仇討を成し遂げて笑う男
それからほどなくして、直家は舅の中山信正と酒を酌み交わした。
「娘は元気か」
「ええ無論」
「そなたは息子の様な物だからな」
「息子ですか……」
直家は笑みを浮かべながら酒を注いだ。
「とは言えど既に私も三十路。一人前のつもりではあります」
「そうでなければ困るのだがな」
「成人した息子にとって父は唯々諾々と従うだけの存在ではありません」
「もちろんそうだな」
「父が過ちを犯していると見ればそれを正すのも親孝行と言う物でしょう」
「ほう、言ってくれるではないか」
信正は婿の器量に感心しきりであった。彼ならば一緒に戦える、そんな感情が湧き上がっていた。対する直家も穏やかな笑みを浮かべている。
「まあ、二人で吞むのも淋しい物ですから何人か」
「おおそうか、それはいいな」
「では」
直家がそう言いながら右手を挙げると数人の人間が出てきた。その中に女中や踊り子は一人もいない。
全て、甲冑を身に纏い腰に刀を差した男性であった。
「なっ……」
「だから言ったでしょう、父の過ちを正すのも親孝行であると」
直家の望みが自分の首である事を悟った信正は震え上がった。
「私は浦上の人間です。これ以上の説明が要りますか?」
「いやだとしても、お前は私の義理の息子で……」
「私は親孝行であるより忠義の臣である事を選びますので…………」
毛利と通じている事は知っていますよと言わんばかりの直家の物言いに信正は口を閉じるしかなかった。
「酷うございます!」
「………………何がだ?」
直家の妻、つまり直家に殺された中山信正の娘は直家を強く非難した。それに対し直家は全く素知らぬ顔である。
「何がだですって!?我が父は貴方にとっても父ではないのですか!」
「父が過ちを犯せば正すのは当然であろう。お前は私にその過ちを見過ごす不孝な子になるべきだったとでも言うのか?」
「一体何をしたと言うんですか!」
「浦上家を毛利に売ろうとしていた」
「本当にそれだけですか!」
「ああ、それだけだ」
「だったらなぜ……なぜ話し合ってお考えを変えようと!」
「阿呆かお前は」
妻の涙ながらの抗議も全く馬耳東風の体である。
「既に義父上が浦上家を毛利に売ろうとしていた事実は覆しようがない。そんな人間をどうやって説き伏せよと申すのだ?私が義父上だったら逆に訪ねて来た息子を取り込みにかかる。拒否すれば親の言葉を拒否するとは何だとか言って私を拘束する。それでも考えを変えないとあらば首を打つ」
その後は宇喜多直家が浦上家を尼子に売ろうと自分を誘って来たとか言えばいい。死人に口なしである。
「誰かが捏造して父上をはめようと……」
「お前は人を阿呆だと言いたいのか」
「阿呆でございます!誰のお陰で今のような」
「大体義父上がだな、自分がやっている事の重みを認識なさっていなかったとでも言うのか?浦上家の家臣でありながら、つまり浦上家から禄を食む立場でありながら浦上家と敵対する毛利家に通じている……と言う情報が捏造だと言うのならば確かに私はその捏造の情報を信じて義父を討った阿呆だな。…………それで、お前の言う誰かって誰だ?心当たりがあるのだろう?聞かせてくれ。答えによっては」
腹立ち紛れの抗議も効き目を表す気配すらない。
「親孝行したいと言う気持ちがないのですか!」
「あるからこそ殺したのではないか、親の過ちを正す事は立派な子の勤めだ。それにな、これで私はさらなる親孝行の権利を得たのだ」
妻は、ついに何を言っても無駄だと悟り腰を上げた。これだけ好き放題謗ったのに眉一つ動かさず口一つ顰めようとしない直家に、ほとほと愛想が尽きたのである。
(もうお前は宇喜多の人間だと言う事が……まだわかっていなかったらしいな)
愛想が尽きたのは直家も同じだった。宇喜多家が生き残るためには、まず浦上家を生き残らせねばならない。だからその為には、例え義父であろうが浦上家と脅かす者は排除しなければならない。説いて聞く相手ならばそうするが、そうしても無駄である事をわかっているからこそこうやって殺したのだ。その事ぐらいはわかっていると思ったのに。
そして直家は、さらなる親孝行を実行に移した。
「私がこの時をどんなに待ち望んだとお思いですか?」
「そこまでするか……」
「しますとも。そもそも、内通者を斬って何が悪いんですか?」
その後程なくして、直家は自らの居城に一人の男を呼び寄せた。島村盛実である。
「権臣が主の位を脅かし、また狙うのはこの時勢ありふれた事」
謀叛の疑いがかかっているゆえ無実を証明して欲しいと言って直家は自らの居城に盛実を誘い込んだのである。その結果は、あまりにも明白だった。
「貴様も……」
「これは殿様自ら墨付きを下さった事です。武士にとって何より甘美なる勲章を得る権利をお授け下さったお方を裏切るなど、そんな事をする訳ないじゃないですか、あっ貴方は違うようですけど」
これまで浦上の重臣としてやって来れたの誰のお陰だ、自分の祖父宇喜多能家のおかげではないか。その能家を先に暗殺したのはどこの誰だ。
直家の目はそう言わんばかりに冷たく輝いていた、しかしそれでも口は笑っていた。
「今こそ祖父の無念を晴らす時が来たのです……では御免!!」
※※※※※※※※※
「馬鹿めが……因果応報という言葉も知らんと見える」
直家は、自ら斬り落とした盛実の御首を見ながら笑っていた。祖父の仇とは言え、人の生首を見て笑っていられるなど尋常な神経ではない。
もっとも、宇喜多家内にその事について問う者はいなかった。もちろん直家の盛実に対する恨みの深さを理解していたと言うのもあるが、それ以上にその直前の死とそれに対する直家の対応が家内の人間の空気を決定付けていた。
「あの目と言葉に嘘偽りはない……」
盛実が死ぬ少し前、直家の妻が自害した。
実父をだまし討ちの形で殺され、そしてその事に対し何の良心の呵責も見せない夫に絶望し、いや最後の希望を持って自らの命を捨てて直家に抗議したのだ。
当然葬儀が行われた、だがその時直家は一滴の涙も流さなかった。その目には悲しみの色は一かけらもなく、侮蔑の色がわずかにあっただけだった。
「浅薄よな……真に私に抗議したいのであれば男子を産めば良かったのだ」
直家にはまだ男子はいない。
だから男子を産めば必然的にその子が長男となり、宇喜多家はその長男、つまり中山の血が入った人間を継嗣として育てるしかなくなる。
そうやって中山の血を持った人間を育てれば、中山家の名誉も回復されようと言うのに。なぜそこまで考えが達せなかったのか、直家の頭に浮かんだのはそんな言葉だけだった。
全く血の通っていない理屈であるが、その理屈を完全に論破できる人間がこの世に何人いるだろうか。少なくとも直家の中では一人もいなかった。
「私もまた同じ事に……いずれ因果は巡る。まあそうなったらそうなったで、楽しみにしておくか」
自分もまたこんな死に方をするかもしれない。
そう口で言うのは平易であったが、実際に覚悟する事の厳しさをわからない者は、今の宇喜多家内にはいなかった。直家はそういう覚悟ができていたからこそ、生首を目の前にして笑みを絶やさなかった。
そして大将の覚悟ができていれば、それは自然と配下の将兵にも伝わって行くのである。
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