2-7 あの日、庭園で
シャレイアンの現国王、オンベール=シャレイアンの妃。つまりセヴィリオの母は、彼が八歳になる年に流行り病で急逝した。
以来、セヴィリオは泣いてばかりいた。彼が笑わなくなったのはその頃だったように思う。
リアナーレは親に連れられ、頻繁に王宮を訪れるようになった。
塞ぎ込む王子にどう接すれば良いのか、周りの大人たちは分からなかったのだろう。歳が近く、親しい幼馴染みならば、心の傷を癒せると思ったのかもしれない。
当時は大人たちの思惑に気づいていなかったが、リアナーレはそれなりの務めは果たしたはずだ。
目を真っ赤に腫らし、ぼろぼろと涙を流し続けるセヴィリオを見て、小さな体で抱擁したのは確かこの薔薇園だ。
母親のことを思い出して泣き続ける幼き日のセヴィリオを、リアナーレは暗い部屋から薔薇園へと連れ出した。
「セヴィー、大丈夫。私がずっと傍にいる」
「本当に?」
「うん。だからもう泣かないで」
笑っていて欲しい。幼いリアナーレは純粋に願っていたのだが、今思えば、励ますために残酷なことを言った。
「セヴィーは王家の人間なんだから。国を護れるくらい強くならなくちゃ」
「……なれるかな」
セヴィリオはしゃっくりが止まらず、苦しそうだ。潤んだ目で、リアナーレを不安げに見つめる。
「なれるよ。きっと、強くてかっこいい王子様になる。そしたら私をお姫様にしてね」
「分かった、約束だよ」
「約束」
あの日、薔薇園で二人は将来を誓った。
結局、幼い約束が果たされることはなく、リアナーレは国に身を捧げ、セヴィリオは王命で聖女様を娶ることになる。
どこかで、何かが狂ってしまった。狂わせてしまった。それでも。
――私はずっと、傍にいるから。
リアナーレは生ある限り、報われなくても、セヴィリオを愛するだろう。
「朱色の薔薇が多いですね」
回想にふけり、ぼんやりするリアナーレにルーラが語り掛ける。
我に返って庭園を見回すと、確かに朱色の薔薇の比率が高い。
「本当だ」
貴婦人のお尻のようにふっくらとした朱色の花に、リアナーレはそっと顔を近づけた。
甘い芳香の中に、薔薇特有のツンとした強い主張がある。いつまでも嗅いでいたい匂いだ。
「この色は坊ちゃんがお好きなのですよ。何輪か摘んで生け、部屋にお持ちするとお喜びになる」
側で話を聞いていた庭師は、声を弾ませて説明をする。
ルーラが何の気なしに「リアナーレ様の髪色にそっくりですね」と言うと、入れ替わりの事情を知らない老人は偶然を強調した。
セヴィリオが別の女を想っていると、聖女様に誤解されないようにするためだろう。
心配無用だ。ただの偶然であることは、言われなくても分かっている。
「それにしても、部屋に薔薇を飾って喜ぶような男だったとは」
ぼやいたリアナーレを、背後から何者かが抱き締めた。
「実はそうなんだ」
「セヴィー!?」
護衛のお咎めなしに触れられる男は、一人しかいない。
リアナーレは、忍び寄る気配に気づかなかった自分に呆れる。これだからうっかり命を落とすのだ。
「庭園はどう?」
突然現れたセヴィリオは妻の顔色を窺う。
「素敵だけど……それより貴方、仕事は? そんなに暇なの?」
「暇ではないけれど、リアナと過ごす時間を作るための努力ならいくらでもできる」
彼はリアナーレの手を取り、端正な顔を擦り寄せた。
その様子を、庭師とルーラが微笑ましく見守っている。視界の端に、こちらを凝視するエルドまで映り、リアナーレの顔に熱が集まった。
「この薔薇、好きだったけど、君にこの色は合わないね」
聖女様は黒髪に、紫の目をしている。セヴィリオの言う通り、青みの強い淡い紫に鮮やかな朱色は似合わないだろう。
「そうだ、こっち」
彼は急にリアナーレの手をとって歩き出す。
「ちょっと、転ぶって」
「この色はどうだろう」
薔薇のアーチを潜り抜け、庭園の隅で彼がそっと手を添えたのは、聖女様の目によく似た色の薔薇だった。
「珍しい色ね」
「母上が、父に似た青色の薔薇を作ろうとしていたんだ。結局叶わなかったけど、リアナにはぴったりだ」
セヴィリオは庭師に声を掛けると、形の良いものを見繕って数輪摘ませた。リアナの部屋の分と、執務室にも飾るのだという。
はにかんで笑う彼に、リアナーレはほっとする。そうしてずっと、笑っていて欲しい。
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