手料理×初恋
俺の服が初の涙でベトベトになっていき、染み込んだ涙のせいで服が肌に張り付く。
ようやく泣き止んだ初は俺の顔を見て、震える唇を動かす。
「すみ、ません……。色々と、張り詰めていて……嫌な人じゃないって思ったら……なんか、急に……ぐわぁあってなって」
「あー、まぁ、気にするな。……最近の初の境遇は子供にはしんどいだろうって分かる」
「……ご飯、今から作ったんじゃ遅くなります」
「あー、俺が作るからリビングで座って待っていてくれ」
初は昨日とは打って変わった様子で素直に「こくり」と頷く。
「あ……あの、ちょっと制服、着替えてから行くので……」
「ああ、分かった」
まぁ……多分、すぐに家までやってくる可能性は低い。
初を追い詰める事態にしたら、親戚の家に行くなり養護施設に行くなりとした手段を取る可能性があることは襲ってきている奴等にも分かっているだろう。
こんな警察がなかなか来られないような辺境の土地ならまだしも……都会にでも逃げられたら力尽くで奪うということは無理になる。
だから連中は、次の手を取るとしたら確実に俺を打ち倒して初を奪えるだけの状況を整えてからだ。
仲間を呼ぶなりすると考えて最速で一日、まともな組織なら計画を練るなりするのに半月ぐらいはかかるだろう。
もし今日来られたとしても、桜川がひとりと実行役になれない車の運転手がひとりなら、まぁ対処は可能だ。
それより今は……人生初めての料理である。
小学生中学生のときの調理実習は食材をみんなで持ち寄ってというやり方だったので、食材を持って行けそうになかったから学校をサボったんだよな……。
こうなることなら、食材を持っていかなかったことに反感を買われてでも参加しておくべきだっただろうか。
今になって後悔してももう遅い。自分の頭の良さと器用さを信じて、ネットのレシピを見ながらやるしかない……!
なんとか四苦八苦しながら肉じゃがと味噌汁を作り、器によそってリビングに運ぶ。
リビングに座っていた初はソワソワとした様子をしながら目元を隠す。
「どうした?」
「あ、えっと、腫れてしまっているので……」
「さっきよりだいぶマシだから気にしなくていい」
「……さっきのは、忘れてください。えっと、肉じゃがですか?」
俺の作った料理を見て初は小さく笑みを浮かべる。大きさのバラついた具材、ほんの少し焦げ臭くて上手くいかなかったことが一目で分かっただろう。
けれども初は悪く言うことはせずに「美味しそうです」と微笑む。
「……上手くいかなかったけど、まぁ食えないってことはないと思う」
「美味しそうですよ。いい匂いです」
「……おう」
食卓について、初が「いただきます」と手を合わせたのに合わせて俺も手を合わせる。
流石に米は普通に炊けているが、味噌汁は風味が飛んでいるし肉じゃがは少し焦げ臭い。
「……不味いな」
「丁寧な味付けをしてます。ちゃんと分量を計ったのが分かります。ちょっと上手くいかなかったのは分かりますけど、でも、私は好きですよ」
本気で言っているのか、それとも気を使っているのか。初はわざとらしく部屋着の袖を捲ってから俺に箸を持つ手を見せる。
「ああ、うん、ちゃんとした持ち方をするよ」
「ん、すぐに慣れますよ。少しぎこちないですけど、もうちゃんと持ててます」
ああ、なんだろうか。と、胸の中にある感情の名前を考える。
ふたりで大した会話もなく、あまり美味しくもない料理を食べる。そう言えば俺が手に持っている箸、多分新品ものだ。
何と表現すればいいのか分からないモヤモヤとした感覚。大きく切ってしまっていたじゃがいもの中が少し固く、やっぱり美味しくない。
食事を終えると初が「洗い物とお風呂の用意、手分けしましょう」と提案して、俺は鍋の底が焦げていることを思い出して洗い物を引き受ける。
水の流れる音、かちゃかちゃと音を立てる皿、頭の中でモヤモヤとした感情の正体を探りながら洗っていき、先に風呂の用意が終わったらしい初が「お風呂をいただく前に、兄さんが眠るベッドを運びたいんですけど」と口にする。
「……あー、いや、二人で運べるか?」
「パーツごとに分けたら大丈夫だと思います。ここに引っ越すとき、引っ越し屋さんが来れないからってお父さんがそういうのを選んでいたので」
「ああ、そりゃそうか。俺が生まれた年に迷宮災害があって、それから母の不倫がバレたんだから、引っ越したの迷宮災害の後に決まってるよな」
洗い物を終えて親父の部屋に入る。
当然ながら死んで一週間やそこらのため、少し席を外した程度の雰囲気が残っていた。机の上に置きっぱなしの本に、スリープモードのノートパソコン。
書斎にもパソコンがあったが、こちらはネットに繋がっている普段使いのものとかだろうか。
「……初、平気か?」
「……ここにくると、少し、寂しくなります」
「ああ、そうだよな。……あー、俺が言うようなことじゃないけど、いいことだと思う。寂しくなると故人を思うということだし、故人を大切に思っていたということだから」
初は微かに笑って「ありがとうございます」と口にする。たった一人の家族が死ぬという感覚は一体どういうものなのか。
多分、俺には一生理解出来ないのだろう。男と出ていった母が死んだとしても、多分俺はどうでもいい。手続きが多少面倒くさそうだなって程度のものだ。
分からないのに分かったフリをしていることに罪悪感を抱きながらベッドに目を向ける。
「一応、兄さんが来る前に寝具は洗ったり干したりしているので清潔になってますけど、気になるのでしたら買った方がいいです」
「あ、枕とか毛布とかはこっちに送ってる奴があるからそれを使う。マットレスとかは持ってないから借りるな」
「……昨日ってどうやって寝たんですか?」
「毛布に包まって。あんまり気にならないタイプなんだよ」
初は「ええー」という表情を浮かべてから布団を退かしてマットレスに手を掛ける。
「兄さん、色々と生活が心配になります。……って、あれ何か落ちて……」
初がマットレスを退けた瞬間、ベッドフレームとマットレスの間にあったらしい何かがバサリと落ちる。
一体何だろうとふたりで覗き込むとあられもない姿をした女性の写真が目に入る。
「……」
「……」
内容は美脚がどうとかいう比較的ノーマルなものだったが……なんというか、めちゃくちゃ気まずく感じる。
「……あの、遺品の整理で分けたりしなかったんですけど、大丈夫ですかね」
「金銭的な価値があるものじゃないから大丈夫だろ」
「要ります?」
ちょっと趣味が合わないのでいらないな……俺はもっとこう初みたいな女の子の方が……。
俺が首を横に振ると初は「じゃあ次のゴミ捨ての日に捨てますね」と口にする。
一応遺品なのに……いや、まぁいらないんだけど。
微妙な空気になりながら二人で手分けしてベッドを運び、初の部屋で組み立てる。
初が主導しての組み立てだが、初のベッドの隣に並べる形で本当にいいのだろうか。もっと離した方が……と、思いはするが黙々と組み立てている初に何かを言うことが出来ずにいるとベッドの準備が完了してしまう。
まぁ……初が気にしないならいいか。
「では、お風呂お先にいただきますね。あ、えっと、その前に……」
俺が自分のベッドに座っていると、初は机の上に置いていた幼い少女が持っていそうな可愛らしい小袋を手にして「これ、良ければ……」と俺に手渡す。
ほんの少し埃っぽいそれを受け取って開けてみると小さなキラキラとしたビー玉が三つほど入っていた。
子供の頃に憧れていたラメの入ったキラキラのビー玉。既に興味を無くして十年は経っているだろうはずのそれを手に取ると、初は言い訳をするようにパタパタと動く。
「あ、えっと、ちゃんと話は聞いてましたよ。昔ほしかっただけで今はそんなにでもないって分かってますけど、えっと……その……なんていうか……」
一人で慌てている初を見て、思わず笑みがこぼれ落ちる。
「はは」と笑った俺を見て、初は少し不思議そうに首を傾げる。
「……ありがとう。思ったより、嬉しい」
キラキラとしたビー玉を照明の光に照らす。とっくにいらないと思っていたそれは相変わらず綺麗で、欲しいと願っていたあの日のことを思い出した。
「……そ、その、無理しなくて、いいですよ?」
「いや、大切にする。ずっとな、大切にするよ」
ビー玉を初の方に向けて、ポツリと呟く。
「ああ……好きだな」
俺のそんな言葉に、初はくすりと笑う。
夕飯のときからモヤモヤとしていた感覚の正体が、ビー玉のキラキラとした光に照らされて露わになる。
ああ、これが……「人を好きになる」ということなのだろう。見た目が可愛いからとか、性格がいいからとか、そんな風に初を見ていた感覚が失せていく。
ビー玉のようにキラキラと、初が特別に見えた。
初はそんな俺を見て「にへらー」と笑う。
「お風呂、入ってきますね」
「……ああ」
百均に売っているような物のはずなのに宝石ですらないただのガラス玉なのに、どんな宝石よりも大切で綺麗な物に感じる。
ああ、俺は初が好きだ。もう引き返すことが出来ないほど、好きになっていた。
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