第13話 異邦人、ブルックス
帝都ラーディアナの地下には『七彩の大峡谷』と呼ばれる別世界がある。
地下の天井は地上世界の天を模したように昼には陽が昇り、夜には月とその位置を変える。
地上からゆっくりと地下に降りると最初に姿を現すのは、地下世界を分断する青銅の山脈とその両端に見える黒の砂漠と緑の大草原だ。
黒の砂漠には妖魔が棲み、大草原には獣人たちが住む。
山脈の両裾には二つの運河が流れ、砂漠と草原にそれぞれ支流を流し込んで地下世界に群青色の彩りを添えていた。
七彩、とは鈍く青色の肌を見せる青銅山脈の遥か北方の天空に咲く、オーロラのことを意味している。
時に鮮やかに、時に色濃く、時に空の黒よりも薄気味悪く……見る者によって彩りを変えるため、そう呼ばれている。
地上と地下世界の起点となるのが、レットーの街だ。
巨大な円柱がその後方にあり、中は回転エレベーターのようにぐるぐると回りながら、楕円形の部屋が来客を迎えては送り出す。
レットーは高地にあり、黒の砂漠へも緑の大草原にも至ることができた。
その裏あたりから、街を西側を抜け、やがて運河へと入るカナン河は帝国初期に掘られたもので、約千年の歴史を漂わせながら多くの船舶がこの街へと出入りしていた。
ここ最近、レットーには地上世界から冒険者の流入が多い。
それは、地上世界にある帝都の総合ギルドがあるサービスを開始したからだと、街の民の噂になっていた。
そんな中、レットーにある総合ギルドレットー支部を訪れた一人の女性がいた。
「えっと……ここ?」
見上げれば六十数階建ての高層ビル。
外壁にはクリスタルがさんぜんと陽光を反射して輝き、ガラスを使えばいいのにと思わせる豪勢な佇まいはさぞ、近隣の住民たちのひんしゅくを買っているに違いない。
空の青を映し込んだその姿は確かに歴史ある優美なものだったが、少女の口からは嫌味しか出てこなかった。
「クリスタル、全部はがして売り払えばいいのに。ギルドの財政難も少し救われると思うけどねッ」
地上の帝都にある本部ビルよりも高いそれは、はるかな過去に冒険者を主体になって世界規模で作られたあらゆる職種を統合したギルドーー総合ギルドの繁栄した時期に建てられたものだった。
しかし、今となっては子供が親の仕事を受け継ぐなんて伝統は廃れてしまい、誰でも好きな職業に就けるのが実情。
地下世界ではまだ奴隷制度があるらしいが、地上では魔導が栄え飛行船の広告欄に薄い鏡面を貼り付けて動画宣伝すら流せる時代だ。
あいにくとこの地下世界では上ほど文明は進化しておらず、つまり……田舎臭い。
帝都郊外の実家がある田舎の都市風景を思い出し、少女はため息を一つついた。
足元には立派な大理石が敷き詰められていて、これ一枚だけでも自分の月給ほどの価値はあるんじゃないかしら、などと思いつつレットー支部の入り口に歩を進める。
ニメートルはありそうな立派な両開きの扉が自動的に来客を迎えて開くと、受付には二人の女性の受付嬢がいる。
冒険者志望……? にしては変な恰好――と、その片方が奇妙な来客に首を傾げる。
やってきた相手は年のころは十六、七歳。
目深に藍色の頒布製の帽子を被り、腰ほどまである黒い長髪を後ろで無造作にまとめただけの気楽な髪型。
黒いオーバーオールと白い綿のシャツを着込み、足元はくるぶしほどまであるハイカットの白いスニーカーを履いていた。
時折、そのスニーカーの左右の側に縫い付けられた三日月を模したような刺繍が、キラ、キラっと陽光を反射して輝いているのがどこか不思議な雰囲気を漂わせている。
そのファッションにしても、身にまとう服や靴にしてもこの地下世界で見かけることが少ないデザイン。
明らかな異邦人。
そして何より、目深にかぶった帽子のつばの間から、時折覗かせる鋭すぎる眼光がまともな来客ではないことを物語る。
「いらっしゃいませ、総合ギルド地下レットー支部にようこそ……?」
「ああ、どうも」
少女は威圧感のある眼差しを二人に目を向けると、案内受付のテーブルの上に乱雑に物を置く。
白い封筒、四つ角を金色に染められた持ち主に似つかわしくない高級感溢れるそれを、受付嬢たちはしげしげと見下ろした。
封をしている面が表にして置かれていて、そこにはしっかりと封印がなされている。
帝都にある総合ギルド本部の刻印がくっきりと押されていて、その隣には小さく「ラノツ(頭という意味)」の署名。
ギルドを統括する六人のギルドマスターたちしか使うことの許されない署名だ。
その事に気づいた受付嬢の片方は、えっ、と小さく疑問の声が上げると封筒を手に取り、表にして宛名を確認する。
そこには、支部長のギルドマスター・バルズ宛と書かれていた。
「えっ、えと――あの……帝都本部からのこれは……?」
「そう。上のダイアンヘッドギルマスからここのギルマスへのわたしの紹介状。見たらわかるでしょう?」
「あ、はい。そのようですね」
「なに?」
「あ、あのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ブルックス」
「ブルックス……様?」
そう、と黒髪の向かって左側の一房がなぜか銀色に染まっている少女はぞんざいにうなずいた。
ヘッドギルマスとは、各支部を管理するギルドマスターたちの更に上にいる、最高管理職にして本部長のことを指す。
そんな大物の名前が出て来るなんて思わないから、受付嬢は唇を小さく開いて頷き返すしかできなかった。
「上。繋いでよ」
「あ、でも」
ただいま、バルズ様はお出かけです。
そんな一言を言っただけで噛みつかれそうな鋭い鳶色の眼光に恐れを抱いてしまい言葉が続かない。
狼のような視線を持つ少女は、獰猛な目力で受付嬢を威圧していた。
「でも、何?」
「あの、あれ……」
「あれ? あー! 勝手にあんなことっ」
受付嬢が指さす方向を見ると、そこには案内板が掲げられていて、その日の行事内容が細かく書き込まれている。
その一つに、『技巧賃貸契約説明会』と記されている。
時間は早朝から正午までで、ちょうどいまはその真っ最中に当たる時間帯だ。
ブルックスと名乗った不意の来客が、「地下の田舎支部の癖に賃貸って何様のつもりよ」とぼそりと呟いたのを聞いて、受付嬢の笑顔は少々強張った。
「あの、ブルックス様。宜しければ、上の応接間に御案内を致しますが」
「応接間? それで後からあなたが叱られなければいいけどね」
「は、はは……確認、致しますね」
「ええ、そうした方がいいと思うわ」
「お待ちください」
どう見ても年下の少女に威圧され、面白くない受付嬢は頬を引きつらせながら会場に繋げるようにと、隣に立つ同僚にお願いと目配せを一つ。本当は六階の会場で行われている説明会に自分が出向いて確認したかったが、この場で最初に応対をしたのは自分なのだ。
飢えた狼の目の前に一人で放り出された気分だったが、そこは笑顔を取り繕いながら我慢するしかなった。
「ねえ、あれどういうこと? なんで賃貸なんて書いてるの? 貸与が正式じゃなくて?」
「へ? ああ、あれです、か。なんでも、地上の帝都本部から借り受けてそれを更に登録冒険者に貸し出すからだとか……」
「ふうん……叉貸しして間を抜こうってセコイことするのね、ここのギルマス」
「セコイ!?」
「そうではなくて?」
「そっ、そんなこと。うちでも借り受けているリスクはある訳でしてッ!」
借りて貸すのだからもし壊されたりとか奪われたりとか、無くされたりとか! そんなことをされたらレットー支部の信用に関わるのだ、と受付嬢はここはしっかりと説明しなければならないという義務感が働いたのか、懇切丁寧な説明をブルックスにしようとする。
しかし、黒髪の来訪者にはその力説はどこかを吹く風のようで、聞こうという姿勢は微塵にも感じ取れなかった。
それどころか、
「リスクは貸し出す方だってある訳じゃないですか。そう思いません? もし、紛失されでもしたら世界本部に対する面目を失うのは帝都本部ですよ? 正式には総合ギルド連盟所属ラスディア帝国内総合ギルド本部ですけど」
などと反論されて、この地下世界のレットーという小さな世界しか知らない受付嬢は、うっ。と言葉に詰まってしまう。
「そっそれは――」
「そんなんだから、わたしが降りて来なきゃいけなくなるんじゃない」
「は? わたしが降りて来る?」
またぼそりと、愚痴なのか独り言なのか意見なのか判断の付かないことを語るブルックスに受付嬢は疑問を口にする。
「何でもない」
「はあ、そうですか」
「ええ。そうなの――遅いわね」
このよくわからない来客をさっさと捌いてしまいたいという欲求を隠しつつ、ギルドの受付嬢は困惑の色を顔に浮かべた。
そうこうしているうちに、さきほど上階に確認に行った同僚が慌てた仕草で階段を駆け下りて来るのが目の端に映る。
「あ、戻って来たようです」
「そうみたいね」
ねえ、どうだった? そう問いかける暇もなく、同僚は息を整えるとブルックスの前で居住まいを正して背筋を伸ばした。
いつもは見せない来客用の笑顔でなく、真剣そのものの仲間を見て受付嬢は思わず息を呑む。何事かと思いきや、
「たっ、大変失礼致しました! ハイターギルドマスターが……お待ちです、ブルックス二等債権回収官殿!」
「あら、そう。だって?」
その役職に思わず受付嬢はごくりと唾を呑んだ。
債権回収官、そのものは特にめずらしくない。この支部にだって債権回収課は存在する。
二等、と頭に付くのが問題だった。それはすなわち、課長クラスでギルドの経営幹部で……自分たちのような一般職からすれば、はるか遠い雲の上に位置する役職だったからだ。
「しっ、失礼しました! 行ってらっしゃいませ、ブルックス二等債権回収官、殿」
田舎だの地下だからだのと悪態を突かれ、怒りを覚えたのもどこに行ったのやら。
たった一つの役職が知れただけでこうも態度が変わる自分に情けなさを覚えた受付嬢に、
「ありがとう、おねーさん」
と、ブルックスは嫌味たっぷりの態度と挨拶をして、案内役に誘われるままに上階に続く階段を登って行った。
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