第10話 幕間 その後の4人 神暦1504年

メリエーラ王国王都パルハ・王城セドニクル


 その場所は普段であれば穏やかな空気が流れている部屋。

 城の主である王族、彼らが周りの目を気にする事無く家族団欒のひとときを過ごす、そんな場所だった。

 そのような部屋であるはずなのに、今その場所の雰囲気は緊張感の中にあった。


「……今、何と言ったのですか。レナード」


 そう言ったのはこの国の女王、レイラ・ディン・メリエーラ。

 10年前に夫を亡くしてから女王として国を、母親として家族を、支え続けてきた女性である。

 彼女は母親として、子供らに等しく愛情を注いできた。

 子供らもその愛情に応えるように立派に育っていった。

 そんな親子の間で亀裂を生みかねない話題が、他ならぬ彼女の息子より出てしまっている。

 彼女には、それが信じられなかった。だから聞き返したのである。

 第3王子、レナードに向かって。


「申し上げた通りです、母上。

 王位を私に渡して下さいますよう、お願い致します」


 レナード・ディン・メリエーラは一昨年起きた魔王城での決戦により多大な功績を上げ、現在“四英雄”の一人として世界的に有名な人物である。

 彼は決戦後、仲間たちと共に世界各地の昏き扉を潰して回っていた。

 そんな彼が帰国後、家族に会いに戻ってきたかと思えば唐突にこのような事言い始めたのである。

 信じられなくて当然と言えた。


「ニール兄上からすれば、手に入る予定の王権が奪われる形となってしまいますが」

「レナード、お前……」

「レナード兄様……」


 その場にいたレナードの兄妹も困惑を隠しきれない。

 兄・ニールは第1王子にして王太子、妹のフィリスは第1王女。

 あと他に第2王子のモーリスというレナードより二つ年上の兄がいるが、他国へ王配として婿入りした為この場にはいない。

 レナードは普段家族に見せない表情をしている。

 愛する家族からどのような感情を向けられても揺るがない。

 本人としては覚悟を持って、今この話に臨んでいた。


「……理由を、言いなさい」


 レイラから辛うじて絞り出された言葉はそれだけ。

 今だ彼女の頭は混乱の最中にあった。


「一昨年起きた決戦から2年余りが経ちましたが、昏き扉から侵攻してくる魔族の脅威が無くなったわけではありません。

 今、その事を忘れて人族同士の、国家間の争いが起きている。

 私たちはその事を看過するわけにはいかないと結論付け、行動を起こす事にしました」

「行動……? 一体、何をするつもりなの?」


 明らかに不穏なレナードの物言いにレイラは僅かに恐怖を感じる。

 レナード自身初めて感じる母からの負の感情。

 それを前にしてもレナードは止まらない。


「世界を、一つにします」

「「「……!」」」

「母上も覚えているでしょう、ケヴィンの手紙の内容を。

 たとえいつか魔王がこちらの世界に現れようと、何十万、何百万という軍で磨り潰す。

 そのために必要な事なんですよ」


 レナードを除く三人の目が驚愕に見開かれる。

 日頃、女王として毅然と政務に励んでいるレイラをもってしても、その言葉には動揺を隠せない。

 明るいフィリスも口に手を当て首を横に振っている。

 元から気の弱い性格のニールに至っては表情が青ざめていた。


 それもそのはずである。

 レナードの目的とは世界の統一。

 つまりは他国へ侵略戦争を仕掛けるという事に他ならない。

 世界最古の国家でありながら建国以来、一度も他国へ侵略した事の無いこの国が、である。

 だが、そんな事は関係ないのだ。彼らにとっては。


「そのような事、できるはずが……」

「ない、と思われますか母上。

 今世界で私たちの名声に敵う者などおりません。

 味方は、母上が思うよりも遥かに多いのですよ」


 レナードはそれまで家族に見せたことの無い程の暗い笑顔を見せる。

 まるで信じられない物を見たかのように、凍り付く三人の表情。

 家族のそのような表情も特に気にする事無く、レナードは何故そこに至ったかを語る。

 それは、彼らの嘘偽り無い想い。


「私たちは……俺はケヴィンが遺した世界を護り通すと決めたんだ。

 邪魔するものには容赦しない。

 それが何であろうと」



ツーベルリ王国 都市ネルヤーキ・マドレー侯爵邸


 同じ頃、レナードと同じく“四英雄”の一人であるミュリエル・マドレーはツーベルリ王国にある生家にいた。

 マドレー侯爵ヨセフは愛娘の帰還を喜んで迎え入れる。

 ただ、世界を回っているいるはずの娘が戻ってきた理由というものを図りかねていた。


「おかえり、ミュリエル。

 戻ってきてくれたのは嬉しいのだが、何か用事でもあったのかい?」

「只今戻りました、お父様。

 久しぶりに会えて私も嬉しいです。

 お察しの通り、これから起こる事をお伝えするのと、お願いがあって参りました」


 誰にも聞かれない場所で、とミュリエルが望んだため二人はヨセフの書斎で話すことになった。

 そこでなら誰にも聞かれる心配はない、とヨセフはミュリエルを書斎へと通す。


「それで、どういった話があるんだい?」


 ヨセフは娘に甘い性格をしている。

 娘の望む事に対して大抵の事は叶えてきたし許してきた。

 娘が他国へ行くと願った時であっても。

 そんなヨセフであったので、今度はどんなお願いが娘の口から出てくるのかと内心楽しみだったのだが、当のミュリエルから出てきた言葉は意外というのを通り越していた。


「私は遠くない将来、メリエーラ王国のレナード様の元に嫁ぐ事になります。

 お父様やお母様、親戚の方々にはそのつもりで準備を進めて頂ければ、と」

「うんうん、そうかって、ええええええええええ⁉ 嫁ぐ?

 そ、それに、レナード様ってあの方だろう?

 以前仲間たちと一緒に訪れていて、今はミュリエルと同じく“英雄”って呼ばれてる……」

「はい。そのお方です」


 ミュリエルは父の話にあった「仲間たちと一緒に訪れ」の部分で、チクリとした胸の痛みを感じた。

 彼女はその正体を理解している。その時はが傍に居たのだから。

 その事を顔に出さずミュリエルは父との会話を続ける。


「はーーっ。まさか、だねえ。

 あ、いやお相手のレナード様に何か思うところがあるわけじゃないんだよ?

 ただ、ミュリエル。

 私には君がケヴィン君の方へ向いていたような気がしてたんでね」


 ミュリエルは侯爵令嬢であるが、ヨセフは娘の自由恋愛を認めていた。

 これはツーベルリ自体、国の在り方として政略結婚というものに対して積極的でない事に由来する。

 娘が仲間と共にここを訪れた際にはケヴィンに対する接し方や態度から、彼の事を好いているのだろうと思っていたのだ。

 だがそのケヴィンが魔王城での決戦によりもう逢えない状態となってしまった。

 娘が落ち込んでいないか、ヨセフは心配したのだが、その後会った毅然とした態度を娘から見せられて困惑してしまった。

 (もしかして娘は一生ケヴィン君を想い続け、結婚しないつもりなのかな?)

 とヨセフは思ったものだ。


 父の言葉にミュリエルは一瞬辛そうな表情を見せたが、すぐに元の表情に戻って言葉を返す。


「……そうですね。

 確かに私はケヴィンの事を好ましく想っておりました。

 でも今、レナード様に対する気持ちも同じくらい大きいものなんですよ」

「そうか、そう言う事ならもう何も言わないよ。

 幸せにおなり、ミュリエル」

「……はい、お父様。ありがとうございます」


 ヨセフは娘の表情にほんの少し陰が落ちているのに気付いていたが、幸せになれるのならと言葉を飲み込む事にした。

 この時、ケヴィンがミュリエルに遺した言葉を知っていたのなら、ヨセフはこの結婚に反対していたかもしれない。

 だが、その機会が訪れる事は無かったのである。


「それとは別にお願いしたい事もあるのです」

「うん? 何だい、言ってごらん」


 てっきり結婚の準備の事がお願いかと思っていたヨセフ。

 だがやはり娘に甘い彼は何でも聞いてみるのだった。

 彼女の胸に潜む真意に気付かないまま。


「お父様はウォーレス陛下だけではなく、教会の方々と懇意にされてましたよね?

 その方たちとお引き合わせ願いたいのです」



エトルクス王国 山岳都市サクルレン・エトルクス護導士組合本部


「久々に姿見せたかと思ったら、また突拍子もない事言い出すな、姐さん」

「いいじゃないか。

 昔のよしみって事で引き受けちゃくれないかねぇ、ダニオ」


 強面にそれに見合う筋肉、如何にも屈強な外見の中年男に話しかけている若い外見のエルフ女性。

 名をアンネ・ペーデルといった。

 彼女も“四英雄”と呼ばれる内の一人である。

 中年男の方はダニオ・フラーキ。

 この国で護導士たちを束ねる組合の長を務める男だった。


 アンネは護導士であるため、表向き立場としてはダニオの方が上である。

 だが、実際は逆。

 ダニオは昔、アンネ率いる組織の部下だった事があり頭が上がらないのであった。

 今もそんな立場の差を利用して無理難題を言ってきている。


「そりゃあ、姐さんには返しきれない程の恩がある。

 出来る事なら手伝ってやりてえさ。

 それが出来る事ならな」

「そんなに難しいことかねえ?

 各国の組合に繋ぎをつけるってのはさ」


 対魔族・対昏き扉組織として世界各国に護導士の組合は存在する。

 しかしながらそれらは基本的に各国の資本で運営されており、言ってみれば国に属する一組織なのだ。

 名前が同じ「護導士組合」であっても全くの別組織。

 それが現状だった。

 アンネはそれを繋いでしまいたい、などと言っている。


「姐さんが付けたいのは、繋ぎとかいう可愛げのあるものじゃなく鎖とか首輪の類だろうに……。

 とにかく、方針はお互い不干渉、郷に入れば郷に従えってのが我々だぞ?

 姐さんとっくに知ってるだろうが」


 それこそ俺が生まれる前の大昔から、とダニオが内心考えた次の瞬間、ズゴンという鈍い音と共にダニオの机に穴が開いていた。

 アンネは変わらず椅子に腰かけて笑顔を見せている。


「ダニオくーん? 今何か失礼な事を考えなかったかなー?」

「いいえ! 何も考えておりません!」


 ダニオはすぐに直立し完全服従の態度を示した。

 そんな姿を見てアンネはぶうぶう文句を垂れていた。


「全く失礼しちゃうよね、こんな麗しいお姉さん相手にしてさ」


 彼女に対して年齢に関わることは禁忌。思ってもいけない。

 以前所属していた組織の不文律を嫌という程思い出したダニオであった。


「話を戻すけどさ。

 今はケヴィン坊やが遺してくれた知覚系魔法の効率化手順によって大幅に伝達精度と距離が向上してるだろう?

 それこそ、大陸飛び越えるくらい楽勝な感じでさ。

 この機を逃すのはアタシもったいないんじゃないかって思うんだよねぇ」

「ん~、姐さんの気持ちは分かるけどよ……。

 確かに魔族相手だと横の繋がりってのがあった方がいいに決まってるさ。

 でもなぁ、ルヴェンとか問題だらけだしよ」


 アンネの考えに一定の理解は示しつつも、現状を踏まえるとどうしても同意はできないダニオ。

 そんな彼を見たアンネは一つ手札を切る事にした。


「ルヴェンのバカどもエルフは、いずれアタシが乗り込んで直接シメてやるよ。

 それにね、この先ちょ~っと大きな催し事がなんだよねぇ。

 そいつに備えておきたいって……思わない?」

「……!

 ちょっと待て。姐さん、あんた何を企んで……いや違うのか?

 一体んだ?」


 ダニオ自身、ここ最近何とも言えないようなきな臭さを感じているところだった。

 そこに来て怪しさ満点アンネの台詞。まるで直接の関係者です、と言わんばかりである。

 だが、彼は知っていた。

 彼女がこのような物言いをする時は、獲物に対して一見無関係な方角から掻っ攫う時であるという事を。

 アンネはかつての部下に向けて、よく出来ました、とばかりに満面の笑みを浮かべる。


「ふふっ。さすがアタシの元教え子。いい表情ね。

 大丈夫よ。アタシが絡む以上決して損はさせないからさ。

 知ってるでしょ?」



アウル=ラニアータ連邦 構成国ガル 都市ガンド・サイノス家


 ここはドワーフばかりが住まう国・ガル。

 その中核都市であるガンドの外れに、とある一軒の家があった。

 そこはサイノス家。

 “四英雄”の一人であるマルセロ・サイノスの生家であった。

 マルセロは仲間たちと世界を回っていても、頻繁に家に戻っては自身の研究を論文として書き起こしていた。

 何しろ賢者の後継者である。空間転移などはお手のもの。


 この日もマルセロは机に向かって論文を書いている。

 題名は「魔力変換不要論」


【まず最初に「魔法は魔素のみで成り立つか否か」が問題になるであろう。

 答えは簡単。「成立する」である。

 分かりやすい例として「封印魔法」がある。

 封印魔法は行使の工程において通常の魔法と同じであるが、封印の維持については術者の魔力を必要としていない。

 術者の定めた条件に至るまで周囲の魔素を吸い取り循環させて維持しているのだ。

 この維持する瞬間を切り取ってみよう。循環する魔素が魔力に変換することなく封印魔法へと至っている。

 この瞬間が無限に連なり「封印魔法の維持」が実現されているのだ。

 つまり「魔法は魔素のみで成立する」のである。


 人が魔法を行使する際に魔素を魔力に変換しなければならないのは、魔素の制御が難しいことによる。

 世界において魔素は無限に存在するものであり、通常目には見えないが流動しており循環している。

 そんな中で人の魔法行使とは、流れ続ける魔素という中身の見えない大河の真ん中で自ら目当てとする魔法現象という魚を捕まえようとするようなもの、なのである。

 不可能ではないが困難極まる、そんな状態だ。

 魔素を魔力に変換するという行為は、そんな見えない大河の流れを止めて中を見えるようにする役割を担うのだ。

 では呪文の役割とは何か、と言えば魚という魔法現象を形作らせることそのもの、ということになる。


 呪文によって魔法現象は形作られる。しかし周知の通り、魔力変換無しに呪文を唱えたところで何も起こらない。

 ならばやはり魔力変換は必要なのではないかと考えられているのが現状だ。

 だが先に言ったように魔法は魔素のみで成立する。この矛盾をどうすれば解決できるのであろうか。


 矛盾を解決するためには考え方を変える必要がある。

 動かせない大前提としては「呪文なくして魔法はありえない」こと、即ち「呪文によって魔法現象が形作られる」ことである。

 ここが動かせない以上、如何様にしてそこへ至らしめるべきなのかを問う必要があるのだ……。】


 ここまで書いてマルセロはふう、と一息吐いた。


「これ以上進めるためには、さらなる検証が必要、と。

 論文として出せるのはだいぶ先の話かな。

 師匠の最後の手段についても、色々考えないといけないし。

 オイラ、じゃなかった私がもう一人いればなあ」


 マルセロは魔王城での決戦以降、賢者の後継者としてふさわしく振る舞えるよう、自身の一人称を「私」に変えていた。

 師匠のケヴィンからして誰に対しても「オレ」が抜けなかったのだから気にする必要は無いはずなのだが、マルセロにとってはそうではない。

 道半ばで託された称号というものは、見えない重さを伴ってマルセロの背に乗っかっているのである。


 だが、マルセロはその事を苦とは思わない。

 魔法について思考し続ける事、それが最終的に誰かの為になれるのであれば、それは喜ばしい事であるし、ケヴィンもそう考えていたからである。

 今マルセロが取り組んでいた「魔力変換不要論」も同じ。

 元は大師匠(ワイスタ)から続くこの課題を解く事が出来れば、魔法はより身近となるのだから。


「そうなってからの世界で、もし師匠が目覚めたのなら、オイラの事を褒めてくれるかな……」

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