2021年8月
古新野 ま~ち
上旬
8月1日 7時~19時30分
今年も秋刀魚は高そうだと笹木さんが言っていた。安くなる見込みがないとのことだ。
俵屋宗達の雷神を思わせる顔付きの社長が視察に来たそうだが、全く気がつかなかった。視察した結果、彼らの労働時間が長すぎるので不採算店舗をたたみ人員を集中しよう、などということになるはずがない。先月の月報では『バックヤードを美しくして作業効率を上げましょう』とあった。今月も清掃活動をしているかの視察なのだろうか。
先月から続くことといえばタカユキの体調は依然として悪いままだ。小山田圭吾の障碍者虐め報道に触れたタカユキはいっそう気が滅入るばかりだ。
8月2日 7時~20時
桜庭(桜田だったか)さんが頼んでいた寿司5人前にアジを入れてはならない。以前、青魚抜きだったことを忘れてクレームが入っていた。
7月が前年より鮮魚の売上が落ちていることを店長が指摘していた。言われるまでもないことだ。アニサキスを電流で殺虫するという報道があったが、実用化されて、当店に導入されるまでどれほどかかるだろうか。もう何年も前のことだが、芸能人がアニサキスで搬送される報道が続いた時の落ち込み方はすさまじいものだったことを思い出した。
タカユキは今日も1日寝ていたらしい。
8月3日 7時~20時
藤本タツキの『ルックバック』が修正されたそうだ。京アニ事件はもうフィクションになるのかと驚いたことは記憶に新しい。あのようなクリエイターを描こうとする作品群は、創作者のウケが良すぎて鼻白む。『SHIROBAKO』や『映画大好きポンポさん』でも感じたことだが、クリエイターを賛美する作品を作り手がベタ褒めし、受け手がそれを模倣するかのような状況から孤立したい。
小山田圭吾には音楽の才能があり音楽には罪がないという話を笹木さんがしていた。
彼女が通勤時に装着しているヘッドホンは、本来音楽を聴くものだという常識を忘れていた。これ以上の騒音を聞きたくないと言うタカユキが外ではヘッドホンや耳栓を手放さないせいだ。
8月4日 7時~19時40分
注文された寿司は、鮪にだけワサビを入れておいて欲しかったことを伝えていたようだ。個別にワサビを入れるサービスはやっていないことを伝え、小分けのそれを渡したものの、あまり納得がいっていないようだった。もうあの人は来ないだろうと思った。
注文を聞いたのは笹木さんだったのではなかろうか。メモの字の無駄にキレのある払いや漢字より一回り小さい平仮名、フリーハンドにもかかわらず水平な段落わけ。神経質な彼女の仕事だろう。
タカユキはハローワークに行かなかったそうだ。耳鳴りが酷いと言っていた。働いてほしいとはいえタマホームのような社長が風俗を薦めるような倫理観のないところには任せられない。
用意した晩飯は冷やし中華だった。トマトを俺の皿にうつして、俺の皿から全てのハムを奪った。
8月5日 7時~20時
布賀さんを中心とした農産コーナー連中の雑談によれば、北海道の暑さで農作物の値段は上昇を避けられないとのことだ。
タカユキにハローワークに行くよう促した。休憩時にタカユキの担当者に謝罪の電話を入れたとき、明後日の14時は都合が付くとのことだった。おそらく行かないと思います、と言うと、電話の向こうの女性は信じてあげてほしいと答えた。
夜のニュースで河村たかしが金メダルを噛んだことを聞いた。衝動が抑えられない奴はどこにでもいるらしい。
タカユキが幻聴に苦しみ始め、会話が成立しなくなってきた当初、苛立ちから手を挙げた自分の姿と酷似している。
8月6日 休日
8時15分ころ、鐘の音がした。
柳瀬さきがTwitterに載せた写真に絶句する。以前より確信していたことを再度記す。圧倒的存在感という言葉は彼女のおっぱいを意味すると、すべての国語辞典が記載すべきだ。今回の写真は両手を頭に載せてピースサインをしているから彼女の腋がしっかりと見えることもよい。悦に浸りつつ眺めていたところ、背後に店長が居た。軽蔑されることをおそれ青ざめた。店長は、ヤバイなその子と言って、自身の胸を触った。この瞬間の彼女が俺に抱いた印象の真実は一生分からないだろう。分かりたくない。
小山田圭吾のニュースをできるだけ見せないようにしていたものの、タブレットで見かけたらしく、大粒の涙を流していた。犬が、犬が、と呻いていた。
タカユキの同級生が今の彼を見てどう感じるのかと不意に想像してみた。埋葬されていた犬の死骸を彼の机に置いた彼らのことだから、何も感じないだろう。
8月7日 7時~19時
立秋。道中、辛いほど汗をかく日々だ。
OMSBの新作EPが出たそうだ。彼が5月頃に公開した『Naruhodo』のMVを繰り返し再生していたことを思い出した。
タカユキはハローワークに行ったらしい。しかし5分も滞在せず、約束を破ったことを謝罪しただけらしい。
トイレ掃除をしていた。怒られる前に褒めてもらえることを幾つかしておけば、という安易な発想だろう。もう何年もタカユキを叱った記憶がないというのに。叱られるかもしれないという予感を抱き、父に言われたことを独り言ちる。だからだめだからだめだめな奴だめな奴と呟きながらトイレ掃除をしていた。
小田急線で通り魔。女性が襲われたその日に犯人の事情に思いを馳せる共産党の政治家には失望した。
「わが国は核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」
菅に読み飛ばされた箇所だ。
8月8日 7時~20時
早朝からタカユキが悶え苦しんでいた。背中に手を当て、何度も呼び掛けたものの耳を塞いでいた。いつかのようにボールペンで鼓膜を破ろうとしないだけマシなのかもしれない。最近では例にないほどの狼狽えぶりであった。
出勤前までに落ち着かせることができたものの、一日、仕事が手につかなかった。指を久しぶりに切った。問題ない程度だがアルコールがしみる。
ワクチン接種後に熱が出たとのことで店長が休む。自分はどうなるかもあるが、それよりタカユキがどうなるか。接種の付き添いに一日、熱が出たら看病に何日かかるだろうか。
議員が自身の言動を「誤解を与えた」で済ます生物ばかりではないことを知った。だからどうという事ではない。
8月9日 7時~19時30分
オリンピック閉会式だ。連日の通知が無くなると思うと心地よい。色々とあったものの、無事に終わった大会でしたという見解をメディアが発し続けるだろうが、騙されるな後の自分。
河村たかしが金メダルを噛んだことだけを覚えておいて笑えばいい。高須クリニックの爺と共に捕まることがあれば、ついでにこの言葉を思いだそう。「河村たかし、貸したら噛むわ」
もし世の中が『失われた時を求めて』の夜会のように、語り合う内容の中に当然のごとく政治があれば、河村たかしのような民主主義の根幹たる民意の捏造をしてまで従軍慰安婦の存在を否定しようとする連中は嘲笑の餌食となるだろう。そうならなければならない。
8月10日 休日
大阪の都心部ではいつの頃からか蝉の声を聞かなくなった。都心を離れ地価の安い我が家と大違いである。以前、タカユキの耳鳴りは蝉の声を聞き続けているかのようなものかと尋ねた。違うと言った。ある夏の終わりにタカユキは椋鳥の群れの下で、兄さんにも聞こえるかと言った。椋鳥が電線に居座り、上空が音で満ち、夕闇の重い静寂に抗うようだった。落ちた羽根や糞で地面が白く汚されていた。
笹木さんからメールが入っていた。新しいパートを雇うことになったそうだ。
久々にギターを手に取り、チューニングしないまま掻き鳴らすが、DコードからGコードへ指が動かないからすぐに止めた。
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