窓に書く言葉
細井真蔓
窓に書く言葉
おはよう。さっそく今日なくなったものを報告するよ。と言っても昨日の時点でもう、だいたいのものはなくなってしまってたからね。だからこうして今日は、そうそう、裸で目が覚めた。最後に僕の着ていた服と、ずっと付けてたノートがなくなった。それとボールペン。思い返してみれば、最初になくなったのもたぶんボールペンだったのかな。お気に入りのやつで、いっつも筆箱には三本は必ず持ち歩いてた。それが一本なくなって、でもあのときはなくなったことにも、とくべつ気がつかなかった。あのときはまだ、そんなボールペンなんかよりも大事なものがたくさんあった。思えばあのときに、もっとちゃんと探しておけば、どこか知らないこんな森の中で、裸で目を覚ますこともなかったかもしれない。
それからいろんなものがなくなったな。まず小さなこまごましたものがなくなっていって、おかしいな、最近ものがよくなくなるな、と思うようになってからしばらくして、部屋の掛け時計がなくなった。朝起きてみると、いつもの場所に、日に焼けて残った時計の跡だけがくっきりと、あのくらいから、確かにもう元には戻らなくなってたんだろうな。
より大きなものが、次々になくなっていった。あまりのことに最初は驚いたけど、なぜかすぐに慣れてしまった。それから、こうして、ノートを付けるようになった。何月何日、なくなったもの。毎日必ずページの四分の一くらいは埋まった。気づかなかったものも含めると、もっとたくさんなくなってただろう。僕の部屋には、僕の持ち物が、こんなにたくさんあったのか、と思った。でもその中で、僕がほんとに必要としていたものが、いったいいくつあったろう。今の僕には、そのすべてが必要だ。
ほとんど何もなくならない日が、数日続くこともあった。そのときはたぶん、僕のいないどこかで、僕に関わったものが、なくなっていたのかもしれない。
最後まで残るのはなんだろう、と思ったら、意外なことに、僕がそれまでいろんな人からもらった、手紙だった。ほとんど何も残っていないからっぽの部屋で、なくなってしまう前に、その手紙を、ぜんぶ読み返した。それから数日の内に、それも残らず消えた。
部屋の中のものがぜんぶなくなってしまってから、あいかわらず僕の着ている服と、ノートだけはいつまでも消えずにいたけど、これからどうなるんだろうか、まだ何かなくなるものがあるだろうか、と思ったら、次の日目が覚めたとき、この森の中にいた。どこだか知らない。日本かどうかもあやしい。ノートと服だけは残ったけど、僕の部屋はなくなってしまった。
大きな木の根元に座ると、裸のお尻が痛かった。その辺の落ち葉を集めてきたら、柔らかい座布団みたいになった。さて、すずしげに擦れる木の葉の向こう、白っぽい空を見上げて、これからどうなるんだろうか、と考えた。とは言っても、だいたいの予想はついてた。ノートを付けはじめてから、次になくなるものが、不思議とわかるときがあった。わからないときも多かったけど。それで、今は、なんとなくピンときてる。次になくなるものは、はじめから決まってたはずだ。そのために、ずっと時間をかけて、ちょっとずつ、すべてがなくなってしまったのだ。ノートももういらない。
これは、僕自身が、望んだことだったかもしれない。今となっては、それもあやふやだ。ものがなくなってしまったら、そこにくっついてた思い出も、残らずなくなってしまうらしい。そうして、あの浮かぶ雲みたいに、もとあった形を変えて、どこかに流れていって、消えてしまう。あやふやになってしまったら、もうもとには戻らない。それでいいのかな。時間はきっと、あんまりたくさんのものは連れていけないみたいだ。そうして、準備ができた。できれば、今日は抜けるような晴天、それが夜まで続けばいいな。そして、星が、今まででいちばん、僕が覚えてる中でいちばん、たくさん見えればいい。
窓に書く言葉 細井真蔓 @hosoi_muzzle
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