神様は人の子を見る・9、愛し子の危機

 その日、あの子は神社での仕事は休みだった。だから、我も白羽も気づくのが遅れた。ふいに、あの子の気配が消えたのだ。

「っ!?」

ぷつっとまるで糸が切れる感覚に驚いて空を見上げる。ふわりと飛んで社殿の屋根に立ち周りを見渡すが、特に変わった様子は見られなかった。だが、そこで気づいた。あの子の気配がない。

「白羽!」

慌てて白羽を呼ぶと、白羽も異変に気づいたのか険しい表情をしていた。

「静華、あの子の気配がない。消えたぞ」

「そんなことはわかっている!なぜ消えた!?」

取り乱す我とは対照的に白羽は何か考え込んでいた。

「あの男…」

「いつぞや会ったという男のことか?」

白羽の呟きに尋ねると、白羽は険しい表情でうなずいた。

「我らに気づかれずにあの子に何かしたのなら、きっとあの男が関わっているだろう」

そう言って白羽が空に飛び立った。

「ひとまず私があの子の気配が消えたところまで行ってみる」

「頼んだ」

何もできぬ自分を歯痒く思いながら我は白羽が飛び立つのを見送った。


 白羽を見送ってから、我は小鳥たちを集めてあの子の手がかりを探すように頼んだ。手がかりがある可能性は低かったが、何かせずにはいられなかった。

 それからどれほど経ったか、日が暮れる間際に白羽が戻ってきた。

「白羽、どうだった?」

白羽の様子から何も手がかりがなかったのだと思いながら、それでも尋ねると白羽が悔しそうに首を振った。その時だった。

パキンッ!

乾いた何かが割れるような音が聞こえた。ハッとすると白羽が驚愕に目を見開いている。それは、白羽があの子に渡したお守りの羽根が壊れる音だった。

「まさか、私の結界を破ったのか?」

「だが、これで居場所がわかった」

かすかだが、結界が壊れるときにあの子の気配を感じた。そして、我が与えた守護がまだきちんと効いていることで繋がりを確かめることができた。

「白羽、我も行くぞ」

「仕方ないな。異界の境とは、厄介なところに連れ込んでくれたものだ」

白羽は舌打ちすると自身の羽根でできた真っ白な団扇を出した。それを大きく横に一閃させて時空を切り裂く。辺りにはつむじ風が巻き起こり、様子を見ていた小鳥たちは慌てて飛び去った。

「行くぞ」

白羽の言葉にうなずいて我は意識を切り離した。

 我が直接異界に行くことはできない。魂の一部を切り離して分身とし、白羽と共に異界に入る。あの子との繋がりは細い糸のように、それでもしっかり光輝いて道を示していた。


 異界の暗闇の中に屋敷を見つけたとき、バチッと何かを弾く感覚がした。それは、あの子にかけた守護の力が作用したことを、すなわち、あの子に危険が迫っていることを示していた。

「白羽!急げ!」

「わかっている!」

白羽と共に屋敷に急ぐ。中にはあの子と、かつて我が神から堕としたものの気配がしたが、屋敷に入る前にはあの子以外の気配は消えていた。

「おい!しっかりしろ!」

屋敷の中の一室に愛し子を見つける。白羽が抱き起こすと苦しそうに呻いて目を開けたが、その目は焦点が定まっていなかった。何より、愛し子の腹に穢れを呼ぶ種が植え込まれていた。

「まずいな。このままじゃもたんぞ」

「我の神域に連れていく」

愛し子を助けるには神域に連れていくしかない。我がそう言うと白羽は「馬鹿を言え」と怒鳴った。

「きみには神社があるんだぞ!」

「だが…」

そうこうしているうちにふたたび愛し子の目が閉じる。それに気づいた白羽は愛し子を抱き上げて立ち上がった。

「私の神域に連れていく。浄化と回復に数日かかるだろうが、必ず現世に戻す」

「…わかった。この子を頼む。神主には我が話をしておく」

それしか選択肢はなかった。白羽に愛し子を任せ、我はひとり現世に戻った。

 現世に戻ると様子を伺っていた鳥たちが集まってくる。鳥たちにもう大丈夫だと告げ、空を見上げると、すでに月が昇っていた。

「我は、愛おしいものすら守れぬのか…」

ひとり呟いた言葉は夜の闇に消えていった。


 その日の夜中、神主の夢枕に立った。

「ここで働いている人の子は訳あって数日預かることとした。ちゃんと無事に返すから心配せずに待つといい」

あまり詳しく話しても心配するだけだろうと無事なことを伝えると、神主はとても驚いた顔をしながらも恭しく一礼した。そして、我が夢から抜けるとすぐに飛び起きて姉に連絡をしていた。

「大丈夫とは言っても、やはり気にはかかるだろうな」

その様子を見ながら呟く。我も何もできぬとわかっていてもあの子のことが気にかかっていた。


 あの子を神域に連れていってから、白羽も姿を見せなかった。だから愛し子の状況がわからなかった。だが、白羽があの子を神域に連れていって数日、社殿の屋根に座ってぼんやり空を眺めていると、ふわりと場が揺らいだのがわかった。見ると境内に白羽と愛し子が立っていた。

「戻ったか」

ふわりと舞い降りて微笑むと、愛し子は照れ臭そうに「ただいま帰りました」と言った。

「怖い思いをさせたな。すまない」

まだ少し顔色の悪い愛し子が我の言葉に首を振った。

「静華さまのせいじゃないです。謝らないでください。助けてくれてありがとうございました」

恐ろしかったろうに、そんな素振りを見せず気丈に振る舞う愛し子を、我はそっと包むように抱き締めた。本当に触れられればどれほどよかったかと、このときばかりは触れられぬこの身が恨めしかった。

「神主が心配している。行ってやるといい」

そう言うと、愛し子はうなずいて神主の元に向かった。

「約束どおり、ちゃんと無事に帰したからな?」

愛し子を見送ると白羽が苦笑しながら声をかけてきた。

「予定より長かったのではないか?」

「思ったより穢れが濃くてな。浄化に手間取った。あと少し助けるのが遅ければ、死にはしないまでも後遺症が残っていただろう」

白羽の言葉に我の表情が険しくなる。白羽は苦笑するとふわりと舞い上がった。

「あの子には念のため、今日はこの神社の敷地内にいるように言ってある。神域から出たばかりだ。体が慣れるまで時間がかかろう。私は少し出掛けてくる」

「わかった。あの子を助けてくれたこと、本当に礼を言う」

我が礼を言うと、白羽は心底驚いたように目を丸くした。

「きみのそんな言葉が聞ける日がくるとはな。長生きはするものだ。とはいえ、あの子のことは私も気に入っている。きみのためばかりではないさ」

そう言って白羽は飛び立っていった。

 神社の敷地内。我の手の届くところにあの子の気配がある。それは我をひどく安心させた。

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