第二章 教官シド(1)

 アルフィード大陸北端部。

 周囲を高く険しい山脈に囲まれ、地理的条件と霊脈の関係によって、年中地獄のような凍気、雪と氷に閉ざされた永久凍土の大地。

 そんなこの地は、かつての伝説時代に《魔王》と呼ばれた一人の人間が統治していたという、魔国ダクネシアが存在した場所だ。

 そして、そのかつての魔国の首都、魔都ダクネシア──今は生きとし生きるものは一人もなく、ただただてつき、朽ち果てたはいきょだけが無限に広がる廃都。

 その中央に、まがまがしい巨人のようにそびえ立つダクネシア城の、閑散とした王の間にて。

 ほのぐらい闇の中、ものげに冷たい石の玉座へつく、一人の人影があった。

 全身にゴシックドレスをまとった、長い銀髪の少女だ。

 としの頃は十五、六ほどか。間近で覗き込めば、背筋がぞっとするほどの美貌はすでに魔性の領域。そこにたたずむだけで、あらゆる生命を吸い尽くす霊気と威圧感を纏っている。その尋常ならざる気配──彼女は人ではない。恐らく生者ですらない。

 人外の力と引き替えに人を辞めた者──魔人、そんな言葉がピタリとはまる。

 されど、その人の形をした異形でありながら、頭部に頂いた王冠。その重厚なる威厳に満ちた様は、まさに〝王〟の風格があった。

「なんてこと! 失敗するなんてっ!」

 王冠の少女は悔しげに表情をゆがめ、玉座の手すりをたたきながら吐き捨てた。

「まったく、無能ですこと! オープス暗黒教団も存外、使えませんわぁ!」

「あらあら、勝手に教団の暗黒騎士を動かしておいて、また、随分な言い草ですわ」

 すると、その玉座の横に、闇の中から影がにじみ出て、一つの人影を結像する。

 それは、漆黒のフード付きローブに全身をすっぽり包んだ魔女だ。

 ローブの上からでもわかる、そのようえんな肢体。ぶかかぶったフードが顔を半分以上隠しているため、年齢はいまいちわからない。

「何よ!? あなた達オープス暗黒教団は、私の忠実なる下僕でしょう!?」

「ええ、もちろんですよ? 私のわいあるじ様」

「なら、私が貴女あなた達をどう使おうが勝手じゃないっ!」

 王冠の少女は、くすくすと口元だけ笑う魔女へ、ヒステリックに叫んだ。

「せっかく、アルヴィンを殺すチャンスだったのにッ! あいつにだけは、生き地獄を見せてやらないと収まらないわ!」

 爪をんで震える王冠の少女。一体、いかなる因縁があればそうなるのか、その全身には仄暗く重いぞうがドロドロと渦巻いていた。

「主様の、アルヴィン王子を憎むお気持ちは、よく存じあげておりますわ」

 だが、そんな王冠の少女をなだめるように、魔女が言う。

「ですが、今は王都にてを進行させている大事な時……目先の感情に流されての軽はずみな行動は、どうか今後はお控えくださいまし」

「だ、だって! だってぇ!?」

「ご安心なさいませ。その機会は、が成った後、いくらでも訪れましょう。主様とて、人にらせるより、ご自身の手でなされるほうがよろしいのでは?」

「……ッ!?」

 魔女のそんなかんげんに、王冠の少女が苦い顔で押し黙る。

 やがて。

「ふ、ふんっ! 確かにその通りだわぁ」

 意外にも、王冠の少女は、ぷいっとそっぽを向き、あっさりと引き下がる。

「あなたの言うことに間違いはないものね。ごめんなさいね、少し軽率だったわ」

「さすがは我が主様……実にご賢明ですわ」

 魔女は、意外と素直な少女を流し見て、妖しくほほむのであった。

「しかし……少々気がかりなことが出てきましたわね」

「何がよ?」

「アルヴィン王子を救った、あの騎士について……ですわ」

 魔女が唇にそっと手をわせながら、考える。

「今回、主様が王子へ差し向けたのは、暗黒騎士の中では低位の者とはいえ、弱体化しきった現代の騎士達には手に余るつわもの。それを撃退した騎士……気になりますわ」

 すると、王冠の少女も疑問を口にする。

「そういえば、そうねぇ。あの森って王家の聖域でしょう? 本来、誰もいないはずの場所で、王子を援助する騎士が現れるなんて、あまりにも都合が良すぎるわぁ。……ねぇ、あなた……その騎士、誰かわかる?」

 すると、魔女は再び口元を薄く微笑ませながら、答えた。

「……一人だけ、心当たりがございますわ」

「ふうん? 誰?」

「ええ。実は、キャルバニア王家には、とある古い口伝があるのです」

「……口伝? どんな?」

「シャルトスの森の奥深くに、とある騎士の墓標があり、始祖アルスルの系譜の血をその墓標に捧げることで、その騎士が再び眠りから覚める……そのようなものです」

「まさか、転生召喚の魔法……? かつて、死んだ騎士をよみがえらせたというの?」

 意外そうに目を瞬かせる王冠の少女。

「それで? その墓に眠る騎士の名は?」

 王冠の少女の問いに、魔女は厳かに答えた。

「──シド。シド゠ブリーツェ。あの音に聞こえし《野蛮人》シド卿ですわ」

 その瞬間、王冠の少女に激震が走った。

「な──ッ!? 《野蛮人》シド卿ですってぇ!?」

 がたんと玉座を蹴って立ち、魔女をにらみ付ける。

「そんなこと、あるはずないわ! そもそも死人が蘇る魔法なんて──」

「──有り得ない、とは言い切れません」

 興奮する少女へ、魔女がそっと冷静に返す。

「キャルバニア王家の始祖アルスルは、光の妖精神エクレールの加護を受けし者。伝説時代、アルスルはひそかに、光の妖精神エクレールから何か特別な魔法を授かったのやもしれませんわ」

 そんな魔女の指摘に、王冠の少女が息をむ。

「真偽はまだ不明ですが……その騎士が本当に、伝説のシド卿であり、アルヴィン王子のに加わったならば、私達にとって大いなる脅威となるやもしれませんわ」

「な、なんで……なんであの子ばっかり……ッ!」

 がり、と。王冠の少女が激情を顔に浮かべて爪を嚙む。その毒のように滲み出る憎悪だけで人を殺せそうなほどであった。

「ふんっ! たとえ本物だとしても、そんな旧時代の騎士、私達の敵じゃないわぁ!」

「そういきり立つのは結構ですが。まずは真偽の確認こそが先決ですわ」

 げきこうする王冠の少女を宥めるように魔女が言った。

「その騎士が本当に、あのシド卿なのか……私達の脅威となり得るのか……まずはそこをはっきりさせましょう。現在進行中の……その〝仕込み〟の片手間に、私は、くだんの騎士へ探りを入れてみますわ」

「ええ、頼むわぁ」

「はい。全ては主様のため、私は、主様への全霊の力添えを惜しみませんわ……」

 そう言って、魔女は笑った。

 その一瞬、魔女が深く被るローブの奥底に、ちらりとのぞいた瞳。

 その瞳には、底の見えない闇と虚無が渦巻いているのであった──

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