それはそれ

疋田ブン

第1話

 物語の始まりは、どのようなモノがいいのだろうか。悩む。

さりげない始まり。わざとらしい始まり。まじめな始まり。ふざけた始まり。正面から、斜めから、直球、変化球。

人の目耳を引こうとずいぶん悩んだ。悩んだが、掴みOKを狙うスケベ心が強すぎて、筆が進まなかった。これは時間の無駄だ。

とっとと、作り話を始めよう。

この物語は、次のような主人公色(いろ)川(かわ)朋子(ともこ)の言葉で、始まり、始まり!

 「あなた」と、小首を傾(かたむ)けた。

「あなぁた。あなた、大丈夫?」

バスルームの扉を押した時、夫の色川(いろかわ)純哉(じゅんや)の横たわった姿が目に飛び込んで来た。

「大丈夫?」

夫は、くの字に折れ曲がっていた。

「だから、長風呂は注意しなさいって、あれほど言っていたじゃあない」

まず夫をなじった。まさかの気持ちは、なくはなかったが、夫をなじった。

「あなた、あなた」と夫を揺すった。反応がなかった。見開いた目は異様な大きさ。瞼(まぶた)も動かなかった。まさか。

「あなた、あなた、あなた、あなた」

声は、早く、甲高(かんだか)くなっていった。早く高く、早く甲高くだ。やはり反応がなかった。

夫は、死んでいた。

夫のスマートフォンが、洗い場に転がっていた。朋子は、動揺していた。動揺していたが、画面が黒くスゥーっと消えていくのを、静かに見つめていた。それは、3秒あったかどうかの動画であった。


色川純哉は、急性心疾患による死亡と診断された。それからが早かった。流れ作業だった。恐ろしいほどの手際のよさだった。病院での手続きが済むと、遺体は近くのセレモニーホールに運ばれた。朋子の一番上の姉が、八王子から駆けつけてくれていた。恐ろしいほど手際よく、流れ作業のように事が進んだのは、しっかり者の長姉と、遺体処理システムのお陰であった。

朋子が、セレモニーホールの2階控室に入った時には、夫はすでに白装束で布団に寝かされていた。朋子は、布団と守り刀を見て、使いまわしではないかと眉を寄せた。夫は神経質だったからだ。その2階控室は、宿泊も出来て、気の利いた旅館のような作りだった。部屋は2間あった。奥の間に純哉は眠っていた。そこへ、畏まったスーツ姿の従業員が、丁寧過ぎるほど丁寧に「恐れ入りますが」と入って来た。

「お疲れのところ、まことに恐れ入ります。ご都合がよろしければ、今後の進め方のご相談をさせていただければと思いまして、伺っております。いかがでしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。私共は何も判りません。どうぞよろしくお願いします。朋子、大丈夫でしょう?」長姉は、遺体に貼り付いていた妹に声をかけた。

「ええ、よろしくお願いします」

3人は、1階の応接室に向かった。

応接室には、ガラスの棚があった。棚には何種類かの骨壺が飾ってあった。カタログを間にして、従業員は説明を始めた。通夜、告別式、僧侶、戒名、食事、会葬返礼品などなどが、すべてランク分けされ、そのカタログに載っていた。どのランクにするかは、長姉が決めていった。

「これも、菊コース(真ん中のランクである)でいいわよね、朋子?」

朋子は、ぼっとしていた。

「いいわよね」長姉は念をおした。

「はい、それでお願いします」

「2階のお控え室のご利用料金でございますが、1日のご利用で、28000円税別になっております」従業員の口は少し臭った。

「明日の火曜日は丁度友引になりますでしょう」と長姉が言った。

「田舎におります、私共の母が、いえ、その、古い人間ですから、告別式に友引はいけないとこう申しますの。ですから、告別式は翌日水曜日にさせていただくと言うことで、控室も、それまでお借りしたいのですが、構いませんか?」

「はい、お使いください。友引をお避けになられる方は、大勢いらっしゃいます。水曜日までとなりますと、2泊3日でございますね」

2泊3日。

2泊3日である。

あの気の利いた旅館のような部屋で、2泊3日。

2泊3日。誰が?

無論、眠っていた純哉が2泊3日である。

そして朋子は、2泊3日の主人公になるのである。


 始まり早々、横から顔を出し、失礼つかまつります。作者の疋田レンでござりまする。

物語の流れを挫(くじ)くようで恐縮であるが、ここで2泊3日の、告別式までの流れをザッとさらっておきたい。物語の整理にもなる。我儘半分で、強引に次のように続けるコトをお許しいただきたい。

純哉が死んだのは、日曜日の夜9時半前。月曜日が通夜だ。純哉は一人っ子であった。身内も少なかった。両親は十数年前に、母に続いて父と他界していた。色川朋子、旧姓臼(うす)田(だ)朋子は3人姉妹の末っ子だ。次姉からは、母と叔父夫婦を連れて、火曜日に上京すると連絡があった。母は、3姉妹の生まれ故郷、長野県松本市郊外で1人暮らしをしていた。通夜はきっと静かな式になる。

 火曜日は、本来なら告別式となる日である。しかしその日は友引。「友引の葬式は、人様の迷惑になるズラ」と母親に重々言い含められていた。火曜日には、朋子の自由になる時間が出来た訳である。

 

 月曜の通夜の弔問客がすべて引き上げたのは、午後9時過ぎであった。通夜は2階控室で行った。紺色のワンピースを着た女性職員が、振る舞い料理のテーブルを片付けていた。淡々と進むその作業を横目に長姉が、

「朋チャン、疲れたでしょう?」と労ってきた。

朋子は、蓋の開いた棺の横に座っていた。

「おねぇちゃんこそ……。本当にありがとうね。おねぇちゃんが、いてくれなかったら、わたし、何もできなかった」

「そんなことはないと思うわ。葬儀屋って、凄いシステムね。私がいなくったって、チャチャっと進めてくれたと思うわ。埋葬許可書まで手配してくれるなんて、想像もしなかったわ」

「そうねぇ」

「しかし、お墓も準備していたのね。流石は、純哉君ね」

長姉は、純哉の義弟の遺影を見上げた。それは純哉が気に入っていた写真を加工したものだ。朋子との最後の旅行で撮った写真。明るく暖かい屈託のない笑顔、優しい眼差し。あれは幸せな旅行だった。

「義(おとう)父(ふ)さんが、亡くなったとき、千葉のお墓を引き上げたのよ。わたしたち、子供がいないでしょ」

純哉と朋子の間に子供はいなかった。正確には、出来なかったのだ。人工受精も試みた。しかし、成功しなかった。2回目の人工受精に失敗した時、2人は子供を諦めた。朋子が36歳の秋(とき)であった。朋子の話しは続いた。

「子供がいないでしょ。だから、近くの納骨堂に永代供養の契約をしたのよ」

「あの画像が回ってきて、それに手を合わすヤツ?」

「いいえ。あの頃は、まだそんな仕組がなかったから。ビルの中にね、決められたスペースがあってね。そこに、義父さんと、義母さんはいるのよ。本当に、小さなスペースよ。何だか、ちょっと、後ろ目たかったけど、死んだら、お仕舞だもの」

「死んだらお仕舞」と妻は言った。死んだばかりの夫を横にしてだ。聞いているこっちが、縮み上がりそうになる。しかし、死んだ純哉自身も、生前そう言っていた。

「そう……。でっ、朋チャン、今日はこれから、どうするの?」

「……」

「だから、おウチに帰るの?」

「ウウン、今日は。ここで過ごすわ」

「1人よ……」長姉は、続けて「怖くない?」と口にしそうになった。しかし、そこを「寂しくない?」と言い換えた。

朋子は、長姉の言い換えを、さり気なく汲み取って、

「寂しくないわよ。純哉さんが、お化けにでもなって、出てくれたら、聞きたいことがあるくらいよ」

朋子の頭に、バスルームでスゥーっと消えていった、スマートフォンの動画が過(よぎ)った。胸に、わだかまりのようなつっかかりのようなものがあった。

「そう。おねぇちゃんは、ウチの人がいるホテルに行くけど。いい?」

「ええ、そうして。ゆっくり休んで欲しいわ」

「じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらうわ。だけど、朋チャン、気を張っていたから、ここまで、しっかりできてきたけど、1人になって、変に落ち込んじゃあ、ダメよ。おねぇちゃん、それが心配だわ」

「主人が死んで、落ち込まないってほうが、無理よ。おねぇちゃんが帰ったあと、泣くか喚(わめ)くか分からないけど、純哉さんと2人になりたいわ」

「分かるような気がする」

長姉は玄関の壁に手を添え、ハイヒールを履きながら、

「じゃあ、明日ね。とにかく、考え過ぎないでね」と言い残し部屋を出た。

 朋子は、1人になった。

いや、2人。いや1人。曖昧だ。

ともかく時間は。朋子をないがしろにしたまま過ぎた。2人きりの家族の、その片方が死んだと言うのにだ。これは、遺族に余計な事を考えさせない仕掛けだろうか? そんなことは、大きなお世話。朋子はぐったりしながら、そう思った。しかしよく考えてみよう。彼女には、2泊3日の時間がある。余計な事を考えるには、2泊3日は、長いのだろうか、短いのだろか。朋子は、純哉と、わだかまりやつっかかりのない、きれいなお別れをしたいと、それだけを願った。たった2人の家族だったのだから……。


 さて、ここで朋子を泣かそうが喚かそうが、そこは作者の意のままだ。ただ現実とは、期待するほどドラマティックでもロマンティックでもない。

悲嘆は、お腹の底を重くする。読者の方も経験あるだろう。どんより重くする。朋子も下腹部が重い。彼女には、その重さを基台にシーソする2つの気持ちがあった。

突然自分を1人に突き放した夫への恨み、それが1つ目。ギッタン。

その恨みが募ると鎌首を持ち上げるのが寂しさ、それが2つ目。バッコン。

その寂しさは、恨み言を生む。ギッタン。

と、それが呼び水となって寂しくなる。バッコン。

ギッタン、バッコン、ギッタン、バッコン、ギッタン、バッコン……。

ドラマティックな号泣なんて、第三者からの同情や、自己愛的な衝動がなければ、堰を切って溢れはしない。

 朋子は、シャワーを浴びようと思った。化粧を落とすため、トートバッグの口を開いた。化粧ポーチと着替えの上に、純哉のスマートフォンが乗っていた。それは、救急車が来る前に朋子が隠したものだった。深い意味のある行為ではなかった。いや、厳密に言えば、取るに足りない軽犯罪の証拠を隠すような、そんな行為だった。

なんの証拠を隠したと言うのか。

朋子は思い出した。そして頭を左右に振った。よく人がやるアレだ。胸のわだかまり、つっかかりが疼いた。夫のスマートフォンを手にした。

ボタンを押した。

暗証番号をきいてきた。

朋子はため息をついて、スマートフォンをバッグに戻した。

昨夜、病院の待合室でも何度もボタンを押した。最初、バッテリーがゼロになって開くことが出来なかった。バスルームで動画がスゥーっと消えたのは、このためだった。朋子は、充電3パーセント完了を認めると、すぐボタンを押した。

暗証番号をきいてきた。

生年月日も、電話番後も、思いつくどんな番号も、暗証番号ではなかった。

何とかしてスマートフォンを開きたかった。

電話をかけ、そのタイミングで開けるかもしれないと思った。電話をかけた。スマートフォンに『朋子』の文字が表示された。木琴を叩くような呼び出し音が廊下に響いた。

通話中にしたままボタンを押した。

暗証番号をきいてきた。


 子供を育てず、所帯じみた生活から距離を置き、大きな病気もしなかった色川朋子。彼女は、老化の歩調を、抜き足差し足忍び足に出来た。と言っても57歳になっていた。メリハリの無くなった顔(かんばせ)に、ここが目ここが唇と、化粧で境界線を描いていた。歳には勝てない。仕方ない事だ。第一、朋子は世にいう美人ではなかった。主人公なのに、不甲斐ないが事実なのだ。ただ、こざっぱりとしていた。姿勢も良かった。痩身で背も標準の女性より高い。これを、スマートと表現すればいいか悩ましいが、全体的な印象はピリッとしていた。得てして、全体の印象がいいとあれだ、顔立ちの如何は、後回しに出来る場合がある。朋子は、そんな女だ。ただよく見ると、もうひとつ取り柄があった。好みにもよるが脚のラインがいいのだ。57歳で痩身だが、下半身の肉付きが絶妙にいい。若い頃の話だが、夫の純哉が白鳥の首とたとえた脚だ。57歳の今でも、ほどほどの脂肪に包まれ、やはりいいのだ。白鳥の首の面影を留(とど)めていた。弾力があり、何より健康的。特に太腿は母性で漲(みなぎ)り、乳が出そうだ。若かった頃の脚を想像してもらいたい。ただ、彼女は丈の短いスカートを好んでいなかった。若い頃からだ。白鳥の首のラインも、乳の出そうな太腿も、夫の純哉の独占物であった。これも、事実だ。


シャワーの湯は、額から髪先、そして肩、腰、足へと、ためらい、ためらい、何度も立ち止まりながら、流れた。純哉の指のようだ。彼女は本当にそう思った。

そこへ突然、重い悲しみが降ってきた。少し、自己愛的な雰囲気になったのかもしれない。朋子は両手で口を覆うと、嗚咽した。


 色川朋子についてもっと話そう。松本の母親が、朋子の事をよくこう言っていた。

「朋子、あんたは、おばあちゃんにそっくりズラ」

母親は、朋子が祖母の何に似ていると言っていたのだろうか。これから、その話をする次第だが、先に大雑把に語れば、神経質で真面目なところが似ていると言うのだ。朋子自身も、うすうすそう感じていた。確かに、何かにつけ鷹揚(おうよう)な母親よりも、祖母の気質に近い。人口に膾炙される、隔世遺伝と言う訳なのだろうか。食事をしながら、食器を洗いたい朋子だ。せっかちなのではない。汚れものがある事が、許せないのだ。

ではでは、その祖母がどう言う人かだ。主人公の色川朋子を知っていただくため、祖母の話に数枚割こうと思う。付録だ。読み流してほしい。

朋子の祖母は、群馬の豪農の娘であった。出た女学校は、御所に針(しん)女(みょう)(宮中の女官の身の周りの世話をする女性の職名)を推薦出来る栄に浴していた。誰でも推薦される訳ではない。品行方正、学力優秀、素性明確と三拍子揃っている卒業生が推薦されるのだ。4人の少女にその白羽の矢がたった。朋子の祖母はその1人だった。

祖母は、御所で、命婦(みょうぶ)(宮中の女官の役職名)の世話を勤めた。御所では、浮世離れした行儀作法を仕込まれた。世話をしていた命婦と仲の悪かった針女頭には、特に厳しく仕込まれたらしい。それでも祖母は、御所の愚痴や不満を、決して口にはしなかった。御所の事は一切口にしてはならぬと言う、厳しい緘口令もあったと思う。が、祖母はそう言う人だった。

ただ朋子にだけは、こっそりと、雲の上の話を教えた。東宮妃が民間から上がるようになっても、「これは誰にも言ってはいけない」と教えてくれた。それは、愚痴とかの話ではなかった。祖母が遥か遠くに実際に見た、宮中の『絵巻物語』を、可愛い孫に語って聞かせたのだ。朋子はその『絵巻物語』に少女らしい夢を馳せる事が好きで、祖母に話を何度も強請った。

さて、奉職を終え群馬の実家に下がった祖母は、言葉使いから身のこなし、顔つきまで、なにやら勿体ぶったものに仕上がっていたと言うのだ。特に周りを呆れさせたのは、きれい好きに磨きがかかって戻って来た事だと言う。そもそも祖母は、御所にあがる前から、田舎娘には珍しい、ハイカラな衛生観念を持っていた。ハイカラな衛生観念と言えば大層だが『手洗いはきちんとしましょう』程度のものだ。その衛生観念は、御所を下がって、宗教観念に化けていたらしい。なんでも、清浄なものと、不浄なものとの区別には、血道を上げていたと言う。

「これはお清(きよ)(御所言葉で清浄なものを指す)、それはお次(つぎ)(同じく御所言葉で不浄なものを指す)」と目の色を変え、周りを恐れさせたらしいのだ。

群馬の一族郎党は「だー、げぇに神経質にならんでもよかんべぇ。死にゃあせんが。細かいことを言わんでもいいがね」と宥(なだ)め諭した。宥め諭して半年、やっと日常生活に支障が出ないまでに、祖母を修正したらしい。それでも、一度足を通した足袋は、結局履かなくても、洗濯しなければ箪笥に戻せなかったと聞いている。

祖母の父は、群馬の養蚕業界の実力者。祖母は、その縁故で、信州の豪農に嫁いだ。つまりそこが朋子の実家臼田家だ。その昔、臼田家は『三国屋』と屋号で呼ばれていた。『三国屋』に嫁入りした祖母は、『三国屋の女官様』と呼ばれ、近在の人々だけでなく、舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)にすら一目置かれていたと言う。

ここまで語ると、婚家の臼田家は大変だったのではないか、と想像される方も多いと思う。修正されたとは言え、御所で仕込まれた世間には通用しない価値観を、臼田家の人々に押し付けたのではないか。周りも迷惑だっただろう。このままでは、気質が似ているらしい主人公の朋子も、いけ好かない女になってしまう。

臼田の家はいつ見ても、ピカピカに拭き上げられ、物ひとつ斜めに置かれてはいない。これは近在の人々が口にした話題だ。神経質な嫁が来たのだから、それは当然だろう。が、神経質な嫁が、家族や使用人を振り回して、家の清浄を保った訳ではない。思い出して欲しい。元々、品行方正、学力優秀、素性明確と三拍子揃った少女だった。その上に、明朗快活、遠慮会釈。誠に宜しきお嬢様だったのだ。そんな嫁だから、自分が率先して掃除をしていたのだ。当然、人が生活している家だ。汚す人がいる。だらしない人もいる。しかし『三国屋の女官様』は、見て見ぬ振りを貫き通し、後片付けに徹していたのだ。思い遣りと慎みのある、そんな嫁であり、使用人にとっては奥様だった。孝行も充分過ぎるほど尽くしたと聞く。嫁姑の諍(いさか)い話などもない。実に、気持ちのいい、婦徳の鑑ではないか。一行一行、前後矛盾なく、箇条書き出来そうな人だ。複雑で曖昧な散文など、付け入る隙のない生き方だ。似ているらしい、孫の朋子も、箇条書き出来るようなら、物語も書き易い。

しかしだ。「朋子、おばあちゃんのきれい好きには、何か陰があるズロ」これは、母親が、ときどき朋子に語った言葉だ。母親は、姑の神経質と人への甘さ優しさが、不自然に感じる、とこう話を続けた。

「おばあちゃんは、汚れや埃を嫌がっていねぇズラ。汚れや埃を探し回っているズラ」

流石、女同士だ。見方が鋭い。深い。ただ、側で仕える母親にも、祖母のその陰が何なのか、よく分からなかったらしい。何となく感じる程度だと言うのだ。陰があるのなら、祖母も散文だ。本当に、母親の勘が当たっていれば、悲劇の匂いがする。散文と言うより詩になる。これは、朋子が主人公の物語だ。祖母に似ているらしい朋子が詩になれるなら、箇条書きよりなお結構な事だ。朋子自身には、詩である自覚は全くないが……。


 作者は、主人公に馴染んでもらう一助として、似ているらしい祖母の挿話を入れた。付録と前口上しておきながら、『散文』だ『詩』だなどと、大袈裟に語り過ぎた。反省している。主人公を語るなら、素手で触るように、脚色なしでいかなければいけない。人物がボヤけるからだ。何か、格好の挿話はないだろうか。そう言えば、こんな昔話がある。母親が、朋子によく笑って聞かせた話だ。

「朋子、あんたに前歯がやっと2本生え揃ったときのことズラァ。正月にママの実家に行って、お節料理を、あっちの兄さんや義(ねえ)姉さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ヘェ、家族全員、みんな集まってワイワイご馳走になっていたときズラ。あんたは、ママの膝の上にチョコンと抱かれていてなぁ。隣におじいちゃんがいたズラ。あんたは、おじいちゃんが飲んだり食べたりする様子を、ジッと珍しそうに見ていて、それがまた可愛いいと、おじいちゃんは、上機嫌だったズラ」

田舎の長閑で賑やかな正月の場面だ。

場面はこんな情景となる。

「朋子、あんたは海老の煮たのに興味があったようで、おじいちゃんが指をチュチュ舐めながら殻を剥いているのを、不思議そうに、ジッと見ていたズラ。そうしたら、おじいちゃんが、『おお、朋子は海老が食べたいズラ、なぁ』と言って、その剥き身を、自分の口に入れて、グチャグチャ柔らかくしたあと、指で摘まみ出して、あんたの口元に差し出したズラ。そうしたら、ヘェ、朋子、あんたは、口元をグッと絞って、苦虫を含んだような渋い顔をして、横にプイッと顔を向けたズラ。おじいちゃんは、寂しいような、悲しいような顔をしてから『ワハハ、さすがは三国屋の女官様の血を引いているズラ』と笑ってなぁ。それからが面白いズラ。朋子、あんた、笑っているおじいちゃんの方を向いて、申し訳なさそうな顔で、ヘェ、頭を下げたズラ」

物心ついているか怪しい前歯2本の幼子が、憐憫を伴う道徳心にかられて、頭を下げるなど、聞いた事もない。「ワハハ」と大笑いする祖父の酒臭い息が、幼子を直撃し、渋った顔を下に移動させただけだろう。ただ、それを詫びていると、冗談混じりでも、口にしたのは、朋子を産み育てた母親だ。それ程に、朋子は几帳面で真面目だったのだ。


朋子は、嗚咽のシャワーの後、設置してあるドライヤーで髪を乾かした。気持ちは落ち着いていた。頭の中で、明後日、つまり告別式までの段取りを追っていた。明日は、一旦、自宅のマンションに帰ろう。それから、池袋のデパートに買い物に行こう。夫が特にお世話になった人達には、形だけの返礼品では、気持ちが届かないし、心もとない。そう朋子は思っていたのだ。

さて、ここは旅館ではない。

布団は敷かれていない。朋子は、襖を開け、布団を出し、棺の近くに延べた。糊のきいたシーツを広げた時、布団の湿り気が気になった。蚊取り線香のようなお香は、1日半でも燻(くすぶ)っていそうだ。ただ『夜通し灯明』で、亡夫と寝ずに語り合うには疲れ過ぎていた。昨日から睡眠をとっていなかった。明日の事もある。照明を落とした。祭壇の電気の蝋燭が、オレンジ色の灯(ともしび)となり、様々な飾り物の影を長くして部屋を抱きかかえた。本当に、お化けが出そうだった。

朋子は遺影を見上げた。そこには、明るく暖かい屈託のない笑顔、優しい眼差しがあった。

「さあ、純哉さん、出てきてもいいわよ」朋子は「おやすみなさい」の代わりにそう言うと布団を被った。

6回、寝返りを打った。

彼女の頬には、涙が流れていた。


 朋子は、昭和56年に長野の女子高校を卒業した。それは松本から長野まで、篠ノ井線で通う3年間だった。彼女には、自分が異性からチヤホヤされるタイプではないと言う自覚があった。思春期の危うい気持には、距離を置き、距離を置かなければと言い聞かせた3年間だった。

女子高卒業後は、東京中央区にある××女子大学の家政学部に入った。大学では、茶道サークルに入った。そのため、異性との接点は少なかった。アルバイトでは、新宿の蟹が名物の和風レストランのウエイトレスをした。ウエイトレスと言っても、細い身体つきに銀縁眼鏡、地味な顔立ち、オマケに特別愛想がいい訳でもなかった。ウエイトレスの制服は着物。あの脚のラインも隠れていた。そんな朋子に言い寄る異性はいなかった。

昭和60年、都立の民族博物館に事務員として就職した。臼田朋子、22歳、処女。

勤め先の民族博物館は、中庭のある2階建てで、中世から現代までの日用品や台所用品を展示していた。代々、天下り老人が理事や館長を勤める。見学者も極めて少ない。いわゆる、あってもなくてもどうでもいい、あの系統の博物館だった。男女ともに若い職員はいなかった。臼田朋子は、実に9年ぶりの新卒職員であった。職場の男性職員は、身だしなみに気をつかう、そんな部類ではなかった。彼らからは、煙草と整髪剤の匂い、そして口臭が漂っていた。朋子は、男とはこんな臭いのする生き物かと、展示物の黴臭さも合い混じって、一方的に思い込んでいた。ただ朋子にとって、この口の臭い民族博物館の男性職員が、比較的会話を交わす異性だった。そう言えば、例外が1人いた。和風レストランのアルバイト先で知り合った、カッチャンだ。カッチャンの事は、後々、話す。

では、いよいよ、純哉とのなりそめの話をしよう。が、その前に、もう1つ寄り道をさせていただきたい。女、色川朋子、57歳。この年格好の女は、時代の徒(あだ)花(ばな)バブルを経験している。浮ついたお祭り騒ぎのひと時を経験しているのだ。なんだ、バブルに話を持って行ったかと、眉を顰(ひそ)めないで欲しい。作者もバブルを殊更に扱うのが嫌いな方だ。ただ、朋子を語るにはいい材料だ。朋子の青春は、時代の徒花バブルとは、少しだけ反りが合わなかった。

 突然、大げさな言いようをするが、極東の島国の我々日本人は、付和雷同しやすいうえに、集団麻酔に引っ掛かりやすいと言う、やっかいな弱点を持っている。

朋子が20代の頃、テレビも雑誌も、その年代をターゲットに、ある種の雰囲気を煽った。煽って、煽られ、この雰囲気に乗り遅れたら大変だぞぉ~! とそんな脅迫を匂わせながら煽った。本当に煽った。とことん煽った。特に女は煽られた。同じイケイケの格好にケバイ化粧。それ右向け右だ。実践しろ。実行しろ。実現しろ。それが、今時の女の常識、女の幸せ。こんな風に煽り抜いたのだ。

ここまで煽られれば、流石の朋子も、口紅を赤く濃くし、肩を張ったジャケットを羽織った。やはり日本人だ。ただし、ただしだ。そのジャケットのシルエットは緩く、当然のようにスカートの裾は膝より下。朋子は、流行の真似事を超えられなかった。「頑張っているけど、今ひとつね」と、意地悪な人は陰口をしたかもしれない。あの脚のラインも、見せびらかす事はなかった。現に、朋子は、膝丈より短いスカートは下品だと思っていた。

 こんな事があった。

財団法人衛生用品品質検査機構に勤めていたA子と、C区教育委員会に勤めていたB子に、湾岸のディスコに遊びに行こうと誘われた。A子もB子も、××女子大学家政学科卒で、茶道サークルの仲間でもあった。「オシャレして、弾けちゃいましょう」A子の電話の声は明るかった。

約束の金曜日の夕方、新木場の駅で待ち合わせをした。友人2人が改札口を出て来た。A子はショッキングピンクの、B子はレモンイエローの、同じようなアンサンブルワンピース姿で登場した。スカートはマイクロミニ。A子のストッキングにはキューピットが弓を引く絵柄が散らばり、B子のそれはラメで光っていた。ハイヒールの踵は、鋭く地面を突き刺していた。

生真面目な朋子は、例の背伸びした、彼女なりの今時のスーツ姿。A子もB子も、申し合わせたかのように、長い髪をかき上げながら、朋子のオシャレを上下眺めすかした。眺めすかして「らしいわ」と思っただけで、何も言わなかった。

ディスコに行く前に、話題のイタリアンレストランに入った。入口でA子とB子は、ジャケットを預け、身体に張り付いたノースリーブのワンピース姿になった。そして、しゃなりしゃなりとテーブルに歩き、引かれた椅子に、テレビドラマの真似だろうか、粘り付くように腰をひねらせて座り、おもむろにメニューを開いた。朋子は、そこで、ミートソーススとナポリタン以外のスパゲティーを始めて知った。

朋子は、ボンゴレと言うスパゲティー料理を、水で飲み込んだ後、

「A子さん、今日は会社でしょ。どこでその洋服に着替えたの?」と尋ねた。

A子は、イカ墨で黒く染まった歯を覗かせて「会社のトイレよ。トイレから出るとき、ドキドキしたわ」と笑った。

「着替えた服は、そのバックに入っているの?」朋子は重ねて尋ねた。

「服はね、駅のコインロッカーに、預けたの」

「じゃあ、そのバッグには何が入っているの?」

A子はB子に目配せした。そして、示し合わせたように2人はニッコリ笑って「これよ」とルイ・ヴィトンのバッグの口を開いて見せた。朋子はそこに、噂に聞いていた羽根扇を見た。ショッキングピンクの羽根扇がA子のもので、アンサンブルの色に合わせているとのこと。紫色の羽根扇もそこにはあって、

「これは、朋子さんに買ってきたのよ」とウインクした。

朋子は、ウインクで合図をするA子に驚き、「A子さんは、どこでこんな下品な真似を習ってきたのだろう。お淑やかなお嬢さんだったのに」と無言で言った。

「わたしは、ロイヤルブルーよ」B子が勿体ぶって羽根扇を取り出した。そして羽根扇を胸にあてがい、青黒く縁取った瞼をパチパチさせながら、付けまつ毛を煽いだ。

そしてB子は、

「A子さん、もしあなた、お持ち帰りになったら、コインロッカーの荷物はどうするの?」といやらし上目目線で言った。

「嫌だぁ~」とA子はB子の、日焼けした二の腕を叩いて、2人してキャキャと笑った。

食後にティラミスと言うデザートを食べ、気付け薬のようなエスプレッソを飲み、会計は席で済ませた。A子は、紫色の羽根扇を朋子の胸に押し付けて、コーヒー臭い息で「さあ、出陣よ」と言って立ち上がった。


ドッキャン ドッキャン、ドクドク、ドッキャン。

大きなスピーカーから、ディスコミュージックが流れていた。

A子とB子は、怒鳴り合いながら、何か話していた。ディスコミュージックにかき消され、何を話しているのか、朋子には聞こえなかった。

天井で大きなミラーボールがクルクル回り、その反射光戦がホールの壁を次々に舐めては消えていた。

壁の前には、あれがお立ち台と言うものなのだろう。3段の安普請の台があり、そこで色とりどりの羽根扇子が、8の字を描いて踊っていた。

B子が耳元で、何か叫んだ。

聞こえなかった。

「えッ?」朋子は3度聞き返した。

「踊りに、踊りにいきしょう」B子は絶叫して言った。

「わたし、踊り、知らないのよ」朋子も絶叫して答えた。

「何だっていいのよ、扇子を振って身体をくねらしていれば」A子も絶叫。

「わたしは、いいわ。ココにいるから、2人で行ってらっして、わたしに構わず、遠慮なくよ。ええ、楽しいわ、楽しんでいるわよ。大丈夫よ」朋子は絶叫しきった。

楽しんでいる筈がない。空気も濁っていた。

朋子は、A子とB子をお立ち台に見送った。

ホール中央では、男たちが身体を揺らしながら、お立ち台の女達を、品定めしていた。

スモークや煙草の煙の中で、それは火事場の見物人のようだった。

朋子は、紫色の羽根扇を小脇に挟んで、カシスソーダと言うお酒を始めて飲んだ。甘く、ほろ苦く、口当たりはよく、何か罪の味がすると思った。A子とB子の姿をずっと追っていたが、いつの間にか見失っていた。朋子は、とにかく、この罪の味のする甘いお酒を飲みながら、ココで待っていればいいのだ、と我慢していた。

30分ほども、我慢しただろうか、A子とB子がココに戻って来た。

2人は、それぞれ男の肩に頬を乗せ腕を絡ませて、戻って来たのだ。

A子が頬を預けている男は、白いシースルーのシャツを着ていた。蛍光ライトに輝くシャツの胸に、黒い乳首が透けて見えた。

B子が頬を預けていた男は、暗いホールの中で、サングラスをかけていた。B子は、どこで手に入れたのか、棒つきのキャンディーを舐めていた。

誰が付けていたのか、ムスクの甘い匂いがした。

A子はキューピットの脚を、B子はラメに光る脚を、マイクロミニのスカートから差し出し、内腿を擦り合わせながら、クネクネと踊りの余韻に酔っていた。

朋子は、それを下品だと思った。財団法人衛生生活用品品質検査機構とC区教育委員会で、『公正』『正義』『道徳』を語る2人が、目の前で『娼婦』のようになっていた。

 さて、ミラーボールは光を受けて、反射光をキラキラ放っていた。

反射光は、ホールの壁を舐めながら上に流れ、下へ移り、そして消えていった。次々に消えていった。この騒音の中で、混乱の中で、何かを誤魔化しながら消えていった。

誤魔化さない、誤魔化します、誤魔化す、誤魔化せば、誤魔化そう。華麗なる誤魔化しの技。この目の前の2人の友人も、誤魔化しの手品で、何かを消して、変幻自在に『娼婦』になっていた。

それはそれ、と器用だった。

朋子にとっては信じられない、それはそれ、で。


 純哉とのなりそめの話をしよう。

 臼田朋子は、大学を卒業して勤め始めてからも、お茶は続けていた。毎週木曜日の夕方は、早々に仕事を切り上げ、稽古に通った。先生は、大学時代からお世話になっていた岡本先生だ。教場は岡本先生の自宅。先生の自宅は、古い寺院のように染み込んだお香が、聞こえた。

 教場に入るとすぐ、例の、真似事の、真っ赤な口紅を落とし、薄いえんじ色のお稽古着に着替えた。着物の袖の扱い、裾捌きなどを練習できるよう考案されたお稽古着だ。チマチョゴリと浴衣を、足して2で割ったようなお稽古着。そのいで立ちで、大真面目にお茶を習うのである。傍目には、何をやっているのかと、結構、薄気味悪い情景になる。

お稽古は始まっていた。

「朋子さん、そこはまず、左手でお茶碗手前を取って、右手にお茶碗真横を取って、はい、そう、そう、そうですわ。風炉敷の角から、畳3つ目、はい、もうちょっと手前、はいはい。お茶杓が風炉敷に掛からない程度に、はい、そこに置きましょう」

「先生、何年教えていただいても、炉から風炉に変わったときは、戸惑うばかりで、すみません」

「いえ、そんなものよ。お気になさらず、ささぁ、はい、お棗を右手に取って、柄杓の持ち手の先と、お茶碗の間に、はい、そこに置いて、柄杓の先と、お棗とお茶碗の中心と、風炉敷の角が、一直線に並びますでしょう。きれいですわよね」

 岡本先生は、「きれいですわよね」と言った。朋子は、何気で始めた茶道であったが、今に至るまで熱心に続けているのも、まさしく、このきれいだからである。きれいと言っても、見た目がきれいと言った意味ではない。畳は何歩で歩かなければならない、曲物道具の綴じ目はどこになければならない、襖の開け方はこう、炭の置き方はこう、あの棚は畳何目にこう置く、などなど、などなど、などなどなど、折檻されるが如く、細かい約束事に縛られる。その約束事が、きれいだと思っているのだ。そして、誰が考えたのか、あるいは後つけなのかもしれないが、約束事には、斯く斯く然々と、実しやかな理由が寄り添っている。虚虚実実、それら全部をまとめて、整然とした体系が、朋子は実にきれいだと感じるのだ。この煩雑な体系は、朋子の気持ちを、清々しくさせた。

 時には、整然とした体系に、些細な矛盾があったりする。そのどうでもいい矛盾についても、彼女は真剣に悩むのだ。真面目さゆえの、几帳面さ理屈っぽさだろか。お茶を好む人間には、理屈っぽい人種が多い。どの芸事より、茶道関係は書籍が多い。購読者が理屈っぽいので、おのずから書籍の種類が多いのだ、と作者は睨んでいる。

 「はい、今日はここまでといたしましょう。朋子さん、ご立派でしたよ。大変お上手でした」

「ありがとうございます。先生、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」とその日も朋子は、些末な疑問を解消しようした。この几帳面さは、お茶の知識を広め深めるためには、誠に宜しき事ではある。しかし、拘(こだわ)り過ぎは仇となる。ご用心、ご用心。実際、岡本先生は、「またか」と内心ウンザリしながらも、頬骨を持ち上げた笑顔で、「はい、何ですか?」と返された。ややこしい質問があった場合には「確認しておきましょう」とお茶を濁し、先生同士の仲間内で、当り障りのない理由付けを捻り出すだけなのだ。幸いその日の質問は、夏の主菓子器が、陶磁器であったか塗り物であったか、と言うシンプルな確認事。先生は、機嫌よくサラリと答えた後、

「ところで、朋子さん、来週の土曜日の昼間、お時間、おありでなくって?」と言葉を重ねてきた。いつも通り、朋子の週末に予定はなかった。

「そう、でしたら、お茶会に、ご一緒していただけないかしら?」

「はい、是非ご一緒させてください」銀縁眼鏡の向こうで、瞳が輝いた。朋子はお茶が大好きであった。

「良かったわ。須藤先生のお宅で開かれるのよ。お天気良いと、いいわね」

須藤先生とは、同じ流派の古い先生で、お家元の直門であった。着物道楽のお金持ちの未亡人で、謡(うたい)も嗜む悠々自適の趣味人。朋子は以前、須藤先生宅にお邪魔した事があった。銅葺き屋根の棟々を、渡り廊下で繋いだ、数寄屋作りの瀟洒な邸宅だった。

「実はね」と先生は、膝をひとにじりさせ、朋子に近づいた。

「そこで、朋子さんにお合わせしたい方がいるのね」

「はぁ……」

「殿方よ」と言って先生は、朋子の目を覗きながら、頬骨を上げて含み笑いをした。

「はい?」

「朋子さんに、ご紹介したい殿方がいるのね。ホホホ、貴女(あなた)、もういいお歳よ」先生の顔から笑顔か消えた。そして頬骨を持ち上げ、

「ホホホ、朋子さんのような、真面目で内気なお嬢さんには、お節介をやく、おばさまが必要よ。そのおばさまに、須藤先生と私がなるのよ。ホホホ……」と笑った。

朋子はその年、三十路の神聖な境界線を越えるのである。くどいが、まだ異性と付き合った事がない。処女。

「本当にいいお嬢さんなのに、貴女のように、お堅い人には、殿方も言い寄りにくいわよ。私は、長いお付き合いで、朋子さんのことをよく存じていますから、母親だと思って聞いてね。その殿方は、横浜〇△大学を出て都庁にお勤めの方なの。須藤先生のお知り合いのお弟子さんで、お茶も10年近くやっていらっしゃるそうよ。貴女と趣味もお合いになるじゃあありませんか」

「いえ、まだ先生、わたしそんな気持ちの準備……」

「準備なんて物は、まずお相手にお会いしてからするものよ。準備なんて、準備なんて、気が早いわ。真面目ね・ホホホ、貴女、真面目だから、すぐそう言う風に、ホホホ、とにかくお気楽なお気持ちで、お会いになるだけ、なさったら、いいわ」

「はい……」

「朋子さん、あれよ、ご縁なんてそんなものよ。相手の方は、ええっと」と言って先生は胸元の懐紙を取り出した。そこには何か書いてあるようで、それを見ながら、

「ええっと、色川純哉さんってお名前なのね。千葉のお生まれなのね。今、雑司ヶ谷でお一人暮らしなさっているそうよ。31歳。貴女とぴったりじゃあないこと。ホホホ」と言った。

朋子の頬は、さぁっと赤く染まった。会わせられる異性の、名前から年齢、住所、勤務先まで告げられ、恥じらいの混じった緊張が熱く沸いた。その熱さに頬が火照ったのだ。先生の話の筋道は、鳥籠の中の鳥を、隅っこに追いやるような気迫もあった。

「ともかく、ともかくよ。お気楽にお茶会に行きましょうね。お気楽にね」


 朋子にとって、とてもお気楽とは言えない数日が流れた。

 お茶会の当日。

先生とは、須藤先生のお宅最寄り駅、久我山の喫茶店で待ち合わせた。初夏の朝、天気には恵まれなかった。小雨が、路面に浅い水たまりを作っていた。水たまりには、しとしと雨の心細い輪が出来ては消えていた。

街行く人に、雨ゴートを羽織った和装姿をちらほら見かけた。きっと須藤先生のお茶会に行く人達だ。須藤邸には、お茶室が3つあった。和装で歩く人に、男性は少なかった。その少ない男性の中に、今日会う色川と言う人がいるかもしれない。朋子は目を凝らした。はしたない、とは思った。が、好奇心は抑えられなかった。同じように、わたしをいち早く観察しようと、色川と言う男性がこの久我山駅前のどこかにいるかもしれない。朋子は縮こまり店内を流し目した。お茶会に出向く気配の人はいなかった。

「お待たせ」

岡本先生が明るい声で朋子の前に立った。

「雨で、嫌ねぇ。でも考えようよ。お庭の風情が、このお湿りで、ぐっと引き立っていますわよ。今日は、色々と楽しみね」と悪意のない意地悪を言って、コーヒーを注文した。そして着物の裾をタオルで押さえながらこう続けた。

「朋子さん、貴女の事だから、昨晩は眠れなかったのじゃあなくって? 図星? ホホホ。いくつになっても、貴女、純情だから。緊張なさらなくても良いのよ。今日のお薄の席で、正客をされる人が、色川さんよ」

ここまで、お膳立てをされているのだ。朋子は、もう逃げようがなかった。精一杯の、最後の気持ちの整理をした。

「貴女は、私の隣に座っていればいいのよ。それだけ。今日は、お顔を合わせるだけよ。でもね、第一印象がすべてよ。人は、様々な事情があります、いろいろありますとも。でもね、第一印象が、一番信頼できる目よ。私も、この2つの目で、しっかり見ますからね。純情な貴女に、ふさわしいか人かどうか」

「先生……。ふさわしいかとか、わたし……。まだ少し心細くて」

「まぁ、可愛いいお嬢様ね。朋子さん、『明歴々露堂々』って言う禅語はご存じ? 見てのとおり、全部外見に出ています、って意味よ。掛軸にもよく使われるわ。お人柄は、第一印象の目が一番信用できるのよ。これ、私の人生経験よ。先生が、貴女のお母さん替わりよ」

岡本先生は、ひときわ高く頬骨を上げて微笑んだ。

それから2人は、今日の懐石はどこその板前が出張して来るとか、お薄の席は〇〇庵だから逆勝手であるとか、須藤先生は秘蔵ののんこう(楽家の三代目)を出されるだろうか、とか、お茶会を期待させる話題で盛り上がった。しばし朋子の緊張は解れた。

「そろそろ時間ね。タクシーで行きましょう」

朋子は頷いた。

「朋子さん、替えの足袋は、ちゃんと持って来たでしょうねぇ……」

岡本先生のその言葉で、朋子に緊張の小雨が降った。


 テンポよく話を進める積りなら、ここで一機にお茶会会場に場面を移すべきである。しかし、作者はタクシーの中の朋子を語りたい。彼女は、タクシーの中で、こんなことを思っていた。もう少し、華やかな着物を選んだ方がよかったのではないかと。

浅黄色の付下げを着ていた。帯は薄紫で、お太鼓に、朱色の紐が絡まる鼓が刺繍してあった。付下げの裾模様は、青紅葉で、季節らしいものではあったが、若々しさに欠いていた。彼女は、束ね熨斗の絵羽模様で、総鹿子の振袖を直した単衣を持っていた。薄桃色で華やいだ着物だった。あれにすれば良かったか、と後悔した。いや、あの着物では、自分を見世物のように演出してしまい、目立ちたいのだと、変に誤解されてしまう。それに何より、派手過ぎると岡本先生に叱られるだろう。やはりこの付下げでよかったのだ。となると、帯が気になる。浅黄色に薄紫は、強弱がハッキリし過ぎていて、いやらしいのではないか。薄い黄緑色に水色の光琳波が刺繍された帯があった。あの帯との組み合わせの方が、上品ではなかっただろうか。それに、着付けと髪を上げてもらうのは、やはり美容院に我儘を言って、お願いすべきではなかったか。朝早いから、自分で上げた髪だが、何となく、だらしなくは見えないだろうか……。短い、タクシーの乗車時間ではあったが、朋子は、千々に女らしいそんな思いを巡らせて、窓外の景色の流れを見ていた。

 女らしい思い?

遠回しな言い方はやめておこう。

端的言えば、朋子は色気づいていた、のだ。少し学術的な言い方なら、発情していた、のだ。

下世話な言い方なら、さかりがついていた、のだ。

朋子は、純情だ、真面目だ。だが、人間だ。そして、少し薹(とう)の立った夢見る処女だった。奇しくもお茶会の日は、女性の周期で言えば、排卵期に当たっていた。漫画に出るような爆弾、火薬を練ったようなアノ爆弾を想像してもらいたい。丸くて黒いアノ爆弾だ。その導火線は程よく依られ、いつ火がついてもおかしくない。朋子の気持ちは、そんな状況であった。では、場面を須藤邸に移そう。


 幸い小雨はあがった。庭は、針葉樹も、広葉樹も、苔も、石も、栞(しおり)戸(と)も、腰かけの檜皮屋根も、しっとり、しめやかに、重く、色濃く、濡れていた。行きかう人々の着物が、緋を打ち、黄を差し、庭の風情を引き立てていた。

 岡本先生と朋子は、お薄の席〇〇庵の腰掛に座っていた。軒先から、時折、雨の雫がポタリポタリ、敷石を打っていた。お手伝いの女の人が、蹲(つくばい)の手水(ちょうず)鉢(ばち)の水を、桶の水でザァーと滝流した。『これで、手水鉢の水は、きれいにしましたよ』と形ばかりの演出だった。

さあ、これから、お薄の席、逆勝手の〇〇庵に入るのだ。須藤先生の配慮であろうか、お茶人らしい演出であろうか、懐石の席でも、お濃茶の席(朋子は。苦手な回し飲みを誤魔化す忍法を取得していた)でも、31歳の年恰好の男性と一緒になった事はなく、まだ色川と言う人を、紹介されてもいなかった。

朋子が手水鉢を使った時、その水面が、名残とばかりにポタリと震えた。彼女は、水を使うことを、躊躇(ためら)った。人目を盗んで、形だけ、口を濯ぐ真似をした。

 岡本先生が、にじり口の敷居の溝に扇子を置きお辞儀をした。朋子は先生の後ろ姿を見守った。先生には、驚きの気配があった。そして〇〇庵に滑り込み、草履を揃えようと振り返った。その時、朋子にチラリと目をやった。落ち着いて続きなさい。それは合図だった。

朋子は、水に飛び込むように息を呑んだ。沓脱石に座り、扇子を前に茶室を見渡した。室床が見えた。軸は『明歴々露堂々』だった。『明歴々露堂々』の前に男性が横向きで端座していた。色川純哉だ。

全員が着座し、ざわつきが収まった。色川純哉は扇子を膝前に置いた。と同時に茶室に衣擦れの音がたち、客すべての膝前に扇子が並んだ。純哉は、両手をつき誰を見るともなく、

「皆様、高い席から失礼いたします。須藤先生のご指名をいただき、正客を務めさせていただきます。皆様のお膝をお借りし、勉強をさせていただく所存で、恥を覚悟で、ここに座らせていただいております。至ないこと多々ございますが、どうぞ、ご寛容くださいますよう、お願いいたします」と淀みなく挨拶した。その声は、少し高かった。室内の客は、須藤先生の配慮であろうか、初老の女性ばかりであった。茶道口の太鼓襖が開いた。一斉に、扇子が膝前から消えた。

お点前が始まった。東(お茶を点てる人)も半東(お茶を点てる人の後ろに控え、客との取次等をする人)も、中年の女性であった。茶道口から縹(はなだ)色の着物を着た席主の須藤先生が、膝をにじりながら入ってきた。

「まぁ、ようこそ」須藤先生が膝前に扇子を置いた。再び客の膝前にズラッと扇子が並んだ。機械仕掛けのような、この仰々しい作法。朋子は酔った。

「お門広い中、またこのお足音の悪い中、お出ましいただき、痛み入ります」席主の須藤先生は正客に語りかけた。絞りの鼠色の帯揚げの下に、帯の金の箔が光った。

「今日は、お招きいただき、ありがとうございます。今日のこの日を、どれだけ楽しみにしていたかしれません」色川純哉の、少し高い声が返した。彼は、納戸色のお召しに縦縞の袴を着けていた。厚紙細工の人形のようで、皴ひとつなかった。

 お茶会では、軸の趣向などを、正客が席を代表して説明を乞う。それが、約束事。亭主と正客との会話の応酬の中で、茶室の全員が一本の緒に絡まっていく仕掛けだ。正客の色川純哉は、軸から花、花から香合、香合から道具、道具からお菓子、そして一服の茶を飲んだ後は、茶碗……、丁寧に席主の須藤先生に説明を乞うた。2人の会話のやり取りに、様々な作家や窯元の名前が出た。他の客から、嘆息と賞賛の言葉が飛び交った。お薄の席は、つつがなく、出来すぎの見本のように進んでいた。

 そんな中で、朋子はどうしていたか。

手短に言い切ってしまえば、これは、彼女のお見合いもどきの席。

異性との接点があまりない、ハッキリ言えば、夢見る処女の朋子の振る舞い。それがどうであったかである。一般的には、次の2つのパターンが用意される。

まず、恥ずかしがって顔も上げられず、畳にのの字を書くパターン。茶室の畳にのの字はないが、この紋切り型の動作は、通り一遍だが、人物設定を単純化させ、回りくどい説明を省略させる利点がある。が、ただ、その深いところでは、自分を初心に見せようとするスケベ心がない訳ではない。どんなに純情な人でもだ。夢見る処女も例外ではない。本来は、そこまで踏み込み、グリグリ描かなければ面白くならない。思ったほど単純にはいかないのだ。面倒だ。このパターンはやめにする。

もう1つは、きょとんとして、見合いの相手を見つめるパターン。テレビドラマなんかでよくあるアレ。ちょっとご愛敬の女性が、口をあんぐり開けて対象を凝視し、隣から声を掛けられても気付かず、何度目かの呼びかけで、やっとハッと気付くアレ。複雑な心理描写も必要ないであろう。実際よくよく朋子を見れば、きょとんとしているのだから。このアレで行こう。

 きょとんとした朋子は、斜め横から色川純哉を観察した、その諸々な事項を上げておく。『明歴々露堂々』の軸を横に端座している色川純哉は、痩せ型で色白。座っているので厳密には言い切れないが、背は標準の男性より小柄に感じた。髪は、右に30%、左に70%と分け、その分け目には、白い地肌が一直線を描いていた。さらに観察した。

朋子と同じ銀縁眼鏡を掛けていた。キラキラするレンズの向こうの目は細く、若干吊り上がり気味。眉毛は太く、濃かった。唇は薄く、顎が青く見えるのは、髭が濃いせいだろうか。鼻筋は通っていた。ただ、鼻腔が胡坐をかいたように、横に広がっていた。この鼻腔の広がりがなければ、整った顔の部類であったかもしれない。とにかく、全体的には際立った特徴はなく、アチコチで見かけそうな、実に平凡な顔立ちだった。

 「臼田さん」

「……」

「臼田さん」

朋子は、テレビドラマのアレのように、須藤先生の声にハッとした。室内の客は、菓子器を回したり、お茶を飲んだりで、いつの間にか再び騒めいていた。

「臼田さん、こちらが、色川純哉さんです」須藤先生が未来の夫を紹介した。

「色川さん、あちらのお若い方、ホホ、あら、皆さんお若いから、ホホホ、あちらのお若い方、臼田朋子さんです。どうぞ、よろしく」

色川純哉が、薄い唇を薄く開き、笑顔で頭を下げた。

朋子も、あわてて、頭を下げた。

朋子の脳裏に、男のキューと吊り上がった口角から覗いた白い奥歯の残像が焼き付いた。

整然と並び清潔であった。

普通よく目にする奥歯とは種類が違った。

銀色の詰め物や汚れがなかった。

これは、きちんとしている人だ。都立の民族博物館笑顔の上司や同僚とは違う種類の男。

優しい笑顔も印象に残った。

優しい笑顔に清潔な奥歯、明らかに、朋子は好感を持った。

どうやら、導火線に火が点いたようだ。火は点いたが、すぐに爆弾は爆発しない。排卵期だ、何だかんだと語った後だが、導火線には長さがある。ジリジリ燃え始めたと言ったほうが適切だ。

では、それが朋子の表情にどう出たか。

頭に血がのぼった。

頬の筋肉に感覚がなくなった。

脇に薄く汗をかいた。

彼女は、清潔な奥歯の男の笑顔に、ぎこちない微笑みを、精一杯で返したのだ。精一杯で。

後はとにもかくにも、〇〇庵から退室したのだが、足は畳についていなかったような、だから宙に浮いていたような、じゃあどうやって〇〇庵から出たのかと問われれば、答えられず、何をしたか覚えていない訳ではないが、すべて心ここにあらず、で退室した。

受付で、荷物を受け取っている時、奥から須藤先生が縹色の着物に帯の金箔を輝かせながら現れた。右手首を返し返し「岡村先生、岡村様」と小走りで現れたのだ。

「よかったわ、お帰りになる前にお会いできて」須藤先生の息は少しあがっていた。

「須藤先生、良いお茶会でしたわ。お大事になさっていらっしゃるお道具も、素晴らしい。先生、いったいいくつ名物をお持ちなの。ホホホ。いつもながら、感服しておりますのよ」岡本先生が頬骨を持ち上げて言った。

「まあ、お恥ずかしい。お目だるい物を、そんなに褒めて頂いて。道具達も、襖の陰で冷汗を掻いているでしょうに。ホホホ。臼田さんも、お退屈様でしたでしょう。お若いのにねぇ、ご熱心だそうで、いつも岡本先生が褒めていらっしゃってよ」

朋子は、「まだまだ、勉強不足で、今日のような素晴らしい席、わたくしなど、分不相応で」と答えた。

「まあ、ご立派な受け答えをされて……」

お茶は、へりくだればくだるほど、立派と褒められる不思議な世界だ。

「ところで臼田さん、色川さんに、お電話番号をお教えしても宜しいかしら?」

「どうなの、朋子さん。良い方と思いますよ」岡本先生が言葉を重ねた。

「はい、よろしくお願いいたします」

「そう、良かったわ。では、私からお伝えしますね。お喜びになるわ」そう須藤先生は言って、胸元の懐紙を取り出し、受付のボールペンを構えた。朋子は。昂ぶった気持ちを抑え、電話番号を伝えた。

「どうぞ、どうぞ、宜しくお願い致します」岡本先生は、頬骨を高く持ち上げて、笑顔の頭を何度も下げた。


 どんなものだろうか、電話番号を教えた相手から、電話がかかってくるタイミングと言うのは。

お茶会の土曜夕方から、日曜の終日、電話と睨めっこして過ごした。かかって来なかった。

さてタイミングとしては絶好の、3日目4日目の月曜火曜は、早目に帰宅して、お風呂に入ることも訝(いぶか)った。かかって来なかった。

水曜日は、明日木曜のお稽古で、岡本先生に何と言おうかと、憂鬱になっていた。その日も、かかって来なかった。

電話待ち人色川純哉の、優しい笑顔と、口角から覗いた白い奥歯を思い出した。

嫌われたのか。

「お喜びになるわ」と須藤先生は言った。確かに言った。あれは何だったのだろうか。お愛想か、儀礼か。そんな暗い気分の時、ルルル…、ルルル…、電話が鳴った。

「はい、臼田です」朋子の声は、取り澄ましたものだった。

「朋子」

「なんだ、ママ、どうしたの?」

「あのなぁ、夜遅くゴメンな。おばあちゃんの様子が、ちょっと変ズラ、朋子。いつ言おうか、いつ言おうかと、思っていたズラが、ここんところ、だんだんひどくなって。あんた、金曜の夕方からでも、帰って来れるカヤ? お姉ちゃん達も土曜に帰って来るズラ」

おばあちゃんとは、『三国屋の女官様』の事である。繰り返す必要もないだろうが、母親に言わせると、朋子はその祖母に似ているらしい。

『三国屋の女官様』は、伴侶の祖父が健在な時は、臼田家の財布を握り、家事、親戚付合い、近所付合いなどに采配を振っていた。朋子の母親に財布と家政を譲ったのは、祖父が死んでからの事だ。朋子が東京の女子大に入った頃には、納戸を隠居部屋にして、ミニ冷蔵庫やテレビを持ち込み、整然と掃除されたそこに籠り始めていた。孫である朋子たち3姉妹に対して、優しいおばあちゃんであった。特に朋子は可愛がられた。しかし溺愛と言う訳ではなく、躾には厳しかった。

「ママ、おばあちゃんが変だって、どうしたダァ?」

「ボケが始まったズラ。いよいよボケが。半(なか)ら、しっかりしておりなさるんだが、ボケたことを言われるようになりんさって。それが、だんだんひどくなってなぁ。朋子、おばあちゃんが、しっかりしている時があるうちに、会っておいた方がいいズラ。あんたのことも、その内、分からんようになるズロ」

「あの、おばあちゃんが?」

「あんなに、キッチリした人が、ママも信じられんズラ。朋子、あんた、ボケたときのおばあちゃんを見たら、びっくりするズラよ。ママ、悲しい」と母親は涙声になった。朋子は、金曜と言わず、明日の木曜日の最終列車で帰ると告げた。祖母の事も心配であったが、電話を待ちわびる自分から、逃げたかったのだ。木曜日のお稽古を休む口実にもなる。嫌いな嘘で休まないで済む。

 松本で、特急からローカル線に乗り換え、実家に着いたのは深夜であった。おばあちゃんはもう寝ているから、会うのは明日にと言われた。「おやすみなんし」と2階の懐かしい勉強部屋に上がった。高校まで使っていたベッドに、ふんわり布団が用意されていた。 ベッドに滑り込むと、やはり電話の事を思った。

ひょっとすると、今頃になって、電話がかかってきているかもしれない。

しかしイライラを、自分でどうしようもなかったのだ。

それから逃げたかった。

だから、松本に逃げた。

でも、もう一日待てばよかっただろうか。ポケベルはこんな時に便利だ。そんな事を考えながら、深い眠りに落ちていった。

 起きたのは、午前6時半だった。

いつもより遅い目覚めだ。

電話の待ち惚けの疲れのせいだろうか。

父親はすでに仕事に出ていた。

朋子は洗面を済まし、母に連れられ、隠居部屋に向かった。

 母親は、敷居の前に座って、丁寧に襖を開けた。朋子はその母親の後ろに控えていた。隠居部屋からは、歯磨き粉と、石鹸と、シップの匂いがした。電動のベッドが、45度に傾き、そこに満面笑顔の祖母が座っていた。

扉付きの棚の上には、古風な人形たちが、定規で測ったように並んでいた。本棚のガラス戸には、指紋1つなく、障子からの緩い光を受けて、格子状に輝いていた。

「おかあさん」母親が声かけた。

祖母は母親には、自分のことをおばあちゃんとは呼ばせなかった。孫にとっては、自分はおばあちゃんだが、嫁にとってはおかあさんなのだ。ひどく拘っていた。一言添えさせていただく。年寄りくさく扱われるのを嫌がった訳ではない。祖母はそう言う人だった。

「おかあさん、待ちに待った朋子ズラ」

「朋子、よく帰ってきましたねぇ。早くこっちに来て元気な顔を見せて。さぁ、こっちにこっちに」祖母は上機嫌で手招きした。

「さあ、朋子、おばあちゃんの近くに行きマショ」ここで母親が言ったおばあちゃんは、朋子を介してのおばあちゃん。母親は器用に使い分けていた。

「おばあちゃん、元気?」朋子は祖母の手を握った。それは、乾いた手であった。

「元気ですよ。ただ、ちょっと足を痛めてしまってね。ゴメンなさいね、こんな格好で」

祖母は、寝たままの姿を恥じていた。銀色の髪は、裾こそ緩くカーブしていたが、生え際は、油をなじませ櫛目が走っていた。薄い化粧も、田舎の老婆のものではなかった。

「おばあちゃん、半年前に転びなさって、でも、今のベッドは便利でいいズラねぇ、おかあさん」便利なベッドとは、この45度に傾く電動ベッドの事であった。

「でもね、やっぱり歩けないのは不自由よ、朋子。……、朋子、またちょっと痩せました? ちゃんと、三度三度、ご飯を食べないと駄目よ。バランスよくね。料理はしているの。ああ、そう。野菜も摂っていますか? そう。朋子は、小さい頃、ピーマンが苦手でねぇ。おばあちゃん、小さく刻んだりして、騙し騙し、朋子に食べさせようとしたけど、あなた、5ミリのピーマンも全部分けてしまって、今思い出しても、分析屋さんのようだった。あれは、並みの人間に出来る技(わざ)ではないわよ。フフフ……」

「おかあさん、今日は、ここで、3人で、朝ご飯をいただきマショ」

「嬉しいわ。朋子、一緒に食べましょうね。朋子が好きだった野沢菜の甘辛炒め、用意しておきましたからね。おばあちゃんも、一緒に頂きましょうねえ」

 母親が、部屋を出てからも、祖母は朗々と話しを続けた。仕事は上手くいっているか、何時に帰っているのか、休みの日は何をしているのか、とかだ。問いを重ねて、孫の日常を想像し、身内らしい気遣いをしていたのだ。

「トレンディードラマって言うのでしょ、今流行っている番組。あれ観ていると、男女がすぐ、くっ付いたり離れたり、恋愛がお遊戯のように描かれていて、年頃の孫を持つ身には、ハラハラで、観ていられないのね。若いとね、若いといろいろ誘惑があるからね。朋子は都会にいるしね。あなた達が、派手な化粧や格好で、フラフラしていないか、心配しながらテレビを観ているのよ」祖母は、握っている手の力を、突然ギュっと強めた。

「心配しないで、おばあちゃん。大丈夫」

朋子は祖母の握力に驚いていた。腕も微かに震えていた。

「朋子、あなた、人に会う時は、お化粧をしないと駄目よ」

祖母は、色素の散った鼠色の瞳をギョロリと朋子に向けた。顔や髪がベタつくのが苦手な朋子は、その朝も素顔のままだった。

「結婚しても、旦那様が起きる頃には化粧を済まし、旦那様が寝てから化粧を落とす、その気持ちでね」

祖母は、朋子の手を離さない。朋子が手を引こうとすると、グッと引き寄せる。目は、涙だろうか、潤んでいた。その目を、探るように見ていた朋子は、言葉を探し出すように「もうすぐご飯ですからね」と言った。祖母は、朋子の言葉を意に介していないようで、話が飛んだ。

「おばあちゃんは、若い頃、御所に上がってのいたのよ」

得意の御所の話が始まった。話に脈略がなかった。本当に飛んだ。祖母は、やはり、少しボケているのだろうか。朋子は少し怖かった。

「御所は、きれいなところ。西欧の人形芝居を見るようでした。特にね、お正月の新年祝賀の儀の日は、おにぎにぎさんで、華やかでね。元日は、真夜中に起きて、旦那さん(女官の身の周りの世話をする下働き職員が、その女官へする呼称)にお化粧(しまい)をして、ドレスをお召しいただくのよ。そしてね、旦那さんをお見送りして、御(お)内(ない)儀(ぎ)にごあっしゃったあとはね、みんなで、焼がちん(御所言葉で餅のこと)と白味噌のお雑煮をいただくのね。本当に上品な味だったのよ。松本なんかでは、口に出来ない味なのね」

祖母の視線は、孫の顔から天井に変わった。

「儀式の日はね、煩(うるさ)い人がお局(女官が日常生活を送る空間。女官はお局から御所に通っていた)には、いなくなるのね。フフフ……。そこでね、そっと覗きにいくの、宮殿の方を」

涙のせいだろうか、祖母の鼠色の瞳が白くなった。本当に、白くなったのだ。朋子は、嘘を見ているのかと、もう一度、瞳を見た。白くなっていた。

「覗くなんてね、はしたなくてね、見つかったら大変なことになるのね。でもね、明治の頃から、お局の人たちは、覗きに行くのをね、お正月の楽しみにしていたのね。だからね、御学問所と宮殿を繋ぐお廊下を、遠くに覗ける秘密の隠れ場所が、昔からあったのね。お庭の陰にあったのね。聖上(おかみ)や皇后さまを見るとね、目が潰れるって言う人もいたのね。でも、目が潰れた人は、明治から1人もいなかったのね。……。朋子!」祖母は孫を呼んだ。

「なに、おばあちゃん?」

「天皇を見ても、目は潰れないズラ」祖母は天井から孫に白い視線を移した。

「そうね、潰れる訳ないわ」

「宮殿に続くお廊下は、ガラスがはめ込まれていてね、そのガラスは歪んでいるからね、お廊下の中は、水の底のように見えるのね。宮様や聖上の礼装姿なんか、おばあちゃんの目には入らないのよ。女ですからね。女ですから、皇后さまや妃殿下の、色とりどりのマント・ド・クールのお姿しか、目に入らないのよ。お裾を、学習委のお坊ちゃんたちにお持たせにならしゃてね、扇を長い手袋のお手にならしゃって、お廊下で、毅然とお出番を、お待ちにならしゃっていらっしゃるのね。お廊下の赤い絨毯の反射を受けて、おみ顔は薔薇色に染まって、あらしゃるのね。きっと、お廊下の中では、白粉や香水の匂いで噎せ返っていたでしょうね。絹擦れや、勲章のカチカチと重なる音で、溢れ返っていたでしょうね。おばあちゃんたちのいる秘密の隠れ場所には、その音は届いて来ないのよ。でもね、でも朋子、届いて来る音があるのよ。それはね、ネックレスやティアラに嵌め込まれたダイヤモンドの音がね、届いて来るのよ。ギラギラギラギラ、ギラギラギラギラ、皇后さまや妃殿下が少しお動きになっただけでね、ギラギラギラ、音がするのよ」

祖母の口から何度も聞いている話である。何度聞いても『絵巻物語』のようで、飽きない。

その日も同じ話だ。ただその日に限って、『絵巻物語』は少し不気味だった。

「朋子は、昔からいい子だった。一番可愛い孫だった。素直に言うことを聞いてくれて、末っ子だけど、我儘にならず、こんなに一番いい子に育った」と、祖母の話はまた飛んだ。零(こぼ)れそうな涙を、瞳に溜めていた。何を泣くのだろう。

「この在では、末っ子のことを、猫のしっぽなんて、酷(ひど)いことを言う。寒くて貧しい閉鎖された処だから、根性がみんな悪い。朋子、おばあちゃんは、御所にいたから、どこに行ってものけ者扱いされて、……、ワぁーん」

堪(たま)り兼ねたように、子供のように、祖母が泣き出した。朋子は驚いた。空いている手で、祖母が決して離さない手を撫でた。祖母は、ひとしきり、駄々っ子のように、ひとしきり泣いて、ズゥズゥズゥーと鼻水を啜ると、

「朋子はいい子だから、いい物を上げる」と言って、飾り棚の下段の扉を指さした。

朋子は、祖母の指を一本ずつ解き、棚の紫色の取手房の付いた扉を開いた。扉の中は、きれいに整理されていた。

「文箱があるでしょ? それを持ってきてね」

文箱は重かった。朋子は、祖母の膝に、黒漆の文箱をそっと置いた。祖母は、抱きかかえるようにして、文箱の蓋を開けた。箱の中は、宝石の付いたアクセサリーがギッシリ詰まっていた。それらは、樹脂の偽の宝石が付いたアクセサリーだった。駄菓子屋やおもちゃ屋や、祭りの屋台で扱う、安っぽい、子供騙しのアクセサリーだった。

「これはね、御所を下がる時に、皇后さまから頂いた宝石ですよ。少し減ったような気がするねぇ……。また盗まれたズラ。見つからないように、隠しているズラにぃ」

朋子は、祖母の顔を見た。口角に、泡が溜まっていた。泣いて緩んだ瞼が吊り上がり、縮緬皺をたてていた。白い瞳は輝いていた。その輝きは、目の色を銀に変えた。

「朋子には、このティアラをあげましょう」と言って祖母は、大きな赤と緑の偽の宝石がついた、プラスチックのティアラを朋子に差し出した。

「朋子、付けてご覧」

朋子は、折れないように細心の注意をして、祖母の言葉に従った。

「朋子、ちょっと手伝って。」

台所から母親の声がした。朋子は、祖母の手を擦りながら、

「おばあちゃん、大事にしているもの、ありがとう。ママが台所で呼んでいるから、ちょっと行ってくるね」と言って、立ち上がろうとした。祖母は、朋子の手を握り、行かせないように引っ張った。朋子は、宥めるように祖母の指を1本ずつ解いた。

 台所には、3つのお盆に朝の食事が用意されていた。味噌汁をよそっていた母親が振り向いて、

「朋子、おばあちゃんから、それ貰ったズロ?」と言った。

「皇后陛下に下賜されたって、おばあちゃんが」

「ママも、貰っているズラ。ヘェ、またおばあちゃん、ボケが始まったカヤァ?」

「ママ、いつもあんなズラ?」

「しっかり、しとりなさる時と、ボケる時と交互にあるズラ。この頃じゃあ、ヘェ、子供の時になったり、娘時代になったり、ここを御所だと間違えて、奇妙な言葉つかったり、朋子、分かったカヤ?」

「ちょっと、怖かったズラ」

「転びなさって、足悪くしたのは、松本の縄手通りに、あの我楽多のオモチャを一人で買いに行きなさったときズラよ。ママ、警察からの電話で、慌てて、松本の病院に駆け付けたズロ。いつから、あんな物、集めなさっていたカヤ? 朋子、お盆を運ぶのを手伝って」

 母娘(ははこ)は、それぞれにお盆を持って、隠居部屋へと廊下を急いだ。隠居部屋に近づくと、異臭がしてきた。

「ママ、変な臭いがしない?」

「ヘェ、確かに、臭いズラ」

「おばあちゃんの部屋からよ。」

2人の足は速くなった。隠居部屋から、泣声が聞こえて来た。母親が立ったまま、足で襖を開けた。異臭が廊下に漏れた。

「おかあさん、おかあさん。なんてことズラ。今までこんなこと、こんなことは」

朋子は、唖然として、隠居部屋の前に立ち竦(すく)んだ。

45度に傾けた電動ベッドに座っていた祖母は、布団を脱ぎ、ガウンのパジャマの裾を両足で開き、宛がっていた紙オムツを外し、そこに漏らした大便を両手に掴み、ワンワン子供のように泣いていた。パジャマも布団も、祖母の顔にも、大便が擦り付けられていた。

「まんず、どうすんべぇ、どうすんべぇ。まけ(御所言葉で生理のこと)だべぇ。まけたべぇ。叱られるべぇ。まけけい、お下がり所(血の不浄を嫌う御所において、生理になった女官や下働きの雑士が籠る場所)に下がらんといかんさねぇ。どうすんべぇ。叱られるべぇ、叱られるべぇ。かあちゃん、怖いズラ」

祖母は、そう言って、子供のように泣いていた。隠居部屋には、オモチャの宝石のアクセサリーが、キラキラ散乱していた。

 祖母が他界したのは、それから1年後の初夏だった。ボケと足の怪我は、どうしようもなかった。しかし、健康に恵まれた祖母は、徐々に息を浅くしながら、老衰でこの世を去った。多くの子供や孫、曾孫に囲まれて、静かに、この世を去った。『三国屋の女官様』の最後の言葉は「ありがとう。ご機嫌よう」だった。


 日が変わった火曜日の未明、朋子は「わぁ!」と言う自分の声で目が覚めた。目が覚めて、見回す景色がいつもと違った。ここは何処だろう? ここは、ここは、そうだ、セレモニーホールの2階控室だ。電気の灯明の、オレンジ色の薄明りの手前には、棺があり、それに並ぶように布団を延べて、わたしは寝ていたのだ。朋子は半身を起こして、薄く汗ばんだ額を撫ぜた。何か、夢を見ていたようだ。しかし、どんな夢であったか、遠い思い出のようで、分からなかった。朋子は、いざって棺に近寄った。夫の色川純哉は、そこにいなかった。……。ウソウソ、そんな展開にはしない。棺の中に、色川純哉は眠っていた。オレンジ色の薄明りを受けて、化粧をした顔に陰影が目立った。血が下がったのだろうか、色白な肌が凍ったようだった。実際、朋子がその頬に触ると、氷のようだった。死後硬直と言うのか、表情が厳しく、眉間や額に皺が寄っていた。何かを、真剣に考え込む時の夫にそっくりだ。朋子は、そんな事を思い出した。しかし、横に広がっている鼻腔の中には、白い脱脂綿が覗き、朋子の感傷を打ち払った。

 「あなた」と朋子は声をかけた。

「純哉さん。あなた、本当にあんなことで死んだの?」

おっと、これは、これは何と言うことだ。こんな、意味深長で重要な言葉を、作者の許しもなく口にしてもらっては困る。それも、眠気(ねむけ)眼(まなこ)で、こんなにあっさりと口にしたのだ。

朋子の口元を手で塞ぎたいぐらいだ。

寝ぼけたのか色川朋子!

お前は主人公だぞ!

少しは勿体付けろ!

こっちは、劇的な場面に精妙な大道具小道具を用意して、今だ! の勢いで口にさせようと構成を考えていたのだ、

作者は不意を突かれて動揺している。

このままでは、物語はあと数ページで終わってしまう。

もう、後には引けない。流れに任せよう。

「あなた。純哉さん。あんなことで、本当に死んだの? そんな訳ないわよね。わたし、きっと幻を見たのよね。だって、瞬間だったものね。見間違えたのよね………………」

主人公は、もう何も言わなかった。

色川純哉は、眉間と額に深く皺を刻んで、当然だが、口を開くことはなかった。

作者は、ホッとしている。

主人公は、物語の核心まで口にしなかったのだ。

核心を、勿体付けるのが物語の醍醐味ではないか! 

色川朋子は、幸い主人公としての立場を弁えているようだ。お陰で、抜本的な構成の見直しの必要はなさそうだ。救われた。

ただ、主人公が、言葉を続けられなかったのは、あんなことが、あんなこと過ぎて言葉に出来なかっただけかもしれない。

 朋子は、時間を確かめようと自分のスマートフォンのボタンを押した。午前3時だった。寝床に戻り布団を被った。棺と並んで横になっていると、2人して深夜の厳かな儀式の生贄になったようだった。明日がある。もうひと眠りしておかないと。朋子は遺影の純哉を見上げた。2人の最後の旅行で撮った写真だ。屈託のない明るい暖かい笑顔、優しい眼差し。その眼差しに「幻よね……」と朋子は言葉を投げた。


 ところで、物語を書く人間には、大切な心構えが必要である。物語に誘(いざな)っている読者に対して、いつのどの場面について、今語りかけているのか、立ち会って頂いているのか、それを明確にさせる心構えがである。この物語は、時空をぼかした幻惑に酔ってもらう部類のモノではない。(いつかは、そう言うモノも書きたいなぁ♪)通夜の月曜から告別式の水曜のまでの、2泊3日の話の中に、回想などを差し込んでいるだけだ。そのため、行きつ戻りつの災難に、読者を巻き込んでいるかもしれない。

純哉と朋子の、なりそめの話の整理をしよう。まず主人公の朋子が、見合いもどきのお茶会に出て、そこで紹介された色川純哉に電話番号を間接的に伝え、主人公はいらいらもじもじ電話待ち。そんな折に母親からの電話があり、主人公朋子は、実家の松本に帰った、そこまで話していた。

 朋子が、松本発の特急に乗って自分の部屋に戻ったのは、日曜日の深夜だった。

ワンルームの小さな部屋だ。

留守番メッセージのライトの点滅には、すぐに気付いた。

ピコ、ピコ、ピコ……。

朋子の顔に血が沸きたった。

色川純哉さんの電話だ、と直感した。女の勘は鋭い。それは卵巣(らんそう)で生まれるからだ。このライトの点滅は、彼女の心に染み入り、気分を解(ほぐ)してくれた。ずっと、気持ちのどこかで緊張が巣くっていたのだ。お茶会の夜から、松本発の特急に乗車している時まで、期待で、あるいは猜疑や諦観で、導火線の火は、強弱、変幻自在していた。がしかし、決して消えてはいなかった。火は、周りの酸素濃度や湿度で変化するだけだ。

 留守番メッセージのボタンを押すと、『ギャチャリ』と受話器を置く無言が5つ。6つ目のメッセージに、色川純哉の高い声が記録されていた。


 29歳の臼田朋子と31歳の色川純哉は、お付き合いを始めた。すでに語り済みだが、この2人は決して美男美女ではない。贔屓目に見て、月並みと言ったところだ。ここは誤解のないようにお願いしたい。ただ、たとえ、美男美女でなくとも、不細工でなくとも、何らかのドラマがある事も、知っておいてもらいたい。

何らかのドラマを紐解く前に、色川純哉が、1週間近く朋子に連絡をしなかった事が気になる。その経緯(いきさつ)を、書いておかなければ、読者もスッキリしないだろう。なに、別に複雑な心理の葛藤劇などがあった訳ではない。色川純哉から朋子が聞いたところでは、須藤先生から電話番号を受け取ったが、その番号が間違っていたらしいのだ。須藤先生が書き間違えたのか、朋子が言い間違えたのかそれは定かではなかった。何度かかけた電話は『現在使われておりません』であったそうだ。そこで純哉が須藤先生に連絡して、須藤先生が岡本先生に確認して、その逆の順を追って、純哉に正しい電話番号が伝わるのに手間取ったそうなのだ。

色川純哉について、話しておこう。

彼の父親は、教員として、実直な人生を送った人だ。最終的には、漁業が盛んな千葉県の市立中学校の校長を務めた。その中学校は、純哉の地元にある。つまり、純哉は校長先生の息子として、衆目を浴びながら育った訳だ。

色川家は代々、安房の小藩の殿様の脈を取る家柄で、父親の代に分家していた。純哉は、謹厳実直な血筋の、延長線上の1人であった。

地元の千葉県立高校を卒業後、横浜〇△大学の文学部でフランス文学を専攻した。卒業論文は『マルキ・ド・サドの文章構成における幾何学性についてとその考察』と言うものだった。

ここで、色川純哉の自己紹介代わりに、本人が朋子に語った『卒業論文』について、本人が使った語彙をそのまま交え、要約して披露しよう。するとこうなのである。

『サドの文章構成は幾何学的で、シンメトリーに配置されたなフランス庭園に似ている。エピソードの挟み方も、索引別の百科事典と見紛うばかりに整然としている。このため、サド作品は背徳のピカレスクロマンでありながら、明晰で、理知的で、端正で、ある意味、健全な気風に満ちている。ただし、この幾何学的表現は、技法の未成熟に由来するもので、18世紀までの世界一般の文学作品に散見される稚拙な手法である。ただ、瞠目すべき事実がある。それは、日本文学に、同様の表現手法を使った作品例が少ない事である。日本人は、五七五七七を基調に、場当たり的で、情のおもむくままの表現を好んだ。この嗜好を反映した日本文学は、サド作品と比べると、瞑想的で、衝動的で、自己陶酔的である。少なくとも文章構成においては、不健康な傾向さえ感じられる。日本人の気質が、気候風土の影響を受けたものだとすれば、この島国の土壌は、明晰さに欠け、陰湿な仄暗さに覆われていると考察する』

純哉の卒業論文『マルキ・ド・サドの文章構成における幾何学性についてとその考察』は、このように、サドで始まり日本の風土の特性をもって終わっていた。分かったような、分からないような支離滅裂な青臭い内容であった。ただ、1つ分かった事がある。純哉は、どうやら理屈っぽい男のようだ。

 純哉の文学への傾倒は、幼少の頃の空想好きに端を発するらしい。ただ彼は、空想好き少年にありがちな、引っ込み思案ではなかった。2つほど逸話をあげておこう。

中学生の時、文芸部の部長をやっていた。少年純哉は、その文化部で同人誌を作り、校内や身内に得意顔で読ませていた。しかしそれだけでは満足出来なかった。彼は、電車に乗って東京に行き、出版社で熱心に同人誌を売り込んだのだ。「これは間違いなく売れますよ」と。無鉄砲な武勇伝だ。

高校の文化祭では、実行委員長になった。彼は、今までにない派手な文化祭を夢見た。そのためには資金が必要だった。通年の3倍の寄付金を集めようと考えた。そこで、2流の大漁旗を先頭に、手作りの幟を立てて町の商店街を練り歩いた。幟の文句は『文化隆盛・商売繁盛・大漁御礼』残念ながら、世間はそんなに甘くなく、資金調達は失敗に終わった。が、分かっていただけたであろうか? 純哉は熱い人間だったのだ。熱い思いで行動する人間だったのだ。顔立ちはやはり地味。子供の頃から地味。そんな熱い思いを秘めている気配は微塵もない。ただ、周りを巻き込み纏めるのが上手い。年齢にしてはよく気が付く。心優しい。そのうえに非常に真面目。言い過ぎかもしれないが、親分肌の気概があった。およそ純哉の雰囲気ほど、任侠じみた言葉が似合わない者もいない。しかし、「親分!」と慕いたくなる気配があった。流石は校長の息子なのだ。大学を卒業して、漁業が盛んな地元に戻っていたら、市会議員ぐらいには、楽になっていただろう。

しかし純哉は、横浜〇△大学仏文科を卒業すると、東京都の上級公務員試験に合格し、都の職員になった。

彼が最初に配属されたのは、生活文化局の総務部。それから広報。広報から都民生活部。都民生活部から文化振興局。純哉は、配属が変わるたびに出世を繰り返し、最後は文化振興局の部長にまでなった。それを幸運だと言ったのは純哉自身だが、真面目、纏め上手、心憎い気遣いが、彼を引き上げたのだ。朋子と、お茶会で知り合った頃、純哉は総務部に所属していた。その頃の彼は、ゆくゆくは、文化振興部で大鉈を振りかざしたいと言っていた。夢がかなった訳だ。

純哉について、最後に1つ話しておきたい事がある。彼は、虚弱体質であった。非常に色白な男で、それは病的な白さ。髪や眉や髭などが濃いせいもあって、白さは悪目立ちしていた。

 幼い頃から、はしゃいで遊ぶと、胸元が苦しくなり、脂汗をかく事があった。しょっちゅうではない。稀にである。ただ、小学生の時に、かけっこで、胸苦しさと脂汗、その上に咳が止まらなくなった時は、周りを慌てさせた。今までにない重い症状だったからだ。純哉は、病院に運ばれた。心電図をかけてみた。一部の波動の周期に異常が確認された。

「これはですねぇ、おかあさん」と心臓科の医師は説明した。

「動脈の血液と静脈の血液が、健全に循環していない状況ですなぁ。心臓の筋肉に問題があるのかもしれませんなぁ。体質です。まあ遺伝的な要因かもしれません。おかあさん、そんなに、びっくりなさらないで下さい。断定して言ってはおりません。まあ今後は、出来るだけ静かな生活を心がけていく事が大切ですなぁ。スポーツですか? 軽い運動は、ある意味いい事です。軽い運動ですよ。食事ですか? おかあさん、そんなに青い顔をされて・……、お気持ちは重々察しております。ただ、そんなに恐れないでも大丈夫です。そうですなぁ。過度な塩分や脂っぽいものは避けるべきでしょうなあ。特に肥満は、純哉君のために、よろしくないでしょうからなぁ」

それから医師は、心電図のグラフを、顔色の悪い母親に示し、次のように説明した。

「ここの間隔ですなぁ。一般の方には、分かりにくいでしょうが、ここですここに問題があるのです。ただ、今日か明日かと言った重篤なデータではありません。今のところ、日常生活はいかがですか? つまり支障とかは? はぁ、そうでしょうなぁ。どうぞ、そんなにご心配なく。一先ずは、投薬治療を行いながら経過観察をさせてもらいます。定期的に通っていただけますか?」

と言う次第で、純哉は、生涯にわたり、心臓の定期検査を行い、薬を飲み続けた。


物語の登場人物の、人となりを書いていたら、キリがない。第一、純哉の事は、彼の虚弱体質の話題を最後にすると宣言もしていた。ここは、覆水盆に返らずと決め、話をドンドン進めていこう。


純哉と朋子は、お付き合いを始めて、4か月になっていた。ひと夏は過ごしていた。だが、マリンスポーツなどに興じる2人ではなかった。デートはもっぱら土曜日。映画や美術館巡り。時折、贅沢な食事を楽しむ、そんな内容のお付き合いだった。

2人が合う時、純哉は、ジャケットを片手にポロシャツかカジュアルシャツ、それにチノパンかジーパンが定番のスタイル。ブランド物を身に着ける志向は持っていなかった。朋子は、気が向けば着物も着たが、通常は、こわごわ流行を取り入れた、例の頑張っているスタイリング。2人が並んで歩けば、女性の標準より背の高い朋子と、男性の標準よりやや小柄な純哉は、同じ肩の高さであった。

朋子は、この4か月で、純哉に何となく可愛らしさを発見していた。そもそも、童顔でお坊ちゃんぽい雰囲気があった。俗に口にされるとっちゃん坊やとも言えた。ただ、靴の踵さへ減っていない男に、放っておけない、わたしがいなければ駄目かもしれない、などと気を揉む感覚はなかった。そうでなく、真面目過ぎるところに不器用さ、理屈っぽいところに子供っぽさを感じたのだ。これが、妙に朋子の気持ちを擽った。

わたしのことはどう思っているのだろうか。朋子の気持ちだ。当然の気持ちだ。ご存じのように、朋子自身も理屈っぽい。だからと言って、男が女の理屈っぽさを、良いように解釈するのは稀だ。朋子は、熱に魘(うな)されたような甘い囁き、歯の浮くような決め台詞、そんなものは望んでいなかった。遠回しでもいい、何か、気の利いた一言が欲しかった。純哉の内側に情熱がない訳ではない。むしろ、何となくだが、情熱的な人ではないかと思っていた。なのに、2人の間に、紙一枚だけ挟まっているようだった。もどかしい。できる事なら、2人の情熱で紙を燃やしたい。そう思う朋子だが、純哉が、朋子の瞳に緩(ゆる)く甘い視線を射る瞬間があった。前々からだ。確かにあった。抜け目ない女の観察。彼女は、その視線に縋っていた。ただ、視線の緩い甘さに比べ、純哉の態度は淡々としていた。あの視線は、能天気な自分の思い込みだろうか。作者は男なので、余計な一言を差し挟みたい。朋子が、緩く甘く感じた視線は、多少ながら男のスケベな視線ではなかったか。確かに、スケベな視線と好意ある視線の見分けは難しい。スケベな視線と好意ある視線は同じ、とも言える。繰り返す。スケベな視線と好意ある視線は同じ、とも言える。男の視線に適応力のない朋子が、万が一、幻想を抱いたとしても、何ら不思議はない。29歳の、少女のような、いじらしい、心の駆け引きだ。そして朋子は、重ねて、祈るように切望した。映画のような、テレビドラマのような、あるいは流行歌のような物語はいらない。4か月も経っているのだ、一言何か欲しい。ただそれだけ。純哉さんには、内に隠した熱いものがある。間違いなくある。冷めた人ではない。なのに、その熱いものを自分にぶつけてくれない。朋子の不満だった。ハッキリしない男への不満、駆け引き、苛立ち、それらはなぜか朋子を昂ぶらせた。朋子をではなく、朋子の卵巣を、なのかもしれない。箇条書き出来そうな朋子でさえこうなのだ。女稼業も大変だ。とにかく、朋子のもやもやは、全部ひっくるめて、導火線の煙だ。目に染みる。涙が出る。


これから、10月下旬のある土曜日の、2人のデートの挿話を挟む。

その日は、少し汗ばむ陽気だった。朋子は、いつもより、タイトで、19センチ丈の短いスタートを履いた。前日の夕方立ち寄った、駅ビルのブティックで、販売員に「脚がきれいですから、少し冒険をされては」と薦められたスカートだ。その日のデートの目的は、新宿のあるデパートで開かれ、話題になっていた『井戸茶碗のすべて―井戸の名碗が一堂に集結―』に行く事だった。朋子は、スカートで冒険をしたためか落ち着きがなく、待ち合わせのフルーツパーラーのウインドウに、何度も自分を映しては、人目を忍んで、スカートの裾を引っ張っていた。

そこへ、純哉が駅側から歩いて来た。

朋子に近づく。

彼の瞳孔は開いていた、ように見えた。

朋子は、ストッキングは履いていた。

ただスカートのスリットが、微妙に広がっていた。

そのスリットの微妙な広がりが映るフルーツパーラーのウインドウを、純哉は凝視して近づいて来た。

朋子は「しまった」と焦った。品のない恰好の自分に、純哉はたじろいでいるのだ。臆病風が吹いた。

「似合っているじゃあないですか」

それが、純哉の第一声だった。

からかわれているのかと思った。

「すみません。年甲斐もなく」

「いいや、いいえ。素敵です。よく似合っています」

純哉の声は低かった。あの高い声音ではない。それに、なんだろう、丁寧さが匂った。

「何か、食べに行きましょう」

2人は並んで、デパートに向かった。純哉は、やや胸を張っているように見えた。

 食事に入ったのは、デパートの本館7階にある高級料亭だった。

2人は、すでに個室の席に座っていたが、

「こんなに高いところ、初めてよ」と朋子がメニューを見ながら両肩を持ち上げた。

「いいんです。今日は、僕のおごりですから」

「そんな、悪いわ。それに、そんな金額じゃあないのよ。2人で3万は超えるわよ」

朋子は、世帯じみた心配をした。

世帯じみた心配? 

これも、導火線のジリジリだろうか。深情けの、母性のような気遣いだった。

「分かっているんです。大丈夫です。おごらせてください」

 コースは、朋子が選んだ。中ランクの『竹雀御膳』だ。安いコースの『梅鶯御膳』は、純哉に失礼かと、慮(おもんばか)ったのだ。純哉は、心臓の件もあり、酒は飲まない。朋子も、好きな方ではない。2人は、水を含みながら、京懐石を楽しんだ。

先附は、こんな感じだった。

楕円の後藤塗りの板に、手前やや左に黒塗の長方形の箱が鎮座。その向こうやや右手に、白に銀の縁取りをした脚つきの深い磁器が、金の縁取り紙の上に起立。

鎮座している黒塗りの箱は、3つに区切られていた。それぞれの区切りの中に、1枚ずつ、計3枚の皿が仕込まれていた。向かって左の銀の皿に唐墨に味付け松(まつ)笠(かさ)慈姑(くわい)と零余子(むかご)の黄金揚げ。中の赤い皿に柿の白和え。右の金の皿にあん肝のポン酢かけ。

脚つきの白い磁器には、百合根のポタージュ。そこに梅肉を浮かべ、先附全体のアクセントにしていた。

 椀はこうであった。

会津大平椀に、簀(す)巻(ま)き豆腐、穴子の付焼き、色取りに隠元、吸口に青柚子、薄葛仕立て。

 向附となった。

藤色に紺の縦縞の、中居風情の給仕の女性が、うやうやしく真塗の板を捧げて、個室に入って来た。そして、テーブルの真ん中に、「さあ、いかがですか」と言わんばかりの得意顔で、その板を置いた。板の上には、秋の海辺の風情が演出してあり、鏡のような黒い板に2重映りしていた。

板の対角線上の両端に、両客それぞれの盛り付けがしてあった。鯛の昆布締めに、坂本菊の和え物・岩茸を添え、帆立の刺身も斜に控えていた。

板には、取っ手付きの盛物も2つ乗っていた。錆竹の器だ。中に青磁の猪口を仕込んでいた。猪口には、伊勢海老の数の子散らしに、針大葉が添えられていた。

その2つの取っ手から取っ手にかけて、桂剥きした大根が、網目の飾り包丁で、渡されていた。網には、楓に型抜きした人参が散らされていた。オゴ海苔やトサカ海苔も多すぎず少なすぎず。その色取り、立体感、板の上は箱庭のようであった。

「まあ、きれい」と朋子は溜息をついた。給仕の女性は、満足そうに微笑んで個室を出ていった。純哉は、その退室の後姿を横目に、

「本当に、きれいだと思うんですか?」と呟いた。純哉は、薄い唇を尖らせ、鼻腔を広げ、板の上を見下ろし「これは、一流の板長がすることではないんだ。もし一流の板長が作ったのなら、僕たちを馬鹿にしているんです」と言った。

「えっ?」

「あっ。ごめん。ごめんなさい。食べる前に、変な事を言って」

「純哉さんの、こだわり屋さんは慣れっこになっているから、大丈夫よ。今じゃあ、少し面白いって思っているくらいよ」

何を朋子は言っているのだろう。朋子そのものが、お茶の細かいが決まり事や、些細な手順の矛盾が気になるこだわり屋さんではないか。

「そうなんですか。アッハハハ……。じゃあ、続けていいですね」

「はい、どうぞ。それに、冷めるお料理でもないし、フフフ……」

純哉に調子を付けてしまった。理屈っぽい上に、お茶をやっていていた。料理の盛り付けには煩いだろう。朋子も、お茶を嗜んでいた。彼女も好きな話かもしれない。

「料理は、目で楽しむって言うけど、やり過ぎはねぇ……。これだけのお店なんだから、悪い材料は使っていないと思うんだけど、ここまで奇を衒ったことをされたら、客の中には『何か誤魔化している』と、斜に構えてしまう人もいるはずだ。そう斜に構えさせただけで、板長は失格。勘違い板長って訳だ」

純哉は、実に愉快そうに話し続けた。

「この板の上に、秋の海辺の演出をしているんだろうけど、紅葉は頂けないね。秋に紅葉かぁ……。山と海が、引繰り返えっている。浦の苫屋は『見渡せば花も紅葉も無かりけり』だ。海辺には、花も紅葉も、歌に仄めかした気配すらあってはいけない。秋だから紅葉。発想が安易で安直。その安っぽさで、客のこっちが、穴があったら入りたいぐらいだ」

「フフフ。純哉さんにかかったら、一流店も、慚愧(ざんき)に堪えない、って感じね」

「ハハハハァ。朋子さん、難しい言葉知っているんだね」

「純哉さんに負けないように返事しないとね。フフッ」

「そんな、ひねくれた話をしている?」

「まあ、そうね。でも、面白いわ」

そんなに、面白い話だろうか? 恋は盲目、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)、とはよく言ったものだ。作者にはただの、あら探し、イチャモンにしか思えないのだが。おっと、純哉が口を開き始めた。

「次にね、この錆竹の器なんだけど、伊勢海老は確かに、中に仕込んだ猪口に盛ってあるよ。錆竹に直接触れてはいないよ。だけどね、生ものに、立ち枯れの錆竹はいただけないんだよね。かと言って青竹では、海辺って感じがしない。だったら、百歩譲って、白木作りの小舟くらいがいい。それなら許せる。それに、この飾り包丁の大根と、型抜きした人参。これが、不衛生さに拍車をかけているんだ。こんなもの、手をかければかけるほど、汚らしい。料理人だって、陰で何しているか分からないからね。手は、あれもするし、これもする、汚いものだ。その手で、こねくり回せば回すほど、料理は汚(よご)れるんだ。料理は、手際よくあっさり盛って、洗練を極めないとね。こんな、騙し絵のような、上っ面だけの、ゴテゴテした演出は、食べ物を汚(けが)すだけなんだ。一流がやることじゃあないんだよね。この大根、使い回しじゃあないだろうね」

「純哉さん、そろそろ箸付けてもいいかしら」

「本当だ。馬鹿の戯言はこれぐらいにして、食べよう、食べよう」と言って、純哉は鯛の昆布〆を煎り酒に付けながら、

「宗旦(利休の孫)がね、『掻(かい)敷(しき)』(料理の下に葉っぱなどを敷くこと)を嫌ってね、ミミズが出てきそうだって言ったぁーんだよね」と、また余計な一言。

「まあ、やめてよ」

「ごめん、ごめん。生もの食べてて、ミミズはないよね」

朋子は、眼鏡のツルを、中指で持ち上げて笑い返した。彼女は、純哉の話を聞きながら祖母を思い出していた。似たような話しがあった。祖母、つまり『三国屋の女官様』は、口にするものに極めて神経質であった。人に合わせる事を厭わなかった祖母だが、自らが口にするものには、どうしても妥協がなかった。そのため、外食や旅行の時は、店や旅館の選定に、家族は非常に気を使った。特に、にぎり寿司は「見ただけで、気持ちが悪い」と毛嫌いしていた。そんな事を思い出していたら、

「僕たちが嗜んでいる、お茶ってやつ、あれは不衛生なものだと思うんだよね」と純哉が切り出してきた。朋子が、驚いた表情で純哉を見た。彼は慌てて、

「あっ、ごめん。また変な話を始めちゃったね。ごめん、ごめん」と謝った。

朋子は、お茶と不衛生と言う組み合わせに、ハラリと、何か殻を剥がされたような気がした。趣味と言うものは、深まれば深まる程、言うに言われない鬱積が生まれる。特に、朋子のように、理屈っぽく、拘(こだわ)れば拘る程だ。お茶と不衛生と言う組み合わせは、彼女の内々にあった、鬱々としたものへの謎解きのヒントのように響いた。

「純哉さん、それ、わたしも同じようなこと、感じていたかもしれないわ。触れてはいけない領域だから、こう、自分の心の中で、言葉に出来なかったような、しなかったような、仕舞い込んだような、そんな話だわ。続けて」

「じゃあ、お言葉に従って続けるよ。あの袱紗ってヤツ、道具を清めるための布だけど、本当は、道具を汚していると思わない? 朋子さんは、袱紗、何年使っている?」

「分からないけど、5年ってレベルじゃあ、ないわ」

「そうだよね、僕は、10年近く同じ袱紗を使っているよ。袱紗の色って、邪気を払う色だそうだけど、もし純白だったら、手垢と汚れで、雑巾のように見えるだろうね」

「そうそう、洗濯できないですものね。気になっていたの」

「僕は、洗濯をしたこと、あるんだよね」

「やっぱり」

純哉は頷いたあと、こう続けた。

「型崩れして、もう使い物にならなかったんだ。しょっちゅう、買い替えるって訳にも、いかないからね。いい値段するからねぇ。それに、新品は手に馴染まない。手に馴染んで、掌に吸い付くようになるには、何年もかかるよ。それに、吸い付くようになったら、相当汚れている訳だよねぇ。やっかいなんだよね」

「言いえて妙だわ」

「茶道具は、洗剤とか、基本は使って洗わないよね。あれ、何だろうね。手垢で汚して、風格を出すためだろうか? 洗剤を使うと、割れるとでも思っているのだろうか? 不思議なんだよね」

 京懐石は、手際よく進んでいた。純哉は、料理に文句を言わなくなっていた。その分、お茶談義には、熱が入っていた。

「水屋(茶会などで裏方の雑務を行う場所)でやっている事なんか、酷(ひど)いものだよ。茶道口の敷居なんか、清浄と汚猥の境目、建前と本音の境界線って言ってもいいよね。例えば、お菓子を菓子器に箸で盛るよね。でも、お茶って見た目が勝負だから、ミリ単位でお菓子の配置を微調整するよね。その時、指先を使う人がいるよね。そんな人のエピソードなんだけどね、お茶会の手伝いに行くと、必ずと言っていいほど、うるさ型の御見付け役がいるよねぇ。これは、昔の話なんだけど、あるお茶会に案の定、御目付け役のおばあさんがいてね、さあこれからお茶会スタートって時にね、そのおばあさんが、お茶室の掃除の点検を始めたんだ。点検していたらね、床框(がまち)に小さな埃を見つけてね、指先で取ろうとするんだけど、おばあさんの肌は油っ気がないから、指に埃が貼り付かなくてね、いらいらした挙句にね、唾を指先につけてね、こうだよ」と言って、純哉はテーブルを指先で撫ぜた。

「それで、そのおばあさん、手を洗うわけでもなくてね、今度は、水屋に入って、お菓子の盛り具合の点検が始まったんだよね。そこで、指先で、ちょちょいのちょい」

「有り勝ちな話だわ」

「だいたいね、お客さんが使った茶碗も、丁寧に洗って、次に出す水屋なんか、滅多にないよね」

「お茶会って、案外忙しいから、気が回らないのよ」

「それにしちゃあ、着物の着崩れとか、化粧崩れとか、姿見の前で念入りにチェックしているよ」

朋子は笑った。

「とにかくだよ。お茶って全体的に、薄汚れたイメージがあるんだよね。水道の流し洗いなんか、しないからね。昔からこうしていたとか、道具が蛇口に当たって欠けるからとか、尤もらしい理由で、胡散臭い壺や盥(たらい)の水を掬って洗うよね。あの壺や盥自体が、汚い。不衛生。あっ、そうだ、御目付け役のおばあさんの逸話が、もう1つあった。これはまた、別のお茶会の手伝いに行った時の話だけどね。息の臭いおばあさんがいてね、そのおばあさんが、御目付け役なんだけど、干菓子盆をね、ハァーハァー息をかけながら磨いていたんだ。何がそんなに気になっているのか、取り憑(つ)かれたように磨いていてね、また息の臭いが凄いから、魔女が鏡に呪文をかけているようだったよ。あの臭い息で磨いた菓子器に、菓子が盛られて、それを客は食べるんだからね……」

 京懐石は、デザートになっていた。極上のメロンだった。純哉は、ほうじ茶を飲みながら、「終わりよければ、すべて良しだね」とメロンに敬意を払っていた。

「朋子さんは、どう思う。濃茶の飲み廻し?」話は、またお茶の話題となった。

「あれねぇ、あれ、少し気になるわ。一座建立って言っても、無神経な感じがしていたのよ。赤の他人と同じ茶碗で飲み廻すのは、如何かなぁって。利休の頃は、そうそう、素性の知れない人と同席はしなかったと思うのね。でも、現代のお茶会なんかでは、何処の誰って人と飲み回すわよね。あれ、いただけない感じよ。わたし、本当は、蹲(つくばい)の柄杓だって、気持ち悪いの」

「蹲の柄杓かぁ。そこまで気が付かなかったなぁ」

 京懐石は、料理とお茶の衛生論議で盛り上がり、無事終了した。純哉は、心臓の薬をゴクリと飲んだ後、カードで会計を終えた。

「純哉さん、本当にご馳走様。今度は、私に何かおごらせてね」と朋子は、礼を言った。

「僕たち、そんな関係じゃあないよ」

純哉の言葉に、朋子は熱くなった。初めて聞いた朋子の心をくすぐる台詞だった。導火線の火が、どうなったかは、書かなくてもいいだろう。

「ここのお店、グラスが少し臭ったね。やっぱり一流じゃあないんだよね」

純哉は、暖簾を潜りながら、小さな声で耳打ちしてきた。

 高級料亭を出て、2人はそれぞれトイレに行った。朋子は、歯を磨いた後、化粧を直した。女の食後のトイレは長い。待たしてはいけない。朋子は自分を戒め、ハンドバックを閉めながら、純哉のもとに「ごめんなさい」と急いだ。「いいえ」と言う純哉の薄い唇から、歯磨き後のペパーミントの匂いがした。

 『井戸茶碗のすべて―井戸の名碗が一堂に集結―』それは見事な美術展であった。井戸の名碗を、21碗。よくぞこれだけ、新宿のデパートに集められたものだ。主催者の情熱に敬意を表する。展示のメインは、言うまでもなく『国宝喜左衛門井戸』だ。特等席に鎮座していた。『喜左衛門井戸』を取り巻く茶碗たちは、その1碗だけで美術展の主役になれる名だたる逸品。その逸品の重要文化財・重要美術品達は、『国宝喜左衛門井戸』に気を抜かれ、右顧左眄(うこさべん)している、そんな有様の美術展だった。2人は、たっぷり1時間半、井戸茶碗を堪能しなかった! ……。実は大変だったのだ。朋子は美術展どころではなかったのだ。

事はこう言う次第だ。朋子は、暗い会場で、しばしば純哉が横にいない事に気が付いた。どこのウインドウの前に貼り付いているのかと、会場を見渡せば、朋子から5歩ほど離れた後ろの位置から、彼女の姿を眺めていたのだ。1度や2度ではなかった。何を、この薄暗い展示場の照明で、純哉は眺めているのか……、朋子は純哉の視線の穂先を探した。そしてハッとした。眺めていたのは、自分の脚だった。特に、腿の辺りを視線は揺れていた。照明の薄暗い光に、生白く浮かび上がっている朋子の脚を。純哉さんは、わたしの脚に気が向いている。あの生真面目な純哉さんが……。それは、恥ずかしいような、いたたまれないような、少し残念なような、それにもまして嬉しいような、複雑だが、やっぱり嬉しい感じであった。朋子は、純哉の気をもっと惹こうと思った。彼女は立ち止まると、片方の脚に重心を置き、もう片方の脚は、微妙にくの字に崩した。パンフレットをわざと落として、思い入れたっぷりに、しゃがみ込む芝居も3度した。湾岸のディスコで、A子B子のマイクロミニのスカートから覗いていた脚の媚びを思い出した。自分も同じような事をしている。誰よりも朋子自身が驚いていた。それは、ちょっとした忍耐が必要な作業であった。

 2人は、それぞれに、ぐったりとして美術展を後にした。

「お茶でも飲んで、休憩しましょう」純哉の提案だった。デパートを出て、新宿通りに面している地下の喫茶店に入った。甘党の朋子は、コーヒーに砂糖とミルクを入れた。純哉は、ブラック。

「『喜左衛門井戸』は、すごいね。偉大なる凡庸だ」早速、純哉の談義が始まった。彼は、仏文科を出たせいでもないだろうが、意外性のある、効果的な単語を使う事を好んでいた。

「偉大なる凡庸? 面白いこと言うのね」

「いや、今日ね、あれだけ井戸茶碗が一堂に会したからね、そこで『喜左衛門井戸』だけが、なぜ国宝なのか、突き詰めてやろうと思っていたんだよね」

「それで、偉大なる凡庸に結論付いたの?」

「そうなんだ。重要文化財の茶碗はね、面白味があってね、ペラペラ、いろいろとこっちに語ってくるんだよ」

「茶碗が、何言っていたの?」

「ほら、見て見て、ココがああでしょ、こうでしょ、素敵でしょ、平凡ではないでしょ、その辺の茶碗と一緒にしないで、ってね。とにかく雄弁なんだよね。確かに茶碗達が言う通り、奇抜に捩じれていたり、釉薬がムラだったり、石が弾けたり、土があからさまに覗いたり、入(にゅう)(茶碗のヒビのこと)が大袈裟だったり、雨漏り(ヒビに入った茶などが、滲み出てシミとなった現象のこと)があったり、茶碗は自分の見所や面白味、チャームポイントをよく分かっていて、ペラペラ捲くし立ててくるんだよね。でも『喜左衛門井戸』は、黙して語らず。捻(ひね)りがあっても主張せず。謙虚、初心。ザ・イドチャワン。じっと黙って、そこに在るだけ。プラトン的に言えば、天上の茶碗ってとこかなぁ~」

「まあ、純哉さん、また訳の分からないこと言ってくる。何? プラトン?」

「例えば、ここにコーヒーカップがあるね。じゃあ、これこそがザ・コーヒーカップって言う、永遠不変のコーヒーカップって、なんだと思う?」

「永遠不変の、ザ・コーヒーカップ?」

「そう、それが本物のコーヒーカップなんだよ。さぁーて、何だ?」

「それがプラトンと関係があるの?」

「大ありさ。イディア論って言うんだ。今、朋子さんの頭の中に、コーヒーカップのイメージがあるとしよう。割れも欠けもしない、完全完璧の、像(イマージュ)のコーヒーカップがね。」

「はい……。頭の中にあります」

「その像こそが、天上のコーヒーカップ、永遠不変のコーヒーカップ。完全無欠のコーヒーカップ。ザ・コーヒーカップ。そして、目の前にあるコーヒーカップは、その永遠のコーヒーカップの、模倣なんだ。ゲーテの亜流だな、こりゃあ。ハハハァ」

「狐に化かされたようなお話しだわ。それ、きれいなお伽話だけど、飛躍し過ぎよ」

「いいじゃないですか。飛躍でも、童話でも。『喜左衛門井戸』には、茶碗の何かが、茶碗の気持ちかなぁ、とにかく何かが昇天して凝縮しているんだよ。凡庸、謙虚、初心で、あれこそ、ザ・イドチャワンだ」

朋子は、分かったような、分からなかったような、そんな気持ちを、片方の口角だけを持ち上げる微笑で主張した。

「天上の茶碗はさておいて、わたし、もう暫らくは、井戸茶碗を見なくてもいい感じよ」

「そうなんですか、僕は、まだまだ見れますよ。でも、朋子さんの言っている意味も分かるんです。ちょっと、やり過ぎですよね。ああまで、井戸茶碗ばかり並べられるとね。芥川の『芋粥』だな……。考えようによったら、悪趣味な展示ですよね。井戸茶碗の良さが半減してしまっているんですよ」

「ええ、まあ、でも、そう言う意味だけではないの。正直言いうと、わたし井戸茶碗の良さがわからないの」

この朋子のコメントに続いて、純哉は井戸茶碗の良さについて、喋り捲るだろう。間違いない。あれだけ、理屈っぽく、こだわり屋の男だ。黙ってはいない。同じように理屈っぽい朋子、そして純哉に好意を持っている朋子には、面白い話になるかもしれない。ただ作者や読者は、聴くに耐えられるだろうか。ともかく純哉の話を拝聴する前に、井戸茶碗について、話しておいた方がよさそうである。

 『一井戸 二楽 三唐津』これは、茶碗の番付である。茶碗は、何を差し置いても、井戸茶碗が一番いいと言っているのだ。心技体、井戸茶碗は横綱。大振りで、ずんぐりしている。釉薬の琵琶色は、お茶の緑によく映える。そもそも、これは日本の茶碗ではない。朝鮮の庶民が使っていた雑器なのだ。ご飯よし、副菜よし、汁、酒、油、水、何を盛っても注いでもいい、オールマイティーな庶民の器だ。気を使って轆轤を回したのではない。盛ったモノが零れなければ、それでいいと焼かれた器だ。左右の均等や、釉薬のムラなど、どうでもいいと焼かれた。媚びたりしていない。悠然と、力強い。展示されていた茶碗は、1400年から1500年の間に焼かれたモノだ。

そんな器が、日本の茶人の目に留まった。侘び茶が大流行していた安土桃山時代の頃だ。侘び茶と言うのは、権力者や富豪が、金殿玉楼をバックに、貧しい庶民の真似をして遊ぶ、酔狂な道楽だ。あのマリーアントワネットが、プチトリアノンで百姓のママゴトをしたのに似ている。

茶人は、侘び茶を楽しむために、朝鮮から庶民の雑器を取り寄せた。板子一枚の下は地獄。つまり危険な船旅をさせて、万金を積んで、庶民の雑器を取り寄せた。その雑器以上に、最適な風情の茶碗はなかったからだ。それだけの理由で取り寄せだ。本当に酔狂なコトだ。取り寄せて500年、茶人はそれを弄んだ。撫ぜ、頬擦りし、お茶を点て、お茶を飲み、茶渋が付き、眼垢を付け、手脂で汚し、粗相をしてヒビを入れ、またヒビを広げ、そのヒビにお茶が染み込んで、染みたお茶が浮き出て来て、浮き出たお茶に手垢が付き、それが暗いシミになり、とにかく500年、栄枯盛衰、持ち主を替え、愛玩されて、熟成された汚れた茶碗。茶碗の汚れが模様となる。茶人は景色と呼ぶ。花や紅葉の模様ではない。唐獅子牡丹の絵柄でもない。サウジアラビア人、アルゼンチン人、ニュージーランド人が見たら、何て薄汚い歪んだ器であろうかと、眉を寄せるだろう。井戸茶碗は、そんな器なのだ。

「井戸茶碗の良さですか。それは、難しい問題ですね」

純哉は、腕組みを一旦し、また解いて、案の定こう話し始めた。理屈っぽいだろうが、ここは覚悟しておこう。

「例えば、幼い子供は、酸っぱいとか、苦いとか、そんな味は苦手らしんだ。甘い、鹹いは、すんなり受け入れるらしんだ。だけど、酸っぱい、苦い、あるいは辛い、更にはアクが強い、そんな味覚は、無条件で、吐き出すらしんだよね。聞いたところによると、それは人間の基本的な本能ってものらしくてね、腐敗した物を食べないようにしている、身体のシステムらしんだ。でも、子供もいつか大人になる。そうして、色々な味覚を学習していく。その内に『あれっ、これって、意外に旨いかも』と応用がきき、目から鱗が落ちる。つまり嗜好が広がっていく。そうして、レモンや、梅干しや、山菜や、納豆や、チーズを楽しむようになる。美しさだって、同じなんだよ。絵巻さながらの図柄に、絶妙な配置で色を塗り込めるとね、誰もが、理解できる『美』が出来上がるよね。驚愕、陶酔、その『美』に感動する。でも、あの『美』を知り、この『美』も知り、『美』の学習を重ねると、ありきたりの『美』にちょっと飽きてきて、子供の味覚が大人になるように、意外なところに『美』を感じてしまうんだよね。知ると言うより、気付くのか、出会うのかなぁ? 井戸茶碗の『美』は、そう言う類(たぐい)のものなんだよね」

「そうなの……。わたし、まだいろいろな『美』を学習しきれていないから、井戸茶碗の『美』を理解できないのかしらね」朋子は不機嫌そうだった。

「ごめん、ごめん。気を悪くしないで欲しいんだ。僕の変な、屁理屈が始まったと、笑って聞き流してよ」

純哉は、自分を理解しているようだ。

「わたしが、コーヒーにお砂糖とミルクを入れて、口当たりよくして飲むのと、純哉さんが、ブラックで、コーヒーの苦みを楽しんでいるのと、この話の内容は、同じって感じかしら? お砂糖の甘味とミルクの風味があるから、かえってコーヒーの苦みを楽しんでいるって、そんなことはないかしら?」朋子は、自分の言っていることが、的を得ているかどうかなど、どうでもよかった。純哉に食い下がりたかったのだ。

「朋子さん。それは上手い例えです。面白い」

それは、朋子が想像していた以外の反応だった。純哉の眼鏡の向こうの細い目が、少し太くなった。

「それ、よく考えてみる。考えてみる価値のある例えだ」

 純哉は、急に黙り、早速、思考の闇世界に埋没し始めた。彼の癖のひとつだ。朋子は、また全く違う世界に埋没した。それは、彼女の口の中の事なのだ。砂糖とミルクを口にしたため、何か、先程から、生臭い味覚が口の中にあった。気持ち悪かった。彼女は、舌先で、歯を舐め、出てきた唾液を何度も飲み込んだ。歯の表面も、ザラついているようだった。

 それぞれの世界に埋没しているこの2人は、お付き合いを始めて、4か月になるが、手を繋いだ事もなかった。ところが、キスだけは……、まだに決まっている。純哉のことは、詳細には分かりかねるが、朋子は、全くのキス未経験者。それは、神に誓ってもいい。なぜ、ここで唐突に、キスの話題をあげたのかと言うと、朋子は、その日、キスを経験するのではないかと予感したからだ。女の勘だ。女の勘は卵巣で生まれる。だから、よく当たる。

 朋子の、純哉に対する思いは、徐々に、やや屈折して、熱くなっていったもの。4か月の時間をかけてだ。この事はすでに語り済みだ。純哉の外見は、端的に言えば許せる範囲、いい男ではない。物語の主要人物は美男美女が相場なので、誤解が生じないように念を押している。いい男ではないから、朋子は独占出来ると思っていた、彼女の安心感だ。

更にあげれば、純哉の理屈っぽさときれい好き、それゆえの可愛さ。流石にこれは、自分にしか分からないだろうと過信していた。理屈っぽい癖が、駄々っ子のように映るのも自分だけ、きれい好きが聞かん坊のように感じるのも自分だけ。彼女の優越感だ。安心感と優越感、これが朋子を幸せな気分にさせた。朋子の感情は、導火線の長さだけ、時間をかけて、徐々にやや屈折して燃えていた。

一方、純哉はどうだろう。

朋子は、煮え切らないとイライラしていた。朋子のイライラは、好意ゆえだ。

純哉さんには、間違いなく心の奥に熱い情熱が隠れている。なのに、煮え切らないのはなぜだろう。

他にオンナがいるのか。

まさか、こんな地味で真面目な男に? しかし、自分が感じたような思いは、他のオンナも抱くかもしれない。不安だ。

ひょっとすると、先にチラつく、束縛される結婚生活を拒んでいるのだろうか。それも不安だ。

とにかくハッキリしない。

しかしどうだろう、

男の恋愛感情の盛り上がりは、女とは違うのかもしれない。女が、時間をかけて気持ちを熟成させるのと違い、男は、何かをきっかけに感情を爆発させるのではないだろうか。朋子のこの勘が当たっていれば、恋愛感情の高揚差はオーガスムスの男女の違いに似ている。

それはさておき、朋子は、その事を、その日のデートの純哉の様子で感じた。

きっかけの何かは、言わずと知れた朋子の脚。

確実に、純哉は、この脚の男になっていた。あの真面目な純哉が男になっていた。

こうして、キスを予感させた勘が、朋子の卵巣で生まれていたのだ。

 キスの予感をしていた朋子は、不意にこんな事を思い出した。それは、とある学術的講演会の内容である。2年ほど前の事だ、勤務先の都立民族博物館で『歯の衛生管理の変遷について』と題した特別講演会が開催された。▲▲歯科大学客員教授何某氏の話だった。朋子は、室内照明係だったので、その講演を聴く事が出来た。

 スライドを映しながら、話はまず、古代エジプトやインドの歯ブラシの原型、それから、中国の楊枝、ヨーロッパの海綿が紹介された。次に、日本に於いて、仏教とともに伝わった楊枝がどのような変遷を経て、現在の歯ブラシや歯磨き粉に至ったかを説明した。釈迦やマホメット、鑑真などの偉人が、どのように口内衛生にかかわったかも、興味深い話だった。鉄漿の話題も差し挟まれた。

「と言う次第でございまして、人類は、長い歴史の中で、様々な試行錯誤を繰り返しながら、現在の優れた口内衛生器具を手に入れる事ができたのでございます。以上を持ちまして、私の、歯の衛生管理の変遷についての話を終わらせていただきたいと存じます」朋子は、客員教授の挨拶が終わると、照明のスイッチをオンにした。

「最後ではございますが」客員教授の話は終わっていなかった。

「最近の歯科衛生に関しますご報告をさせて頂きたいと存じます。口内の2大疾病は、何と申しましても、虫歯と歯周病でございます。歯や歯茎を蝕むこの疾病は、痛みを伴い、進行の度合いによっては、脳や身体にも重篤な影響を及ぼします。また、口臭の大きな原因なのでございます。2つの疾病でございますが、ある医学雑誌で、感染症の一種であると、発表されました。口内細菌についての研究は、ここ10年で飛躍的成果を出しておりますが、全貌解明には、まだ道半ばなのでございます。成人の口内には、虫歯菌や歯周病菌も含めまして300種類から400種類、文献によりましては700種類もの細菌が常在していると言われております。虫歯菌は数種類、歯周病菌は数10種類あるらしゅうございます。しかしながらでございます。生まれたばかりの嬰児には、虫歯菌も歯周病菌も、確認できないのでございます。となりますと、成人になる間に、何らかの過程を経て、保菌者となったと推察出来る訳でございます。考えられる原因は、1つだけでございます。つまり唾液を介して感染しているのではないかと、こう導かれる訳でございます。赤ちゃんの場合、身内の方の口移し、あるいは愛々しさあまってのキスでございましょうか。少し艶っぽい話で恐縮ではございますが、恋人同士の接吻も、大いに感染の手引きに一役……、云々」

 朋子は、学生時代に、食中毒の研究をした事がある。黄色ブドウ球菌とサルモネラ菌の培養したのだ。シャーレの上に寒天を張って、そこで培養をした。菌は、恒温恒湿度ボックスの中で、数時間も経てば、塊となって増殖した。それを顕微鏡で観察すると、分裂の苦しみにのたうち廻りながら、増えていく細菌が見えた。朋子は、頭を左右に振った。その細菌の映像を、頭から払ったのだ。

 「どうしました、朋子さん」純哉が、薄い唇の口角を吊り上げて、白い歯を覗かせて微笑んでいた。

「朋子さん、新宿御苑にでも、行ってみませんか。閉園まで、まだ時間はあるでしょう」

「いいですね」 

喫茶店の会計は、朋子が済ました。

 新宿通りの裏道を、2人は並んで歩いた。朋子は、女子大生の時、新宿の和風レストランでアルバイトをした事がある。そこで知り合った、カッチャンは、奥手な朋子の唯一の男友達。ここはカッチャンとよく歩いた場所だ。懐かしい光景。右手に広々とした高校のグランド。変わっていなかった。ただ、あの頃より、道は整備され、アスファルトの紺も濃い。街路樹に敷かれた玉石は、白く艶々していた。そこへ、突然、変な臭いがしてきた。酸っぱい、饐(す)えたような、濡れたような、鼻の奥を絞るような臭いだ。空気の色が変わっていた。どこから、して来るのだろう。臭いが鼻腔深く纏わりついて離れなかった。呼吸が、体内を腐敗させそうだった。その時、秋の微風は、後ろから吹いていた。2人は同時に、後ろを振り返った。10歩ほど離れたところを、灰色のボロ布の塊が歩いていた。

ボロ布が歩く筈はない。

それは、ホームレスの老人だった。

草履らしきものを引きずる足は、汚れで茶色。汚れだけでなく日焼けもあった。だからテリのある斑な茶色。汚れもさる事だが、草履らしきものを引きずるその足は、ブヨブヨ膨れ痛々しく、直視できなかった。

ズボンの丈は短く、裾はギザギザに擦り切れていた。股の辺りは濡れていた。

上着は、何枚もの布地であった。服と言う形をしていなかった。麻袋もあった。様々な素材が、様々な凹凸をなして、破れ、擦れ、切り裂かれ、端はすべて、ギザギザ。羽織っているのではなかった。垂れ下がっていたのだ。灰色、灰色、鼠色で、濃淡になって垂れ下がり、そこへ人が埋まっていた。

大きく開いた胸元の鎖骨に、痩せた首が突き出ていた。首は、頬のこけた頭を、斜めに乗せていた。傾いた頭からは、胸元までの髭と、膝までの髪が垂れていた。絡まり、毛の団子を段々に作りながら、垂れていた。

この老人が、異臭の元凶だった。茶色いテリのある顔の中で、白黒が際立つのは、目だった。濡れたように輝いた目。何かをジッと見ていた。朋子は、その視線の先を探った。そしてその先には、凍りついた、純哉の目があった。朋子は、純哉の横腹をつついた。純哉は、正気を取り戻し頷いた。2人は先を急いだ。

赤、朱、緋、黄、橙、金。紅(もみ)付いた並木路の空気は、酔人の熱い息切れのようだった。晩秋の蔽いを抜けると、青が広がった。空だ。雲は、白粉(おしろい)を刷いたようだった。空の下の庭は、芝生に覆われ、午睡の後の伸びをしていた。遠くの森は、蒼(あお)味がかり、葉先の碧(みどり)にぼんやりと縁取られていた。高層ビルが、他人(ひと)事のように、樹々の上に覗いて見えた。

広々とした御苑の日本庭園は、長閑に明るかった。人影は少なかった。2人は、池を渡り、埃を気にしながらベンチに座った。そこからの、茶室の眺めは、一服の絵画。純哉は、地面から枯葉を拾った。

「桜は、花だけじゃあないんだよね。色づいた葉も中々いい。これ、どう?」と言って、朋子の掌に枯葉を乗せた。朋子は、その刹那、純哉の目が自分の脚をチラッと意識した事を、見逃さなかった。純哉は続けた。

「きれいだと、思いますか?」

枯葉は薄かった。

オレンジ色に少し赤が割り込んでいた、

茶色が散っていた。

緑の名残が哀しかった。

「改めて見ると、枯葉って、いろいろな色があって、きれいだわ。いったい、いくつの色数で、この模様が出来ているのかしらね」

「自然の作るものは、計り知れないね」

「あら、純哉さん。この葉っぱの『美』を、井戸茶碗の『美』に結びつけようとなさっていなくって?」朋子は、可愛げのない事を言った。先読みするは、好ましい事ではない。しかし彼女は、直情的な理屈っぽい性格をしている。それを、忘れてはならない。

「正解。今、朋子さんは、1枚の枯葉をしげしげ見て、見落としていた『美』に気が付いたって、それを言いたかったんだ」

「純哉さん。流石の、わたしでも、自然が作るこの種の『美』には、とっくに気が付いていたわ。改めて見たら、なんて言ったけど、子供の時にはもう気が付いていた『美』かもしれないわ。苔むした石を見てきれいって感動する、あの感覚と同じだわ。誰もが感じる、わたしの中で、殊更、新発見の『美』ではないわ」

「誰もが感じるは、微妙に違うんじゃないかなぁ。湿気の多い島国に住む、我々日本人が敏感になった『美』なんじゃあないかなぁ。日本人がDNAにした、陰湿な『美』の感覚だ。すぐ黴が出来て、発酵食物を食べ続けて、いわば腐敗と隣り合わせに生きてきて、移ろいと滅びを、日常にしてきた日本人ならではの感性だよ」

「日本人の陰湿な感性はいいけど、井戸茶碗は、食器のひとつでしょ。この葉っぱの『美』は、確かに腐敗の過程によって滲み出た『美』だけど、礼節を弁えているわ。人との間に、キチンと境界線を引いて、踏み込んできたりはしないわ。枯葉は、枯葉。潔くケジメを付けているわ。それに比べて、井戸茶碗は、一応、食器よ。口にするのよ。手垢とシミの、あの蝦蟇蛙の肌のような茶碗が、もし万が一、『美』なのだとしたら、人間の感覚に、土足で踏み込んでくるような、厚かましい、失礼な『美』だわ。いくら、自然の、作為のない、偉大な見えない手の例えを持って来ても、普通は、生理的に、受け入れにくいものよ。あの『美』を知って、この『美』も知って、飽き足らずに辿り着いた『美』が、シミだって、悪趣味よ。純哉さんだって、さっき、茶道具を洗剤で洗わないから不潔って言っていたじゃない。そんな清潔好きな純哉さんが、どうして、あんな汚い茶碗をきれいだと味方するのか、不思議だわ」

「それは、その通りなんだよ。僕の境界線は、都合のいい曲線なのかもしれないね。ただ、同じお茶道具でも、水指や、懐石道具や、菓子器が、手垢で汚れていたら、絶対、境界線のコッチには、入れさせない。不潔、不衛生だと思う。茶碗だけが許せるんだ」

「わたしは、民族博物館に勤めているから、歴史的背景もひっくるめて、展示物として鑑賞するのが精一杯。『美』としては、支持できないわ」

「でもね、あのシミの『美』を支持する人もいるからね。現に、今、美術展って銘打たれた展示物だったからね」

「支持する人達って、催眠術にかかって、きれいでないものを、きれいだって、思い込んでいるってことはないかしら。骨董趣味そのものが、なんだか、胡散臭い催眠術の一種だと思うわ」

「睡眠術か。実際、そうかもしれない。侘び茶が、全盛だった安土桃山時代には、井戸茶碗だって、ああまで汚れていなかっただろうなぁ。500年前の侘び茶は、スッキリと清潔なものだったと思うんだよなぁ。でも、後世の人が、それは江戸時代の人だけど、汚れた茶碗の風情を見て、それこそが侘びだと、催眠術に引っかかった。その説は良い線いっているかもね。鎖国が催眠術師かもね」

「鎖国が?」

「国を閉じてしまったから、外から、目新しいものや、刺激が入らなくなってしまうだろう。そうすると、今あるものを工夫して、目先を変えて、刺激を求めるようになる。朝顔に斑(ふ)や絞りを入れ、ささくれさす。金魚を瘤だらけの蘭(らん)虫(ちゅう)にする。とにかく、刺激を求めて『美』を弄繰(いじく)り回す。快活な元禄文化は退廃した文化文政文化になった。なにしろ鎖国で、新鮮な風潮が入らない上に、日本は湿気っていて発酵しやすい風土だ。これじゃあどう転んでも、文物はオドロオドロしい奇形になってしまうよ。世界的に見れば、19世紀はそんな宿命を背負った時代だったような気がする。なにせ世紀末を生んだ偉大なる世紀だからね。ただ日本は少し早く腐り始めた。ジメジメとね。やはり独特の風土と鎖国の影響だよ。そして、徳川幕府が度々出した奢侈禁止令が、『美』の愚弄に拍車をかけたんだ」

「奢侈禁止令が?」

「幕府は、裕福になった町人に、贅沢を禁じた。町人は、禁じられると、禁令すれすれのところで、贅沢を楽しむようになった。江戸っ子の意地だ。着物の裏地に凝ったりして、文字通り、裏をかいて贅沢を楽しんだ。チラリと垣間見れる贅沢を『粋』と言った。それを見逃さない人を『通』と呼んだ。それが分からない人を『野暮』と笑った。そうした、右往左往の中で、独特のひねくれた価値観が生まれた。井戸茶碗の『美』も、江戸時代の茶人が、ひねくり回した『粋』だ。分かる人にしか分からないよ、と内輪で『通』ぶる。何分、相手は汚れだよ。分かる人は、そうそういない。だけど、お茶人が言うのだから、分からないこっちが悪いと思う。『なるへそ、こいつぁー、すげーやー』と『通』ぶる。分かったふりをする。催眠術だよ。それが伝染していって、井戸茶碗の、ひねくれた『美』が出来上がった。この説も、相当、有力なラインだと思うんだ。でも、素朴な疑問が残る。なぜ、それが汚れだったのかだ。『美』に埋没し、『美』で生計を立てている茶人が、なぜ茶碗の汚れを『粋』にしたかだ。汚れを有難がる、そんなパラドックスを楽しんでいるのか? それにしても、他に、アプローチの仕方はなかったのか? 食器の汚れを愛でるなんて、グロテスク趣味も甚だしい。しかし、汚れだから、きっとよかったんだよ。清浄を保った茶室に、汚れた井戸茶碗はいい。さっき、この話題にお誂え向きの浮浪者がいたね」

お誂え向きとは、スマートな展開が出来ないと、作者へ嫌味が言いたいのだろうか。物語の作り手が、流れをスムーズにするために、前触れの場面を差し込んで何が悪いと言うのだ。

「僕は、あの浮浪者を、不潔だ、汚いと思った。でも、ジッと見ていたら、崇高で神々しいと感じたんだ。あの浮浪者が、ゴミの中に立っていたら、この感覚は生まれなかったかもしれない。浮浪者は、高層ビルを背景に、アスファルトの直線の上に立っていた。凄まじい対比の中の存在だった。誰も真似出来ない、汚辱の荘厳を纏って、立っていた。ヴァチカンの法王の纏う祭服の真逆だ。宇宙には、上下も、東西南北もない。引力に引っ張られて地面に立っているから、上下があるように、僕たちは誤解しているだけだ。つまりすべての現象は、人間の偏見と錯覚だ。『善』と『悪』『美』と『醜』それらを見分けて喜んでいるのも、人間の偏見なのかもしれない。そして、その偏見を取り去ると、あの浮浪者は、『美』と『醜』どちらか片一方の支配者だよ。無機的な高層ビルの景観に有機的な浮浪者の姿。真反対だ。どちらが、『美』なんだろう? 村田珠光は『藁屋に名馬繋ぎたるがよし』と言ったけど、『ヴァチカン宮に浮浪者立たせるもよし』だよ」

「汚れた茶碗だから、なんとなく有難い、ってことが言いたいの?」

「ピカピカの仏像より、塗装が剥げ落ちてボロボロになっている仏像の方が、御利益ありそうって、ことなのかなぁ。徒然草の老僧の逸話のようだ。ハハハッ」

「なんとなく有難くって、御利益ありそうってことを、『美』と言い換えているだけなら、井戸茶碗の『美』も理解はできるわ」

「ちょっと、違うんだよなぁ。僕は、井戸茶碗に絶対的な『美』を感じる。ゾックとする『美』をね。井戸茶碗の『美』の秘密は、好き嫌いだけの単純なことかもしれない。しかし、あれには間違いなく絶対的な『美』がある。崇高とか、有難みとか、御利益とか、催眠術とか、好き嫌いとか、そんなものには、知らん顔している『美』がある。それは、何なのだろう……」

 もういい、もういい、もういい。純哉の語る美学を拝聴するのは、もう飽き飽きした。朋子のような、お付き合いをしている相手なら、多少の我慢も苦にはならないだろう。しかし、読者や作者は赤の他人である。答えの出ない、言葉遊びのような美学論など、聴くに堪えない。2度とするな。アッカンベーだ。物語なんて言うものは、お化けが出たり、殺人事件があったりして、ハラハラドキドキしなければ、面白くないのだ。本来ならこの辺で、2人ぐらい殺されていても、いいぐらいだ。物語に、テンポが大事と言うなら、この停滞気味な場面を切り上げようじゃあないか。このデートの日の、土曜の午後8時17分に。


 この日、2人は、新宿御苑を千駄ヶ谷口から出て、国立競技場近くのレストランで夕食をとった。そして、食後の歯磨きを終え、千駄ヶ谷の駅に向かって、東京都体育館の広場を横切っていた。繰り返すが、土曜の午後8時17分にである。

虫の声の季節ではなかった。昼の暖かさが嘘のように、空気が冷(つめ)たかった。車の走行音と、テニスボールを打つ音が、遠くに聞こえた。月はなかった。が、何の光なのか、広場は白く底光りしていた。土曜の夜の千駄ヶ谷は、人影もなく、2人は白いコンクリートに移る自分の影を追っていた。さあ、キスをするには、もってこいの場面設定をさせていただいた。

 「寒くないですか」純哉が、いつもより19センチ丈の短いスタートの脚を見て言った。

「寒くはないです」

「手を繋ぎましょう」

純哉の指が、朋子の手(しゅ)背(はい)を探った。朋子の指がそれを器用に掌に導いた。袱紗捌きの訓練が功を奏したのだろうか。それから2人は、言葉もなく、千駄ヶ谷の駅が近づくのをずっと見ていた。

突然、賑やかな笑い声が広場に響いた。地下のトレーニングセンターから出てきた、数人の少年達の声であった。とっさに、朋子が純哉の手を解いた。

「今日は、まだ2人でいたい」純哉は呟くように言った。

朋子は、下を向いた。

テニスボールを打つ音が、小気味よかった。

「明日は、お休みですよね」

朋子は頷いた。

「僕の部屋に来ませんか?」

 1、2、3、4.4つ数えて、4秒。人と言うのは、4秒もあれば、相当の事を思考し判断する。朋子は、4秒後に「はい」と返事をするのであるが、その4秒間に、次のような事を考えた。

ハッキリしない純哉に、ずっと、苛立っていたわたしだ。そんな中、今日、わたしの脚を見て、何となく行動的になった男純哉を感じていた。だから、脚の演技をしたのだ。ひょっとしたら、何か進展があるかも、と思って煽ったのだ。慣れない脚の動きは、わたしを変な気分にさせたのかもしれない。わたしは冷静だろうか。多分、冷静だ。キスまで進むかと思っていたが、それ以上の事を求められた。驚いたが、嬉しい。純哉は、この事の責任を取ってくれるだろうか。過ちにはしないだろうか。周りで処女を囲っているのは、わたしぐらいだ。少し荷が軽くなったようだ。それに、わたしだって、今日は1人になりたくない。結婚、結婚? 一晩、純哉の胸元で過ごしたら……、いや、今は、そこまでは考えられない。やがてでいい。答えは、やがて、流れのまま。生理は終わって3日目だ。ただ、あの事が……。

「どう?」純哉の声は低い。

「はい」朋子は頷いた。

「タクシーに乗りましょう」

 駅前で車を拾った。明治通りを北に、豊島区雑司ヶ谷の純哉のマンションへ車は走った。2人に言葉はなかった。純哉の指が、朋子の手背で動いていた。それも朋子の腿の上でだ。腿はもどかしい芝居の舞台だった。朋子の指は、純哉を受け入れた。2人の指と指は、交互に絡まり、挟まり合い、互いの指の股と股を接合させた。純哉の指に力が入った。朋子もそれに応えた。ギュッと。汗ばんだ手が、ギュッと。朋子は恍惚とした。もうこれだけでいい。ずっと、このままでいい。導火線の火は爆弾に達した。爆発した。爆発で、朋子は飛んだ。女は、男の身体に凭れ掛かった。2人の手の握り合った塊から、男の人差し指だけが立ち上がり、女の腿を撫ぜた。

 男は、マンションの5階のワンルームに住んでいた。部屋の空気は冷たく澄んで、無臭だった。電話機の留守番メッセージの点滅が、赤く部屋中を照らしていた。男が、女の肩を抱いてきた。キスをされる。女は思った。ここまで来て、女の勘をあれこれ言うのは、執拗な事だが、とにかく、勘は当たった訳だ。暗闇に、男の顔が、赤く点滅していた。その瞬間の2秒間。赤く点滅する男の顔を見ながら2秒間、朋子はこんな事を思った。

▲▲歯科大学客員教授何某氏の言った説が事実なら、純哉の口の中の虫歯菌や歯周病菌が、わたしの口の中に入る。もし、万が一、それが、数種類あると言う菌のうち、自分がまだ保有していない菌であった場合、わたしは新たな菌を、口の中に培養する事になる。だからどうしたと言うのだ。純哉さんが保有している菌なら、わたしは受け入れる事が出来る。わたしは、この人を愛している。

 男の薄い唇が朋子のそれに触れた。柔らかい心地いい感触だった。人がキスを好む意味が分かった。特に、好きな人とのキスを。口の中に、ナメクジのようなものが入ってきた。舌だ。女は驚き、腰を少し引いた。それを男が引き寄せた。男の舌が、口の中で女の舌を探った。女はそれに任せ、導かれるがまま自分の舌を動かした。気が遠くなりそうだった。これが人間の、男の、好きな男の、においと味だ。それは、嫌なものではなかった。愛していたから、好きだから。そして、それは、甘い苦味がした。

「好きだよ。愛している」女がどれだけ待った言葉だろう。

「わたしも」今度は女の唇が男のそれに近づいた。2度目は、少し慣れていた。

もし、▲▲歯科大学客員教授何某氏の言った説が正しいのなら、わたしが保有していて、純哉さんが保有していない菌を、これは感染させる行為だ。2度目のキス。朋子に、相手を思いやる余裕が出来た。わたしは、今、虫歯を全部治している。全部治しているが、今でも虫歯菌は口の中にいる筈だ。あの客員教授の話に従えば、それは、どこかで菌をうつされたと言う訳だ。赤ちゃんの頃、おじいちゃんがクチャクチャ噛み砕いた海老を拒んだわたしだ。でも、そんな話は当てにはならない。フーフー息で冷ました食べ物で感染したのだろうか。赤ちゃんの時、キスされたのだろうか。(作者は一言添えておく。朋子はキス未経験者だと神に誓った。だが、赤ちゃんの頃にされたキスまで想像出来なかった。神が都合よく『それはそれ』と許してくれないのなら、神はやはり、人が造ったモノではないのかもしれない)キスは、他人の過去や細菌まで、許し合い共有する、捨て身の陶酔だ。

 「わたし、初めてよ」女は、男がどう答えるか気になった。

「初めてのキスの味はどう?」男は、僕も初めて、とは言わなかった。

「苦いわ」

男の顔を、赤い点滅の光が、3度照らした。そして笑って、

「オスカー・ワイルドは、サロメにこう言わせたよ。『これは愛の味ね』って」男はそう言うと、手を腿に滑らせながら、唇を求めた。女は、男が何を言っているのか分からなかった。分からないまま、ベッドに押し倒された。

 朋子の心臓の鼓動は凄まじかった。彼女は間違いなく欲情していた。が、鼓動は、欲情のせいだけではなかった。問題はいくつかあった。まず、オシッコを済ましておきたかった。我慢が出来ない状況ではなかった。ただ、オシッコを済ます事は、お清めの儀式のように必要だった。お清めついでに、シャワーも浴びたかった。陽気で暖かい昼間を歩き続けたのだ。汗もかいていた。身体の汚れも気になった。汚れついでに言えば、落としていない化粧がシーツを汚すのではないかと、それも気になった。こんな時、どうすればいいのか。祖母は夫の前で素顔を見せるなと戒めた。『どうすればいいの? おばあちゃん』朋子は心で叫んだ。汚れに、もう1つオマケがある。下着の汚れも気になった。まさかこんな展開になるとはつゆ知らず、白い下着を着けていた。汚れている可能性だってあった。それに、それに、それにだ。大きな問題は、東京都体育館の広場で、純哉に誘われ戸惑った4秒間に結論を出せなかった、あの問題だ。あの問題とは、こんな問題なのである。

女子高での、女友達の情報交換には際どいものもあった。例えばマスターベーションの話題である。それを教わった友人の、いやらしい顔を、朋子は今でも忘れていなかった。衝撃的な情報だった。女子高時代の朋子は、大人になる事を汚(けが)れと思っていた。身体つきが変わってくる、変なところに毛が生える。それに女には生理もある。天使が生々しい動物に変わっていくように感じていた。朋子が知ったマスターベーションは、そんな汚(よご)れた大人の、特に穢(けが)れた習慣に思えた。しかし、そのいやらしい情報を知って何日目だったか、何かに引き摺られるように指を伸ばした。人の性(さが)に抗(あらが)えなかった。人の性は罪まみれ。教えられた通りにした。その頃は、クリトリスとそれを覆う小陰唇を弄る程度だった。膣(ちつ)に指を入れるようになったのは、女子大に通うようになってからだ。初めて、指を入れようとした時、戸惑った。どうしよう、これ以上進んでいいのだろうか。戸惑いながら、指はクリトリスから滑り、膣を探った。戸惑いが消えた瞬間は、小さな崖から飛び降りる度胸に似ていた。自分は処女とは言えなくなったと恐怖した。後ろめたかった。終えた後の後悔は深かった。しかし、処女膜を破った訳ではない。と、言い訳もした。朋子は、健康な身体をもつ1人の女だ。性欲を我慢する事は、難しい。マスターベーションは、朋子が女として成長していく過程に寄り添っていた。

押し倒されたベッドで、体の汚れを問題とした朋子だが、付け加えると、臭いも大きな問題だった。つまり彼女は、マスターベーションで、このような場合、自分の陰部が、どのような臭いがするのか知っていたのだ。それは数種類あった。女の周期でも変化した。女は複雑だ。そして彼女は他人より自分は臭いが強いのではないかと疑っていた。神経質な人間にありがちな疑いだ。朋子がベッドに押し倒されたその日は、生理が終わって3日目だった。彼女は、臭いが薄い事を知っていた。しかし、シャワーを浴びない身体に、数種類のうちとは、また別の臭いがある事も知っていた。

話が逸れた。朋子のマスターベーションの話に戻そう。膣の指の遊びの刺激は、次のいたずらを引き寄せた。膣を弄んでいた朋子に、油性の赤いマジックが、目に入った。彼女はその太さが気になった。恐る恐る、だった。怖さと、罪の意識もあったから恐る恐る。しかし膣は、その太さを深呼吸のように受け入れた。膣と指の戯れに、マジックも仲間入りした。自分以外のもの、つまり異物との関係にも慣れてきた。慣れは、恐ろしい。油断を招いた。あれは、初めてマジックを膣に入れてから、何か月目かの夜だった、膣に痛みが走ったのだ。彼女は、マジックを抜いた。マジックに、赤い血が付いていた。彼女は処女膜を失ったと怖気づいた。誰にも話していない脅えだ。それ以来、膣を弄ぶ事をやめた。膣の刺激は、クリトリスのそれほど、朋子には馴染んでもいなかった。それにしても、マジックの太さで、なのだ。単なる引っ掻き傷かもしれない。仮に膜が破れたとしても、それがどうした、とそう言うのは、すれ返った大人の判断だろう。とにかく彼女は脅えた。時で言えば29歳の秋のデートの日の夜まで。場所で言えば雑司ヶ谷の色川純哉のマンションのベッドの上まで。ずっと引きずっていた、脅えは彼女の純情そのものだった。

 「シャワーを浴びさせて」女が言った。

「いいんだ、このままで、このままで」

袱紗まで洗った、清潔好きの男の言葉とは思えなかった。

「よくないの。シャワーを浴びさせて……」そう言葉にしたものの、女も流れを止められなかった。男の唇が項を滑り、左手が胸を探り、右手の指が腿を這った。他(ひ)人(と)に初めて触らせる処ばかりだ。女は、感覚に縛り付けられ、意識を裏返させ、大胆になっていった。2人は、もうほとんど、生まれた時の姿だった。男が、女の最後の1枚に指を掛けた。女は「あっ」と言い横を向いた。女の目に留守番電話の赤い点滅が入った。女は見つめた。男は、電話機のコードに手を伸ばし、それを引っ張った。コードは、コンセントからを抜けた。

「これで、真っ暗だよ」

男はリモコンを探り寄せ、ステレオに向かってスイッチを押した。籠った温(ぬく)い音で、ピアノ曲が流れた。バスルームで聴いているような音だった。男は女の下着を剥ぎ取ると、そこへ、袱紗も洗う程きれい好きの男は、顔を埋めた。

「あっ、臭いが……」と女が思ったより早く、男の舌がペロリとクリトリスを撫ぜて来た。

ペロリとされたらゾクッとした。

またペロリでゾクッ。

ペロリでゾクッ。

ぴちゃぴちゃで、ぞぞぞぞぉ。

女は、男の舌が動く度に顔を左右に振った。が突然、舌が、ただの細かい振動に変わった時、好奇心で下を覗いてしまった。

子供の時、5才の時、近所の遊び友達が子猫を飼った。女も飼いたかった。でも女の家は、祖母が動物を嫌い飼えなかった。子猫を見せてもらった。可愛かった。頬擦りを何度もした。ニャーと小さな鳴声で女に縺れた。友達が小皿のミルクを子猫に差し出した。子猫は皿に舌を入れて、ぴちゃぴちゃと飲み始めた。小さな舌をミルクに出し入れして……。子猫が雄だったか雌だったか覚えていない。皿に顔を近づけミルクを飲む子猫の目は、一か所をジッと見ていた。女は今、子猫が何処を見ていたか分かった。それは、しゃがんだ自分のスカートの中だ。

 ちょっと待った! これではエロ小説だ。この手の場面の深入りは、ほどほどがいい。簡単にアッサリとがいい。丁度流れているピアノ曲は、スヴァトスラフ・リヒテル演奏のバッハの『平均律クラヴィーア曲集第2巻』だ。聞いたところによると、バッハはこの曲集を、音楽教育を目的に書いたと言われている。ならば、続きの場面は、バッハをバックに、理科の教科書で齧(かじ)る性教育を模して描くコトとしよう。蝶と百合の擬人化なら、上品でアッサリとするだろう。


雨の中、白百合は蕾だった。

5枚の花びらのうち、2枚だけが半ば開いていた。蕾は、内側に赤い蕊を覗かしていた。閉じた3枚の花びらは、雨の雫に撃たれても、戸惑いを戸惑いのままにしていた。何もかもが、怖い、硬い蕾だった。

雨足が細くなった。

陽が雲の切れ目をかき分けた。温(ぬく)い風が起こった。百合は揺れた。百合には分からなかった。この揺れが、頷きなのか拒みなのか。それともただ単に、風に揺れているだけなのか。

そこへ蝶が近づいて来た。

黄蝶だ。蝶は声を持たない。翅をひらつかせ、百合に近づいては遠のいた。

また近づき、また遠のいた。

そんな刹那、翅の先が花びらに触れた。掠った。触れ掠ってから、また蝶は遠のいた。

でも、やっぱり近づいて来た。

今度は、脚が触れ掠った。

次は触覚が。

また翅が。

百合は、くすぐったかった。百合は、耐えかね、2枚を先ず、続いて3枚の花びらを脅えながら開いた。静かに、外へ外へ開いた。

蝶はくすぐりを止めなかった。百合も蝶と戯れるのが嬉しかった。花びらを大きく伸ばしこわばりを解いた。内側の赤い蕊は隠しきれなくなった。

蝶は蕊にいたずらを始めた。百合は揺れた。

「揺れるのは風のせいなの」もう、そんな言い訳を百合はできなかった。ただ、蝶は百合の揺れには構わなかった。花びらの上に休み、翅をゆっくり動かし、クルクル巻きの口吻(こうふん)を前足で撫でた。百合の花びらは蝶の重みを感じていた。

幸せな重み。

包まれた重み。

いつの間にか口吻は熱い直線変わっていた。

「まだ蜜の準備出来ていないの」百合にも声はない。だから花びらを震わせ伝えた。蝶は蜜を探るのに夢中で震えに気が付かなかった。

「駄目、まだ駄目なの」

口吻の硬さが花びらの一部を熱くしていた。花びらの震えは止まった。熱さに驚き、震えは止まった。

蝶は口吻を百合の中に突き刺した。

「ああ……」百合に声があった。

痛みがあった。

花びらと口吻に鮮血があった。

『ホ短調のフーガ』が流れていた。

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