第9話 現状確認

6月2日の日記を読む直前、王立第4病院・特別病棟10階特別S室――


 その日のケヴィンの目覚めは前二日と全く異なっていた。

 目が覚めた瞬間に周囲の魔素を魔力へと変換し、維持。そのまま三つの魔法行使をする。

 前二日はできなかったを意識する事無く行うことができて、ケヴィンはようやくこれが自分という実感を湧かせていた。


 記憶も全てではないが戻ってきている。そうなると、毎日日課としていた行動を取りたくなってきているケヴィン。

 だがそうなってくると障害となるのが拘束機能付きの寝具である。

(どうするか……力任せに解いてもいいんだが、確実に壊れるだろうしなぁ)

 基本的にケヴィン・エテルニスという人物は善人である。

 自らの行動結果によって他人に迷惑が掛かるのを良しとしないのであった。無論、それには例外や限界もあるのだが。


 どうにも動けず仕方ないので昨日を振り返っていると、ふとケヴィンの脳裏に浮かぶ状況があった。

 それはミリアムが遠隔地から通信を送ってきた時の事。

 あの時ミリアムの声は部屋全体から聞こえてきたようだし、マーティンも何も無いように見える上方に向かって声を返していた。

 となれば部屋の壁に通信用の魔具が仕込まれている事は間違いないだろう。それに。

(自分で思うのも何だが、今のオレは特別扱いという名の監視下にあるんだろうしな)

 ケヴィンはそう考えて部屋の上方に向かって話しかけてみる。


「あー、誰か今オレの声が聞こえているだろうか?」


 そう言葉を出してから数秒経ち、当てが外れたか?とケヴィンが考え始める頃に返答があった。


「はい。こちらは看護詰所です。いかがなさいましたか?」

「良かった通じたか。

 一つ頼みたい事があるんだ。アマラかマーティンをここに寄越してくれないだろうか?」


 その声は昨日ミリアムの通信を繋ぐ報告をしてきた男性の声だった。

 その声に向かってケヴィンは自らの希望を言ってみた。


「アマラさんは本日休みです。マーティン先生は現在、宿直室で就寝中ですね。……私がお伺いしてもよろしいのですが如何いたしますか?」

「眠っているところを起こすのはさすがに悪い。

 とはいえ、出来れば事情を知っている者に来てもらいたいし……」


 ケヴィンが悩んでいると割り込む通信が入った。両者もよく知る声で。


「そういう事でしたら私が参りましょう」

「マーティン先生⁉ どうやってこの通信に……」

「簡単な事です。をして、その部屋で起こる通信の全てを私の元に届くようにしているですよ」

「またそのような勝手な真似をして……医師長やアマラさんに怒られますよ?」

「それは困りますね。ホラス君、この事はどうか内密に」

「……はぁ」


 マーティンが起きて通信に加わったらしいが、内容を聞くに彼は何かをやらかしているらしい。しかも常習犯ぽい。

 ホラスという看護男性に同情しつつ、ケヴィンは通信に話しかける。


「いいのか? そりゃお前ならありがたいが……」

「構いませんよ。面白いものを見せて頂けるものと期待しております」

「そんな期待に沿えるかは分からんが……まあ来てくれるというなら頼む」

「分かりました。しばらくお待ち下さい」


 通信が途切れ、部屋に静寂が戻る。

 ケヴィンはマーティンが来るまで何をするか考えた。

(今の状態でやれる事……やっておくべき事は知覚系の確認、かな)

 一つの魔法を頭の中で選択し、行使する

(『格を探る線が走る』――格探知)

 ケヴィンが行使した魔法は“格探知”という。

 行使者の周囲50mの存在格反応を調べるものだ。


 存在格は自然界のあらゆる物に存在する。それこそ砂の一粒から水の一滴まで。

 だがそういった物は格数で言えば小数点以下であり、極小格は探知にかからないようになっている。

 自然物をただ加工した物についても同様。

 武器や防具といった魔族と戦う上で明確な目的を持って作られた加工品でもない限り、格1を超えることは有り得なかった。

 少なくとも3000年前の世界では。

 故にこの時ケヴィンが格探知を行使したのは、自身の50m圏内にどれだけ生物――要は人間がいるのかを確かめたかっただけなのである。

 ところが、その結果はこの魔法を熟知しているケヴィンをして予想外と言わざるを得ないものだった。


「なっ⁉ なんだこれは?」


 ケヴィンの頭に浮かんだ想像図の中では本来、自身を中心に生物が点で示されているはず。

 しかし今、ケヴィンの想像図では自身の周りを幾つもの点がびっしりとほとんど隙間も無いような形で埋め尽くされていた。

 はじめ、ケヴィンは自身の記憶が完全でない事から行使した魔法が暴発してしまったのかという可能性を考えた。

 しかしよく確認してみると、隙間無い程の点は全く動かず、それ以外の数えられる程度の点は動いていた。

 そこでケヴィンは気付く。魔法は正しく発動していると。

(つまりこの隙間無いほどの格反応は、魔具……⁉)

 魔法の発動体である以上魔具に格が存在しているというのは確かに道理だが、まさかここまでの反応があるとケヴィンは想像すらしていなかった。

(まさか今の世界だとこうなってしまうとは……。

 とりあえず格探知の呪文は、だな)


 予想外の結果に自身の魔法に修正が必要という事が分かっても、喜んでしまうのがケヴィンという人物である。何故ならそれが魔法の事だから。

 密かに口に笑みを浮かべて先の事を考えていると、格探知のある一点に気付いた。

 その点は動いており、おそらく生物である。そしてケヴィンのいる部屋の扉の前で細かな動きをしていた。

 先程の通信から時間はあまり経ってない。もうマーティンが来たのだろうか、とケヴィンが訝しんでいると扉がゆっくり開かれていった。


「……おはようございま~す……」


 そこには誰にも聞こえ無さそうな小声で朝の挨拶をしながら、手で扉を開けているミリアムの姿があった。

 あの扉って手動で開くんだな、という的外れな感想を持ちつつケヴィンがそれを眺めていると、入ってこようとするミリアムとばっちり目が合ってしまった。


「……へっ⁉ ど、どうしてケヴィン様もう起きてるんですか?」

「いや、確かにまだ早朝と言える時間だが、オレは習慣でいつもこれくらいの時間に起きてるぞ。

 アマラは知っているんだが、聞いてなかったのか?」

「くっ……不覚。調査不足でした」


 ミリアムは握りこぶしを作って悔しがりながら、ケヴィンに近づいていく。

 ケヴィンには朝早くから何の用事があるのか見当もつかないので、素直に聞いてみる事にした。


「それでこんな早い時間に何の用なんだ? 密かに入ってこようとしてまで」

「うっ⁉ そ、それは……ですね」

「そ・れ・は?」


 気付かれないよう入ってくるつもりだった事が後ろめたいのか、ミリアムは視線を泳がせる。

 ケヴィンはそんなミリアムを逃がすまいと再度問うた。


「……眠っている間に一緒のお布団に入らせて貰って、ケヴィン様がお目覚めになったらおはようの口づけを差し上げようかなあ、と。えへ」


 ミリアムは自身の体を両手で抱きしめ唇を突き出しながら、とんでもない事を言ってくる。

 答えを聞いたケヴィンは恥ずかしがることも無く、呆れて頭を抱えている。


「この時代の王女様は、貞淑、って言葉に縁が無いものなのか?」

「あーっ、ケヴィン様ひどいー。

 積極的に聖女の役目を果たそうとする私を、まるで淫乱であるかのように」

「女の子が躊躇もせず淫乱なんて言葉使うんじゃありません。

 ……全く。そういうのは好きな奴の為に取っておけ。

 役目とかいう理由で無理にしようとしなくてもいい」


 頭を抱えながら諭そうとするケヴィンにミリアムは頷き返す。

 分かって貰えたようでホッとするケヴィンだが、その実ミリアムの内心はと言えば。

(つまり役目と関係無ければ良いのですね!)

 全然懲りていないのであった。


 その後少ししてマーティンが入室してくる。

 マーティンは既に部屋の中にいたミリアムにジト目で見つめるが、本人は知らぬ顔をしていた。


「……まあいいです。ところでケヴィン様御用とは何でしょう?」

「ああ、記憶が戻ってきているからな。

 出来れば日課としている事もこなしていきたい。

 要は体動かしたいって事なんだが」

「そういう事でしたか。しかし、それだけの事でしたらホラス君でも良かったのでは?」


 ケヴィンが告げた目的に、マーティンは一旦理解を示したが、自らを呼ばれた理由が分からなかった。


「ああ、彼ではちょっと。

 オレが頼みたいのは、以後拘束を使わないようにして欲しいという事でな」

「え? いやしかしそれは……」

「何もオレはワガママで言ってるわけじゃないんだ。

 おそらく現在最高の技術で作られているであろう、この寝台を壊すのが忍びないというだけで」


 そこまで聞いてマーティンにはケヴィンの言いたい事がようやく理解出来た。あんまりな結論に苦笑を隠せない。


「……そういう事でしたか。

 つまり、今のケヴィン様では暴走とか関係無く拘束が意味を成していない」

「そう。何なら今すぐやって見せるが?

 腕を一振りするだけで拘束を吹き飛ばすぞ」

「やめて下さい。今すぐ解除しますので」


 溜息を吐きながらマーティンが何がしかの魔具を操作し、拘束は解除された。

 それを確認したケヴィンは「よっ」という掛け声とともに跳び上がり、くるりと一回転。

 広間に降り立った後、体を伸ばしながら準備運動に入る。


「んーーっ。一週間以上動いてないんだものな。

 体の感覚絶対なまってるぞ、これ」


 思いの外軽快な動きを見せるケヴィンに二人は感嘆の声を上げる。特にミリアムは目が輝いていた。


「ふわぁ……、かっこいー……。

 っとと、そう言えば結局どういう意味だったんです? さっきのやり取り」

「一昨日、ケヴィン様が暴走しそうになったという話はしましたね。

 その時拘束を剥がしそうになっていたわけですが、今では素の状態でもその時以上の力が出せる……という事で間違いないですよね?」

「それで正解だ」


 ミリアムの疑問に対し、ケヴィンに確認を取る形で返答するマーティン。

 しかし彼は彼で答えを出したい事柄があるようである。

 準備運動を終え、本格的に動こうとしているケヴィンにマーティンは問いかけた。


「おそらくは記憶が戻った事と関連があるのでしょうが……。

 ケヴィン様はその辺りどうお考えですか?」

「そうだな、推測になるが……フッ!」


 攻撃動作を続けながらケヴィンは思考し返答する。

 その動きは“型”と呼べる程流麗なものではなく、ただ中段に両手両足で突きと蹴りを繰り返しているだけである。

 体の感触を確かめるように全力動作している為、ケヴィンから汗が飛び散っていた。


「昨日までは記憶が無かったという事で、オレの“己自身”というべき部分が格と結びついていなかったんだろう……ハッ!」

「ふむ。つまりこう仰りたいのですね?

 “存在格”というものは当人にとって記憶や自我と繋がらないと意味を成さないものだ、と」

「ああ。……フッ! そういう事でいいと思うぞ。

 言葉は悪いが今の時代は人全体の格が低すぎて、そういう問題が顕在化してこなかったんじゃないか?」


 例えば、ケヴィンのように推定格80以上から一桁格まで落ちていれば明確な差として認識できる。

 だが、一桁格後半が記憶喪失で一桁格前半に落ちたところで明確化はされづらく誤差と感じる事もあるだろう。

 ケヴィンの言葉にマーティンはまさに目から鱗が落ちる感覚を得た。


「なるほど、そう考えれば納得がいくもの。

 いやはや、やはりケヴィン様は面白い。

 これからも色々と期待せざるを得ませんね」

「お前を楽しませるためにここにいるわけじゃないんだが……なっ!」


 汗を流しつつ、苦笑を止められないケヴィンなのであった。


 ビュッという空気を切る音と共に右腕が突き出される。

 ケヴィンの右腕だ。そこに手首から前は存在していない。

 しかし本人にとっては今も感触があるので悩みの種の一つとなっている。

 この先近接戦闘をする機会でも出てくれば、間合いの問題などで大きな弱みとなってしまうだろう。

 そんなケヴィンの気持ちを知ってか知らずか、鍛錬を終えたところでミリアムが話しかけてきた。


「お疲れ様です、ケヴィン様。

 実はですね、その右腕について一つ朗報があるんです。

 ね? マーティン先生」

「朗報?」

「はい。昨日は申し上げておりませんでしたが、私共王立病院の医療技術員と国の魔具研究院が合同で、以前よりケヴィン様の義手を製作中なのです。

 昨日遅くに製作完了の目途が立ったとの報告を受けました。

 近い内に、お披露目できるかと思いますよ」


 ちょうど頭で考えていた事でもあるので、それは確かにケヴィンにとっての朗報だった。


「そうなのか⁉ そいつはありがたい」

「実を言いますとこの件に関しての功労者は、ミリアム殿下や王家の方たちです。

 魔具研究院との橋渡しが無ければこれほど早くに実現はできなかったでしょう。多少強引ではありましたが」

「全てはケヴィン様の為なのですから当たり前です。

 組織の縄張り、なんてものに囚われていては良い物なんてできないでしょう。

 王家の威光なんてものは使ってこそ、なのですよ!」


 フフーン、と腰に手を当て得意げに胸を張るミリアム。

 褒めて欲しそうだったので、ケヴィンは素直に礼を言う事にした。


「ありがとう、ミリアム。

 本当に助かるよ」

「うぇ⁉ えと、あの、そのどうもです」


 初めて対面で直視する屈託のないケヴィンの笑顔に、ミリアムは何故か後ずさる。

 その頬は薄く赤に染まっていた。

 アマラが居れば盛大に冷やかしたであろう事は間違いない。


「くぅ……ケヴィン様にあんな不意打ちが出来るとは。

 今日のところは私の負けです」


 ミリアムは何かと戦っているらしかった。


 ケヴィンは汗を拭い、“浄化”の魔法で身なりを綺麗にした。

 例によって二人が感嘆しまくったのを見た後、思い出したことがあったので話してみた。


「そうだ、眼帯のような物は無いだろうか。

 ほら、オレ右目がこうだろ?」

「ああ、それでしたら私が。

 これをどうぞ。貼れる眼帯となっています」


 ケヴィンの要求に、マーティンは白衣の中から紺色で丸い形の布を差し出した。

 何故眼帯を持ち歩いているのか、の理由は当人から説明があった。


「ケヴィン様は起きて以降ずっと右目瞑ったままでしたからね。

 実はいつそのような事を言い出されてもいいように持ち歩いていたんですよ。

 お役に立てて何よりです。……人肌ですよ?」

「気色の悪い事を言うな!

 ……全く、素直に感謝しづらくなる。

 『我が望みの間 誰彼も此物を用いる事能わず』――物封印」


 ケヴィンはマーティンに半分感謝の言葉を述べながら、右目周りに眼帯を貼り付け、物封印の魔法を掛けた。

 封印魔法を掛けた事に驚きながら二人は理由を尋ねる。


「今のは封印魔法ですよね? あの昨日と同じの」

「そのようですね。ケヴィン様、何故かお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ、端的に言ってしまうとだ。

 オレの暴走の原因はこの右目に由来するから、だな。

 日記の中で、オレは右目周りを布で覆っていたと言っただろう?

 あれも同じ理由だ。あの時は師匠の封印が掛かっていたことになる」


 二人はケヴィンの言葉に驚いたが、マーティンの方は納得がいった表情をしていた。


「そうでしたか……。

 確かにあの暴走の時、右目周りの血管が浮き出ていたので何らかの関係があるとは思っていましたが」

「まあそういうことだ。

 これからは前と同じ理由で暴走するような事はもう無いから安心してくれ」

「分かりました。

 ついでにお聞きしますが、別の理由で暴走する事はある、と考えてもよろしいですか?」


 記憶が無い時のケヴィンの暴走を目の当たりにしているマーティンである。

 もし今のケヴィンが暴走するという事など考えただけで恐ろしく思っていた。

 それに対するケヴィンの返答は玉虫色のものであった。


「現段階では、可能性はある、としか答えられないかな。

 記憶だって完全じゃないし」

「それもそうですね。

 可能性として心に留めておくとしましょう」


 一つ話が終わって、この後どうするかという話に移っていった。

 ケヴィンとしてはやはり早目に記憶を取り戻したいと考えているようで。


「今のオレに休息日は関係ないからな。

 できれば日記を読み進めたい」

「勿論、私はお付き合いします」

「私もそれで構いません。

 アマラが聞いたら拗ねてしまいそうですが」

「う……二人共できれば宥めてくれると助かる」


 昨日の泣き落としの光景を思い出したケヴィンは、二人にアマラの事を頼んだ。

(演技だって分かっているのに罪悪感凄かったからな、あれ)


「承りました。では始めるとしましょう」


 寝台の上にケヴィンが、周りの椅子へ二人が座り準備を整える。

 ケヴィンは二人に頷き、日記の封印を解除した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る