第38話 弥織の提案

 弥織と二人で登校するのは昨日に続いて二回目だ。

 彼女と話す事には随分慣れた。が、未だに彼女と二人で歩いている時の視線には慣れる事はなくて、俺はどこかそわそわしながら彼女の横を歩くのだった。


 ──弥織は俺なんぞと並んで歩くのは恥ずかしくないのだろうか。


 そう思ってちらりと彼女の横顔を見ると、彼女は楽しそうな笑みを浮かべていた。

 今は珠理の好物の話と嫌いな物の話をしている。珠理がかぼちゃを苦手としている事を教えてやると、どうやってかぼちゃを食べさせてやろうか、と悪巧みをしている様だ。

 口元を隠して笑う彼女の姿が愛しくて、思わずどきっとしてしまう。

 そして、その口を覆っている手……その手のひらが先程、俺の手を覆ってくれていた。あたたかく柔らかい手だった。


 ──か、勘違いはしない、勘違いは。


 自分の手を見て、首をぶんぶん振る。

 きっと俺が苛立っていたから、それを人の良い彼女が収めてくれただけだ。そうに違いない。


「……どうしたの?」

「い、いや! なんでもない、なんでも!」


 弥織が怪訝そうにこちらを見て訊いてきたので、慌てて首を横に振る。

 俺が唐突に手のひらを見ていたので、訝しんでいた様だ。


「あ、そうそう。さっき協力できる事ならするって言ったの、覚えてる?」

「え⁉ あ、ああ。もちろん」


 もしかして、この子は読心術でも心得ているのか?

 ちょうど時の話題を出してくるものだから、心のうちを悟られたのではないかとヒヤッとする。


「それで、週に何回かは依紗樹くんちにご飯作りに行こうかなって思うんだけど……どうかな?」

「え、マジで⁉」


 学校一の美少女、爆弾発言である。

 それは、珠理のご飯を作るという名目がある事には間違いないが、男子生徒の家──しかも親不在──に週に何度も来るという事だ。それはそれで、色々問題があるのではないだろうか。


「いや、こっちは大助かりなんだけどさ……そっちは大丈夫なのか? 家の人とか、不安がるだろ」

「それは大丈夫かな。ちゃんと昨日、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんには話して許可貰ってるから」

「話したって……何を?」

「えへへ、秘密だよ」


 弥織ははにかんでそう言うと、人差し指を唇につけて立てた。その仕草があまりにも可愛すぎて、脳が死んでしまいそうだった。

 兎角、彼女が言うには、週に自分が家で夕飯を作らない日は、うちで夕飯を作ってうちで食べて行こうと言うのである。彼女にとっては家まで遠回りになるし、面倒を掛ける気しかしないのだが……それでも、その気遣いは有り難い。

 弥織がご飯を作ってくれている間にあれやこれやできると思うと、それだけでその日の負担も減るし、一息吐く時間も出てきそうである。


「珠理の為にありがとな……きっとあいつも喜ぶよ」


 一体この子は、珠理の為にどれだけの時間と労力を使う気だろう。

 俺としては助かるのだけれど、このままではクレープ屋ごと買収しないと彼女に恩を返せそうにない。


「別に……全部が全部、珠理ちゃんの為だけってわけじゃないから」


 弥織は俺の言葉を聞いて、困った様に笑った。


「え? じゃあ、何の為?」

「さあ、何だろね? 想い出作りの一環じゃない?」


 悪戯げに言うと、彼女は少しだけ前を歩いてから、こちらを振り返る。


「それに、課題とか一緒にやっちゃえば早く終わるでしょ? テスト勉強も協力できそうだし」

「あ、確かに。色々効率的だよな」


 何だか話題を逸らされた気がしなくもなかった。

 それに、俺よりも弥織の方が成績は高い。どのみち俺の方が彼女の世話になりっぱなしになってしまいそうだ。

 足を引っ張らない様に、しっかり授業を聞いて勉強も頑張らなければ。


 ──ていうか、それ……俺の家で一緒に勉強とかするつもりなのか?


 気になっている女の子と家で勉強……そのシチュエーション。想像するだけで緊張してしまう。


「いよっ! お二人さん、今朝も仲いいねー!」


 俺が妄想を捗らせていると、背中をバシンとぶっ叩かれた。

 こんな余計な事をして(言って)背後から声を掛けてくるのは、もちろん信也のボケナスだ。


「間谷くんと桃ちゃんの仲には敵わないと思うけどなぁ」


 弥織は信也に挨拶を交わしながら、さらりと返す。


「え⁉ 俺とスモモのどこが仲良いんだよ! あれは天敵だ、天敵。事あるごとに因縁を吹っ掛けてきやがる」

「天敵とあんなにじゃれあったりはしないんじゃないか?」


 信也の言葉には懐疑的にならざるを得ない俺達である。

 昨日もその仲の良さを屋上で見せつけていたと思うのだけれど。


「ひっでぇなぁ。俺はスモモなんかとよりも、謎多き可憐な美少女こと伊宮弥織サンともっと仲を深めたいと思ってるんだけど」

「謎……? 私に謎なんてあるの?」


 弥織が怪訝そうな顔をして俺に訊いてくる。


「え? いや、どうだろう……」


 俺にとっての謎は結構ある。

 どうしてここまで珠理に尽くしてくれるんだろうか、とか、俺の事まで気に掛けてくれるのだろうか、とか……ただ、俺の持つ謎は信也が意図する謎とは少し違う気がする。


「ないよ、謎なんて。っていうか美少女でもないし」


 弥織は呆れた様な溜め息を吐くと、信也の言葉を否定した。

 後半は誰もが認めているので否定しなくても良いと思うのだけれど、いちいち否定するところが謙虚な彼女らしいというべきところなのだろうか。

 そんな会話を交わしていると、背後から誰かの走ってくる足音が聞こえたと共に、信也の背中にドロップキックがお見舞いされた。


「くおおおらああああああ! みぃちゃんに近寄るなああああああ!」

「ぐぼらげばぁッ!」


 スモモの怒号が聞こえたかと思えば、それと同時に信也が車に轢かれたウシガエルの様な声を上げて吹っ飛んだ。


「て、てめぇ、スモモ……! やりやがったなぁ……! 不意打ちは卑怯だぞ!」


 背中を擦って立ち上がると、信也はスモモに対して威嚇する様に怒鳴る。


「へっへーん、隙だらけだったアンタが悪い!」

「登校中に背後からドロップキックをされる事を想定してるわけがねえだろ!」

「じゃあ、明日から気を付けなさいよ」

「明日も蹴るつもりなのかよ!」


 朝から始まった信也とスモモの夫婦漫才。

 俺と弥織は顔を見合わせて、同時に笑みを零したのだった。

 今日もまた、騒がしい一日が始まった。

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