暗殺奨励

オニワッフル滝沢

第1話

 都内の街灯という街灯に飾られるバナーが統一されたデザインに変わってくると、アレがもう来年なんだな、と寺島は思う。彼の胸にドロッとした感情が湧きあがってきたのは初夏の暑さのせいだけではない。アレ、というのは世界的なスポーツの祭典のことで、寺島はその祭典が嫌いだった。まず、スポーツに興味がないのと、国内が浮足立つこと。この祭典の期間、国民が<チョロい>のがあからさまになっている。 いや、実際この国の民はチョロいのだろう。それが昨今の世の中の息苦しさを形作っている――寺島はそう思っていた。


 昼間は猛暑に近いが、夜はまだ風が気持ちいい。寺島は夜の風に当たるために新宿の街に繰り出す。街を観察し、ネット記事になるようなネタを探す。地下街で駅に向かう人の流れに逆行し、地上に上がる。駅直結のデパートのシャッターの前には毎日静かに眠りにつく人たちがいるが、今日はいない。代わりにいるのは、待ち合わせのグループや宴席の後でダラダラ喋っている者たちだ。寺島は賑やかな路地を抜け、ガード下をくぐる。ここでは同じホームレスの男の前を通るはずだが、今日はいない。ほぼ毎日見かけていたから、いない日もあるのか、と寺島は腑に落ちない様子だった。


 ガードを抜けてすぐのところにある、家電量販店のビル。その上階に設置された大型ビジョン。それに映し出されるスポーツの祭典のプロモーション動画。開催まであと数百日、と字幕が大きく表示されていた。……まさかな。寺島の心はざわついた。そして、ここから少し離れた場所にある大きい公園のことを思い出していた。あの、超高級ホテルに見下ろされている公園。日頃から不摂生をしている寺島の足は決して軽くはない。だが彼は自身を突き上げた悪い予感のために踵を返した。


 公園に着くと、ぐるぐると歩き回る。カップルは何組か見かけるが、ここで夜を明かす彼らはいない。公園は<整備>されていた。


 寺島はポケットからスマートフォンを出し、連絡先のアプリからある人物の名前を探す。いつだか共通の知人と3人で呑んだ時に、なんでもいいからコネだけは作っておこうと必死だった寺島はその人物の連絡先を手に入れた。――まさかこのようなことで使うことになるとは。


 「――もしもし」

 その人物は数コールで出てくれた。

 「会田さんですか、寺島と申します――しばらく前に新谷さんと呑んだ……」

 「えぇ、覚えてますよ」

 抑揚なく会田は答えた。

 「会田さん、ホームレスを支援していらっしゃいますよね?いま新宿にいるんですが、新宿のホームレスの数が以前より少ないように思うんです――というより、いなくなった……?」

 「新宿のどちらにいらっしゃいます?」

 会話を遮って会田は寺島に訊いた。

 「中央公園です」

 「西口のデパートのシャッターの前で会いましょう。30分以内に行けますから」

 「あ……」

 寺島が了承する前に通話が切られた。


 二人の中年男はデパートのシャッターの前にいた。会田は途中で買ってきたワンカップを一つ寺島に進呈し、二人で潔い音を立てて蓋を開けた。

 「新宿だけじゃないですよ、上野や渋谷のホームレスがだんだんといなくなっていったんです」

 「行方不明ってことですか?」

 「いえ、死亡しています。いなくなった人は全員で間違いないでしょう」

 寺島は会田の言葉に息をのんだ。

 「死因というのは?」

 「熱中症です」

 「……まだそこまで暑くないと思いますが、熱中症になるんですか?」

 「それは我々も訝しんでいるところです。実際夏になると熱中症で死亡する人は増えるんですが」

 寺島は再び息をのんだ。言葉を紡ぐ気になれなくて、反射的に酒を口にした。会田は言葉をつづける。

 「ホームレスだけじゃない、生活困窮者の心中事件も異様に増えてるんです。」

 「心中ということは、自死?」

 「首吊りや、車のまま入水。でもそんなに増えるかな」

 会田は苦笑いして、分厚いコップをあおった。

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