第44話 お気に入りの場所
放課後は約束通り、弥織と昇降口で待ち合わせをした。どこに行くのかを訊いても、「ないしょ」の一点張りで、どうにも教えて貰えそうにない。
放課後に二人で出掛けるだなんて言い出したら、また信也やスモモがうるさいのではないかと思ったが、今日に限っては何も言ってこなかった。弥織が何かしら彼らに言っているのか、俺の様子を鑑みて触れない方が良いと思ったのかは定かではないが、少し助かった。
四人でいると気分を紛らわせる事ができる反面、信也やスモモのテンションに合わせるのが少し難しいと感じる時がある。こちらのテンションが低い事を悟らせない為に無理な受け答えをするから、余計に疲れてしまうのだ。
結構上手く誤魔化していると思っていたのだが、弥織にはバレてしまっていた様だ。彼女の観察眼には舌を巻くしかない。
その弥織はというと、バス停の時刻表を見て、「もうすぐ来るよ」と顔を綻ばせている。どうやら、目的地はバスに乗らないといけない場所らしい。
彼女に言われるがままに来たバスに乗り、どこかわからぬ目的地に向かう。
──こっちの方って殆ど来た事ないな……あ、いや、でもいつだったか来たかな。
窓から風景を眺めながら、ぼんやりとそんな事を考える。
バスに乗る事一〇分と少し経った頃、弥織が停車ボタンを押した。停車するバス停の名は、『国営公園前』だった。
どうやら彼女の目的地は国営公園だった様だ。
──ああ、国営公園か。ほんとに小さな頃に来た事あるな。
記憶にもない様な小さな頃だ。きっと、このあたりに住む子供なら一度は親に連れられてきた事があるだろうファミリースポットである。
俺達は入場料を支払って(もちろん俺が支払った)、国営公園へと入っていく。
入場ゲートを入ると、公園のシンボルでもある全長二〇〇メートルのカナールが俺達を迎えてくれた。カナール沿いにはポプラの木が並んでいて、それを一望するとまるで外国にいるかの様な気分になってくる。
もう四月も後半なので、桜は散ってしまっていた。しかし、春らしく青々とした原っぱや目の前に広がる緑は、それだけで気分を楽にしてくれた。
もう夕方なので少し暗くなってきているのが勿体ないが、これが昼間ならもっと解放感に満ち溢れていただろう。
弥織は特に何か言うわけでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべながら、その景色を楽しんでいた。
「んー……! やっぱり私、ここが好きだなぁ」
奥にある大きな噴水の前のベンチに二人で腰掛けると、弥織が大きく伸びをした。
「よく来るのか?」
「たまにね。依紗樹くんは初めて?」
「いや、多分昔来た事はあるな」
目を細めて噴水を眺めていると、遠い昔の記憶が僅かに見えてくる。
それはまだ珠理が生まれる前の頃だ。ここに家族三人でピクニックにきた記憶があった。ランチバッグを持って、母さんの作るお弁当を食べるのが楽しみだった。
細かい事は殆ど覚えていない。ただ、俺はこの原っぱを走り回って、それを父さんと母さんがあたたかく見守っていた……様な気がする。
「ここ、私のお気に入りの場所なの。落ち込んだ時とか、よく一人で来てたなぁ」
最近はあんまりないけどね、と弥織はくすっと笑って付け足した。
「弥織でも落ち込む事ってあるんだな」
少し意外だった。話し始めて数週間経つが、弥織が落ち込んだり凹んだりしている場面を見た事がない。
どういった時に彼女が落ち込み、ここに来ようと思うのだろうか。それが少し知りたかった。
「あるよ。人間だもん。ううん……昔は落ち込んでばっかりだったかな」
「そっか……」
昔はという部分から、何となく答えが類推できた。
弥織はこうして容姿に恵まれ、勉強もできるし、モテもしている。しかし、彼女が家庭環境にも恵まれていたかというと、それはまた別の話だ。
両親の離婚後、父親は行方知れずで、母親は病死。そのまま祖父母に引き取られて育ってきたが、それが何の苦労もない人生かというと、きっとそうではない。
周囲との環境の落差で小さな頃は色々思い悩んだ事もあるのかもしれないし、もしかしたら両親がいない事で何かを言われた過去もあるのかもしれない。
そういった俺達ではわからない苦労を、彼女は一人で咀嚼して乗り越えてきたのだろう。
それらを今更聞き出そうとは思わない。それに、彼女が味わってきた苦労は、これから珠理が味わうかもしれない苦しみでもある。あまり聞きたいとは思えなかった。
「それで……何があったの?」
「え?」
暫く沈黙があったかと思えば、弥織がこちらを向いて訊いてきた。
「いや、別に何も──」
「誤魔化したってだーめ」
弥織は俺の言葉を遮って続けた。
「だって……最近毎日一緒にいるんだもん。落ち込んでるかどうかくらい、すぐにわかるよ」
困り顔で笑って、首を少し傾ける。
毎日一緒にいる──その言葉が暖かかった。
俺にとって毎日一緒にいるのは珠理だけだった。そして彼女は、俺が一方的に守らなければならない妹だ。彼女がこうして気を回してくれる事はないし、五歳の園児にそれを求めるべくもない。
だから……こうして、誰かに見てもらっていて、自分の小さな変化を気付いてもらえたのが、何よりも嬉しかった。
それは、幼き頃にまるで自分の母親が俺の事を気に掛けてくれていたかの様でもある。無論、そんな事を言おうものならまたバブみ疑惑を持ちかけられるので、言わないけれど。
「私でよかったら、話してみて。無理にとは言わないけど、きっと話すだけでも違うと思うし」
彼女は相変わらず柔らかい笑みを浮かべたまま、優しい言葉を投げかけてくる。
そんな風に手を差し伸べられたら、やせ我慢なんてできるはずがない。というより、きっと俺は、誰かにそうして手を差し伸べてもらいたいと心の何処かでずっと思っていたのだ。
「軽蔑するかもしれないぞ」
念の為、確認を取る。
彼女への確認というよりは、これは俺が自分の身を守る為に言っている言葉だった。これから自分の言う事は最低だ、彼女に嫌われても仕方ない、覚悟しろよ、と自分に予防線を張りたかっただけなのである。
しかし、弥織は首をゆっくり横に振って、俺の目を見据えてこう言うのだった。
「しないよ。絶対にしない」
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