような妹と。淡い銀髪に冷たい蒼碧の瞳、うつむいてばかりで何の才もない、太陽が居なければ光る事も出来ない自分。


 せめてもの救いは、成績第一位である限りはステラが“空の花嫁”に選ばれる危険が無いことであった。


 実はこの聖女選定の際、大聖女とは別に“空の花嫁”と呼ばれる儀式者が1名選出される。内容は、隣国ルナリアとの国境にある旧大聖堂に赴き、三日三晩飲まず食わずで祈りを捧げ続けると言うものだ。


 それだけでも過酷だというのに、百年近く前に廃墟となったそこにはすでに魔物が住み着きダンジョンのようになっており大変な危険が伴う。

 一応護衛と魔物避けの護符もつくし、歴代の空の花嫁が命を落としたという記述はないが、ほとんど実質、花嫁生贄だ。だから、最も大聖女に近い者は選ばれない。


 万が一選ばれるとしたら、それはステラではなく自分だろう。

 可愛い妹はいつか大聖女となって、王族と婚姻し幸せになる。それだけが、セレーネの希望だった。





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