第29話 保健委員

 今年の俺は保健委員だ。フットサル中に軽く熱中症気味になったクラスの男子を保健室へ連れて行った。体育祭の喧騒の中、そこだけふっと静かな教室棟を通って自分も熱中症にならないように経口補水的な飲料をと自販機に向かった。


 自販機近くのベンチに水色のクラスTシャツを着た女子が1人座っているのを軽く会釈して通りすぎるとガコンとペットボトルを購入した。体育館側の自販機と違ってこちらはまだ売り切れてなくて良かったと振り向くと先ほどの女子が山口さんである事にちょっとびっくりした。いつも誰かしら側にいるイメージでひっそりと人気ひとけの無いこの場所に1人でいるとは思わなかった。


「具合でも、悪いのか?」


なにせ熱中症患者を1人運んだ後の保健委員だ。気になった。


「うん、まあ、足捻っひねった。」


「保健室は?」


「先生いなかった。」


「今ならいるぞ。俺さっき熱中症になった奴運んだから。」


「足痛くて歩きたく無い。」


柔道部で、強くて、いつも人に囲まれてる彼女とは思えない様子にびっくりした。どうやって運ぶか。肩をかす?お姫様抱っこ?おんぶ?しばし悩んだ。他に人もいない。えいやと言う気で彼女に背を向けてしゃがんだ。


「おんぶでいくか?」


「いいよ。肩貸して。びっこならひける」


さすがにおんぶは変だったか。分からん。正解は。と思いながら脇に立つと彼女は俺の肩と腕に捕まってきたので、保健室に向かった。


「保健委員とか、誰かと一緒に来れば良かったのに。通りかかったのが俺でごめんな。」


一応、微妙なホットピンク男子なので謝っておくと、

 

「蔵ちゃんと喧嘩したの。人、面倒くさくなったから1人できたら先生いないし、痛いしで嫌になってあそこに座ってたの。スマホ置いてきちゃったし。平原くんありがとう。」


と脇から聞こえてきた。


「蔵森さんとケンカなんかするんだ」


「する。蔵ちゃんが悪い。」


多分、転校の事かなと思って胸が痛んだ。蟹ちゃんの聞き間違いの可能性を勝手に信じていたのだが。


「平原くんは、知ってるの?蔵ちゃんの」


そこで山口さんは口ごもった。多分あまり、広めたく無い事なんだろう。


「蟹ちゃんから音楽の先生が蔵森さんが転校するって言ってたって聞いたばかりだけど、本当?」


「蟹ちゃん?あのお喋り。私も今日聞いたばかりで。10月から音大附属に転校するって。平原くん、一回ちゃんと蔵ちゃんと話しなよ。」


やっぱり聞き間違いじゃなかったのか。とずーんと落ち込みながら、


「俺と話してくれるかな?蔵森さん。」


と山口さんに思わず聞けば、


「蔵ちゃん、平原くんの片思いの相手を心配してた。ちゃんと誤解ときなよ。このままサヨナラとかダメだよ。」


やっぱり山口さんには戸村を通じて全部筒抜けなのかと感じながら、返答に困ると


「着いた。ここでいいや。ありがとう。先生ー」


びっこひきながら彼女は1人で保健室に入っていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る