花蘇芳

lampsprout

前編

第1話

 あの日、貴女は私を置いてどこかへ行ってしまった。私よりあの人を選んだ。

 私を要らないといった貴女を、ようやく忘れかけたころ。


 ……6年前と同じ景色の中、貴女は私の前に現れた。



 ◇◇◇◇



 重たい木の扉を開けて中庭に出れば、育ててある草花の爽やかな香りが肺を満たす。見上げた澄んだ空に、薄っすら雲がかかっていた。花壇や鉢植え、直植えの花々は鮮やかに咲いている。

 私は学院卒業後、同居人と2人で小さな花屋を営んでいた。


「トワ、何してるの」


 背の高い年上の女性が、扉から出て私の傍にかがむ。背中に流した長い髪がさらりと風に靡いた。


「何でもない。休憩してただけよ」


 リナとは2年前に出会って、去年から一緒に暮らし始めた。私が魔術学院を卒業するのを待ってくれたのだ。そうしたら同棲しようと決めていた。

 花を撫でながら、リナがふと思い出したように呟く。


「来月は石祀祭ね」

「そうか、祭の用意をしないと」


 6年に一度、この国では大きな行事が催される。宗教的な意味合いも強い石祀祭は、国を挙げて徹底した準備が行われた。私たちも前々から、祭の間に店に施す装飾の話し合いをしてきた。

 祭のテーマカラーは規則で緑と決まっている。花屋はそもそも緑に囲まれているので、寧ろ派手な花々を増やしすぎないほうがいいだろうとは思っていた。ただ、今から花で飾るとかえって色が褪せてしまう。


「でもまあ、もう少し近付いてからでもいいんじゃない?」

「それもそうね」


 私の言葉に頷いたリナが、先に店内へと姿を消す。その後ろ姿を目で追うと、扉付近の真っ赤な花が視界に入った。……アンスリウムだ。6年前に姿を消した彼女が、好きだと言っていた花。


 アンスリウムの花を見ると、未だに顔や声を思い出す。燃えるように美しい赤髪が、今も目の前にあるような気がする。それほど、彼女は私の総てを占めていた。

 以前は何の心配事も持たなかったはずなのに、未だに私は変わったままでいる。澱んだ物思いに沈むのが常になってしまった。


 目を伏せると同時に、休憩時間の終わりを告げるベルが鳴った。そろそろ来客が増え始める時間だ。

 私はそっと立ち上がり、咲き誇るアンスリウムに背を向けたのだった。

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