義姫

@wizard-T

義姫の思案

「何を考えているのだ!」




 そんな言葉が飛んで来るのは当たり前だろう。


 いや、誰だって今の彼女を見れば同じことを言うだろう。


 左を見れば竹に雀の旗が、右を見れば二つ引両の旗がずらりと並び、その旗を掲げた兵士たちが呆然としながら彼女の輿を見つめていた。




「世情を見るに長けた兄上の事だから、分かってくれると思っていたのですが」

「言いたいことが皆目わからんとは言わん、だがもう少し方法はなかったのか」


 あればこんな事はしなかったと、彼女は溜め息を吐いた。




 天下の半分を握っていた尾張の大名・織田信長が本能寺にて命を落とし、信長の寵臣であった豊臣秀吉、当時の羽柴秀吉が信長の仇明智光秀を討ち取って信長の後継者の座を確立してから既に六年が経っている。


 その六年の間に秀吉は中国の毛利家と越後の上杉家を従え、四国の覇者長宗我部家を屈服させ、東海道の雄である徳川家と九州の覇者島津家も臣従に追い込んでいる。


「時勢は今や、いやとうの昔に関白の元にある、お前がそう言いたいのはわかる。だがわしが納得した所で、ここにいる者たちが納得するか」

「それをさせるのが兄上の責任でしょうに。どうしてそれを放棄してこんな事をやっているのか、それがどうしても納得いかないのでございます」

「実際問題、ここまで追い込んでおいて妹がやめろと言うからやめますで済むか!」


 すべて自分のせいにすればいいではないか。


 それにここで下手に追い込めばこちらが悪いと言う事になりかねない。狡猾な策略家と名高き兄も、所詮は男と言う面子にこだわる生き物だと言う事かと彼女は思ったものの、さすがにそれは口に出せなかった。


「上杉に気を付けられよ」


 代わりに上杉という二文字を言うや、兄の顔に赤みが走った。上杉は昨年、ようやく新発田重家の乱を平定し国内に完全な安寧を取り戻した。言い換えれば、他国に出兵できる余裕が生まれたと言う事でもある。


「さ……下がっておれ!わしはこれから諸侯と肩を寄せ合って考える!我らは勝っていたのだからな、そういう事だ……!!全軍、下がれ!」

 兄・最上義光の言葉と共に、最上軍は包囲を解き始めた。


 そして義姫は撤退する最上軍を見ながら、柄にもなく胸を撫で下ろしてほっとしていた。





「とりあえず礼は言っておきます」


 相変わらず、愛想に乏しい物言いであった。もっとも、義姫自身としてもその程度の言葉で十分な位の恩しか売ったつもりはないのだが。


「それにしても母上も予想外に小心ですな」


 我が子である伊達政宗のはたから見れば的外れもいいとこな言葉に、義姫はなぜか納得していた。


「あんな尾張の農民上がり、この伊達政宗と比べれば関白にふさわしからぬ事幾千倍。そのような人間如き恐れるには値いたしませぬ」


 奥州伊達家は藤原鎌足にまで遡る事の出来る極めて由緒ある藤原氏の末裔であり、関白になるのに何の問題もない姓である。

 木下藤吉郎と言うそこらへんの足軽だった秀吉など話にもならない、なぜそれを恐れる必要があるのだと政宗は言っているのだ。確かに政宗の言う血筋の差は覆しがたい事実である。

 しかし、そのそこらへんの足軽が今や西は九州から東は越後までを支配しているのもまた事実なのだ。


「確かに我らの現在の勢力ではともかく、秀吉とて関東の北条を残して我らの元にやって来る事など出来ますまい。そして北条とてやすやすと屈する家ではございません。まだ我らには結構な時間があるのです」


 義光もそうだが、政宗も同様に、いやそれ以上に秀吉の事がわかっていないと義姫は頭を抱えたくなった。

 秀吉は三年前、九州の諸大名に対し惣無事令なる法令を発布し、そして昨年十二月奥羽・関東にも同じ法令を発布していた。わかりやすく言えば、大名同士が勝手に戦争を仕掛けてはいけないと言う法令である。

 だが島津家はこの法令を顧みることなく豊後の大友家へ攻撃を続け、その結果秀吉自らが率いる大軍の攻撃を受ける事になった。全体として見れば初戦から十ヶ月もの間抵抗する事に成功したが、秀吉が到着してからは一ヶ月少々しか持たなかった。

 しかも島津の場合、ぎりぎり間に合った程度とは言えほぼ九州全土に島津の旗を立てる事ができていた。伊達が今から島津と同じ状態になる事ができるはずがない。

 自分が輿に乗って戦場に乗り込むと言うとんでもない事をやって無理矢理和議に持ち込ませなかったら、最悪の場合この場で消えていたかもしれない家が。


「母上はお戻りくださいませ。我らはこれより宗顕殿を助けに行かねばならぬ故」


 政宗の妻・愛姫の父田村清顕の死後、田村家は分裂の危機にあった。妻の実家を救いに行くという大義があるのだから私戦ではないと思っているのか、それともそれは言い訳だけで秀吉など何とも思っていないのか。政宗の考えが前者である事を願ってはいたが、ほぼ間違いなく後者であろうことも義姫は見抜いていた。


 好きにするがよいと言い捨てると、政宗は全身で感謝の意を表してやると言わんばかりに深々と頭を下げた。


 どうやって思い知らせるべきか、義姫の頭にそんな言葉が渦巻き始めた。そしてその方法がどうにも実現し得ない、しかも実現すれば最悪の事態にしかなりかねないたった一つの方法しか見つからなかったことが、義姫をさらに苛立たせた。








 義姫が戦場に乗り込んでから二ヶ月が経った天正十六年七月、彼女の狙い通り伊達家と最上家は和睦した。しかし、義姫の心は晴れなかった。


「蘆名軍が郡山より撤退、三春城を諦めた模様です」

「上杉景勝が庄内へ侵攻を開始したとの事です」


 実家である最上家の危機を告げる報以上に、嫁ぎ先の家である伊達家の勝報が義姫の心を逆撫でしていた。

「上杉だって同じことをやっているのです、我々伊達が何か悪い事をしているのですか」

 何を言ってもこう返してくるであろう息子が容易に想像できた。秀吉に早い段階からすり寄っていた上杉とは訳が違うと言うのに。


 確かに、奥羽だけで見れば伊達家が島津家の様になれて来ているような気がしない訳ではない。反伊達連合軍はその旗頭である最上家が伊達家と和を結んでから、急速に崩壊していた。

 特定勢力に対抗するための連合軍が組まれる場合、その特定勢力が連合軍を形成する諸勢力のどれよりも大きいのが定理であり、連合が瓦解して元の諸勢力に分裂すれば、その特定勢力に各個撃破される事になるのは明白である。


 単独で伊達家と互角と戦えそうな力を持った存在として、まだ蘆名家が残ってはいる。だが蘆名家の当主蘆名義広は若年、それも直系ではなく常陸の佐竹家から送り込まれた存在である。

 政宗も政宗で弟の小次郎を当主として送り込もうとしていたようだが、それは失敗に終わっていた。まあいずれにせよ、直系でもない当主を送り込まれたところで蘆名家譜代の者たちの士気が上がるとは思えない。

 そんな蘆名軍で、今の伊達軍と激突して勝てるとは到底思えない。そんな時、どうするだろうか。おそらく、伊達以外で勢力を持っている家にすがるだろう。もちろん、当主の実家の佐竹家と言う選択肢も存在する。


 しかし、その佐竹よりはるかな強力な家が一つ存在する。豊臣家だ。上杉家のように豊臣の配下になると言えば、秀吉とて援護を出さない訳には行くまい。


 奥羽と関東以外の日の本全てを支配下に収めている秀吉の軍勢は、おそらく九州攻めの時より更に膨れ上がっているだろう。それにどうやって勝てばよいのか、全く見当の付けようのない話である。母として、伊達家の嫁としてどうすればいいだろうか。


「小次郎様についてどうしても座を外せない用件ができたため、こちらには来られないそうです」


 そう考えた結果、政宗の守役兼重臣である片倉小十郎景綱にそう言わせるしかなかった。今の政宗は周囲より独眼竜などと言われ舞い上がっている。

 公平な目で見てその呼び名が過大評価でない事は認めざるを得なかったが、同じように冷静な目で見て竜が天に登るのには少し時が経ちすぎている事もまた認めざるを得なかった。


 このまま秀吉の惣無事令を無視し続ければ、伊達政宗は天下人・秀吉の権威を踏みつけにし続ける極悪人になり、政宗を討ち取った者には莫大な恩賞を与えると言う展開になるのは必至だ。いくら現在の伊達軍に勢いがあったとしても、勝てるのはせいぜい初戦だけであろう。そして初戦に勝った所で、島津家と同じように旧来の領国に戻されるのが関の山だ。政宗は秀吉の命を無視し続けた責任者として、伊達家の当主でいられなくなるだろう。


 その場合、誰が伊達家の当主になるか。政宗の弟、小次郎しかいなかった。


 幸いと言うべきか、自分に対して小次郎を偏愛しすぎていると言う噂が立っている。正直本意ではなかったが、その噂を利用してやるのも悪くないと思うようになった。




 しかし翌年、勢力の膨張を続ける政宗はいよいよ蘆名家との決着を付けると言い出した。


「既に蘆名の重臣、猪苗代盛国とは気脈を通じております。他にも蘆名家の内部に伊達家と通じたがっている者は多数存在しております」


 政宗は相も変わらず自信満々である。確かに、この戦争だけで見ればその見識に何の間違いもない事はわかっている。

 だが、どうあがいても政宗が二十二歳の若輩であると言う事実だけは覆しようがない。二十二歳であるだけに恐れを知らず気力満々なのだが、その分だけ思慮に富んでいなかった。


「母上は小次郎の事で手一杯なのでしょう?大丈夫ですよ、私ももう当主を務めて五年になります。もう母上の手助けなど要りますまい」


 政宗は自分に向かってしたり顔でそう言った。実際、自分が言おうと思っていた事をほぼそのままに。全て先に言われてしまい言う事がなくなり、沈黙した自分を政宗はさらに嬉しそうな顔で眺めた。自分を論破してやったつもりなのだろう。

 ご武運を祈っておきますよ、それだけ言ってとっとと政宗の元を後にした。その後小次郎の相手もそこそこに再び一人になった義姫は、まもなく決行される蘆名との決戦に思いを馳せていた。


 公平に見て、おそらく伊達家が勝つだろう。しかしそれが伊達家にとって、政宗にとって幸福と栄光をもたらすものであるかどうか、全く保証できない。

 もちろん、決戦と言うべき大戦に敗北していい事などほとんどない。だが、この勝利により蘆名家が倒れたらどうなるか。蘆名家、および佐竹家はまず間違いなく豊臣家にすがりつくだろう。

 すなわちいよいよ本格的に、虎の尾を踏んだ事になるのだ。

 政宗に言わせれば自分も竜なのだから虎でも互角に戦えるとなるが、竜は一匹だが虎は一匹ではない。二匹や三匹でもない、少なく見て十匹ぐらいいるだろう。

 あるいは自分がここで蘆名を容易く喰らい尽くせば虎の中にも自らの強さにおののき味方をする者が現れるのではないかと言う期待でも抱いているのだろうか。それとも未だ虎の大軍に屈する気のない獅子と組んで虎の大軍と立ち向かう気か。

 しかし、それでも二匹対十匹以上の戦いである。しかも虎の後ろには十や二十どころではない、ざっと百は下らない大量の餓狼がいる。龍か獅子を仕留めれば狼から虎にしてやるとでも言えば、餓狼たちは相手が龍や獅子であろうとも怯むことなく群れを作って立ち向かってくるだろう。

 餓狼の群れを相手に疲弊しては虎に勝てるはずがない。また、狼は所詮狼でしかない。狼をよほどうまく狩らなければ、虎を怯ませるなどできない。

 少なくとも虎の親玉に龍と戦うのは損が大きすぎると思わせなければ、その内虎の群れに潰されるのが目に見えている。


「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」と言うが、今の伊達家は紛れもなく獅子であり、蘆名家は体の大きさこそ変わらないにせよ兎だ。

 政宗は自分を獅子だと思っているだろうし実際に獅子なのだが、部下たちに蘆名家の事を兎とは思わせてはいないだろう。自分と同じ獅子か、熊、せいぜい鹿ぐらいの存在だと思わせている。戦術としては間違っていないが、この場合それは危険だった。


 当然ではあるが兎を狩るのに必要な労力は、兎を狩るのに必要な苦労の量しかない。そして熊を狩るのに必要な労力は、当然ながら兎を狩るのに必要な労力より多い。それで、熊を兎を狩る労力で狩ってしまったらどうなるか。

 おそらく、熊はこの程度の苦労で狩れるのかと慢心するだろう。その先に虎が待っている事がわかっていても、熊をこんな簡単に狩ったのだから虎の群れでも何とかなるだろうと慢心してしまう。

 そんな状態で虎の群れと戦って、無傷で済むはずがない。いや、おそらくは帰って来られないだろう。

 無謀をやらかした頭の獅子が死ぬのは仕方ないにしても、群れ全体を殺したくはなかった。だから義姫は虎の群れに歯向かえる力を持った龍であり獅子である政宗より、鹿である小次郎を群れの先頭に出したくなっていた。


 いくら虎の群れとて、鹿を襲って食い尽くす道理はあるまい。餓えているならばまだしも、この国のほぼ全てを制覇し、飽食の段階に入っている虎が。

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