第6話 格落世界

 騒動は10分程続いた。

 その間、アマラはずっと腹を抱えて笑い転げていた。

 今ではとてもスッキリした顔になっている。


「あ~、よく笑いました~。これだけ爆笑したの久々ですよ~」

「もう、ダメですよアマラさん。ケヴィン様に悪いです」


 ミリアムはアマラを咎めるような発言をする。

 しかし、思い返してみれば彼女も先程――


「……ミリアム、君も十分大笑いしてたと思うんだが?」

「あら、そうでしたっけ? それは失礼しました。

 クスクス」


 ケヴィンは思わずミリアムの笑顔に見惚れる。

 見れば見る程、顔の造りが彼の知る「彼女」とそっくりだと思い知ったからである。

 違うのは髪の色と眼鏡をかけていない事くらいで、あとはそのまんま。

 だが性格がまるで違うので、さすがに同一人物という程ではない。

 今はもう逢えない「彼女」を想って、ミリアムにその面影を見ただけなのだ。

 そんなケヴィンの胸中など露知らず、マーティンの陽気な声が脇から聞こえてくる。


「その通りですよ、ミリアム殿下。ちゃんと認めましょう。

 私をご覧下さい。先程、などと言わず楽しませて貰っているんですから」

「この野郎……本当に記憶を飛ばしてやろうか」


 なおも揶揄い続けようとするマーティンに対して、ケヴィンの目が段々と据わってくる。

 それを見てマーティンは、やりすぎたか、と思い話題修正を図るのであった。


「いえ。これ以上はケヴィン様の怒りが怖いので止めておきましょう。

 ――さて、今度はこちらが色々と伺いたい番なのですが。

 その前に、記憶のご回復をお喜び申し上げます」

「――ああ、ありがとう。

 だが随分殊勝だな? 少し気持ち悪いぞ」


 ケヴィンのあけすけな物言いに、マーティンもさすがに苦笑せざるを得ない。

 しかし、マーティンの態度は真面目なものだった。


「今この時代、魔法科学が発展していますが、それでも人の頭脳など解明出来ていない分野は沢山あるのです。

 記憶に関する事もその一つ。

 医学だけで解決できない事態に遭遇すると、どうしても力不足を痛感してしまうのですよ」

「マーティンはよくやってくれていたと思うが……」

「ありがとうございます。まあそれは私の矜持の話ですので。

 それに医師として、患者様の回復を喜ばないはずはありませんから」


 なるほど、とケヴィンは思った。

 どうやら、ただ人を観察して楽しむだけの変人というわけではないらしい。

 ケヴィンは、マーティンの事を少し理解出来た気がした。


「それでは、まず……基本的な確認からいきましょうか。

 ケヴィン様、先程3000年という言葉を使われてましたが、

 それはケヴィン様が活動されていた年代が3000年前である、と考えてよろしいですか?」


 この事は王家などに記録があるので、本当にただの確認だ。

 しかし、ケヴィンの反応は若干想像とは異なっていた。


「ああそうだ。神暦1498年……いや1500年は過ぎていたはず……?」

「あら~?」

「?」


 そこまで言ってケヴィンの顔に少しずつ焦りの色が浮かんでくる。

 大人しく聞いていたアマラやミリアムは怪訝な表情をした。

 医師であるマーティンは、これを良くない兆候であると考えすぐ言葉を返した。


「ケヴィン様。ひとまず落ち着きましょう。

 ……先程の話になりますが、記憶というのは厄介なものなのです。

 仮に失われて戻るということになったとしても、それが一気に全て戻る事があったり、段階を踏んで戻る場合もあったりと様々。

 それに一気に全て戻った方が良いとも限りません。記憶と現実との間に齟齬が生じて、当人がより混乱してしまう可能性すらあるからです。

 ケヴィン様の場合は後者に当てはまるようですし、この段階で焦りは禁物ですよ」

「……ふう、そう――だよな。

 お互い、ぬか喜びとなってしまったけどな」

「仕方がありません。ゆっくりいきましょう」


 ゆっくり微笑みながら話すマーティンの言葉で、気持ちを落ち着けたケヴィン。

 そう言えば、とケヴィンはある事実に気付く。

 先程「彼女」の姿は思い出したが、肝心の名前を思い出してない事にである。

 中途半端な思い出しに面影を見るとは、とケヴィンは苦笑を浮かべずにはいられなかった。

 その姿に残る二人もホッと安堵するのだった。


「こうなってくると、ケヴィン様の方から思い出した事を挙げて貰った方が良さそうですね。

 確実に思い出した、と言える事はありますか?」

「そうだな……まずその日記がオレの物だという事は確実に分かる。そして、それに封印魔法を掛けたのもな」


 思わぬ単語が出てきたので、三者三様の反応を示す。


「魔法……っ! ケヴィン様が扱うそれはつまり、こ、古代の魔法ということですよね!

 神の御技たる古代魔法……! 一体どれほどのものなのでしょうか!」

「封印魔法……? 私は聞いた事ないです。先生はどうですか?」

「……ええ、私は知っています。

 ですが、現代の魔具を介した封印魔法は物の保護性をある程度高めるくらいで“硬体”にも及ばないはず……」


 ケヴィンにとっても三者の言葉は意外なものとしか言えなかった。

 しかし、今は一つ一つ問題を片づけることに専念する。

 勿論、ひたすら気持ちを昂らせているミリアムについては見ぬフリだ。


「今の魔法がどんなものとなってるのかは分からないが……。

 封印魔法の本質っていうのは、行使者の格を越えない限り、封印に対するあらゆる現象・概念を通さないという事だ。

 そして、オレがその日記に封印魔法を掛けた際は……そう、最低でも格80を超えていたはずだ。

 つまりこの3000年、それを超える格でオレの封印相手に干渉する奴がいなかった、というのが聖遺物扱いの正体なわけだ」


 まだ自分の日記を聖遺物認定されたのを根に持っているのだろう。

 やや皮肉気にケヴィンが解説していた横で、三人はと言えばそれどころではなかった。


「「「――かくはちじゅう!」」」


 予想以上の反応をされて、逆にケヴィンの方が戸惑った。

 確かに格80は高いだろうが、それほどの事だろうかと考えてしまうのだ。

 なにしろ、3000年前にはそこそこいたはずなのだから。

 それに対する答えはマーティンが示してくれた。


「いやあ、まさかそこまでの格をお持ちだったとは……。

 寝台の拘束機能が破られそうになるはずですよね。お話にならない程の差があるわけですから。

 もはや、聖遺物抜きでもケヴィン様は聖人扱いされても不思議ではありませんね」

「な、何? ちょっと待て、お話にならない程の差ってどういうことだ?」


 ケヴィンとしては単独聖人扱いも聞き捨てならないが、それ以上に気にしなければならないことがあり、聞き返した。


「言葉の通りですよ。

 具体的に言いますと現在、世界最高峰格持ちの護導士は確か20前後だったはずです」

「……本当に?」


 ケヴィンが確かめるように首を回すと、マーティンの横で残る二人がうんうんと頷いている。それを見ていよいよ本気で頭を抱えたくなってきていた。

 ケヴィンは左こめかみに手を当てながら、一つの推論を述べてみる。


「……もしかして、今の世界には“昏き扉”が出現しないのか?」


 ある意味、ケヴィンは希望を込めて尋ねている。

 もしそうであるなら、少なくとも今の世界は魔族の侵略に怯える事のないくらいには平穏である、ということになるからだ。

 3000年前には多くの人がそれを夢見て――

 だが、返答は期待を裏切るものであり、予想外のものでもあった。


「いえ、出現しますよ。

 ですが、今の昏き扉からはほとんど魔族が出現しなくなっているのです」

「なんだって⁉ それはいつから」

「正確なところは私にも……ミリアム殿下はご存知ですか?」

「王家の記録ではおよそ500年程前から、という事になってますね。

 なんでも波が引くように急に消え去ってしまった、とか」

「何故そんな風に……」

「分からないです。一説には魔族全体が滅びる寸前なんじゃないかと言われてるくらいで」


 ケヴィンは険しい目をしてこめかみを強く押しながら、思考を加速させていた。

(魔族全体が滅びる寸前……? バカな、!)

 例え魔族との戦いが常に人族有利で時が3000年経とうとも。

 そして仮にこちらから魔族の世界に攻め込み、生きている魔族を根絶やしにできたとしても。

 魔族全体が滅びるのは絶対に有り得ないのだ。

 ケヴィンはその理由を知っているはずだった。思い出せないだけで。

 もしも、もしもだ。

 その500年という年月の間に魔族が力と技術を蓄え、人族との争いを一撃にて終わらせようとしているのなら。

 人族全体の格が落ちて、魔族に対してほとんど警戒していない今の世界ではひとたまりも――


 ケヴィンが険しい顔をして考え事をしているのを、三人は黙って見守っていた。

 明らかに只事ではない、とその様子が告げているためである。

 やがて考えが纏まったのか、ケヴィンが口を開いた。


「…………どうやら、早急にオレの記憶を元に戻さなくてはならない、らしい」


 その表情は苦渋に満ちていた。

 それはそうだろう。なにせ先程正反対の言葉で説得されたばかりだ。

 現に。


「……何事かは分かりませんが、医師としては焦って頂きたくはありませんね」

「私も、出来れば無理はしないで欲しいです……」

「だが……!」


 マーティンとミリアムがケヴィンの心配をして反対する光景が今ここにある。

 しかしケヴィンとしても曲げられない事情がある。

 双方が口論に発展しようとした時、傍観に徹していた最後の一人がゆるやかに話し始めた。


「あの~。先生や殿下は危険を訴えて~、ケヴィン様は記憶を取り戻すのに時間を掛けたくないんですよね~?

 でしたら~、比較的安全確実に~比較的素早く~記憶を取り戻せる手掛かりがあるならいいんじゃないですか~?」


 突然話に割り込んできたアマラの言に、マーティンは毒気を抜かれる。


「それは……手掛かりがあるなら確かに望ましいですが、そんなものが何処に……?」

「あるじゃないですか。ほら、すぐそこに」


 アマラの指差すところには一冊の書物があった。

 それこそは別名・聖遺物とされていた、ケヴィンの日記帳である。

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