第26話 優しい復讐者

 夜空にぼんやりと浮かぶ月が弱々しい光を放つ。動物達も息を潜め、虫の音楽隊がバラードを奏でる。静かなそんな時間に、ザックは孤児院の近くの森林で日課のランニングをしていた。昼の戦闘や孤児院までの移動で体に疲労が溜まっていて、普段のザックならばトレーニングをせず体を休めていただろうが、今日ばかりはそうはいかなかった。


(あの戦いの中で一番レベルが低かったのは俺だ。俺だけが、上級悪魔にビビってた)


 悪魔に殴られた胸がズキリと痛む。アルトとシアン、この二人が天才だというのは痛いほどよくわかっている。そして、自分には魔法使いの才能がないこともまた、誰よりも理解していた。しかし、「だからあの二人と並んで戦えないのは仕方ない」と自分を納得させることはできなかった。


『魔法なんかやめて、武術とか習いなよ。君はそっちなら間違いなく天才だよ』


 何度も聞いたシアンの言葉が頭の中で何度も繰り返される。彼の言っていることは正しい。ザックは武術を習わず魔法ばかり勉強しているが、あの村での戦闘で迷わず格闘戦を仕掛けるくらい魔法が弱く、格闘が強いことを自覚している。


 ○○○


『ホント、なんで魔法に固執するのか分かんないな。何かわけがあるのかい?』


 いつしかの模擬戦で負けた時にシアンはこの質問をした。シアンは強い奴が好きだ。だから、強くなれる資質があるにも拘らずその道を選ばない俺が嫌いだし、強くなってほしいから何度も悔しい思いをさせる。でも、その理由を話すわけにはいかなかった。


『やめなよ、シアン。ザックが秘密にしたいなら仕方ない』

『……僕は親切にアドバイスしてあげてるんだけど』

『ザックにはザックの考えがあるんだよ。僕たちがとやかく言うものじゃない』


 アルトがいつものように助けに入ってくれた。シアンはアルトの才能に惚れ込んでいて、アルトの言うことは、従順ってほどではないがそれなりに聞く。今回もアルトが止めるとあっさりと手を引いて何処かに行った。


『大丈夫?』

『あぁ……いつもすまねぇな』

『気にしないで。それより、生身のまま模擬戦したんでしょ?はやく医務室に行かないと』


 アルトは体を動かせない俺を召喚獣の背中に乗せて医務室まで運んでくれた。ある程度の治療をして、ベッドで横になると、アルトもそばの椅子に腰掛けた。


『なぁ、アルト。無理に俺を気にかけなくてもいいんだぞ。ルームメイト同士の関係とか気にしてるなら部屋を移して貰えばいいし、今回の模擬戦だって俺があいつの挑発に乗って仕掛けたんだ。アルトが俺とあいついざこざに付き合う必要なんてない』


 俺とシアンが争うのは、あいつの挑発のせいもあるが、あいつが気に食わないから毎回その挑発に乗る俺にも責任がある。その度にアルトに苦労をかけるのは心苦しかった。アルトには他にも仲のいい奴がいるし、もし知らない奴と一緒になっても上手くやるだろうから、こんな俺達と一緒にして腐らしてしまうくらいならと思ってこの提案をした。すると、アルトは不思議そうな顔をしてこう答えた。


『無理なんてしてないよ』

『うそつけ。俺なんか助けたってお前には何の得もないだろ』

『損だとか得だとか関係ないよ。だって、僕はザックのこともこの関係も大好きだから』


 太陽のように眩しい笑顔に、思わず顔を赤くしてしまう。面と向かって「大好き」なんて、よく照れずに言えるなと思いつつ顔を逸らす。


『意味わかんねぇ、俺なんかのどこがいいんだよ』

『そういう、人を思いやれる優しいところだよ』

『なっ……ったく、そういう事ならもういい。勝手にしろ』


 照れ臭いのを誤魔化すように毛布をかぶって寝転がる。アルトに肯定されると、なんとなく自分が正しいことをしていると自信が持てる。きっと、こいつが裏表のない良いやつだからだろう。でも少し、身内贔屓しすぎではないかとも思った。


 俺は優しい人間なんかじゃない。だって、俺が魔法で強くなりたいのは復讐のためなのだから。きっと、このことを話したら本当に優しいアルトは俺を叱ってくれるんだろうな。「復讐なんて意味ない」って。そう思うと、胸が締め付けられて……そんなふうに考えても復讐をやめられない自分の醜悪さに吐き気がした。


 ○○○


「ふぅ、ここでランニング終了……って、あそこにいるのは誰だ?」


 ノルマ分のランニングを終え、開けた場所に出たので筋トレでもしようかと思った矢先、森の中で魔法を使っているサリスを発見した。ブルーさんの結界内にいるということは孤児院の子だろうか。気になって近づくとサリスはこちらに気づいて振り向いた。


「あなたは……ザックさんでしたね。どうも、僕はサリス。孤児院の手伝いをしています」

「知ってる。で、君はこんな時間に何をしてるんだ」

「魔法の練習です。魔法が使えればブルーさんの役に立てますから」


 サリスは笑って指揮棒タイプの魔法の杖を見せた。かなり使い込まれており、彼の努力の程が窺える。しかし、彼が魔法の練習をしていた跡を見て違和感を覚えた。


「……その割には攻撃に偏ってないか?便利な生活系魔法は他に沢山あるだろ」


 草の禿げた地面、傷だらけの大木、何本か切り倒したのか切り株もかなりあった。彼が攻撃系の魔法の試し撃ちした跡だ。俺がそう指摘すると、サリスは目を逸らしてうわずった声でこう答えた。


「ほら、僕らってたまに山を降りて果物とか売りに行くんですけど、その時にブルーさん狙いの軍の人が来る可能性もあるわけで、その時僕が少しでも戦力になれたらいいなー……って感じで」

「復讐したい相手がいるんだな」

「えっ……」


 素直な少年だ。彼の反応を見てそう思った。そして、夕食の時にサリスの話を聞いた時から抱いていた違和感が一つの疑惑へと変わり、それを確信に変えるために彼に歩み寄る。


「君からは同じ匂いがする」

「……このことは秘密にしてください」


 観念したようで、深刻そうな顔をしてそう告げた。俺とサリスは近くの切り株に座って話し始めた。


「なんでわかったんですか」

「ほとんどなんとなくだ。でもまぁ、君の反応があまりに素直だったからな」

「ハハッ、ブルーさんにもよく言われます」

「……君の話を聞かせてくれないか」


 復讐心を隠しているもの同士のシンパシーというものだろうか。どうにも、この少年のことが気になってしまった。すると彼の声は、人懐っこいふわりとした声から押し潰されてしまいそうな重苦しい声に変わった。


「記憶喪失だっていうの、嘘なんです」


 フクロウはまだ眠っていないはずなのに、何故か辺りがしんと静まり返ったように感じた。サリスは重く閉じかけた口を無理矢理開いて話を続けた。


「僕を見つけたブルーさんは、優しそうな人だった。だから、僕が復讐を考えてるなんて知ったら止めようとする。そうさせないため、僕を一人の孤児として引き取ってもらうために嘘をついた。本当は知ってたんです。あの場所でどんな惨劇が起きたか、僕の両親を殺した奴の顔はどんなのだったか、全部全部。今でもあいつの顔が頭から離れない」


 グッと拳を強く握り込み、体を震わせている。強く噛んだ唇からタラリと血が流れる。俺はその血を拭って、少年の方を向いた。少年も俺の方を向いた。その少年の瞳はひどく濁っていて、こんな顔を見たらブルーさんは黙ってないだろうと思った。


「今、幸せか?」

「えっ」


 呆気にとられたような顔をして少年は考え込んだ。その時の少年の瞳は、少しだけ澄んでいた。


「ここでの生活は、楽しいです」

「そうか。なら、復讐なんてやめろ」

「なっ、いきなりなんて事言うんですか!そんな事あなたに決める権利ないですよ!」

「お前の目はまだ濁りきってない。まだ、幸せになれる」


 少年は理解が追いついていないようで目が左右に揺れてオロオロとしている。両肩を掴んで俺と目を合わさせた。


「君になら分かるだろ。俺の目は完全に濁りきっちまってる。復讐を忘れられねぇ、不幸が決まった人間の目だ。でも君は違う。君はここにいて幸せを感じられてる。君には、ブルーさんの孤児院っていう居場所があるんだ」

「そ、それがどうしたって言うんですか!僕は父さんと母さんを殺したあいつが憎いんだ!」

「そんなくだらないことのために、ここでの幸せを捨てられるのかよ」

「っ!?そ、それは」


 少年は言葉に詰まった。まだ、この少年の心には躊躇いがある。ならば、この少年には俺と違ってまだ幸せになれる道が残ってる。正しい道があって、そこへの行き方がわかってるなら、そこに導いてやるのが人情ってやつだ。


「復讐っての大抵くだらねぇもんだ。それでも大抵の人間がそんなもんに人生を捧げちまうのは、もうそいつには他の居場所がねぇからだ。でも、お前は大切な人を失ったなかで、居場所を見つけた。もうお前には復讐で人生を棒にふる必要なんてないんだよ」

「……本当にいいんですか?この憎しみを忘れて、ブルーさん達とここにいて」

「君も、ブルーさんも、きっと君の両親もそう願っているよ」


 俺のその言葉を聞いた瞬間、彼の瞳の中の濁りが涙となって溢れ出た。きっと、この少年は迷っていたのだろう。嘘をついて復讐に身を焦がし続ける中で、あんな幸せな場所であんなに優しい人たちに囲まれて、自分の居場所ができた。そして、その優しい人たちは復讐なんか望まないと分かっていて、それでも憎しみを忘れられなかった。幸せになれる道がわかっていても、その道に進む勇気がなかった。


 でも、今日でそれは終わりだ。幸せになれる道があるのならどんなしがらみがあろうとその道に進めば良い。その思いを抱いているのなら、自分に嘘をついてまで復讐を続けるなんて馬鹿らしい。俺の隣で泣いている、憎しみという鎖から解き放たれた少年を見て、よかったと安堵する中で、そんな彼が少し羨ましいと思った。


「あなたは……」

「ん?なんだ」

「ザックさんはそこまで分かっていて、どうして復讐をやめないんですか。あなたにもアルトさんみたいな友達がいて、学園っていう居場所があるじゃないですか」


 その言葉を聞いて、グッと胸が締め付けられた。少し考えた後、サリスだけ自分のことを話すのはアンフェアだし、彼になら話しても良いと思ったので、アルトにも秘密にしていることを話すことにした。


「俺の母国は昔、ノースセル帝国に侵攻されて従属国になった。俺の親は奴隷みたいにこき使われて、親父は鉱山で事故死、母さんは無理が祟って病死した」

「あなたも両親を……」

「でも、君とは少し違う」


 拳をグッと握り込む。あいつらのクソみたいに憎たらしい顔が脳裏に浮かび、怒りで血液が沸騰しそうになる。日に日に弱っていく母さん、死体すら見つからなかった親父。どうして俺の親があんな目に遭わなきゃ行けなかったのかわからない。


 そしてそれを知っていてもなんとも思わないノースセル帝国の連中、そして……


「俺はノースセル帝国の魔法使い不足解消のために学園に通わされているんだ」


 あいつらに良いように使われる未来の俺に怒りを覚えた。


「学園を卒業したらノースセル帝国の軍に入隊することが既に決められている。俺は君と違って、自由になれなかったんだ」


 子供の頃から丈夫だった俺は、両親が死んだ後、ノースセル帝国の児童労働施設に送られた。そこでの日々は屈辱的だったが、生きていけるだけマシだと思ってた。そんな中、魔法使い不足を憂いた軍部が、俺たちを利用して軍隊の魔法使いの補充をしようと考えたのだ。そして俺はその魔法使い候補に選ばれ、この学園に入学した。


「でも、これはチャンスだと思った。俺は強い魔法使いになって権力を手に入れる。そして、クーデターを起こしてやつらに一矢報いてやる」

「そんな……他に道はないんですか!」

「ない。俺が軍に入ることは確定事項だ。なら、あいつらに良いように使われる前に死んだ方がマシだ」


 言ってて自分の人生の虚しさに悲しくなる。あの理想郷に身を置きながら復讐をやめられない自分の醜さに自己嫌悪に陥る。でも、それでいいのだ。それしかないならそれを受け入れるしかない。


「……諦めないでください」

「え?」

「もしかしたらザックさんにも居場所ができるかもしれない。だから、自分を諦めないでください」


 決して語気は強くなかった。それでも、そこに込められた想いの強さが伝わってきた。これがこの少年なりの気遣いと恩返しなのだろうと受け取り、ポンと少年の頭に手を置いた。


「君は良い奴だな」

「ザックさんも優しい人ですよ」


 正直、今のままではクーデターすら起こせない。どんなに魔法を学んでも強くなれない才能のなさを知って、神様はどれだけ俺を苦しめれば気が済むんだと思った時もある。両親を失ったという同じ境遇のサリスとベータが自分の居場所を見つけて、幸せになるための道を進み始めたのも羨ましくて仕方ない。だから、自分の人生は空虚だと思っていた。


 でも、自分を諦めないでほしいと言ってくれたこの少年と、俺の優しいところが好きだと言ってくれたアルトに出会えたのなら、俺の人生にも少しは意味があったのかもしれない。


「それじゃ、そろそろ帰るか」

「はい」


 二人で立ち上がって孤児院に戻ろうとした時、俺たちは夜風に吹かれた。その瞬間、えもいわれぬ恐怖に襲われ体がガタガタと震え、鳥肌が立ち、冷や汗が滲み出てきた。隣のサリスも同じようで、不安そうな面持ちでこちらを向いた。そして、背後から凄まじい気配を感じて振り向いた。


 そこには、黒いツノを生やした人間の男らしき何かが、夜風に黒いマントを靡かせていた。そして、そいつは俺たちにこう言った。


「ブルーはどこだ」


 この瞬間、恐怖の夜が幕を開けた。

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