第2話
シオンの待つ基地に辿り着いた僕は、電子コードを入力して中に入りハッチを閉める。この基地はもともと軍事目的に作られたモノらしいが、孤立した場合でも作戦が遂行できるよう、地下に反重力器を用いた永久機関発電所がある。そのため、人類が消えた後でも電力が使用できる。シオン曰く、まだ設備が生きているのは奇跡らしく、発電量も著しく低いらしいが。
この基地内部ならば、外のような汚染物質が満たされた世界ではない。僕は防護服を脱ぎ、室内着へと着替える。
まだ息のある昇降機を探して乗り込み、シオンの待つ管制室へと向かう。
扉が開くと、様々なメーターが表示された巨大なモニターが目に入る。そして、モニターをバックにこちら側へ向けて座る少女が声を上げる。
「おかえりなさい。辞書は見つかった?」
シオンだ。声色は少し暗く、きっとロケットの構築が上手くいっていないのだろうと察する。
「ただいま。多分辞書じゃないけど、英語で色々と書かれた本は見つけたよ」
僕は彼女の元へと駆け寄り、死体のポケットから見つけた本を手渡す。シオン何も言わずにそれを受け取ると、ぱらぱらとページをめくり中身を確認する。
「これは……聖書ね。特定の宗教に肩入れするのは気が進まないけれど、辞書の代わりとしては十分かしら」
シオンは立ち上がって、僕の頭を撫でる。
「上出来よ。これで人類が生きた証をまた一つ残すことが出来るわ」
シオンと僕は同じ年に生まれた。そして、同時期にコールドスリープしていた。けれどもシオンは、一人で目覚めてこの基地を整備してから僕を呼び覚ました。その為、シオンの身体は僕よりも数年上のお姉さんみたいになっていた。
「どういうこと? それは辞書の代わりになるものなの?」
「私はね。人類が作り出した文化の一端をもって宇宙に行きたかったの。辞書ならば、言葉という文化を網羅できるわ。でも、この本も世界で最も多く発行された書物だし、文化の一端という事で納得してあげる。終末が訪れた後の世界に、終末を語る書物だなんてナンセンスだけど。それとも、黙示録はこれからなのかしら?」
宗教学を学んでいない僕にも聖書ぐらいなら分かる。けれども、シオンの語る言葉の殆どは、僕に理解できるものではなかった。
「シオンはその本を宇宙に持って行って何がしたいの?」
「……もしも私が、どこかの星で他の知的生命体と出会ったときに、自慢する為よ。私の故郷では、こんなモノが有ったんだってね」
シオンは笑顔で真面目に答えた。
「知的生命体って宇宙人だよね。本当にいるのかなぁ?」
「きっと居るよ。だって宇宙は果てしなく広大なんだもん。その人たちを見つけ出して、私たちの事を覚えていてもらう為に、私は宇宙に行くんだから」
語るシオンは、言葉とは裏腹に深刻そうな面持ちだった。肩も小刻みに震えている。
「どうしたの?」
僕の質問にシオンは首を振る。
「何でもない。それよりも、これ見て」
シオンは僕の質問から逃げるように話題を切り替える。モニターを操作すると、今まで表示されていたメーターが消え、外の風景が映し出された。
「……すごい。綺麗! こんなの見たことないよ!」
それは、この基地の高台から海を見下ろす風景だった。砂嵐が一時的に止んだのか、視界は明瞭で、今まさに水平線の先に落ちようとしている太陽が、陸も海も空も一色のオレンジ色へと染め上げていた。
僕が飛び跳ねる様に喜ぶ様を見て、シオンは満足気に頷く。
「空気中の湿度や太陽の角度、天候に季節。色々な条件が重ならないと、こんな綺麗な風景にはならないわ。私たちが生まれる前の世界でも、中々拝めなかったと思う」
崩壊宣言前の世界を学ぶことは、人類再興を背負う僕たちに課された義務だった。だから僕も、昔の地球では様々な美しい風景が見れた事を写真や映像で知ってはいた。
「今でもこんな景色が見られるのなら、今の地球も悪くないじゃないと思わない?」
「そうだね。これで絵本の世界みたいに、おなかいっぱいご飯が食べられて、お外でお昼寝ができれば完璧なんだけどね」
僕の言葉にシオンは笑う。
「地球はかつて、炎の海だった時代や氷の世界だった事もあるわ。長い歴史で考えれば、緑に覆われていた時間というのはごく限られたものだったかもしれない。けれど、いつか再び人間の住める環境は戻ってくると思う。その時、また人類が息を吹き返す可能性は、もうないのだけれど……」
シオンは語尾を弱めて言う。
「……どういう事? だって、人間があの絵本の世界に戻るために、コールドスリープして眠ってたんじゃないの?」
僕の言葉にシオンは目をそらす。
「なんでもないわ」
「なんでもなくなよ!」
何かを隠している。そう思った僕は、追及の手を緩めない。
「前々からおかしいと思ってたんだ。どうしてシオンは宇宙に行かなきゃならないの? あのままコールドスリープしてれば、一緒に絵本の世界に行けるんだよ」
僕は彼女が宇宙に行く事に納得していなかった。宇宙に行ってしまえば、もう二度と会うことは無くなる。そんなのは嫌だ。
「……カズラには関係のない話よ。これは私の仕事だもの」
「関係大ありだよ。もしも地球が元に戻ったとしても、そこでご飯がいっぱい食べられても、外でお昼寝ができても……シオンが一緒に居てくれなきゃ嫌だ!」
頬の痛みと共に視界が揺らぐ。シオンは僕に平手打ちをした。
「聞き分けの無い事を言わないで。子供じゃないんだから」
「……子供だよ。シオンこそお姉さんぶるなよ。同い年のくせに先に成長しやがって。どうしてシオンは先に目を覚ましたんだよ。どうして、こんな基地でロケットを作って宇宙に行こうとしてるんだよ。なんで……」
これからも一緒に居てくれないんだよ。そう言おうとしたが、悲しみが胸から込み上げ、涙が溢れてしまい、言葉が紡げなかった。
「ごめんなさいね。ちょっとやりすぎたわ」
シオンは僕を抱き寄せる。
「お姉さんぶるなよ」
「ちょっとぐらい良いじゃない」
悲しい気持ちは残っていたが、シオンの温かい身体に包まれて、別の感情が僕の心を上書きする。
「ちゃんと説明してくれるよね?」
「……わかったわ」
シオンはぽつりぽつりと話し始める。人類の本当の終焉と、僅かに残されたセンチメンタルな希望を。
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