第9話 ➡︎プラセボを知る

 「少し話しましたが、精神不変の原理プラセボは心術の一種です。心術とは心界……つまり精神世界に干渉する力のことで、身体能力は大幅に強化され、精神不変の原理プラセボという特殊な能力を発現します。本来であれば瞑想やイメージトレーニングなどの修練を重ね、数年かけて心界の門を開くのですが、カナタさんは既に身につけているようですね。ですから精神不変の原理プラセボも無意識に使っていても不思議ではありません」


 わずかに波打つ胸を堪能しながら、「なるほど」と相打ちを打つ。俺の身体能力が上がっているのは、体の主の基礎修練によって既に心術を使えるようになっているから、ということだ。どうりで筋力だけでどうにかなるレベルの走力じゃないわけだ。


「イメージの仕方ひとつでパンチの威力が変わったりしますよね? 武術における発勁はっけいにイメージや意念が重要であるように、精神の力は肉体や現実に作用します。心術は心界への門を開くことで、より密接に、より強力に現実世界へ作用するんです。その最たるものが精神不変の原理プラセボです。これは簡単に言うと、思い込みの力です」


「思い込みの力……」


「とは言っても今現在の思い込みじゃありません。幼少期に培った、偏見……とでも言うのでしょうか。例えば、両の手を激しく擦り合わせると、摩擦で手のひらが熱くなりますよね? この時、『手を擦れば熱が生まれる』と考え、さらに『熱が生まれるのなら火が出るに違いない』と信じ込んでいたとします。もちろん実際はそんな簡単に火が起こるはずはありません。しかし子供心に、そういう、信じ込んでしまっていた経験ってありませんか?」


「んー……まあ……そうだな……俺も子供の頃は誰かに出来ることは俺にも出来ると思ってたよ。あいつがあれだけ速い球を投げられるんなら俺にも投げられるに違いない、とか」


「そんな感じです! そして、その子が心術を覚えると、それは現実になります。つまり、んです。そういった、思い込んでいる現象のとおりに、物理法則を無視して、それが精神不変の原理プラセボです」


 思ってたような超能力だとか異能だとかとは少し違うが、なんとも、妙に納得感のある話だ。であれば先程の変態エビモヒカンの異常な脚力を生んだ思い込みは、『今日は昨日より高く跳べた。だから明日はもっと高く飛べるに違いない』と言ったところか。


 そして残念なことに、フィンリィは魔法陣らしきモノを描き終え、立ち上がってしまった。俺としたことが、話に気を取られて胸を眺めるのがおろそかになっていた。次にいつあるかわからないチャンスだというのに、俺の愚か者め。


「でも、それを言ったら俺は誰よりも速い球を投げられるはずだし、誰よりも速く走れるんじゃないか? 火を起こせる奴もたくさん出てきそうだ」


「良い発想ですね! 確かに、古くはその発想を元に研究が重ねられていました。火を起こせる経験を同じように経験させれば、任意の精神不変の原理プラセボを発現させられるのではないか、と。しかし、どんなに同じ境遇を人工的に作ってもうまくはいきませんでした。それもそのはず、精神不変の原理プラセボを形成するのは”経験”と”血”だったからです!」


 描き終えて手が空いたのを良いことに、身振り手振り全開で説明してくれるフィンリィ。俺より頭ひとつ分ぐらい小さい彼女の懸命な仕草を見下ろしていると、気分的には必死にエサを貰おうとお手を連打する子犬を見ているのに等しい。教えてもらっておいてなんだが。


「血は秘力の根源であり、人間の情報の塊です。言わば血は『ガラスの器』で、経験は『そそぐ水』です。赤い水を青いガラスに入れれば紫に見えますが、赤い水を黄色いガラスに入れればオレンジに見えますよね? いくら赤い水の経験を量産しても、青いガラスの器がなければ望んだ紫の能力は手に入らないのです。逆に言えば、血さえコントロールできれば望んだ力が手に入りますが、長い人間の歴史の中で混ざり合った血は、そう上手くいきません。ですから貴族や王族はその純血を守り、その能力を受け継いできました。水、火、光などの生活基盤となるものを生み出せる能力を途絶えさせぬよう、貴族の子供たちは幼少期に全く同じ経験をさせる一家相伝の教育を受け、余計な血が混ざらぬよう適正のある家柄と婚姻するんです」


「なるほどな……血脈を大事にするのも理由があるというわけか。ところで、フィンリィの精神不変の原理プラセボはどんなのなんだ?」


「私の精神不変の原理プラセボ、”著者の囁きオーサー”は戦闘向きじゃないし、ここでは役に立たなそうですが、『本の著者と会話する』力です。小さい頃は本ばかり読んでいたので……とまあ説明はそんなところで、始めましょう! カナタさん! この”霊法陣”の上に立ってください!」


 フィンリィに服を引っ張られながら、俺は考えていた。


 つまり、「速い球を投げられるに違いない!」と思い込んでいようが、それを再現する適正のある血を持たなければその能力は得られない、というわけだ。


 ということは俺が手にする力は、この体の主が元々持っていた精神不変の原理プラセボではなく、この体の血+俺の経験=何になるでしょう、ということだ。モンスターとモンスターを掛け合わせて、新しいモンスターを生み出しましょう、ってなもんだ。


「これ、描く必要あるのか? さっきは手で印を結んで人魂みたいの出してたが」

「方法が色々あるんですよ! さあいいからいいから!」


 霊法陣と呼ばれる、魔法陣の親戚の上に立たされると、フィンリィは例の青白い光に包まれ、おごそかに呪文を唱え始める。


「開け放つは霊界の門 我 おもうは始祖の易者えきしゃ

不可視の意志をかたどりて 汝が威光によりて照し 其の影を読め

才覚の証明オーグリム


 すると俺の影が薄れていき、炙り出しのように文字が浮かび上がってきた。というか文字の部分だけを残して、他の影が消えていったというのだろうか。その影で書かれている文字は以下の通りである。




名前 : 借金王の物乞いレンタル


条件 : 持ち主に借りる事を了承させ、対象に触れる。


効果 : 対象を借り受け、その事実を7日間忘れさせる。





「なんだこれ……」


 ダサい。ダサ過ぎる。


 まず名前がダサい。物乞いって……もっと、なんかこう、身体能力が飛躍的に上がるとか、波動弾が撃てるとか、時間が止められるとか、カッコいいやつを期待してたんだが。一応小さい頃はかめはめ波が撃てると信じてたし。しかも期限が一週間って、どこのレンタルビデオだよ。


 小さい頃の偏見がこの能力になっている、というのがまた情けない。確かに、幼馴染はアホほど金持ちだったから、ゲームやらオモチャやら、いくら借りてもすぐ貸したことを忘れていた。


 例えばシャーペンを借りたときは、数日後、それを使う俺に向かって「お、良いシャーペン持ってるじゃん!」とのたまう始末だ。だから借りたところで催促されるようなことはなく、『人は貸したことを忘れるもの』だと思っていたし、『借りるっていうのは貰うようなもの』と思っていたことも否めない。貸した側があげるつもりで貸すというのはよく聞くが、それを借りる側のクセに思い込んでいるのだから自分で聞いてもタチが悪い。


「とてつもなくかっこ悪い上に実用性を見出しにくいんだが」


 例えば敵から武器を奪うとしても、まず借りる事を了承させる必要がある。魔獣相手には通用しないし、敵対する関係において、こちらに武器を渡してくれる時点で、相手からしてもあげているようなものだろう。


 だが、全く無意味な能力という訳じゃない。この塔で借りることが意味を持つものと言えば、ダダの店だ。あの詐欺ジジイから一瞬でも借りることができれば、言ってみれば借りパクできる。品揃えは相当ある。うまく行けばアイテムには困らなくなるな。目にモノを見せてやるぞあのジジイ。


 フィンリィも覗き込んで確認する。「こいつどんな幼少期だったんだよ」と思われないことを切に祈るばかりである。


「……そうですね、確かに使い方が難しそうです。ただ、才覚の証明オーグリムで分かるのは大雑把な説明なので、試しながら検証していくことで新たな発見があるかもしれません。それに、とても珍しいですよ、”王”の名が付く力は」

「そうなのか? 珍しいのは嬉しい気もするが、王は王でも借金王だぞ?」

「でも王様は王様ですよ! 元気出してください!」

「元気出して、は逆に落ち込むべき事だと聞こえるぞフィンリィ」

「ハハハ……」


 フィンリィが力無く笑った時、




 「あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁ!!!」




 女の悲鳴が聞こえた。


 森の中から、絹を裂くような声だった。遠くから聞こえていたが、それが鬼気迫るものであることは、見合わせたフィンリィの目が思わず見開いていることからも分かる。


「森の方からだ!」

「待ってくださいカナタさん!」


 俺は走り出していた。それはこの世界に来てから出会った女の子が二人とも可愛かったから、というのもあるだろう。女性=可愛いという方程式が無意識に組み込まれており、つまりは「かわい子ちゃんに危機が迫っている!!」という先入観を疑うすべを持たなかったのだ。


 そしてその予想は的中することになるが、同時に違う形で裏切られることになる。

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