第40話 達人の秘伝
爺さんについて行ってたどり着いたのは、本部にある仮想戦闘室だ。仮想戦闘室はヒトガタシステムを応用して作られたものだ。使い方は、部屋の前に設置されたパネルに触れて魔力で自分の分身を作り、近くに設置されたベッドに横たわってから、もう一度パネルに触れて分身に自分の意識を移す。これで安全に模擬戦が可能というわけだ。
このシステムの良い点は、毎回ヒトガタを用意する必要がない点と、模擬戦用の分身の製作のコストが低い点だ。
ヒトガタは特殊な術式が組み込まれた人と同サイズの人形なので、単純にかさばるし重い。一気に10戦くらいしたい人にとってこれは致命的だ。それに対し、仮想戦闘システムはその場で分身を作るのでこの問題を一気に解決している。それどころか、集中力と体力の続く限り何戦でもできるのだ。
さらに、ヒトガタを一つ作るのにはそれなりの費用と手間がかかる。しかし、このシステムは一度設備を整えてしまえば、少しの魔力でヒトガタを作る費用と手間をカットできる。
まぁその設備を整えるっていうとこでめちゃくちゃ費用がかかるから、魔術師協会本部と金銭の余裕がある協会支部や学園くらいにしか置いてないのだが。俺も初めて見た。
「立派なもんじゃろう」
「なんというか……近未来的ってかんじだな」
一辺25メートルの空間を取り囲む、魔力で強化された無機質な白い壁。不自然なほど清潔なその空間は、自分の知る世界とは違う法則の中にあるような感じがした。この区画には同じようなものがざっと十個ほどあり、熱心に訓練に励む者が他に六人ほどいた。
「こんな凄い施設なのにあんまり人居ないんだな」
「昼時だから空いているのと、こっちは部屋数が少ないから元々人気がないんじゃよ。大体の奴は東棟の150部屋あるとこに行く」
「なんで分散して置いたんだよ」
「偉い人には色々事情があるんじゃろう」
爺さんは適当な返事をしてパネルを押した。俺もそれに続いてパネルを押して分身を作る。そのままベットに寝転んで意識を分身へ移した。一瞬目の前が真っ暗になり、その後無機質な壁が視界に広がった。適当に体を動かして違和感がないか確認する。本物の身体となんら変わらない感覚だったので、よく出来ているなと感心した。
「それじゃ、早速始めるかの」
「わかった。で、何をすればいいんだ」
「まずはお主の力を確かめる」
爺さんはかかってこいと言うように手で煽ってきた。仮想戦闘室なので怪我の心配はないのだが、ヨボヨボの爺さんに殴りかかるというのは少し抵抗があった。爺さんも爺さんで腰に手を当てたまま構える様子は無い。そうやって尻込みしていたら、爺さんの方からこっちに寄って来た。
「どうした。こんな老いぼれ相手に怖気付いたか?」
「……後で文句言うなよ」
寄ってくる老人が俺の間合い入った瞬間、最速のジャブを放った。そう、攻撃したのは俺のはずだった。しかし、次に俺の目に映った景色は無機質な白い天井だった。
「は?」
「見えたか?」
「いや、全然……」
地面に転がる俺を見下ろして爺さんが問いかける。分身は体を動かすのに弊害がない程度に痛覚を遮断しているので問題なかったが、もし生身だったら後頭部を押さえて呻いていたところだろう。
「ほい、もう一度来なさい」
「今度は油断しねぇぞ」
今度はしっかり構えて爺さんを観察する。やはりどう見ても無防備に歩いているようにしか見えない。ならば今度はこっちから仕掛ける。爺さんの間合いに入らないようにしながら、ステップを踏んで後ろに回り込もうと画策する。
目で俺を追う爺さんにフェイントをかけて、背後を取ることに成功した。そのまま後頭部めがけて拳を振るったが、爺さんは体を逸らしてギリギリで攻撃を避けた。さらに続けて二発放ったが、それも俺に背を向けたままひらりと避けられた。
そこから先、俺は完全に弄ばれた。何度背後を取っても、正面から勢いよく仕掛けても、爺さんは余裕を崩さず全て避けきった。三十分くらいで息切れした俺を、爺さんはニコニコと笑って見下ろした。
「なんで当たんねぇんだよ」
「攻撃が素直すぎるし、殺気が隠せとらん。これでは上の連中には通じんぞ」
そういえば、ナックルと村の上級悪魔には全部読み切られてたな。爺さんの指摘に心当たりがあった俺は、悔しいながらも納得してゆっくりと体を起こした。
「しかし素質はある。よい師匠を見つければアルトとやらの力になってやれるじゃろう」
「そうか。で、秘伝ってなんだよ」
「おぉそうだったのぉ。忘れとったわい」
爺さんは後頭部に手を当てて笑うと、部屋の中にある模擬戦終了用のパネルに映った時間を見て少し考える様子を見せてからこう言った。
「時間がないのぉ。すまんが、少し雑に教える」
「何十分も遊んでたからだろ」
「悪い悪い。少し楽しゅうなっての」
爺さんは悪びれる様子もなくゆっくりと歩いて、俺と五メートルくらい離れた場所で止まった。
「技の実演と原理の説明を一度だけする。後はお主自身で考えてものにせぇ」
「秘伝の技をそれって、酷なこと言うなぁ」
「お主は魔法の才能はないが、格闘センスと考える頭がある。充分ワシの秘伝を習得できる可能性はあるぞ」
励ましと思われる言葉を添えて、爺さんは初めて構えをとった。構えと言っても、背筋を伸ばし、正中線に沿うような位置に平手を胸のあたりまで上げただけだが。
「なんでもいい。魔法を撃ってきなさい」
「わかった」
時間がないので質問は後にして言われた通りにやる。
「スフィアフレイム!」
少し多めに魔力を込めて撃つ。バランスボールほどの大きさの火球は勢いよく爺さんに向かってゆく。それが爺さんの構えた手に当たった瞬間、火球は音も立てずに消えた。まるで最初から何もなかったかのように。
「これがワシの秘伝、
「す、すげぇ」
あまりの神業に圧倒され、子どもみたいな感想しか出てこなかった。なにせ、魔法を打ち消すなんて、最強の男と呼ばれる
「感激してくれたのなら何よりじゃ。それじゃあ説明に入るぞ。耳かっぽっじってよく聞いとくんじゃぞ」
「わかった」
もしこの技を習得できたら、アルト達にとっても重要な戦力にきっとなれるし、あの二人との差を縮めるための大きな足掛かりにもなるだろう。そのために、爺さんの言葉を聞き逃さないように集中する。
「魔法にはそれぞれ術式が組み込まれているのは知っておるよな。術式は言うなれば、機械を動かす歯車じゃ。歯車が乱れれば機械は正常に作動しない。それと同じで、術式に乱れが生じれば魔法は形を保つことができなくなり、結果的に消滅する。さっき見せたようにな。それで、どうすれば術式を乱せるのかじゃが、闘気を使うのじゃ」
「闘気?」
「闘気とは、
「東洋の人々にとっての魔力みたいなものか」
魔法を使ってないのに良一郎先輩が異様に強いのは闘気を使っていたからか。魔法の才能がない俺は東洋の技術には興味をそそられた。
「大体その認識であっとる。説明を続けるぞ。闘気を術式に流し込むと、どんなに精巧に組み上げれた術式であろうと機能不全に陥る。まるで、錆びついた歯車のようにの。何故そうなるのかはまだわかっとらんがの」
「それで、どうやって闘気を術式に流し込むんだ?」
「そう。この技で最も難しいのはそこじゃ。例えば、闘気を拳に込めて魔法を殴ったとしても失魔拳にはならん。何故なら魔力と闘気は水と油、本来混ざり合うことのない別々のエネルギーなのじゃ。そこで、こっちも術式を使うことにしたのじゃ」
「術式を……?」
「そう"闘気を術式に干渉できるようにする"という術式じゃ」
「魔力と闘気は混ざらないという性質を他でもない魔法の力よって塗り替えるってことか」
「闘気よりも自由度の高い魔力だからこそできる芸当じゃ」
魔力と闘気、それぞれの特性を活かした失魔拳。よく考えられた爺さんの秘伝に素直に感心した。
「まとめると、まず拳を打ち消したい魔法に当て、次に闘気を術式に干渉できるようにする術式を打ち消す魔法に付与し、最後に闘気を流し込む。これが失魔拳じゃ。単純に見えるが、死ぬほど難しいぞ。何故なら、この三つの工程をコンマ一秒の間に行う必要があるからじゃ」
「コンマ一秒!?そんなに余裕ねぇのかよ」
「そうしないと魔法でダメージを受ける方が速い。まぁ苦労なくして大義は成せんからのぉ。精進しなさい若人よ」
爺さんは驚く俺を見て悪戯っぽく笑うと、模擬戦終了用のパネルを触った。次の瞬間には、ベッドの上で寝転ぶ
「あっ、ちょっと」
俺が声をかけると立ち止まって振り返った。ベッドから降りて爺さんと目を合わせる。
「本当にいろいろ世話になった。このでけぇ恩をどうやって返せばいいかも、また爺さんと会えるかもわかんねぇけどさ、これだけは言わせてくれ。……ありがとう」
素直な感謝の気持ちを爺さんに伝える。少し大仰で照れ臭かったが、この人にはとりあえずでもなんでも感謝しないと気が済まなかった。爺さんは驚いたように目を丸めたが、すぐに元の細い目に戻ってカッカッカと笑った。
「老いぼれが勝手にやったことじゃ。気にせんでいい。こっちも久々に楽しかったしのぉ。それじゃあ若人よ、また会う日までさよならじゃ」
爺さんは別れの挨拶を返して立ち去った。俺はその後ろ姿に深く深く頭を下げた。そして顔を上げた俺は、両頬を強く叩いた。パンッと景気の良い音がなり、目が冴える。これは馬鹿なことをした自分への罰と仕切り直しのビンタだ。やるべき事が山積みな俺は、帰りの船までの時間がまだあることを確認すると、近くで模擬戦をしている一団に声をかけた。
○○○
首都マーリンから北方三キロ先に広がる深い森林。そこに先程までザックの面倒を見ていた老人は訪れていた。まだ昼だと言うのに薄暗い森林で、老人は突然歩く足を止めた。
「周りに人はおらん。出てきて構わんぞ」
老人がそう言うと木陰から二人の男女が顔を出した。しかし、その姿は人間とは少し違っていた。黒いツノを生やし、黒いローブを纏った二人。ブルーの孤児院を襲撃した二体の特級悪魔が並んで立っていた。
「時間ぐらい守りやがれジジイ!」
「ご老人だもの。許してあげましょう」
イラつく男を美しい女性が宥める。男は一旦は落ち着いた素振りを見せたが、舌打ちして老人を睨みつけた。
「すまないのぉ、ナックル殿、ラスト殿」
老人は特級悪魔の威圧に動じる事なく会話を始めた。
「どこで油売ってやがった」
「悩める若人を見つけましてな。彼の未来のために相談に乗っておった」
「おいおいマジで時間の無駄じゃねぇか。どうせ人間どもに未来はないんだぜ?」
「この歳になるとお節介を焼いてしまうんじゃよ」
「二人とも。無駄話してないで早く行きましょう?」
ラストは駄弁る二人を注意して、空中に手をかざした。すると黒い渦を巻くゲートが現れた。
「これ以上あのお方を待たせてはならないわ」
「わかってるよ。ほらジジイ、ノロノロしてんじゃねぇ」
「老いぼれに無茶を言わんでくれ」
三人は黒いゲートの中へ消えた。魔術師協会が秘密裏に特級悪魔の捜索を始めて二週間、その足取りは全く掴めていない。
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