生理的に無理でした

@wizard-T

エゴイストな彼

「村野さーん!」

「幸恵行くぞ」


 いつもながら黄色い声が飛び交う。でも、彼はもう私の物。


 私は小野川幸恵。とある大企業のOL、そして陸上部マネージャー。


 そして私の彼氏、その名は村野一人むらのかずと


 今や日本一と言ってもいい男。ほら、今日もまたいろんな人が寄ってくる。


「村野さん、翌月の選考会ですが」

「…………」


 一人はマスコミに対して何も言わない。


 無口とか話下手とかじゃない。彼がどういう人間なのか、私自身が一番よくわかってる。




「僕はエゴイストだ」



 エゴイスト。利己主義者。人の迷惑顧みず、己が利益を追求し続ける存在。


 はっきり言って人に向かって言えば侮辱以外の何でもない言葉。だけれど、彼はそう自称してはばからない。


 ハードル界の貴公子。みんな彼の事をそう呼ぶ。


 経歴は高校時代からとそれほど長くないけど、大学時代に必死に練習して名を上げ、国際インカレの代表にまで上り詰めた根っからの努力家。

 そういう経歴からすれば貴公子って名はあんまりふさわしくないかもしれないけど、まあそれはそれ。


 で、どこらへんが貴公子かって言うとね、それはかっこいい事。そこらへんのイケメン俳優とか比べ物にもなりゃしない、ってのは言いすぎだけど混ざっても遜色なしぐらいには言っても罰は当たんないと思う。


 でも、それだけじゃないの。



「インタビューに答えてタイムが上がるか?」



 彼はいつもそう公言している。確かにその通り、覆しようのない真理だと思う。


 そういう事に時間を費やすぐらいならトレーニングを積みまたどうすればうまく飛んだり走ったりできるかについて考えていた方がずっと有用だって話。さあ、反論のしようがあるならどうぞ。


 えっ、愛想よく答えれば協力してくれる人間も増えるだって?

 あのね、ハードル競技は個人競技なの。野球やサッカー、リレーや駅伝とは違うの。チームワークで勝利は得られないの。


 孤高。かっこいい響きじゃない。誰にも頼らず己が腕だけで、いや足だけで頂点を掴まんとする彼に、私を含め世の女性たちはもう虜。

 もちろんそういう人だから恋愛にも積極的じゃないんだけど、そういう人間に必要とされている私はデキる女、そういう事。エゴイストと言う名の求道者である彼に、必要とされている女。


 もっとも、そのエゴイストって呼称は本人が言い出した物じゃない。








「おー、相変わらず綺麗だね」


 あー来た、あの男。同じハードルの選手だからよく顔を合わせるのは仕方ないけど、できる事なら視界から消えて欲しいわ。



「まあね、その事に関してはね、僕はまだ本気出してないだけ、っつーの?」



 そんなナンパな事言ってないで練習でもしたらって言ってやったらこの調子。ほんっと、呆れた軽薄振りだわ。


 こいつの名前?越川仲蔵。


 一人より3つ上の27歳。要するに一人に取っちゃ先達に当たる存在な訳なんだけど、これがもう最悪男なの。


 理由?一人の事が大好きって時点で察してちょうだい。


 まあ要するに一人と違っていっつもヘラヘラしてナンパで勘違い男で…!


 それで強いのか?一応ね。でも一人と比べるとタイムは一枚下、人間は二枚、いやもっと下。


 痛い目を見せりゃいいだろ?


 ……何べんも見せてるはずなんだけど、全然懲りる気配なし。


 例えば十日前のレース、一人が1位、あいつが2位。…これが痛い目を見ていないとでも言う訳?


 それなのに!


「次勝てばいいんですよ」


 一人がああいう性格なもんでマスコミの人たちは1位の一人を差し置いてあいつに寄ってく、そんであいつは調子に乗って負けたのにもかかわらずいつも通りの軽薄発言を吐く。

 あんなのがハードル界の代表面して目立ってると思うと腹立たしいわ!


 何?目立った結果一人のいい噛ませ犬になってるじゃないか、いい気味だ?


 そんな常識的な考えが通じるようならあのスポンジ男にいら立ったりしないわよ!負けても負けても、いっつもヘラヘラしているあのいくら殴っても甲斐のない男にはみんなほとほと愛想が尽きてるのよ!


 ……何その顔?マスコミ中心に愛想よく答えてるんだからそれなりに慕われているはずじゃないのか、愛想を尽かしているのはお前だけじゃないのか!?


 あー、説明が必要らしいわね。

 確かに一人をエゴイスト呼ばわりしたのはあの馬鹿だけど、それに関しては一人本人が喜んでその名を使っているから許してあげてもいい。


 けれど、それ以外は許せない事が多すぎて!




「僕のおじいさんはねぇ………」

「叔父さんたらねぇ………」


 あいつが口から吐き出す言葉の四分の一はナンパな軽薄発言、そんで四分の一は身内の自慢話。


 確かにあいつのおじいさんは昔800mで日本代表になった事がある優秀な陸上選手だし、叔父さんは円盤投げで国体優勝した事があるし、父親はバタフライの日本選手権で銀メダル取った事があるし………でも本人とは関係ないじゃない!


 競馬じゃないんだから、血筋で全部決まるんなら選考会なんていらないわよ!と言うか血筋が大きく影響する競馬でさえもレースやるまでわかりゃしないっつのに!


 え?嫌ってる割に覚えてるじゃないか?そりゃ毎回毎回顔を合わせる度に言われてりゃ覚えたくなくても覚えちゃうわよ!


 ……まあそれは特別に許してやってもいい、けどもっと許せないのはこれまで言って来た四分の一と四分の一の合計の残り、つまり残り半分!





「なんたってぼかぁ高校史上最強選手だったんだからねえ」




 高校最強選手だなんて、一体いつの話よ!

 確かにインターハイで出した記録は未だ誰にも破られてないけど、それは10年前の記録じゃないの!27にもなってそんな事を抜かすなんて、往生際が悪いったらありゃしない!

「ハッタリかまして怯ませてやろうって腹じゃないの?」

 なんて言う事を私の同僚の、陸上なんか何にも知らない女は抜かしてたけど。なんともまあ随分好意的な見方だ事!

 初めて出会う、何にも知らない相手ならば十分通じるかもしれないけど、何遍も会うような相手にそれが通じると思ってるのならばはっきり言ってただのアホよ。


 ……いやあるいは本当にハッタリのつもりでやっているのかもね。あの殴っても殴っても、嫌われてもうざがられてもぜんっぜん応える様子がないなんて、まともな人間じゃないかもしれないしね。




「幸恵ー」




 あーまた来た。正直いい加減愛想が尽きたわ、あの男には。


「何よ」

「そんなつまんない男と一緒にいて何が楽しいんだか」


 つまんない男?傍目から見ればそう見えるかもね、実際しょっちゅうそう言われてるし。

 でも実際に一緒にいるとこんな面白い人間いないわよ。1日経つと本当に1日分成長しているのが分かる、男子三日会わなければなんとやらとか言うけどまさにそれ。その面白さが分からない人間を見ると心底可哀想でならないわ。


「今度の選考会では高校史上最強選手にふさわしい走りを見せてあげるからねっ」


 あーもういい加減我慢の限界だわ!ずっと我慢して来てあげたけれど、私がこの言葉を口にしたら立ち直れなくなるかもね、まあ自業自得って奴だけど。








「いつまでも過去の栄光にしがみついてるんじゃないわよ!そんなみっともない男なんか、誰も好きになりゃしないわよ!」







 あーすっきりした。私は優しい人間だからずっと言わずにいておいてあげたけど、はっきり言ってみんな誰もが思ってる事。私が代表して言ってあげたんだから、感謝して欲しいぐらいだわ。我ながら実にいい事したわ。



 シュンとしちゃったみたいだけど、いい薬だわ。



「…………」




 一人も何も言わずあの馬鹿を睨んでる。ヘラヘラしてないで勝ちたかったら努力しろ、そういう一人の思いがその両目に込められているのね、ステキ!………あれ?


「…………」


 どうしたの一人?なんで私をもそういう目で睨み付けるの?いつもはステキな一人の無口も、今日ばっかりは何か怖い。


「……………いや、仕方のない事だな」


 ………あ、そうよねそういう事よね。一人だって、油断して努力を怠ればあの馬鹿のように過去の栄光だけの人間になっちゃう。

 一人の場合精神的にあそこまで堕ちる事はないと思うけど、選手としてのランクはすぐ落ちちゃう。そんなのは嫌、それは余りにも悲しい事。その事を、私よりずっとよく一人はわかってるんだから。








 あれから一月後、いよいよ世界陸上選考会。私の一人が世界にはばたく第一歩。

 あの越川とか言う調子に乗ってた男も大分おとなしくなったみたいで軽薄な物言いもだいぶなくなった。噂じゃ不真面目だったトレーニングも随分と真面目にやってるらしい。

 ちょっとは褒めてあげてもいいかも、まあそんな付け焼き刃で私の一人を倒そうだなんて甘い話だけどね。


 一人の走り、そして跳躍はいつ見ても美しい。そういう人間を見ていて面白くないなんて言う奴が本当可哀想だわ。一人は当然の如く予選をトップ通過。


 次は……あの噛ませ犬ね。まあここでは一応楽勝して浮かれ上がって、決勝では一人のいけにえになる。そういう構図が幾度となく繰り返されて来た。


 何?枠は1つじゃないだろ、あいつも選ばれるかもしれないだろ?


 ………あのね、短距離界における日本の世界的地位をわかってないの?マラソンならばまだともかく短距離界において日本はメダルすらほど遠い所にいる訳。

 だから一人に活躍してもらわないと枠は広がらずいつまで経っても一人だけの舞台になっちゃう。

 だから一人を応援する事は、日本のハードル界、短距離界を盛り立てる事とイコールなの。そうでもしない限り、日本はいつまで経っても後進国。

 今度の世界陸上、110mハードルの出場枠はただ1つ。そんな淋しい現状を変えてくれるのは私の一人だけなの。


 ……おやおや、あの噛ませ犬ったら予選1位はともかく一人と意外に僅差で勝ち上がって来ちゃった。まあ、どうせ一人にやられるんだけどね。


「まもなくスタートです、世界に向けて日の丸を背負うのは一体誰か!」


 さあ、まもなく私の一人が世界へ羽ばたく。他のランナーには悪いけど、一人の踏み台になってもらうわ!


 バーン!と言う小気味いい銃声が鳴ると同時に、4コースの一人は矢の如く飛び出した……はずだった。





 ああもう、なんで5コースがあの男なのよ!見えにくいったらありゃしない!


 って言うかあの越川とか言う馬鹿、一人の視界を塞ぐかのように暴走して!


 こっぴどく振った私に対する当て付けか何か!?




 やっと一人の姿が見えた!一人頑張って、あんな奴やっつけちゃって……




 って何これ、越川の奴が一人を引き離してる!?




 私の一人があんないけ好かない男に負けるって言うの!?そんなバカな!!




 今まで十何回と負けて来たあんな男が、私の一人を……!!

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