停課的一天

絵空こそら

颱風假

 窓を開けると土砂降りだった。

 もっとも、そんなことは開ける前から分かっていた。何せ昨日の夜からすごい音なのだ。ロックバンドのライブの盛り上がりが最高潮のときのドラムみたいな。まあそんな騒音の中でもちゃんと寝た。目覚めた意識に変わらない騒音が響いてきて、ああまだ降ってるのか、と認識するまでぐっすりだった。のび太くんに勝るとも劣らぬこの環境適応能力は、数少ない私の美点だと思う。

 ルームメイトたちなんてもっと呑気で、休講の匂いを嗅ぎつけるや否や、さっさと卡拉OKに出かけてしまった。

「美佳も来なよ〜」

と言われたけど、まだ大学から休講の連絡が来ていなかった。もし授業をやるようだったら、参加できないのは困る。そういう理由で断ると、「か〜っ!學霸だねえ」「お土産買ってくるねん」「拜拜〜」などと、口々に言って出ていった。

 かくして、部屋に一人残された私は、大学のサイトと睨めっこをしながらページを何度も更新していた。現在午前8時5分前。一応授業の準備は鞄に詰めてある。

「停課、是吧(休講でしょ)」

 美玲が自分の部屋のように、勝手に部屋に入ってきた。

「還不知道(まだわかんない)……」

 言いかけた時、サイトが更新されて、本日は休講になることが確定した。

「還是呢(やっぱりね)」

 美玲が後ろからパソコンを覗き込んで笑う。私は机の上で項垂れた。

「怎麼可能(まじかあ)……」

 こんなことなら、私もカラオケ行くんだったなあと思うけど、時すでに遅し、だ。そもそも、授業開始の30分前にそんなお知らせをするのは、よくないと思う。遠くから学校に通っている子達はすでに学校に向かっている途中だろう。

「欸、我餓了。你已經吃了嗎?(私お腹すいた。もう食べた?)」

「還沒的(まだだよ)」

「那兒就好。我們出去吃吧。你要吃什麼(なら食べに行こう。何が食べたい?)」

 何を食べたいかと聞かれても、学校に行く前に寮の隣のコンビニで三明治か何か適当に買って行こうと思っていただけで、特にこだわりはなかった。

「都可以(なんでもいいよ)」

 いつもは「那個最不好的答應(その答えが一番困るんだよ)!」と顔を顰める美玲だけど、今日は食べたいものがあるようで、にんまりしている。


 寮の外に出ると、湖のようになっていた。水溜まりが巨大化しているのだった。その中をサンダル履きのままざぶざぶと進んでいく。傘はさしているけれど、横殴りの雨が膝の裏から下にぶつかってくる。こんな雨だというのにやっぱり信号待ちをしているバイク人口は多くて、水しぶきをかけられないように注意しなくてはいけない。そして轢かれないように。横断歩道の信号が青でもばんばん左折してくるから、雨が降っていない時でも肝が冷えるのだった。

 学校沿いにある細い路地には、色んなお店が軒を連ねている。飲食店が多いけど、服屋、雑貨屋、ドラッグストアに、美容室もある。その通りをずっと奥のほうまで進んでいくと、一軒の広東粥店があった。

「這裡(ここ)」

 傘を畳んで、美玲が先に店に入る。

「歡迎光臨(いらっしゃい)」

 カウンターのおばちゃんが言う。狭い店内には、私たちの他に客はいなかった。適当なテーブル席に腰かける。古ぼけた扇風機が弱弱しく自身についたビニール紐をなびかせており、レジの下には黒い犬が涼しそうに寝ころんでいた。美玲が私に菜單を見せる。悩んだ挙句、海鮮粥にした。美玲はすでに注文が決まっていたようで、すぐ店のおばちゃんを呼んで、皮蛋瘦肉粥を頼んでいた。ついでに豆漿も注文する。

 おばちゃんが厨房に消えてしまうと、私と美鈴は外を見つめた。雨が入ってこないように張られた透明なビニールシートには無数に水滴がついており、雨音は止まることを知らず、ざあざあと鳴っていた。

「你寫完了作業嗎(宿題終わった?)」

「還沒。今天會寫。然後、你可不可以看看(まだ。今日やるから、後で見てくれる?)」

「OK。晚上的話、我什麼時候都可以(夜ならいつでも)」

 美鈴とは、早餐店で知り合った。店員が早口で何を言っているのかわからなかったときに、助け舟を出してくれたのだった。

「あなたが食べたいやつ、今日はもう売り切れだって」

 驚くほど流暢な日本語だった。

「あ、謝謝」

 それじゃあと他のメニューを注文し、出来上がるのを待っていると、

「留学生?」

と聞かれた。

「そう、です。日本語上手ですね……」

「私も半年日本にいたからね」

 彼女はにこっと笑った。半年。まだここに来てから二週間の私には、半年でそんなにペラペラになる自信がなかった。料理が出来上がって、持ち帰ろうとすると、

「帰るの?よかったら一緒に食べない?」

と言われた。私はちょっとあわあわしたが、首を縦に振って一緒にお店の中に入った。それがきっかけ。


「來了(お待ち遠)」

 お粥がテーブルに運ばれてきて、私は思わず歓声をあげた。大きく息を吸い込む。いい匂い。

「我要開動了」

 私が手を合わせて「我們這一家」で覚えた言葉をいうと、美鈴は苦笑した。「それは普通使わないよ」とこの前言われたんだった。

「いただきます」

 美鈴も手を合わせた。そしてれんげを手に取って、口へ運ぶ。とびきり熱いので、火傷しないように注意する。だしがきいていて豊かで優しい味。たっぷり入っている海老はぷりぷりしていて、噛む度においしさが弾ける。途中から食べやすい温度になってくると、無我夢中で平らげて、お椀をテーブルに置いた時には、うっすら汗をかいていた。

 店のおばちゃんが、サービスで庭でとれたという西瓜を切って持ってきてくれた。甘いシャリシャリで舌を冷やしていると、日が差してきた。いつの間にか雨が上がったのだ。軒先から滴り落ちる雨粒が、きらきらと光っていた。

「我覺得……今天不必要停課(今日……休講にした意味……)」

「真的呢(ほんとね)」

 私たちは顔を見合わせて笑った。


 寮に戻る道すがら、校内の緑は太陽に大きく手を広げているようだった。先ほどまで灰色の空にその身を同化させていたとは思えないほど、早緑に、葉裏に透ける赤色に、亜熱帯特有のもくもくした枝葉を伸ばし、眩しくきらめいていた。プール然とした水溜まりを足がくぐると、もう温くなっていた。

 

 寮で美鈴と別れてから構内の図書館に向かい、人気のない7階で作文の課題をした。それから歴史の授業、英語の授業の課題も。7階は少し蒸し暑いのだが、最上階の上にヨーロッパ文学専門の階で、あまり登ってくる人はいないのだった。

 お昼を少し過ぎた時、もう一回構外に出て飯糰とフルーツを買った。部屋に戻ってスマホでYouTubeを見ながら食べた。寮のWi-Fiはあまり質がよくなく、動画がすぐ止まるのだが、今日は結構スムーズに再生されていた。

 洗濯を干した後、ちょっとばかし昼寝をしていたら、LINEの通知音に起こされた。ルームメイトからで、今から夜市に行くから来ないかという。元気だなあと思いつつ、今度は私も出かける準備をする。寮を出ると、少しだけ陽が傾いていた。


 地下鉄に乗って数駅、夜市の入り口付近で、特大雞排に噛みついているルームメイトたちを発見した。

「あー来た来た!美佳も食いな!」

 来て早々なつきに雞排を押し付けられて、噛みつくとぱりっと音がして中からは肉汁がじゅわっと溢れた。好吃死了……!

「カラオケどうだった?」

「楽しかったよ!」

と、まいな。

「喉からから~!ねね、今日はあの飲料店に行ってみようよ!」

と、るい。

 四人でどこまでも続く屋台の間を潜り抜けていく。人がごった返しており、ちょっと気を抜くとはぐれそうだ。でも最近は少し、人の波に乗るのに慣れてきた。

 明るくてムードメイカーのなつきと、すらっとしていてちょっと勝ち気なまいな、女子力の高いるい。ルームメイト4人で遊ぶのは、久しぶりだ。

 地瓜球や胡椒餅、水果茶なんかを買ってはシェアして、海老を釣ったり、服屋を冷やかしたり、屋台をぐるぐると回る。

 やっと入り口に戻ってきたころには、再び雨が降ってきた。

「あー明日も休講なんねえかな~」

「明日もカラオケ行ったら確実に喉潰れるね」

「そして太るね」

 なんて言ってみんなで地下鉄に乗り込む。

 学校に着いたら、ちょっと縮小していたはずの水溜まりがまた元通りのサイズになっていた。小雨に打たれながら、寮に向かう。

 四人で一緒に帰ると、電気と一緒に部屋がぱっと明るくなるから好きだ。それぞれ疲れたーだのただいまーだの言って荷物を置くと、シャワールームに直行する。


 シャワーから戻って、課題を持って美鈴の部屋に行った。

「打擾了(お邪魔します)」

 美鈴は自分の机でSNSを見ていた。その隣に座っている彼女のルームメイトのイタリア人は鼻ピアスをしていてちょっと怖かったのだが、私に気づくと笑って「晚上好(こんばんは)」と言ってくれた。

「美佳、你看看(見てよ)」

 美玲が笑いながらスマホの画面を私に見せる。画面の中にはあの大きい水溜りがあり、その中に海パンとシュノーケルを装着した男子があろうことか泳いでいた。

「太笨蛋(馬鹿すぎ)」

 その男子は美玲の学科の子らしい。大胆な子もいるものだなあと感心する間に、美玲は私の作文を素早く添削していく。

「你要說這個的話……這樣子。嗯、完全的(こう言いたい時は、こう。よし完璧)」

 赤ペンだらけで恥ずかしかったけど、新しい言い回しを知れて嬉しかった。

「多謝你〜!(ありがとう〜)」

「不會〜!(どういたしまして)」

 晚安(おやすみ)を言い合って、部屋に帰る。作文を書き直すのは明日にしよう。

 部屋の扉を開けたら、るいは蚊帳を張った二段ベッドの下段でボディクリームを塗っていて、まいなはパソコンに向かってカタカタやっていて、なつきはもう寝息を立てていた。

 彼女を起こさないように上段に登って、私も横になる。明日の準備は明日しようと考えて、早めに目覚ましをセットする。それにしても、さっき泳いでいる男子を見たら、私も泳ぎたくなってしまった。構内のプールを利用できるそうだから、明日行ってみようかしらなどと思っていたら、すぐにうとうとしてきた。

 昨日とは違う、優しい雨音が窓を叩いている。

 大家、晚安。

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停課的一天 絵空こそら @hiidurutokorono

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