中旬
8月11日 6時~19時
早番をするたび、タカユキは不安を隠さない。辛うじて聞き取れたらしい『我慢してくれ』に対して卓上時計やテレビの表示や俺のスマホの示す時刻が全て常より1時間も早いと言った。構わず家を出た。先週のことも忘れたらしく、裸足のままで後を追ってきた。無駄と分かりつつも言葉を費やし、10分ほど遅刻した。
なぜ遅れたのかと休憩時間、店長に詰問された。歓談中だった人達が一斉に沈黙した。
店長に社会人としての在り方がおかしいと言われるも、ならばアンタがタカユキの面倒を見るのかとキレるわけにもいかない。彼らにタカユキのことを伝えるのは年末調整の所得控除だけで十分だ。
8月12日 休日
休→仕事→休という状態は最も頭が混乱する。混乱したから家でも仕事の真似事をする。「クリーン活動」をしてしまった。
『鮮烈な恋』というタイトルのWordデータがゴミ箱に入っていた。このまま捨てておくにこしたことはないが、データを整理すると決めた以上、目を通すことにした。小説だった。太宰治から受けたインスピレーションを書き手が無加工で提示しているため、ニキビ面の男子高校生の体臭を連想させる。そして、これを書いたのが若き日の自分ではなく、芝上だった。とても不愉快な男であったことも思い出した。この小説もクラスメイトの何人かにメールで送り付けていたはずだ。
奴も地元を離れなかったようだ。店員と客、芝上が図太くなる動機を与えたくないため声はかけなかった。
今日は耳鳴りが静からしいタカユキが横で読んでいた。つまらないと漏らした。つまらない理由を問うと、この小説には動きがないと答えた。
ウィシュマ・サンダマリ氏の死亡事案に関する最終報告書が昨日公表された。遅れたが、TBSのニュースを見た。遺体はひどく痩せ別人のようらしい。カフェオレを飲めず鼻から噴出したのを見た看守は「鼻から牛乳や」と言った。
8月13日 7時~20時
台風が接近すると、2018年のことを思い出す。駐輪場のトタン屋根が空を舞い、街路樹が倒壊した。
店長が売場で険しい目をしていた。後で聞けば、万引きの常習者の女が来店したそうだ。店長は彼女が退店するまで追いかけていたようだ。
グレーのズボンが欲しいとタカユキが言った。グレーのズボンの尻の部分が裂けたそうだ。ブリッジが僅かに歪んでいるらしい眼鏡を買い換えないかと提案したときには激しく拒否をした。眼鏡は高いからいいと言った。
メンタリス(どういう意味かは知らない)DaiGoという男がホームレスや生活保護受給者を侮辱した。共産主義よりよほどアクチュアルな危険思想ではないか。無用の人とされることがどれだけ心臓を抉るか。
8月14日 7時~21時
いつも通り寝たはずなのに、心臓が潰れるかのごとき悪夢を見た。タカユキになっていた。かつてタカユキが証言した情景だ。埋葬されていた犬が泥で汚れている。犬は小型犬だ。彼の机の上に墜落したかのように腹を向けて、目は毛で覆われている。顔のない男子生徒たちが俺を囲っている。そのうちの一人が俺の頭をつかむ。そして犬の股に押し付けようとする。俺は机を掴んだ。どれだけ頭を殴られても堪えていた。だが誰かが俺の腿や腹を蹴り始めた。気がつけば、死んだ犬の性器が俺の口の中にあった。死骸の性器に舌が触れた。臭いはしない。毛が抜けて喉をふわりと刺激し、激しい嘔吐の前触れ、胃の痙攣で身体中が震えた。
この日は妙なほど客に褒められた。声や顔や身体つきを称賛され、刺身の見栄えが良いとも言われた。笹木さんの子供が熱を出したそうで、早退した彼女に変わり雑務をすることになった。
8月15日 7時~19時
ウンコをしながらスマホを触っているとタカユキが扉をあけたことに驚き便器に落としてしまった。角にウンコが付いたものの、ウンコのおかげで水没せずにすんだ。タカユキはゴキブリに怯えていた。
新入りの宮野さんと挨拶を交わした印象として、彼女の声が記憶に残るほど震えていた。年は聞かなかったが、少し上であろう。手先はあまり器用そうではないが、几帳面なところは笹木さんの評価が高そうだ。売場の整理に徹してもらうようにする。
敗戦か終戦か。まだ戦闘していた地域があったこと。そもそも前日ではなく天皇の声を特別視することの是非。まだ知らないことがある。
『日本のいちばん長い日』は迫力があるものの、岡本喜八作品ならば『激動の昭和史 沖縄決戦』を選ぶ。田中邦衛が小便しながら青年の特攻を哀しむシーンが好きだ。
8月16日 7時~20時
入管が開示した文書は紙とトナーの無駄使いとしか呼べないゴミだった。黒塗りに従事することは「ブルシット・ジョブ」に分類されるのだろうか。この黒塗りの文書は入管の闇を示しているという趣旨の発言を、弁護士がしていた。
OMSBが『CLOWN』のMVを公開していた。海外のラップを聴き、日本語ラップを聴くと感じることに、ビートの派手さがあると思う。日本語ラップの派手さはビートだけで成立しているのではないかと感じるほどだ。OMSBのビートはシンプルなのが良い。シンプルなビートに絡む彼の色気がある声をもう一度聴こうもう一度聴こうとするうちに何度も再生している。
黒という言葉を、即ち悪事が隠蔽された闇の喩えにしてよいかどうかについて迷う。仮に、あの文書が白塗りされていたとしても、入管の非道さは変わらない。
タカユキが明日は絶対にハローワークに行くと言った。
8月17日 7時~21時
タカユキがハローワークに行ったそうだ。相談員から渡された求人票全部に目を通した。仕事内容のほとんどは清掃員だ。掃除の仕事はできそうかと聞いた。自分に出来ることなんてあるはずないと答えた。
他の求人票を出さないでいるかもしれないと勘ぐったため、整理整頓を理由に彼のクリアファイルを預かる。有効期限の切れた求人票ばかりだった。だが、整理していると、番号札を見つけた。間違えたと答えた。明日も行くように命じた。
革靴の手入れをしなければならなくなった。裏返った蝉の死骸を踏み潰したからだ。スナック菓子を砕くような音が、まだ、足の裏で響いている。
8月18日 7時~20時
朝一番、ハローワークの担当者に謝罪の電話を入れた。
休憩室の日経新聞、タリバンの復権は民主主義の試練とあったが、このことについてもう少し論理的に説明してほしい。タリバンの復権と民主主義の繋がりがいまいち理解できない。
宮野さんから、笹木さんと布賀さんはあまり仲が良くないのかと聞かれた。全く気にしたことがなかったと伝えたところ、怪訝な顔色が滲んだ。彼女が帰宅した後、笹木さんが一人であることを確認し、布賀さんの名前を強調しつつ以前に聞いた農作物が高騰するだろうという話題を出した。笹木さんは顔色を変えないまま、話題を打ち切るために語気荒々しく、あんまりあの人好かんねんなとだけ言った。
8月19日 休日
肌着で外出しようとするタカユキを説得した。Tシャツを肩が露出するまで捲ることで妥協をしてくれた。
タカユキがもらった求人票のうち、勤務地が最も近いところは家から10分ほどのガソリンスタンドだ。そこにタカユキを連れて行った。自分で見てみたいと言ったのだ。レギュラー148円。今年はガソリン代が上昇し続けているようだ。
久しぶりに喧嘩を見た。駅前のパチンコ屋の路地裏にて、リネンシャツの髭面男が、老いはじめた男の胸ぐらを掴み怒声を上げている。俺は逃げようとした。しかしタカユキが仲裁しようと彼らの方へ向かった。
我を忘れた男に、タカユキが頭を叩かれて倒れた。無関係な青年を殴ったことで冷静になった男が逃走し、好機とばかりに老いた男も行方を眩ました。
8月20日 7時~19時
月報に俺の写真が載っていた。社長が視察をしている様子の写真に、偶然写ったようだ。ガラス越しの顔は意図せず社長を睨み付けているかのようだった。この写真を採用した奴に文句を言いたい。店長は、やる気のない極道と言って笑っていた。
『バックヤードを美しくして作業効率を上げましょう』はベトナム人の社員が行った調理場の清掃が取り上げられていた。
休憩時間が同じだった宮野さんに、月報の説明をした。何部か余分にあるので持って帰っても構わないと冗談で言ったのだが、彼女は苦い顔をして1部手に取り更衣室に向かった。
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