良い夜を

シヨゥ

第1話

「大丈夫。見えている世界はほんとの世界のほんの一部でしかないから。大丈夫」

 不思議な女性はそう優しく語りかけてきた。

 社会が嫌になり喧騒から逃げるためにやってきた地元の山。その麓にある小高い丘でぼくは彼女と出会った。

 キャンプ中の彼女に買い出しに出ている友達が戻ってくるまで話し相手になってほしいと頼まれ、成り行きでここへ来た理由を話してしまった。

「この空だって、地上から見上げることのできる空のほんの一部。

 見る場所が変われば見え方が変わる。それはあなたの見ている世界もいっしょ。

 今立っている場所から離れて、改めて世界を見まわしてみたら、きっと世界は変わって見える。

 今立っている場所から見える世界が、もう見ていることができないなら、歩き出してみたらどうかしら。歩きながらきれいに見える世界を探すの。きっと素敵な世界に出会えると思うの」

「もしその世界を見ていることができなくなったら?」

「そうしたらまた歩き始めたらいいわ。大丈夫。探し続ければきれいな世界はなんどでも見つけることができるわ」

「でもそれだとフラフラしているように見えるんじゃ。それって大人としてどうなのかな」

「心配しないで大丈夫。その場にとどまり続けられる動物なんていないわ。それは人間だって同じ。あなただってお家にとどまっていないでここまで来たじゃない。それと一緒よ」

 彼女と話すことでだんだんと心に溜まっていたしこりの様なものがほぐれてきたような気がする。

「そうか。そうだね」

「そうよそうよ」

「ありがとう。なんか心が軽くなったよ」

「いいのよ。わたしも話し相手が見つかってうれしかったから」

 ほほえむ彼女の表情にまた心が軽くなった気がした。

「それじゃあぼくはそろそろ失礼するよ。お友達が帰ってきたときにぼくが居たらびっくりするだろうからね」

「あらそう。お気遣いありがとう」 

「それじゃあ良い夜を」

「ええ。あなたも良い夜を」

 彼女と別れ山道を下る。途中で見上げた空は、たしかに彼女の言う通りあの場所と見え方が違っていた。

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良い夜を シヨゥ @Shiyoxu

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