第27話:社会が教えられること ③-1

こういうことが長期間行われている事で子供たちが“大人のせいで学校の楽しい思い出を潰されている”という他責思考に似た心理が芽生え、精神的に追い込まれてしまう、追い詰められてしまうことで自殺や引きこもりなど子供たちの未来を潰すことに繋がってしまうのだ。


 そして、この考え方が次の子供たちにも繋がっていくため、負の連鎖に繋がる可能性があるのだ。


 このように他責思考を生む種は世代を超えてどんどん繋がってしまうことで、大人になった子供たちが子どもに対する見方も変わってしまう。


 これらを変えるためにもある程度の妥協点を子供たちにも適用し、柔軟な対応をすることが必要であり、子供たちが縛り付けられないように制度や制約を動かしていく必要があると思う。


 そして、大人と全く同じにすることは問題ないと思うし、そこに制限をかけることで子供たちは無意識のうちに“大人の言うことに従わなくてはいけない”という思い込みが出来てしまうのだ。


 その思い込みが、子供たちは大人に反抗することなく、自分たちに不利益が被らないように行動する、考えるようになってしまうのだ。


 私はこの考え方が子供たちの成長を止めてしまうだけでなく、“大人になったときにはこういうことをしてもいい”という誤った認識で自分の子供たちにも接してしまう可能性があると思う。


 これらの負の連鎖を止めるには過剰な線引きや同一基準での対応など評価者の裁量ではなく、共通基準を用いて判断する事が大事になると思うし、そこから学ぶことを増やさないと、新しい価値観は生まれていかないし、相互理解や他者尊重の精神は子供たちにも根付いていかない。


 今は人との交流も少しずつ回復はしてきたものの、まだ発展途上にあるように感じる。


 その理由として、自分にとって安全な人を探し、その人とつながりを持とうとする子供たちが増えているように感じることや自分の夢と同じ夢を持っている人を排除する、同じ人を応援している人を拒絶するなど自分を過度に守り、何か起きたとしても自分に飛び火すること、その人と比較されることを避けるために周囲から傍観するなど自分に不利益なことが起きないように回避しようとする動きを見せる。


 しかし、これは自分を過小評価することにも繋がりかねない部分であり、自分を守っているように見えて、実際には自分を追い詰めているというケースも少なくない。


 そして、子供のうちからこれらの習慣がついてしまうと子供によっては“自分には才能がない”や“○○のために頑張ったのに”など自分の事を卑下してしまう、“○○に利用された”や“○○のせいで自分がこの夢に挑戦できなくなった”など自分が起こした行動やアクションに対して他責思考が芽生えて、他人を攻撃しやすくなるなど子供の精神発達にも知識の発達にも悪影響が出る。


 その他にも大人と子供で差を付けすぎると子供が大人になったときに人と交流する機会が増えるのだが、その機会の使い方がアンバランスになる事も十分に考えられるのだ。


 今は大人>子供になっており、子供がやってはいけないことが大人はやって良いと言った理不尽な考え方が多く、大人がやっている事を黙ってみるしかないという子供たちにとってはかなり苦痛を感じやすい状況が長期間にわたり、自分の価値観を発信しようとすると今度は大人が子供を潰しにかかるような光景が顕著になり、生きづらい社会を作り上げてしまうことや子供たちに向かって“そんなこと言って何かあったときに責任取れるのか?”といった心ない言葉を子供に対して投げてしまうことで大人が恐くなる事や大人に対して不信感を持つようになることも十分に考えられる。


 今の子供たちは価値観もインスピレーションも以前とは違った視点から考える子が多いため、大人たちが理解している事とは違う視点を持っている事もある。


 だからこそ、その考え方を吸収し、子供たちと考え方を共有する事でお互いに成長できる機会が増えていくのだ。

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