静寂の中でコーヒーを飲む話
うりしゅぎ
第1話 電車の中で
憂鬱だ。
そう、無意識に心の中で呟いた。
そんなことを思うなんて、ありえない。自分はポジティブな人間なんだ。そう思いながら、画面の中にある虚構の現実へと目線を移す。今日も今日とて劣等感に苛まれた素晴らしい一日だったなと、1日を振り返っていた。
画面の世界でも劣等感を感じた。自慢が画面を覆い尽くしていた。政治には興味があったが、不毛な議論が展開され、感情論と感情論がプロレスをしていた。友人達も自慢ばかり。友人と書いて、いや、人間と書いて自慢と読むのではないかと思うほどだった。
「人生を楽しんでいる」と、不特定多数の人々に伝える友人達の姿にさらに不快感は溜まっていった。
車窓を見ると長閑な、あまりにも静かな景色が見える。都会では見られない景色だ。そう思いながら、少しの愉悦感に浸る。だが、自分が自慢できるのはこれだけだったのかもしれない。そう思うと何だか寂しく感じた。
自分という人間の向けられたものなのか、それとも、この自分視点で物事を観察したときに観察できるグロテスクな世界のことなのかはわからなかった。
こんなことを考えるなんて厨二病だと思った。嫌悪感が心の中を満たしていく。
少したった頃、店で買ったコーヒーを飲んだ。リラックスしようと思ったからだ。しかし、落ち着かなかった。
別に用事などは無い。しかし、落ち着かない。もしかしたら「しかし」という表現は不適切かもしれない。では、何が適切何だろうか?思い付いたのは、「故に」だった。何も用事がないということは、余裕があるということである。何か集中して作業をしている最中は、未来への不安を忘れるものだ。作業は現在に自分を留めてくれる。ある意味、禅と同じかもしれない。
車窓を見ながら、綿々と考えを頭の中のメモ帳に綴っていたが、別のことを考えた瞬間、メモは灰へと変化し、跡形もなく消えていった。脳内メモは意外と脆いと改めて感じた。
だが、再生は早い。次の瞬間には別のメモに、考えたことがつらつらと綴られていた。
取り止めの無い思考を止めることもなく、ただ、現在逃避という名の黄昏れに時間を費やしていた。
作業をした時と同様に、未来への不安を忘れられる。思考はもう今日だけで、脳内メモ帳を2、3枚ほど使っていた。色々考えた。だが、次の瞬間には全て忘れてしまっていた。
窓から見える景色も延々と続いている。
窓の大きさは、縦約0、7m、よこ、1mぐらいだ。
その大きさの対比も味相まって、映画館のスクリーンに見えた。
映画館、自分に中での印象は、カップルが多い。そして、今、目に前で映画は上映されている。一瞬だけだが、カップルらしき男女二人が車窓というスクリーンに映るのが見えた。制服と私服の二人だった。たったこれだけに情報だけで、頭の中からストーリーが湧き出てくる。
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