流転するリアン

地下生物B

【1】利害得失

過去─廻郷風成─

第1話 出逢うふたり

 美しい情景で有名な夏の海辺に、似つかわしくない異物が打ち上げられた。


 早朝、たまたま散歩に来ていた夫妻は、それを見て、怒り、悲しみ、哀れみの感情をあらわにした。


 へその緒がついた人間の赤子。肌はすでに真っ白に染まっている。


「僕たち、もう少し早くに来ていたら、助けてあげられたかもしれない」


「ごめんね、寂しかったね」


 妻はせめて人の温もりをあげたいと、その赤子を抱えた。優しい涙が伝っていき、ぽとりと、赤子の顔に落ちる。


「⋯⋯うあ⋯⋯うあ」


 赤子の力ない声が、朝日によって赤く染まる海に響いた。


「あなた!」

「お、おお! い、急いで病院に!」





 この出来事はすぐに街中に知れ渡った。


 夫妻は赤子を引き取り我が子として育てることにした。


 赤子は夫妻に愛され、立派に成長し可愛らしい元気いっぱいの女の子になった。


「今日も元気ね! 風成ふうな!」

「うん! げんきいっぱいな私でね! 会うのよ」

「うん? 誰かとあそぶの?」

「ううん。またあした会うの!」


 不思議なことを言い出すようになったのは言葉を覚え始めてからだ。不安になった夫妻だが、友人たちの情報によると言葉を覚えたばかりの子供が妙なことを言い出す話はたまにあると聞いたので、気に留めないようにした。


「不思議ちゃんだが、この明るさならきっと上手くやれるさ!」


 こうして、風成は年長組に編入する形で幼稚園に入園した。しかし、当日から問題は顔を出した。


 風成の出生を面白おかしく言いふらす大人が数人いた。子供たちにも悪意が伝わってしまい次第にいじめにつながっていった。


「きもちわるい」


 初めは1人の子に直接言われるだけだった。


「そ、それで!?」


 動揺はしたものの、元気よく言い返した。


 数日後、数人から悪口を言われるようになっていた。


「なによー!」


 風成はその数人を追いかけ回したため先生から注意を受けた。


 そしていつしか、一緒に遊ぶ相手がいなくなっていた。毎日遊んでいたあの子も目線が合えば遠くに逃げていく。


 ひとまわり体格の良いリーダー格の子が、風成を指差し大きな声で言う。


「化け物だ! みんなで退治するぞー!」


 おもちゃや道具で殴られ泥や石を投げられる日々。いつも制服は泥や傷口から出た血でボロボロになってしまう。


 その時期から夫妻も仕事が忙しくなり、家に滞在している時間が深夜帯のみとなってしまっていた。家政婦を雇い面倒を見てもらうようになったが、家政婦も彼女を気味悪がってまともに世話をしようとしなかった。それどころかバレないようにさぼっていて夫妻の出発と帰宅の前後数分以外は外出していた。


 孤独。

 小さな子供が味わうには耐え難い苦しみだ。


 外出すらしなくなった風成はずっと願った。日の差さない部屋の隅っこで。


「みんながこわいよ。もういやだ。早く⋯⋯会いたい」


 泣いてばかりの日々は一年も続いた。家族の前では心配をかけまいと強がったため頼ることができなかった。彼女が心安らかにできる時間はいつも見る同じ夢のなかだけだった。





 お天道様が見守るなか、波の音を奏でる海と潮風に耳を澄ませながら、自分の側に立つひとまわり大きな影を砂浜に写した人の言葉を聴いた。


「また明日──」


 しかし、声色がわからない。顔がわらない。特徴がわからない。


 ただ、どうしても守らないといけない約束だということは知ってる。


 その人が元気な自分を見て嬉しそうだったことを知っている。


 辛い時はいつもその記憶を思い出し、誰かに会える『明日』に期待を膨らませ明るく振る舞い、乗り越えていた。


「あぁ、でも、きてくれない。誰もいないじゃん」


 孤独は、幼い彼女が乗り越える壁として大きすぎた。


 限界をとうに超えた彼女の心はすっかり枯れ果てていた。


 電球一つついていない部屋のすみっこで今日もブツブツ文句を垂れている。


 すると、自宅のチャイムが鳴った。


 広い一軒家の二階にいる風成は、いつものように耳を塞ぎ震えていた。


 外界との接触は、恐怖でしかない。


 ガチャ。


 玄関の鍵が開く音が聞こえた。


「ひっ!?」


 両親はもちろん、家政婦も帰ってくる時間ではない。入ってきた人物に見当がつかない。


 元から抱いている恐怖と、新たな恐怖が合体して動悸を加速させる。


「ハァ、ハァ」


 息が漏れる。荒い呼吸を鎮めようとするが無駄である。


 一階のリビングで、入ってきたであろう人物の声が聞こえる。


「母さん、おばさんたちの伝言、間違えてねーか? 人っ気全く無ぇよ? うん。うん。⋯⋯あぁ、わかった」


 受話器を置いた音が聞こえる。爽やかだがすこしドスの効いた声の主が、階段を一段一段とのぼって来ている。


 目をつぶって、耳を塞ぎ、歯をガチガチと鳴らしながら震える。


 そのまぶた越しに、光が瞳に差し込んでくる。


「⋯⋯!」


 おそるおそる目を開ける。


「⋯⋯!」


 目の前に、中性的な美しい顔立ちの者がいた。


廻郷まわりざと 風成ふうなちゃん、であってるか?」


 開けられたカーテンから差し込む強い日差しが2人を優しく照らしていた。

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