§ 2―2 出会い



 2030年3月。



 桜がきれいに咲いている。しっかり桜を見たのは、去年の春、バイト先のメンバーでお花見に行って以来だ。今年もこんなにきれいに咲いているんだな。とあざやかに咲く桜を眺めながら思いを巡らし、大学のキャンパス内を、隣接する同大学付属病院に向けて歩いていた。



「ちょっと着替えとかタオルとか足りなくてさ。悪いけど、持ってきてくれね」


 と、昨晩遅くに同じ薬学部の戸塚涼から連絡があった。


「お前、そういうのは彼女に頼めよ」


「いやー、入院する前に別れちゃったからさ」


「なるほど。それじゃ、元カノの呪いだな。お前の盲腸は」


「まじか! お祓いセットも一緒にもってきてくれ」


「あはは。塩振りかけてやるよ」


「はは……。いたた。笑わせるなって」


「すまん、すまん。じゃぁ、欲しいものはLINEで送っておいてくれ」


「かわいい彼女を1つ」


「アホ」



 ということで、LINEにあった着替えやらなんやらを持って、涼のお見舞いに行くところだ。

 こんなことでもないと、外をゆったり歩く機会なんて滅多めったにないからか、薄紅色の景色がやけに明るく目につく。


 病院に入り、受付で入館証をもらい、涼がいる4Fの病室に向かう。少し迷いながら、部屋の外のネームプレートに「戸塚涼」の名前を見つけて部屋に入ると、涼はベッドの上で暇そうにスマホを触っていた。


「よう。元気そうだな」


「おー。アキト。来てくれたんだな」


「そりゃ来るだろ。愛してるからな」


「それは残念。おれはそれほどでもないぞ」


「振られちゃったか。じゃぁ、泣きながら荷物も渡さず帰るとするかー」


「わー。めっちゃ愛してます。愛してるから帰らないで」


「あははは」


 いつもの掛け合いができるようなら大丈夫そうだ。荷物をベッドの脇に置き、椅子いすに座る。


「もうすっかり調子もいいみたいだな。死ぬー! て電話をかけてきたときはびっくりしたからな」


「いやいや、本当にあのときは死ぬかと思ったよ。アキトが救急車呼んでくれなきゃ、どうなっていたことやら」


「だろ? もっと感謝していいんだからな」


「ありがとうございます、アキト様」


「きっと驚くようなお礼の品が、近いうちにおれの部屋に送られてくるんだろうなー」


「いや、マジで、飯おごるから。何がいいか考えておいてくれよ」


「おう。楽しみにしとくよ。だから、早く退院しろよな」


「ああ」



 他にも入院している人がいる部屋で、あんまりバカ話をして盛り上がるのも迷惑だろう。会話もほどほどにして、お暇することにしよう。


「それじゃ、長居しても悪いし、そろそろ帰るよ」


「あのー、アキトさん。帰る前に、1つお願いしたいことがありまして……」


 この言い方。嫌な予感がする。


「小林教授にー、レポートを出していただきたいのですがー」


「なんだ、それぐらいならいいよ。持っていってやるよ」


「いや、それなんですが。あの教授、手書きのレポートじゃないと受付けないじゃん? それで、レポート用紙に写して提出してもらえないかと思いましてー」


「はぁー? おれが書くの? 手書きで?」


「レポートの内容は全部書いてあるんだけどさ。スマホで」


 悪い予感は見事に的中した。


「はぁー。要は、そのレポートの内容を、おれが手書きで写して教授に提出しろ、てことね」


「左様でございます」


「……はぁー、わかった、やるよ。しょうがねーなー」


「助かります、アキト様」


 面倒くさいなー、と思いながら、もう一方で、しょうがないかと諦める。「すぐにやるから、データ送っておいて」と言い残して、部屋を出た。病院の1Fにカフェテラスがあったはずだから、そこで片付けてしまおう、と思い1Fに向かう。


 レジでホットの紅茶を頼み、テーブルに着く。早速スマホには、大量のレポートがつらつら書かれているメールが来ていた。軽口を叩いていても、まだ傷が痛むのだろうな、と紅茶にポーションミルクを入れて啜りながら思い返し、さっさとやるかと、売店で買ったレポート用紙を取り出しペンを握る。




   ♦   ♦   ♦   ♦




「小林教授のレポートね。あの人の考え方、古いのよね」


 レポートを書き始めて15分程度経ったとき、唐突とうとつに話し掛けられる。集中していたからか人が近づいてきたことに全く気付かず、驚いて、声がした方に顔を向ける。


「あ。ごめんなさい。ついつい話しかけちゃった」


 一目惚れだった。まっすぐこっちを見る大きく知的な目、薄めの化粧だがきれいな顔立ち。それでもどこか、あどけなさを残した微笑み。目を丸くし、あまりのことに、声を出すことができなかった。


「ん? そんなに驚かせちゃったかな。ごめんなさいね」


 脳が今までに出した事のない物質を分泌し出したのか思考を鈍らせ、何か話さなきゃと必死になり、鼻をきながら口をなんとか動かす。


「え、ええ。ちょっとレポートに集中してたもので。急だったから、何事かと思っちゃって」


「それはそうよね。なんかなつかしくなって思わず話かけちゃった」


 と両手を合わせて、友人にいたずらした後のように、小さく謝るポーズをしている。


「あなたも小林教授の授業、受講してたんですか?」


 陳腐ちんぷな言葉しか出ない。


「2年前になるかな。私も手書きでレポート書いたよ」


 2つ上の先輩なんだ。


「ええ。もう手首が痛くて、腱鞘炎けんしょうえんになりそうですよ」


「わかる、わかる♪」


 そう言いながら、少し笑っている。その姿から視線を逸らさずにはいられなかった。


「ところで、なんでこんなところでレポート書いてるの?」


「えっと、友達が入院してて、そのお見舞いに来たんですよ。えー、それでここでやってしまって、帰りに提出して帰ろうと思いまして」


「そうなんだ。お見舞いに来たのは私と一緒ね。私の場合はお母さんだけど」


「そうなんですね。おれの友達は盲腸で、すっかり元気にしてましたよ」


 とりあえず、思いついたことを、会話を切らさないようにただただ慌てて話す。


「そっかぁ。元気になったなら安心だね」


「先輩のお母さんはどうなんですか」


 しまった! なんの配慮はいりょもなく聞いてしまった。


「私のお母さんは、入院生活長いからね……。それでも、今日は元気そうにしてたわ」


「あ。すいませんでした。初めて会ったのに失礼なことを聞いてしまって」


「ふふ、気にしないで。今日は元気そうだったからね」


 鼻を掻きながら次の言葉を探すが、どうしても思い浮かばない。


「おっと、ごめんね。ついつい話混んじゃった。邪魔しちゃったね」


「邪魔だなんて、そんなことないですよ」


「そう言ってくれてありがとう。でも、そろそろ行くね。頑張って」


「あ!いえ、はい、それでは」


 会話が終わると、彼女は軽く手を振り、すたすたと歩いていった。おれも反射的に手を振り返し、彼女の後ろ姿を、彼女が見えなくなっても見続けていた。



 次の日。昨日終わらなかった涼のレポートを小林教授に提出し、キャンパスのベンチでぐったりしていた。せめて名前だけでも聞いておけばよかった、と昨晩から何度も後悔していた。きれいだな。少し遠めの桜が昨日よりも鮮やかに景色を彩っている。


 ふと桜の下のベンチに座る人影が視界に入る。そのシルエットをなんとなく見ていると、昨日の先輩であることに気づく。はっと目が覚め、じっと見つめる。すると彼女もこちらに気づいたようだ。コーヒー片手にこちらを見た。一瞬戸惑う。でも、おれは勇気をふるい立たせ、彼女に歩み寄る。


「こんにちは」


「こんにちは。レポートは終わったかな?」


「はい、なんとか。今さっき提出してきたところです」


「お疲れ様。なんか疲れた顔してる。頑張ったんだね」


 そんな疲れた顔をしてたか、と恥ずかしくなり鼻を掻く。


「先輩は何をしてるんですか」


「うん、ちょっと休憩中」


 会話を繋ぎ止めるのに必死に材料を探す。


「そうですか。……あの、コーヒー好きなんですか?」


「え? ああ、嫌いじゃないかな」


 これはチャンスだ。


「あの、近くにおいしいコーヒーを出す喫茶店があるんですよ。おれがバイトしてるところなんですけどね」


「おいしいコーヒーか……。いいわね」


 手応えあり。何かさらに言葉を続けなきゃ。


「店長がその場で豆を挽いてコーヒーを淹れる、ホントに美味しくて、評判もいいんですよ」


「本格的なのね。飲んでみたくなるわね」


「あ、あの。よかったら、その、案内しますよ?」


 勢い任せについ誘ってしまった。突然の誘いに、彼女も少し驚いた目をしたが、すぐに視線を桜に向ける。


「……ちょっと飲んでみたいかな」


「案内しますよ。ここからそんなに遠くないので」


「そうなんだ。じゃぁ、案内してもらおうかな。この後でも大丈夫? 今時間もあるし」


「は、はい! もちろんです」


 まさかの答えに、舞い上がってしまう。表に出さないように必死だった。


「そういえば、お名前もまだ知らなかったわね」


「あ! おれ、建早たてはやアキトっていいます」


「建速くんね。私は飯村いいむらかおる。よろしくね」


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