第7話 1~4/2001・巣立ちの時

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【神暦1498年6月1日

 師匠が亡くなり一人で生きていくことになった。葬送の時、近くのルク村から手伝いに来てくれた人や寂しいと言ってくれる人がいて、悲しい気持ちの中だったけど少しだけ嬉しくなった。

 村長は村で受け入れると言ってくれたが、オレがするべき事は既に決まっている。師匠の後を継ぐべく行動するのだ。

 師匠はこまめに覚書を残していた。ワイスタの弟子の名に恥じぬ行いをしていくつもりなら、形から入っていくのもいいだろうと思い、日記を書いていくことにする。この先何かの役に立つ時が来るかもしれない】



メリエーラ王国・王都パルハよりおよそ北東350kmの森の中

エテルニス家


「色々と師匠のためにありがとう。

 弟子として礼を言うよ」


 そう言葉にするのは今やこの一軒家ただ一人の住人となってしまった者だ。

 名前をケヴィン・エテルニスという。

 礼を言いながら伏せていた左目を開けると鮮やかな碧色がそこにあった。

 右目の辺りには紺色の布が巻かれていた。怪我でもしているのであろうか。


「……しかし、本当に行くのか?

 前にも言ったが、村に来てくれていいんだぞ。うちの家でもいい、部屋は空いてる。

 お前なら、狩りでも木こりでもなんだってできるだろうしな」


 ケヴィンと話をしているのは近く(といっても5km程ある)のルク村、その村長であるダムだ。

 ダムはケヴィンの事を心配そうに語り掛けているが、一方で多少の期待があった。彼が村に居着いてくれるのを。

 村には力仕事の出来る若い男性というのが貴重な存在だからである。

 村民の中には若々しい姿を保っている男性エルフもいるが、彼らは総じて力仕事に適さない。森の狩人としての腕前は抜群なのだが。

 そんな中で、ケヴィンが村に手伝いに来てくれていた時は本当に助かっていた。

 ケヴィンは一見すると背丈はそれほど高くないし、頼れる雰囲気を出していない。だが、実際には鍛えられて均整の取れた肉体をしており、村民が苦労する力仕事を軽々とこなしていたのだ。


 ケヴィンはそういう期待もされていると理解した上で、首を横に振った。

 その動きにさらさらと左右に揺れる癖のない銀髪。


「ありがたい言葉だけど、ごめん。

 オレにはやるべき事がある。

 師匠の遺言もあるし、後を継ぐと決めているんだ」


 彼の師匠ワイスタ・エテルニスは一昨日亡くなっている。

 ダムやルク村の民は昨日からの葬儀の手伝いに来ていたのだった。

 ワイスタは魔法師として村に多大な貢献をしており、村民は感謝の気持ちを忘れた事が無かった。

 ケヴィンはそんな師匠の姿を幼い頃より見続け、尊敬していた。

 だからであろう。ワイスタに「自由に生きろ」と言われても彼の後を継ぐ事を選択できたのは。

 ケヴィンの意思が固いと悟ったダムは寂しそうに頷いた。


「……そうか。ならもう何も言わんよ。

 だが何かあれば村に来て構わないからな。

 お前も村の一員なんだから」

「うん、ありがとう」


 ダムを見送った後、ケヴィンは旅の支度を始めようとする。

 そんな時、ケヴィンの視界に入る一つの冊子。

 それはワイスタが覚書用の予備としていて、使う機会が無かった為ケヴィンに譲った物だった。

 華美な装飾など無く何も書かれていないが、これも遺品の一つと言えるだろう。

 大事に使うにはどうするかとケヴィンは思案し、一つ思いついた。


「日記帳にしてみるか。師匠みたいに覚書代わりに出来るかもしれない。

 やったことの無い日記をどれだけ続けられるかも、ある意味楽しみになるしな」


 そうしてケヴィンは初日の日記を綴っていった。

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【神暦1498年6月2日

 旅の支度は済ませて家を出る。家の中に大した物は残してないが、念のため錠はかける。やはり大事な思い出の場所。何かの拍子に荒らされたくはない。

 家の脇に作った師匠と母さんの墓の前に立ち、出立の挨拶をした。眠っている二人に余計な心配を掛けぬよう成長することを誓う。

 ルク村を通る際に村長や村の皆にも挨拶。西に森を抜け街道に出る。その道を南に進めば目的地。目指すは王都パルハだ】



メリエーラ王国・エテルニス家


 自身が育った家に錠をかける青年、ケヴィン。

 まだ少年の雰囲気を残しているその男は、この日旅立つ事になっていた。

 ケヴィンにとってワイスタとの思い出がほとんどだが、幼い頃に死に別れた母・ミラブールとの思い出も少しだけある家。

 ケヴィンはしばらくそのまま外から家の姿を眺め続けた。

 そして一回、ポン、と家の扉を軽く叩いた後で、脇の方へと向かっていく。

 そこに並んで建てられていたのは、ワイスタとミラブールの墓。

 ケヴィンは二人の墓の前で中腰となり目を瞑った。


「師匠、それに母さん。行ってきます」


 発した言葉はそれだけ。

 ケヴィンにはそれで十分だと思った。

 二人ならいつだって笑って送り出してくれる。

 二人ならいつだって笑って迎え入れてくれる。

 その事を分かっていたからこそ。

 数瞬の後、ケヴィンは立ち上がりルク村の方へと歩き出した。

 一度も振り返る事なく。



王都パルハ北東の森


 ルク村で村長のダムや村民たちに挨拶を済ませた後、ケヴィンは森の細い道を西に進んでいた。

 目指す先は王都パルハ。

 普通の旅をする場合、そこに向かうにはまず森を西に向かってパルハ北街道に出る必要があった。

 ただケヴィンとしては森を突っ切りまっすぐ王都まで進むという選択肢もある。

 何しろワイスタに幼い頃から鍛えられてきたので、どんな環境下であろうと人並み以上に生きていける。それがケヴィンである。

 だが、ルク村を越えるような一人旅は初めての経験という事もあり、ケヴィンは見慣れぬ風景を楽しむ事にしていた。

 まだ道は細いまま。だがこの先の風景はどんなものだろうか。

 ケヴィンは日記に書き込みながら、先の事を思うのだった。

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【神暦1498年6月3日

 今日で16歳になった。オレの誕生日は、厳しい修行の日々の中で師匠がとても優しくなる何日かの内の一日だったな。去年まで師匠に誕生日を祝ってもらった事を思い出し、何だか遠い昔の事のように感じてしまう。

 寂しんでばかりもいられない。これからの事を考えながら王都へ向かうとしよう】



メリエーラ王国・王都パルハ北東の森


 ケヴィンは順調に森の中を進んでいた。

 森の中、と言っても進む細道の近くには小川が流れていたし、獣道に分かれた先には小高い丘もある。

 変化がある、というのはケヴィンの目を十分楽しませていた。


 その日の昼過ぎ、晩飯にするためケヴィンは小川で魚を採っていた。

 採った魚の中で一際大きいのを見つけた時、ケヴィンは昔の光景を思い出していた。

 それは何年も前のケヴィンの誕生日の事。

 師匠のワイスタがお祝いに机一杯ぐらいの魚を持って帰ってきた時があった。

 ケヴィンは無邪気に称賛し喜ぶ。ワイスタはその姿を見て満足気に微笑んでいた。

 そんな時もあったのだ、と考えてからもう一つ思い出す。


「ああ、そう言えば今日はオレの誕生日、だったのか」


 日々の修行は厳しかった。しかしケヴィンはそれを不満に思った事はない。

 誕生日の時のように、ワイスタが時折見せる優しさが愛情に満ちていると理解していたからだ。


「誕生日が独りなのも、初めての事、か……」


 そう気付いてしまうと何となく、今食べている焼き魚を塩辛く感じてしまう。

 ケヴィンは思う。こんな様では師匠に笑われるかな、と。

 気を取り直して日記を書く姿がそこにあった。

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【神暦1498年6月4日

 王都への道中、遺言のこともあるし、師匠の事を考える。

 師匠は世に“賢者”の名で知られるほど有名な魔法師だった、らしい。推測調になってしまうのは、その異名を教えてくれたのが人数の少ないルク村で聞いたから。そう言えば異名を本人に確認してみたら何とも言えない顔で眉をひそめていたっけ。

 ともあれ、そんな有名な師匠は色々な人と繋がりがあったそうで、オレがこれから王都で訪ねる予定のコネリー・ディ・バークという人もその内の一人。

 師匠曰く『なかなか骨のある奴』。師匠からすれば最大級の誉め言葉だ】



メリエーラ王国・パルハ北街道


 昼過ぎ、ケヴィンはパルハへと伸びる街道に出ていた。

 人の通りが多いのだろう。先程まで通ってきた道と違って雑草の類が少ない。

 見渡してみればケヴィンの他にも通行人や馬車の姿が少し見受けられた。

 この道を進めばパルハへと辿り着くはずである。

 ケヴィンは南へと歩みを進めていった。

 

 道中、ケヴィンはワイスタの事を振り返る。

 ワイスタはルク村で“賢者様”と呼ばれ慕われていた。

 ルク村の村長ダムの話によると。


「“賢者”という称号は魔法師の頂点の事だ。

 ワイスタ様はその称号に相応しい御方だと思うぞ」


 それを聞いた時、弟子であるケヴィンはとても誇らしい気持ちになったものだ。

 だが、当人にその事を聞くと否定しないまでも眉をひそめて苦渋に満ちた表情をしていた。


「ワシが真実、賢者であるというのなら、魔法の全てを知り得ていたというのなら、“あれ”にもっとしてやれる事があったであろうな……」


 その言葉の真意は結局分からずじまいであったが、ケヴィンには師匠が何か後悔している事があるのだということだけは理解できた。

 それ以降、ケヴィンはワイスタの前では賢者の話はしなかったのである。


 賢者について色々思うところはあるが、ひとまずこれからの事をケヴィンは考えようとする。

 ワイスタは遺言の中でこう言っていた。


「王都へ行きコネリー・ディ・バークに会うといい。あやつはワシが知る中でもなかなか骨のある奴。力になってくれるだろう」


 身内であるケヴィンを除き、ワイスタがそのように褒めている人物はほぼいない。

 自分と他人の区別なく厳しいのがワイスタなのだ。

 それを知るケヴィンは、これから会おうとする人がどのような人物であるのか、楽しみになっていた。

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