第24話 兄弟で親子

 皆が寝静まった深夜。シアンはランプ片手に、久々に帰ってきた孤児院を巡っていた。変わっている場所、変わっていない場所、そしてそこであった思い出を振り返った。


「あったかいな」


 柄にもなく微笑んでそう呟いた。そして最後に訪れた場所、図書室の扉を開けると真っ暗な部屋の中で弱々しく光る燭台と、その近くで難しそうな分厚い本を読んでいる男がいた。その男を見るや否や、シアンはパッと目を輝かせて男の胸に飛び込んだ。


「ラピスにぃ!」

「ぐおっ」

「やっぱり帰ってきてたんだ」

「おまえなぁ……いきなり飛びかかってくんな」

「えへへ」

「はぁ……」


 ラピスは明るい黄緑色の髪をかき上げてため息をついた。そして、彼は嫌そうな顔で怒られているのに何故か子供のように笑うシアンに呆れた。この普段とのギャップが激しすぎる光景を見たら、他の学生はドン引きし、ザックは嘔吐していただろう。


「そう言っても無理にどかさないの優しいよね」

「うっせ」

「ねぇねぇ、何読んでるの?」

「世界の説話集だ。ここの絵本を子供たちがほとんど読み終えてしまったらしくてな。兄さんに頼まれて説話をピックアップして絵本にするんだ」

「手伝おうか?」

「別にいい。お前の感性はどうも信用ならん」


 やんわり断られたシアンは、ラピスの膝の上に座るように姿勢を変えた。本の間にシアンが入ってきたせいで読みにくくなったラピスは目を顰めた。


「ねぇねぇ、昔みたいに読み聞かせしてよ」


 シアンはそんなことお構いなしに純粋な笑顔で提案してきた。


「はぁ……だったら少し頭どけろ」


 ラピスはその提案をコートについた皺を直しながら受け入れた。この歳になっても兄離れできないのかと思いつつも、その弟を甘やかしてしまう自分にも呆れてしまう。以前ブルーに「対応が雑な時はあっても、お前がシアンに怒ったとこ見たことない」と言われてしまったのを思い出した。


「その神は、美しいものを求めていた……」


 難しい話、難しい単語、読んでいるものはそんな物語だったが、その話を読む声は幼児に読み聞かせる時のように優しかった。


「……でかくなったな」


 ふと思ったことが口をついて出た。ラピスは在学中、兄弟で唯一学園にいないシアンが寂しくないよう、定期的にシアンに会いに行って読み聞かせをしていた。体がもう成長しきっていたラピスにとって、まだまだ成長途中のシアンは小さく、今と同じような姿勢で読み聞かせをしても問題なかった。しかし今は視界の半分をシアンの頭が占めていて、彼を乗せている膝も少し辛くなった。それが嬉しかったのか、無意識のうちに笑みが溢れた。


「うん。みんなのおかげでこんなに大きくなれた。……ねぇラピスにぃ。ラピスにぃは僕の世話大変だって思ったことある?」


 シアンは普段からは想像できないほど弱々しい声で質問した。その質問に対し、ラピスは顔色ひとつ変えずこう答えた。


「あぁ、大変だったよ。あの場所でお前に食べさせられるもの探すの大変だったし、夜泣きして俺を寝不足にするし」

「うっ……」


 シアンは申し訳なさそうに目を伏せた。その時、温かい手がシアンの頭の上に乗った。


「でも、拾わなきゃよかったとは一度も思わなかったよ」


 励ますように柔らかい声色でそう伝えて、赤子をあやすときのように優しく撫でた。すると、暗く沈んでいた表情が水晶のように透き通った可愛らしい笑みに変わった。


 シアンは親を知らない。だから、親の愛情を知らない。親に愛されて育ち、その親を失った悲しみも知るラピスは親の愛情がどれだけ尊いものか理解していた。だから、ラピスはシアンを愛そうと思ったのだ。


「はは、僕は幸せ者だなぁ」


 目一杯の愛をもらったシアンは、その幸せを噛み締めるようにそう呟いた。ラピスにとってその言葉は誰からのどんな賞賛よりも価値あるものだった。例え血が繋がっていなくとも、この二人は兄弟で親子、何よりも硬い絆で結ばれていた。


 ○○○


 話を読み終えたラピスは一旦シアンをどかして一息ついた。十八になる少年を膝に置くのはかなりキツく、ずっと体重をかけられていた膝はピリピリと痺れており、分厚い本を持っていた腕をだらんと垂らして休ませている。


「もう二度とやらん」

「えー、またやってよ」


 シアンはシシシと冗談めかして笑うと、カーテンを開けて外の景色を眺めた。すると、彼は突然ニヤリと笑った。その笑みからは先ほどの幼さと純粋さは消えており、普段よく見せるような、いや、普段よりも露悪的なものになっていた。


「こんな所に来てもやるんだ」

「どうかしたのか」

「気にしないで。……それより、ラピスにぃは僕らがここに来た目的って知ってる?」


 振り返ったシアンの顔を見て、ラピスは弟の甘えたモードが終了しているのを察知し、真剣な面持ちになった。


「いや、知らないが」

「そう。僕らはアルト君が何者になりたいかを見つけるためにブルー兄さんの話を聞きに来たんだよ」

「アルト君か……確かに彼にとって兄さんの話はためになるな」

「そう。同じ規格外の才能を持つもの同士通じ合うところもあるしね。でもさぁ、アルト君の悩みって贅沢すぎるよね」


 シアンが窓を勢いよく上げて外へ手を伸ばす。


「どんなに叶えたい願いがあっても、それを実現する才能がない人がほとんどなのに」


 彼の恍惚とした視線の先には、息を切らしてトレーニングをしているザックがいた。

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