第39話 自覚し始めた気持ち
弥織が朝の登園にも付き合ってくれる様になってから、三週間が経った。四月は下旬を迎えており、いつしか俺は三人の友人──弥織、信也、スモモ──とともに学校生活を送る様になっていた。
休み時間のちょっとしたダベりの他、昼休み、或いは自由に班を組む授業だったりで、俺達は自然と集まる様になっていた。誰から言い始めたわけでもなく、自然と皆が俺の席に集まり始めていたのだ。
俺の席に集まるのは、きっと俺からだと他の奴の席に行かないからだとは思うけど……何だかこれはこれで、むず痒いものがあった。
というのも、この集まりには
しかし、当の弥織本人はそれを気にしている様子はない。スモモ曰く、たまに他の女子から『真田くんと付き合っているのか云々』は訊かれている様だが、『そういうのではない』とさらっと流している様だ。
まあ、実際に付き合っているという事実はないのだから、その答えは間違っていない。間違ってはいないのだが、少し寂しいと思ってしまうのだった。
それに──
「はい、これ。今日のお弁当」
昼休みが始まった直後、弥織から階段下でこっそりと渡されるお弁当包み。
「あ、ありがとう」
「お弁当箱は帰りに返してくれたらいいから」
そう言って微笑むと、先に階段を上がり、屋上へと向かって行く。
変わった日常と言えば、これもある。そう、弥織がお弁当を作ってくれる様になったのだ。毎日購買のパンばかり食べている事を気にしてくれているらしい。
曰く、『もし依紗樹くんが体壊したらどうするの?』だそうだ。確かに、基本健康体な俺ではあるが、もし俺が寝込んでしまったら、誰が珠理を保育園まで送り迎えをするのだろう。そう考えると、彼女が俺にちゃんと寝ろと言ったり休めと言ったりする理由も見えてくる。
無論、信也とスモモは俺がお弁当を作ってもらっている事を知っている。初日には突っ込まれたものの、弥織が「珠理ちゃんのお弁当を作るついでだから」と言ってくれた事で、難を逃れている。ちなみに、珠理が通っている保育園は給食制で、お弁当制ではない。これに関しては彼女が咄嗟に吐いた嘘だった。
「……もう付き合ってるで良くね?」
「うおッ⁉」
弥織が見えなくなってから、横からぬっと現れたのは信也だ。
今日は彼が購買に行っていたらしく、その帰りにお弁当受け取り現場を目撃してしまったらしい。
「いや……実際付き合ってるわけじゃないから。これも、珠理のオマケだし」
「あそこの保育園、俺も昔通ってたけど、給食制だろ?」
「うげ⁉」
最悪だ。まさかのOBが身近にいた。
弥織の嘘は最初からバレていたのだ。
「伊宮が咄嗟に吐いた嘘だったからスルーしたけどさ、どう考えてもお前に好意あるだろ、ありゃ」
「いや、そんなはずないだろ。全部珠理の為だよ」
「ほんとかねー? ま、さっさと屋上行こうぜ。場所取られちまう」
信也はそんな呆れ顔を見せて、階段を上っていく。俺は少し不貞腐れて彼の背について行くのだった。
実際に好意はないとは思っている。一瞬そう勘違いしてしまいそうにはなるが、必死にその希望を自分で押し殺していた。
というのも、冷静に考えてみても、彼女の行動基準には常に珠理の存在があるからだ。
お弁当を俺に作ってくれるのは、俺が変なものを食べたりして体を壊したら珠理が困るからだし、朝夕の送り迎え同伴も珠理が喜ぶからだ。週に何度か夕飯を作りに来てくれるのも──もちろんこれは信也やスモモには言っていない事だが──珠理の健康の為だ。そこに俺という人間はいない。
そうは思っているものの──
『犠牲にするんじゃないよ。一緒に想い出を作るの』
弥織が言ってくれた言葉が脳裏に蘇ってくる。
これは、俺が友達を作らない理由を話した時に、彼女が言ってくれた言葉だった。
『依紗樹くんと珠理ちゃんと一緒に過ごして、一緒に遊んで……私達だけの想い出を作るの』
俺が、珠理の面倒を看るのに疲れていると感じた時に、こう言ってくれた。
『ちょっと普通の高校生らしい想い出とは違うかもしれないけど……きっとそれはそれで、すっごく素敵な想い出になると思わない?』
彼女の言葉通り、あの日以降、少しずつ違う想い出ができてきている。
学校生活だけで言っても、こうして女の子からお弁当を作ってもらえる様になったり、一緒に登下校をしたりする様になった。この前は久々にクレープを奢ろうかと言ったら、奢らなくていいから帰りにどこかに行こうと彼女が言い出し、一緒にカフェに寄った。
珠理の送り迎えにも常に弥織の姿があって、週に何度かはうちでご飯を食べる様になっていた。
この数週間、本当に弥織がいる生活が当たり前になっていて、むしろ俺の生活の殆どに彼女がいる。もはや一緒に住んでいるのではないか、と思うくらい、彼女と過ごす時間は多い。
ほんの何気ない日常が彼女との想い出を象っていて、先月と今月では俺の生活はもはや全く異なっていた。
『もう付き合ってるで良くね?』
信也に先程言われた言葉については、俺も考えなかったわけではない。こんなのまるで付き合っているみたいではないか、と俺でさえも思っている。
だが、彼女は『そういうのではない』と否定しているし、そうであれば、きっと彼女にとっては違うのだろう。
付き合いたいか、と言われたら、付き合いたい。きっと、弥織となら珠理も交えて三人でもっと楽しい想い出を作れるだろう。しかし同時に、それであれば今でも十分叶っているのではないか、とも思うのだ。
むしろ、その関係を望めば、その三人の生活さえも崩れてしまう可能性があった。
そういった事もあって、俺はなるべくそれについては考えない様にしている。
俺達がただのクラスメイトであっても、〝おとーさん〟と〝おかーさん〟ではいられるわけで、珠理を囲んで三人で過ごす分には問題ない。
弥織が珠理と遊んでいる光景を横で見ていられるし、他の誰にも見せない笑顔をそこで浮かべている。そんな彼女と過ごしているのだから、俺の生活は満たされているに違いない。いや、これで満たされていないと思うのは、我儘だ。
ただ、こんな事をぐるぐると考えてしまっている時点で、一つ明らかになっている事があった。
それは、もう俺は彼女の事を完全に好きになってしまっている、という事。そして同時に、そんな本心を隠しながら〝おとーさん〟と〝おかーさん〟の関係を演じなければならない、という事でもあった。
屋上に出れば、弥織とスモモが先に場所を取ってくれていたらしく、彼女達がこちらに手を振ってくれた。
弥織の笑顔は眩しくて、その笑顔を見るだけで頬が緩む。
──どうすればいいんだよ、俺は。
自らの緩んだ頬を意識しつつも、心の中でそう独り言ちるのだった。
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