第2話 てんき
両親以外からは向けられたことのない穏やかな瞳。風成の警戒心は少しだけ緩む。
「あの、だれ?」
「俺は
「う、うん」
「その息子だ。お前と俺は
月下美人を連想させるほどきめ細かな顔立ちからは想像できない、ハキハキとした野太めな声。
「あぁん? やっぱり話と違ぇじゃねえか! 昼間は家政婦がいるって聞いてたのによぉ! おサボりかよ! 最低な
置かれている冷凍食品の山やゴミを拾い上げながらこぼす彼の文句は、ずいぶん乱暴な言い回しである。
風成はいじめられていたこともありあまり荒々しい言葉使いをする人は苦手だが、乃琉に対しては悪印象を浮かべなかった。
「風成ちゃん、お前いつもこんな最悪なひとりぼっちの日々を送ってるのか?」
返事の代わりにこくりと首を縦にふる。
「どいつもこいつも⋯⋯」
乃琉はため息混じりに怒りを吐き出した後、風成に目線を合わせにこりと笑う。そのまま風成に近づいて優しく抱擁する。
風成は目を見開きながら彼の顔を見上げる。彼の表情はとても温かみが溢れていた。
「よく頑張ったな。これからはうんと甘えろよな。俺、毎日ここにくるからさ」
そう言いながら優しく頭に触れる大きな手。伝わる他人の体温。それは、彼女の凍りついた心を溶かすのに充分だった。
偉大な胸の中で、押さえ込んでいた感情が溢れた。
・
外出から帰ってきた家政婦は驚いた。いつのまにか知らない高校生が般若のような形相で玄関に立っている。
「なぁ、どう考えても買い物にしては長時間だよな? おばさん達が帰ってくる30分前に帰宅とか」
「あの、どちら様です?」
「親戚の者だが?」
未成年が敬語を使わずに話してくることに、苛つきを覚える家政婦。同時に彼が放つ気迫に少し身震いをする。
「ひっ、人の事情に口を突っ込むより自分のことを気にしなさい? 見たところ高校生ってところね。お勉強とかして──」
「話逸らすんじゃねぇよ、ナマケモノ。金もらってんだろ? 大体、なんでこんなちっこいのほっといて外出できるんだか。頭わいてんじゃねーの?」
乃琉の問い詰めに、家政婦は開き直ったような態度で答えた。
「こいつのところに顔出ししてるだけでも褒めて欲しいですね。知ってます? この子、海辺に打ち上げられていた子なんですって! 街では有名ですよ、気味が悪いから! その子と会ってるってだけで周囲からは変な目で見られるのに」
乃琉はふぅと一息つくと、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「今の全部録音済みだ。今夜おばさん達にこれを出す。あんたみたいな害悪がずっといたらあの子の未来が、今日がめちゃくちゃになる。じゃあな」
そういうと乃琉はケラケラ笑いながら家政婦の荷物を玄関に置いて、そそくさと家の中に入り鍵を閉めた。
玄関の奥には涙目の風成がポツンと座っている。彼女の隣に乃琉は勢いよくしゃがむ。
「嫌な言葉沢山聞かせちまったな。でも、これは新たな一歩だ。お前が輝かしい明日を期待して、全力で暮らせる日々への、な」
「⋯⋯お兄ちゃん」
「なんだ」
「お兄ちゃんは、フウのそばにいてくれる?」
「あぁ! これからはずっとだ! お前の味方だぜ!」
大きな手は、風成の頭を少し強引にさすった。
「⋯⋯へへへ」
風成は久しぶりにこぼれた自分の笑顔に驚いた。
乃琉もその顔を記憶に焼き付けるように見続けた。
「やっぱ笑顔だな。かわいい子には」
優しい時間が、二人を包み込んだ。
・
風が吹き荒れ、激しい雨が地に打ちつける。
風成と乃琉は、部屋の窓からどんよりとした空を見上げていた。
珍しい流星群が見られるとのことで乃琉は夫妻の許可を取り、風成を連れて星空を見に行こうとしていたが、その準備は無駄に終わった。
「あー! 俺たちついてないなぁ!」
「ついてないなー」
風成は彼に流れ星のジンクスを教えてもらった。
『流れ星が消える前に、3回願いを唱えると願いが叶う』
午前中は晴れていたので、二人はどんな願いを叶えるか相談しそれぞれ決めていた。
「こんな空の調子じゃあ、風成ちゃんの“会う約束”が叶うのもだいぶ先じゃね?」
「困るけどいいの! だってお兄ちゃんがいてくれるもん!」
「もっと欲張ってもいいんだぜ?」
何気ない今をも幸せという健気な彼女に、流れ星を見せたい想いが募る乃琉。
「⋯⋯晴れねぇかなぁ」
それは風成を見ながら出てしまった独り言。
刹那、彼女の瞳が、髪が、海のような色に見えた。
「⋯⋯ん?」
目を擦る。戻った視力で再度見ると、いつもの綺麗な黒髪の女の子である。
(気のせいか⋯⋯)
乃琉はふと窓に視線をやると、目を丸くした。
雨が止み、荒風も鎮まり、雲に隠れていた星々をいだく暗闇が姿を表した。
「う、嘘だろ?」
ぽかんとしている乃琉の顔を、風成は覗き込む。
「晴れたね!」
「あ、あぁ」
一瞬、乃琉になんとも言えない肌寒さがよぎる。
(⋯⋯気のせいだろ)
目の前にいるのは大切な
せっかくの晴れを無駄にしないようにと、準備したものを一式担ぎ、風成と手を繋いで夜の街を駆けていった。
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