学校一の美少女がお母さんになりました。

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第一部

第1話 お母さんになって下さい。

「えっと……それで、用事って、何?」


 目の前に、一人の少女がいた。長く艶やかな黒髪と大きな瞳を持つ美しい少女だ。

 少女は緊張した面持ちで、こちらの顔を上目遣いで覗き見ている。どことなくそわそわしていて、居心地が悪そうだ。

 放課後に屋上に呼び出されたというシチュエーションに緊張しているのか、それとも春にしてはやや暑い今日の気候に居心地の悪さを感じているのか、一体どちらなのだろう──そんな考えるまでもない事を思いながら、俺は目の前の少女を見ていた。

 気怠さが残る四月の昼下がり。今はもう放課後だ。

 午前中に降っていた雨は上がって、今はよく晴れていた。

 その雨が影響しているのか、四月にしてはやたらとじめじめしていて、湿気が体を蝕んでいる。いや、俺がそう感じてしまうのは、これから話す事に対する緊張から来ているのかもしれない。

 ともあれ、彼女も緊張している様子だったが、俺も緊張しているに違いなかった。俺は彼女にあって、屋上に呼び出していたのだ。

 彼女の名前は伊宮弥織いみやみおり。この学校で一番可愛いと言われる美少女だ。

 鼻筋はすっきりと通っていて、睫毛まつげは濡れた髪の様に美しく瑞々しい。口元は控え目で、ぱっちりとした大きくて優しそうな瞳は、雫を零しそうなほど潤んでいる。一度見たら、必ず記憶に残る──そう言っても過言ではない程の可愛さと儚さを持ち合わせている女の子だった。

 伊宮弥織は俺と同じひじり高校二年の女子生徒だ。その目立つ容姿から、この学校の者なら誰もが彼女の事を知っている。

 俺は数多いる彼女に憧れる男子生徒の一人に過ぎず、彼女とは親しいわけでもない。というより、俺と伊宮さんは一年の頃から同じクラスというだけで、殆ど関わりがなかった。そもそも俺の名前を知っているかどうかすら怪しい。

 しかし俺は、そんな彼女にを頼もうとしていた。


「えっと、今日は君に、お願いしたい事があって……」

「お願い? 真田さなだくんが、私に?」


 黒髪の美しい少女は、相変わらず落ち着かない様子で、怪訝そうに首を傾げる。

 こんなところに呼び出してお願いしたい事がある等と言われれば、誰だって緊張する。いや、警戒するだろう。そもそも、俺と彼女はお願い事ができる間柄ではないのだ。

 ただ、俺の苗字を知ってくれている程度には認知されていて、それだけでも少し嬉しかった。


「そう……お願いが、あるんだ。君にしか、頼めない」

「え……? 私にしか……?」


 伊宮さんは驚いた様子で俺を見て、更に表情を張り詰めさせる。その頬は、少しだけ赤い様な気がした。恥ずかしがっている様な、緊張している様な、それでいて何かを期待もしている様でもあった。

 緊張から心拍数がどんどん上がってきて、唾を飲み込む事で何とか平静を保つ。まるで告白するみたいな気持ちだ。告白なんてした事もないけれど、ある意味告白よりも緊張しているのかもしれない。

 俺の頼み事は、人によっては引かれてしまう可能性があった。いや、それを通り越して嫌われてしまうかもしれない。遠くから眺めていた、儚い片思いすら終わってしまう可能性があるのだ。彼女を想う事すら許されなくなるかもしれない。

 そんな恐怖心に襲われるが、俺はの為をと思い、ガバッと地に頭を着ける勢いで下げた。


「お願いだ、伊宮さん!」


 そして、勢いに任せてその願い事を言葉にして紡ぐ。


お母さんになってくれ!」


 言ってしまった。衝撃的な言葉を。同級生の女の子にお願いするには無理があり過ぎるお願いを。

 案の定、俺がこの言葉を発した瞬間、沈黙が走った。それもそのはずだ。誰がこんなお願いをよく知りもしない男子からされる事を想像するろうか。きっと、彼女からすれば青天の霹靂だ。


「……へ?」


 頭を下げたままちらりと上目で彼女を見てみると、何を言われたかわからない様子で目が点となっていた。

 俺はもう一度深く頭を下げ直し、彼女の返答を待った。

 受け入れられる筈がないとわかっている。でも、俺はの為に一度でいいからこのお願い事を達成しなければならないのだ。


「え、え、ええええ⁉」


 予想通り、伊宮さんの口から吃驚きっきょうの声が漏れた。

 普段大人しく物静かな彼女からは想像もできない声だった。


「わ、わ、わ、私がお母さん⁉ 真田くんの⁉」

「へ……? 俺の?」


 予想していた言葉とは違ったニュアンスの返答が返ってきて、思わず首を傾げた。

 あれ、待てよ。俺さっきなんて言った?

 ふと自分の言った言葉を思い浮かべる。


お母さんになってくれ!』


 自分の放ってしまったとんでもない言葉を思い出し、血液が顔面から足元に向かって急落していくのがよくわかった。一気に体が冷え、背中に冷たい汗が流れていくのも感じる。

 俺は、致命的な部分を言い間違えてしまっていたのだ。俺のじゃない。俺のじゃなくて──


「ま、待て! 間違ッ──」

「ごごごご、ごめんなさい!」


 俺の言葉を遮って、黒髪の美しい少女はさっきの俺と同じくらいの勢いで頭を下げた。


「その、真田くんにそういう趣味があるとは思ってなくてッ、私には、ちょっとそういう趣味もなくて!」

「いや、待ってくれ! 言い間違え──」

「ええとッ、その、別に私は真田くんの趣味を否定するつもりはないし、そういうのが好きな人もいるのかもしれないけど、私まだ誰とも付き合った事もないし、お母さんの経験ももちろんないので、絶対無理というか、期待に添えないというかッ!」


 伊宮弥織は、普段の引っ込み思案な印象からは考えられない程早口でまくし立てる様に言った。取り付く島もない。


「その……別のお母さんを探してください!」


 学校一の美少女はもう一度深々と頭を下げたかと思うと、もう一度「ごめんなさい!」と全力で謝って踵を返す。


「ちが、待って──」


 制止させようと手を前に出すが、彼女はそれに気付いた様子もなく、そのまま逃げる様に屋上の扉へと向かう。

 扉に手を掛けた際に一瞬だけこちらを振り向いたけれど、その時の彼女は何処かショックを受けている様な表情でもあった。

 それも仕方ないな、と思う。同級生からお母さんになってくれと頼まれてショックを受けないわけがない。

 屋上に残ったのは、彼女の背に手を伸ばしたまま固まっている俺だけである。


「い、言い間違えただけなんだよぉぉぉぉ~~~!」


 地に両手と両膝を突いた叫ぶ俺の悲鳴は、春風に掻き消された。

 俺と伊宮弥織の物語は、こんな全く意味のわからないやり取りから始まった。

 こんな俺達が、まさかこの後にあんな関係になるだなんて……この時の俺には、いや、伊宮弥織にも想像できるはずがなかった──。

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