第5話 ➡︎頼まれる

 矛盾のローゼスを1階に叩き落とした張本人。しかも、両腕が揃ったあいつを。


 5階から奴と戦闘しながら2階まで降りてきて、そこから1階へ叩き落としたのか。だからまだ2階に居る。そして上に上がる際にクロコダイラスは倒される。それに便乗しようというわけか。


「昨日、ローゼスって奴と戦争みてぇなバトルをしながら落ちてきたんだ。まだ体調が優れねぇようだが、治れば倒してくれるのは分かりきってる。前に奴が上に上がった時もぶちのめしていったらしいからな。奴の後をついてけば、そのまま5階まで行けちまうんじゃねぇか? ひゃーはっはっ!!」


 キーマは大口を開いて笑っている。確かに、これ以上のチャンスは無い。


 秘力の回復を待って槍で倒すこともできるが、問題は3回生まれ変わるという点だ。翔ける斬撃はMP(仮)消費5。2回使ったらお終いだ。技を使わずに倒すなら、10分以内に済ませる必要がある。どのくらいのデカさかわからないが、間に合わなければ死、だ。


 ここは蒼天と間隙かんげきの牢獄。つまり看守獣クロコダイラスの隙を突くことに囚われている牢獄。それをぶち破るには常識外の力が必要になる。現にそれが出来ずにほとんどの囚人がここで立ち往生してるんだ。30日の帝国カオスルゥナがこの階に居るのは僥倖ぎょうこうと言えよう。


 突如——


 バタンッ! と扉が開く音がした。


 振り返ると、ウルファ族の男が慌てた様子で息を切らしている。


「ハァ……ハァ……オメェら……急げ。奴が……30日の帝国カオスルゥナのカナが動き出した」

「なにぃ!? まだ大して秘力も回復してねぇはずだろ!?」


 キーマが驚きの声を上げ、周りの連中もざわめきだした。


「知らねぇよ!! でも間違いなくクロコダイラスんとこに向かってんだ!! 千載一遇のチャンスを逃しちまう!! お前ら!! 急げぇ!!!」


 シーン……と、一瞬静まり返る。


 そして——


「「「「うおおおおお!!!」」」


 全員が雄叫びを上げ、慌ててバタバタと立ち上がり始めた。酒や食器がガシャンガシャン割れてもお構いなしだ。そしてなだれ込むように入り口の扉に押し寄せる。


「おいカナタ! フィンリィ! お前らも上に行くんなら今しか無ぇぞ!」

「あ、ああ」


 周りがタイムセールに群がる強欲な主婦達のようで気後れしてしまったが、ここはこの波に乗らせてもらおう。


「フィンリィ! 行くぞ!」

「ふぁーい」


 ふぁーい?


 むさいオッサンの顔が火照ほてってる。


「まさか……」


 目はうつろ。首がふにゃふにゃして顔がヤジロベエみたいに揺れてる。


 酔ってやがる。完璧に。ずっと黙ってると思ったら、一杯でこうなるとは。


「フィンリィしっかりしろ! 置いてかれちまうぞ!」


 こうしてる間に周りの連中は出て行ってしまい、残るは俺たちとキーマの3人だけだ。


「おでかけですかぁ?」

「レレレのおじさんか! いいから来い!」

とフィンリィの腕を引っ張った時——


 ボンッ! とフィンリィが煙に包まれた。


「え?」


 元の姿に戻っている。顔を赤らめた、酔って少し服が乱れて、青いブラの肩紐が見えているエロい美少女の姿。集中すれば1時間つと言ってたが、逆に集中が切れると10分も保たないってことかよ。


「お前……その姿……一体どうやって姿を……」


 キーマが目を丸くしている。クソ、面倒な。勢いで誤魔化すしかない。


「説明は後だキーマ! 追いかけるぞ!」

「あ、ああ」


 フィンリィの顔を隠すようにマントを被せ、無理矢理外へ連れ出した。驚きつつも、キーマは慌てて一緒に飛び出す。先に出た連中とはまださほど離れていない。


 千鳥足のフィンリィを引っ張りながら、100人近い団体の行進を、3人で追う。


 思ったより距離があるらしい。


 ジョギング程度の速度だが、10分程度走っていた。1キロくらいは走っただろうか。


 団体の先頭が止まった。俺たちも最後尾でそれに合わせて止まる。


「まだ奴は来てないらしいな」

と誰かが言った。


 するとみんな荷物の中から靴を取り出し、履き替え始めた。


「何をやってるんだ?」

「ここから先はこれを履いていけ」


 キーマが俺とフィンリィにカラフルな靴を手渡してきた。


「サイレントバードの羽根で作った靴だ。吸音性が高ぇから、足音が消える。ここから先は奴の探知圏内だ。今は寝てるからまだ大声でなければ問題ないが、私語厳禁で行くぞ」


 手渡された靴に履き替える。力が入らず、体重の全てをこちらに預けてくる無防備少女にも、無理矢理履かせた。足踏みしてみても、スポンジを落としたみたいに音がしない。


 静かな団体の行進が、だだっ広い荒野を行く。


 少しすると、遥か先に白い塊が見えてきた。あれがクロコダイラスか。この距離であの大きさ、確かに規格外のデカさだ。


 そして団体が止まった。


(ここで30日の帝国カオスルゥナのカナを待つぞ)


 キーマが小声で言った。前の団体も辺りを見回している。


 その時、ふと前の一人が最後尾の俺たちの方を見て驚いた顔をしてみせた。そして俺が行く道を空けるように退いていく。


 その様子を見た他の連中もまた、こちらを見て同じように道を開けていく。


 いや、俺じゃない。俺の後ろだ。


 俺も後ろを振り返る。


 誰か歩いてくる。


 レインコートのように全身を黄ばんだ白い布で覆っており、フードも目深まぶかに被っていて顔もわからない。わかるのは身長が俺以下、フィンリィ以上ということくらいだ。


(こいつが、30日の帝国カオスルゥナのカナ……)


 ザッ、ザッ、ザッ。


 奴の足音だけが荒野に響く。キーマ曰くもうクロコダイラスの探知圏内だというのに、気にする様子も無い。


 俺は、そいつから感じるただならぬ雰囲気に、なぜか見惚れたまま呆然と立ち尽くしていた。殺気は無く、覇気も無い。ただ、なんとも言えない違和感を感じる。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 そして、俺の横を通り過ぎる。


 通り過ぎる瞬間、その布の中からぬっと手が伸びてきて、俺の肩に手を置いた。


 そして、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、一言だけ呟いた。




 ——頼んだよ。




「え?」


 そのまま、俺の横を通り過ぎて行った。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 サイレントバードの靴も履いていないのに、真っ直ぐクロコダイラスのところへ向かう。


(大丈夫なのかあいつ、あんなんじゃすぐ起こしちまうぞ?)


 と、誰かが小声で言った。そして、その予想はすぐに的中した。この距離で見ても、クロコダイラスが動き始めたのがわかる。


 その白い巨大なワニは宙を舞った。まさか飛ぶとは。色からしても、サイズからしても、シロナガスクジラのようだ。そのまま30日の帝国カオスルゥナのカナへ突撃する。


 ——かと思われた。


 しかし、実際は完全にスルー。


 では、なぜ起きて、なぜ飛んでいるのか。


「お、おい……」

「なんだ……?」

「どうして……?」


 どうしてこっちに向かってくるんだ?

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