第30話 12/2001・静かなる

 満足に立つこともままならない状態でありながら、負けを認めようとはしないエッカルト。

 そんな様子の彼にディックは呆れた視線を返す。


「――はあぁ。

 お前ねえ、これだけやられてもまだ理解できないわけ?

 純然たる格の差があって負けたんだから、坊やは小僧より弱いんだよ」

「そんな言葉で納得できるわけがないだろうがっ!

 どうせそいつが卑怯な手段でも用いたに決まっている。

 師匠の賢者とやらと同じようになあ!」

「んだと……?」

「――――」


 やや狂気じみた表情をしながらエッカルトは好き勝手な事を叫び続ける。

 その言葉にディックは怒気を膨らませるが、当のケヴィンは目を細くしてエッカルトを見下ろすのみだった。


「その通りだろうがぁ!

 ワイスタ・エテルニスは我らがルヴェンの属国、セントリーヴェンから逃げ出し貴族の義務を放棄した卑怯者。

 それに飽き足らず護導士として力をつけても祖国のために働こうともしない。

 その後得た名声も卑怯な手段を用いたからなんだろ?

 なあ! そうなんだろう?」


 このエッカルトの言葉に真実は一つも含まれていない。

 ワイスタがセントリーヴェン公国の貴族であった事は事実だが、自ら望んで出奔したのではなく、ルヴェン貴族の謀により戦の捨て駒にされたのをからくも生き延びただけ。

 その後、護導士として力をつけても入国を認めなかったのはルヴェン王国の方である。

 そしてワイスタが賢者と呼ばれるようになり世界的に名声を得ると、ルヴェン王国が嘲笑の対象となったのだ。

「賢者という大魚を自ら逃す愚かな国」として。

 その屈辱に耐えられないルヴェン王国は、こう言い触れ回るようになる。

「ワイスタ・エテルニスは卑怯者だ」と。

 エッカルトはその妄想を拠り所にしたのだ。

 現在の自分にとってあまりにも都合が良かったために。


 もはや聞くに堪えない妄言を並べ立てるエッカルトに対し、ディックが我慢の限界を迎える。


「いい加減に――」


 怒気を爆発させようとしたディックをケヴィンが手で制した。

 ふるふると首を横に振り、じっとエッカルトを見下ろし続けている。

 その視線の冷たさはディックすら寒気を感じるほどだ。

 ディックは一つ溜息を吐くと「仕方ねえ、一度完全に折っとくか」と誰にも聞こえない声量で呟く。

 彼はガリガリと頭を掻く。

 そして顔を上げて、とある人物へ呼びかけた。


「――すまねえ、ベニタさん!

 面倒掛けるが、この坊やを元の状態に戻してやってくれねえか?」

「はぁい。いいわよお」


 いつの間にか数十mにまで近づいていたベニタがふんわり笑ってディックに返答する。

 そして続けて行われる魔法行使。


「……『癒しの力をここに』――治癒。

 ……『復せ力の源』――体力復」


 ベニタの魔法によってエッカルトの状態が戻っていく。

 状況を的確に判断し、適切な魔法行使。

 それもかなり離れている所から。

 今内心思っている事とは別にケヴィンはベニタの技量に感心する。


「じゃあ、がんばってねえ」


 手を振りながら離れていく彼女に対して、ケヴィンは敬意をもって会釈していた。


 完全に回復したエッカルトはケヴィンを睨み続けている。

 それに対してケヴィンは一つ申し出ることにした。


「そこまで言うなら、勝負を再開してやる。

 ただし、今度はオレは一切避けん。

 逆に攻撃をし続ける、だ。

 ――ディック教官、仮に回避行動を取ったらオレに処罰を与えていい。

 ――これなら満足なんだろ?」

「――ハッ。

 初めからそうしとけば良かったのさ。

 卑怯者の弟子の分際で粋がりやがって」


 もはやエッカルトにはどのような言葉も届きそうにはなかった。

 ケヴィンもただひたすら冷たい視線で見据えるのみ。


「なら再開すんぞ。

 ――始め!」


 再びディックの号令が響く。

 その直後からケヴィンはエッカルトの方へ向かって歩き始める。

 何の構えも見せず、全く速度の出ていないただの徒歩。

 エッカルトはそれを見てケヴィンが馬鹿正直に約束を守っていると判断して口元に笑みを浮かべる。


「馬鹿が! くらえっ!」


 避けないと分かれば技術は必要ない、とばかりにエッカルトは右手だけで剣を持ち大きく全力で振り下ろした。

 ――ケヴィンがそれを待っていたことも知らずに。

 直後、ガツッという音と共に剣がケヴィンの額に直撃。

 一筋の血がケヴィンの顔に沿って流れ落ちる。

 それを確認したエッカルトの気分は高揚した。

 これでさっきの借りを思う存分返せる、と。

 しかし、何かがおかしい。

 具体的には右手に何か違和感が――

 エッカルトがそこまで考えた次の瞬間、激痛が彼を襲う。

 彼の右手には今、ケヴィンの左肘が突き刺さっていた。

 

「あ、ああ、あああああ!

 あぎゃあああああああああああ!

 僕の、僕の右手がああああああああああああ!」


 ケヴィンに剣が当たるほんの一瞬前に肘を当て、少しでも減衰した威力の剣が額に当たったのだ。

 彼の右手指は完全に折れている。

 通常、格数に差のあるケヴィンの攻撃ではそこまでの威力は出ない。

 だが全力で振ってきた腕に対しては別だ。

 それはエッカルト自身の力で攻撃を受けたに等しいのだから。 


 エッカルトの右手から剣がこぼれ、カランとした音をたてて地面に落ちる。

 ケヴィンはその剣を蹴って遠くにやると、痛みで喚くエッカルトに向けて進む。

 ケヴィンが近づいてきた事に気付いたエッカルトは喚き始めた。


「ぶ、武器を持たない僕に向かって攻撃すると言うのか⁉

 こ、このひ――へぶぅ⁉」


 卑怯者、そう言おうとした彼はそこまで言葉を告げることができない。

 この瞬間、ケヴィンがエッカルトの顎に向けて掠めるような一撃を放っていたからである。

 途端に腰砕けになってしまうエッカルト。

 しかし彼はそのまま倒れることができない。

 ケヴィンが両脇を支えて強引に立たせたからだ。

 そして彼の体から手を放すと、ケヴィンは打撃を連続で放つ。

 脳天に、眉間に、鼻と口の間に、喉に、みぞおちに、下腹部に。

 エッカルトは自分の腕で体中心部の防御を試みるが、ケヴィンはそれを見るや側面への攻撃に切り替える。

 こめかみに、肝臓に、膝に、足指の根元に。

 容赦なく的確に攻撃を加えていった。


 その様子を見てディックは少しばかり引いていた。

(えっぐ、どこが力任せだよ。全部急所狙いじゃねえか。おっかねえな、おい)

 周りでは再び生徒たちが二人の戦いを見ているが、その視線は怯えを含むものになっていた。

 格数に差があるため、一撃一撃の痛手はそれほどではない。

 現に数十発の打撃を受けてまだエッカルトは意識があるし立っている。

 だが防御体勢の相手に一方的な攻撃をしていることに加えて、その全てが急所という構図はあまりにも酷い絵面だと誰しもが考えていた。

 ひたすらケヴィンが急所への攻撃を続けている最中、エッカルトの姿を見かねたのか、取り巻きをしていた生徒たちがディックに懇願する。


「ディ、ディック教官!

 エッカルト様は戦意を喪失しています。

 早く戦いを止めて下さい!」

「そうです!

 あのような振舞いは許されません。

 それにこのままではエッカルト殿が殺されてしまいますぞ!」


 正直なところ、ディックは連中の虫のよさに吐き気がしていた。

 だが一応は教官の義務として、聞かれた事には答える。


「ハン! てめえらが馬鹿にしていた格3の攻撃だろうが。

 そう簡単に死にゃしねえよ」

「ですが!」

「あぁン⁉」


 なおも言い募ろうとする連中に向けてディックは軽く殺気を向けた。

 猛者たるディックにそこまでされて怯まない生徒はほとんどいない。


「ヒ、ヒィッ」

「お前らは忘れたのかもしれねえがな、あの坊やはオレ様のことも虚仮にしやがったんだぞ?

 あの坊やの状況は全て自業自得だ。

 少なくともオレ様が停止の合図をするこたねえよ。

 どうしても止めたきゃ、なんとか降参させてやるんだな」


(できるものならな)

 ディックが内心そう思ってるとは知らずに、取り巻きたちはそうさせる他ないと声を上げ始める。


「エッカルト様ーっ!

 降参を!

 何とか降参をしてくださいーっ!」

「降参と! 参ったというのです!

 エッカルト殿ーっ!」


 ひたすら続く急所への攻撃に完全な恐慌状態にあったエッカルト。

 うっすらと聞こえてきたそれらの声に一握りの希望が見えた。

(そう、だ。降参すれば、解放される……)

 そう考え彼は言葉を告げようとした。


「こ、こう――」


 しかしその言葉はまたしてもケヴィンが顎に加えた一撃によって阻まれてしまう。

 ただ、この時エッカルトは完全に気絶してしまっていた。

 だが、ケヴィンはそれすら許さない。

 脇を抱えて再び強引に立たせると襟首を掴み、エッカルトの頬を何度となく平手打ち。

「う……あ……」と彼が覚醒したのを確認した後は再び急所攻撃に戻る。

 その一連の行動を淡々と行う姿に、経験者組のほぼ全員が言葉を失っていた。


(うっわ、あいつ徹底してんなぁ。

 ジジイの言う“静かなる”って、つまりこういう意味かよ……) 

 ディックの言うジジイとは彼の師匠に当たる人物である。

 その人物がワイスタを指してこう評したことがあるのだ。

 曰く「賢者殿を決して怒らせてはならない。もし怒らせてしまった場合、静かなる蒼の異名、その意味を知る事になる」と。

 そんな事を片隅では考えながらも、主教官として役割を忘れていないディック。

(しかし、どうすっかな? このままだとあの坊や確実に死ぬし。

 自業自得とはいえ、さすがに目覚めが悪くなるか?)

 仕方ない、とディックが重い腰を上げようとしたその時、彼の視線の片隅で動く影が二つあった。

(ん? あいつらは……。ここは任せてみるか)


 動く二つの影――二人の人物はケヴィンの方へ近づいている。

 その内の一人がさらに近づきケヴィンに声を掛けようとする。


「できれば、その辺りで止めてあげてくれないか?」


 そう話し掛けながらケヴィンの右肩に手を置こうとする金髪の男子生徒。

 しかし、その手が肩に触れる直前にケヴィンの行動が突然変化する。

 エッカルトへの攻撃を止めて金髪男子に向けて右の回し蹴りを放ったのだ。

 ドサッとした音がする。エッカルトが崩れ落ち倒れた音だ。

 続けてドカッという打撃音、金髪男子にケヴィンの蹴りが当たった――のかと思いきや、二人の間に栗髪の男子が割り込み、蹴りを腕で受け止めていた。

 金髪男子から「ヒュー♪」と口笛らしき音が聞こえる。

 攻撃を受け止められたケヴィンは二人から離れるべく後ろに跳躍。

 エッカルトに向けるのと同じく、敵を見る視線で二人を見据える。

 栗髪男子もケヴィンを敵として捉えたようで目つきが鋭くなる。

 ただ一人、金髪男子だけは変わらない雰囲気を保っていた。

 攻撃された事などまるで気にしていないかのように、呑気な声を出す。


「こんな奴だけど、級友だし。

 それに他国の貴族子息が死んだとなったら、色々面倒なんだ。

 その場にいたってだけで、俺絶対に当事者にされるだろうし。

 事情を色んな人間に話さなきゃならない事は目に見えてる。

 そんな面倒事背負わされるなんて、勘弁してほしいんだよ」

「……殿下。

 その言い様はあんまりなのでは……?」


 栗髪男子が殿下呼びされた金髪男子に向けて呆れた口調で話している。

 それもそうであろう。

 金髪男子の言い方では、エッカルトの命はどうでもよくて自分に煩わしい事が降りかかるのが嫌だからケヴィンに止まってほしい、という風にしか聞こえないからだ。

 あまりにも明け透けな物言いにケヴィンは毒気を抜かれてしまう。


「…………はぁ。分かった。

 だがけじめは付けさせてもらうぞ」

「おっ、止まってくれるのか?

 死なないんだったら何してもいいぞ。

 けじめでもなんでも、どうぞどうぞ」

「…………殿下」


 栗髪男子のとても深い溜息が響き渡る。

 見ればその人物からの敵意も既に消えていた。

 どうやら金髪の方が身分は上で、護衛をしているようだがあの性格だ。

 さぞかし振り回されているのだろう、とケヴィンは少し同情した。

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